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(回答先: イギリスの無政府状態 (ROCKWAY EXPRESS ) 投稿者 新世紀人 日時 2011 年 8 月 15 日 11:52:13)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/18882
英国の暴動:自己像を見失った国2011.08.15(月)
The Economist
(英エコノミスト誌 2011年8月13日号)
発作的な愚かな暴動が英国人の自己認識を揺るがしている。英国の暴動は他国へ「輸出」される可能性もある。
8月6日にロンドン北部のトッテナムで発生した暴動は、数日のうちにロンドン市内各地に飛び火し、さらにはマンチェスター、バーミンガムなど他の都市へと拡大した。この暴動に対する多く英国民の最初の反応は恥辱感だった。
しかし、恥辱感と同時に彼らを包んだのは激しい困惑だった。法を順守する大半の市民は突如、一部の同胞が何のためらいもなく車両や建物に放火し、店から商品を略奪し、消防隊員や救急隊員を襲撃することに気づいた。
社会秩序の核心に存在していた信頼という虚構が、むき出しにされた。それなりの数の犯罪者が町に繰り出して大騒動を起こそうと思えば可能だということが判明したのだ。心の中に道徳的な抑制がなければ、外から強制的に抑制しても大して効果はない。
世界が驚きの目をロンドンに向けた。諸外国は概して、英国は少なくとも興奮しやすい大陸の隣国と比べると、羨ましいほど秩序が保たれ、法を順守する国だと思っていた。しかしこの平穏なイメージは全面的に正しいわけではない。
他地域に拡大するような暴動は以前にも、特に夏場に起きている。最近では1980年代に、トッテナムをはじめ先日緊張が高まった地域で暴動が発生した過去がある。だが、今回の問題の様相は、以前の突発的な暴動とは異なっている。今回の暴動は、全く愚かな騒動だという点で、ある意味では以前よりさらに気が滅入る出来事だ。
低下するモラル
8月第2週に拡大した暴動と1980年代の暴動には、略奪、放火、警察に対する攻撃など、いくつかの類似点があるが、暴動に関わる場所、人種、年齢、性別には以前見られなかった広がりがある。
1980年代の多くの騒動にからんだ人種問題は今回の決定的な原因ではない。略奪の容疑で最初に法廷に呼び出された容疑者の1人は、31歳の教育補助員だった。一般的なフ−リガンの典型的イメージからはほど遠い。このことが、死者まで出している今回の暴動に対する政治家たちの様々な解釈を許した。
左派の一部に言わせると、真犯人は政府の公共支出削減だ。この見方は、1980年代の暴動がサッチャー政権による大幅な歳出削減策「サッチャー・カット」のさなかに起きたことから、表面的には根拠がありそうに見える。しかし、これはやはり怠惰な空想にすぎない。
使い慣れたその論理の延長で今回の暴動をとらえ、政府が少し気前良くなればこの病は簡単に根治できると論じていれば気が休まるかもしれないが、そうすべき根拠はほとんどない。
1980年代の英国、1992年のロサンゼルス、そして2005年のフランスの暴動と違って、今回の暴動は特に政治的でも人種的でもなかった。さらに、歳出削減の影響はまだほとんど出ていないことを考えると、この説明は検証に耐えない。
一方、「これは純然たる犯罪行為であり、そこに深い原因を探るのは犯人に言い訳を与えるだけだ」という保守派の条件反射的な説明も間違っている。
国や自分の将来に対して、ほとんど関心を持たない若者の集団が、現在の英国に存在しているのは明らかだ。ほとんどの若者たちを暴動から隔てている壁――善悪の区別、将来の仕事や教育に対する関心、羞恥心といったもの――が、暴徒たちには備わっていないようなのだ。
英国は、一体なぜこうなったのかを知る努力をする必要がある。
例えば地域の青少年施設の閉鎖が彼らの疎外感を招いた可能性は低いだろう。もしかしたら、経済構造の変化やその結果として生じている単純労働の仕事の不足、あるいは長い時間を掛けて進行してきた家族形態や規律の崩壊と何らかの関係があるのかもしれない。
暴徒たちが集まるのに、ブラックベリーが頻繁に利用されていたことから、技術も何らかの要因となった可能性はある。デジタルコミュニケーションは、アラブの春でそうだったように、権力のバランスを当局から街頭へと傾けたが、英国の場合は、その効果は新たな活力というよりは恐るべきものとなった。
仮に技術が主な要因なら、他国でも同じような光景が繰り返される可能性はある。しかしその一方で、英国特有のいくつかの要因が働いているかもしれない。たとえば、米国並の格差が、欧州的な手緩い刑事司法と結びついて、激しい怒りと大胆さが入り交じった扇動的な感情を生み出してしまったのかもしれない。
原因がなんであれ、モラルの低下が英国の少数の若者たちを支配してしまったのだ。少数ではあっても、英国全体を恐怖に陥れ、屈辱を与えるのには十分な存在だ。
警察の仕事
デビッド・キャメロン首相は、この危機について議論するために議会を臨時招集し、英国のいくつかの地域は「明らかに病んでいる」と断言した。政治家たちは向こう数週間で、あらゆる対応策を講じることになるだろう。雇用創出や福祉政策が議論の対象になるのは間違いない。
しかし、目下の焦点は警備体制だ。特に暴動の最初の数日間の夜間に、とりわけロンドンで、警察が事態に対応しきれなかったのはなぜなのか。
トッテナムの最初の暴動の口火を切ったのは、警察による射殺事件だった。フーリガンの一部は警察に対する憤りを動機として挙げている。しかし、暴動が手に負えなくなり拡大するにつれて、警察、特にロンドン警視庁に対して向けられた主な批判は、彼らの対応が甘すぎるというものだった。
そしてこの批判は部分的にはその通りだった。ロンドン警視庁は、この騒動の規模に虚を突かれ、迅速に対応できなかった。ロンドンのいくつかの地域では暴徒の数が警察を上回り、機動性もまさっていたために、警察は略奪を防ぐことができず、また防ごうともしなかった。
その後、本格的に人員を増強し、作戦を練り直してからは、ロンドン警視庁も他の部隊も以前よりうまく夜間の取り締まりができるようになった。しかしそれでもなお、さらに厳格な措置を求める声が広がっていった。
ある世論調査によると、回答者の3分の1が、ゴム弾だけでなく、実弾の使用を支持した。外出禁止令や軍隊の配備も議論されたが、ありがたいことに実施されることはなかった。
希望と現実の乖離
ありがたいという意味は、そのような対応策をとれば、ほとんどの英国の市民がそうであってほしいと望んでいる開放的でリベラルな英国とは別の国になってしまうからだ。しかし、8月第2週の出来事が発信している1つのメッセージは、現代の英国の現実は、そのような市民の希望に添えないということだ。
格差や分裂は存在するにしても、英国とその首都ロンドンは基本的に秩序と調和がとれているという、多くの人が抱いていた前提は、自己満足に過ぎなかったことが明らかにされたのだ。英国社会の経済的、道徳的亀裂が口を開けた。そしてその亀裂は見た目以上に深い。
暴動は、既に弱体化している英国の経済に打撃を与えた。商店や家屋を傷つけられ、破壊された人々には、甚大な被害をもたらした。そして、英国に対するイメージを世界中で失墜させた。しかし何より大きいのは、この出来事で英国が絶望的に自己認識を見失ってしまったことだ。
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