http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/315.html
Tweet |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu234.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』 覇権国家アメリカ
の発するプロパガンダに骨の髄まで洗脳されているということも出来る。
2011年2月20日
◆日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり カレル・ヴァン・ウォルフレン著
http://www.bidders.co.jp/item/97712702
◆アメリカ文明の下で浦島太郎化した日本人〜書評『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』
http://www.news.janjan.jp/culture/0801/0801088626/1.php
この書の視点は、1989年の冷戦終結後、1991年1月の湾岸戦争や同年12月のソ連邦の崩壊を経て、世界の覇権国家として躍り出たアメリカという国家の歴史的役割について、ふたつの代表的な書を批判検討し、覇権国家アメリカの歴史からの後退を予見し、歴史認識に変更を迫る意欲的な論考だ。
同書で著者が批判する書のひとつは、冷戦後アメリカが世界で歴史的な役割を担うとしたフランシス・フクシマの著作「歴史の終わり」(1992)。そして、もうひとつは、西洋文明と他の文明の対立を不可避と分析したサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」(1998)の世界観である。著者は、このふたつの書を批判し、覇権国家アメリカの終焉を説明する。と同時にアメリカという色眼鏡で世界を見る日本人の世界認識に変更を迫る提案でもある。
1 覇権国とは何か
まず著者ウォルフレンは、第1章「アメリカの覇権は終わった」で、「覇権」という文言の定義から始める。
「覇権とは単に支配を意味するものではない……覇権とは、よりゆるやかな形で実行される支配を意味する。ゆるやかな形とは、覇権国によって支配される国々が、ある程度まで、その支配が及ぶことを自ら望むという形である。
また覇権をもつことは、世界のあらゆる事象をみる際のフィルターになることを意味する。つまりゆるやかな支配を受ける国々が、覇権国の眼、つまりアメリカ政府のフィルターを通じて世界の現実をみることになるのだ。このことによって……グローバリゼーションなる物語が、なぜかくも世界各地で受け入れられたかについての説明がつくだろう。」(本書 54頁)
つまり、ウォルフレンは、私たちはの眼は、アメリカというフィルター(色眼鏡)を通して、世界を認識していること、同時にアメリカという覇権国にどことなく依存する心理が働いていることを明らかにしている。考えてみれば、今でもアメリカとの同盟関係を大事にしていれば、日本経済の持続的発展は可能だと思っている経済人や頑迷な保守政治家を見かけるが、まざにウォルフレンは、そのような人物の心理を上手く説明しているのである。もっと言えば、私たちの心は、覇権国家アメリカの発するプロパガンダに骨の髄まで洗脳されているということも出来る。
現に、9.11以後のアメリカのナショナリズムの異様なほどの高まりの中で、「テロの脅威」が喧伝され、日本の首相だった小泉純一郎は、イギリスのブレア首相などと共に、いち早くブッシュの期待に応える形で、アメリカの「アフガニスタン軍事侵攻」に支持の態度を鮮明にした。
しかし、アフガニスタンへの軍事侵攻は、9.11の首謀者とされたアルカイダ幹部が、アフガンを軍事的に支配しているタリバン政権に匿まわれているという憶測に基づくものであった。当時、国連は、怒りに任せたブッシュ政権の軍事行動を諫めることは出来ず、ついに「テロの脅威」という覇権国アメリカによる政治的スローガンは、2001年12月20日に採択された国連安保理決議1386によって国際的認知を受けて、国際治安支援部隊(ISAF)が、アフガニスタンに展開することになったのであった。
2 金融帝国と化したアメリカの論理「グローバリゼーション」とサブプライムローン危機
何年か後に、このウォルフレンの最新著「日本人だけが知らないアメリカ『世界支配』の終わり」は、21世紀の新たな世界秩序を予見した歴史的名著として評価される可能性がある。この著作は、20世紀の覇権国アメリカの時代の終焉を見通し、新たな世界秩序のコンセプトの胎動を知らせる書だ。
その根拠の第1に、この著が、世界経済にBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国を指す)の躍進という強烈な風が吹いていることを強く意識しつつ書かれている点だ。
本書は、現代世界の認識構造が、アメリカという国家から発信される「増幅された情報」に基づいて形成されている事実を鮮明にしている。
例えば、「9.11」以降、持ち出された「テロとの戦い」あるいは「テロの脅威」というプロパガンダである。しかし皮肉にも、歴史は、冷戦終結後、覇権国家と呼ばれて久しいアメリカが、実は彼らの強力な軍事力、政治力、経済力そのものが、新しく形成されつつある世界の秩序を平和裡に保っていけるシステムではないことを鮮明にしている。
ブッシュが「テロの首謀者を捉える」と、いきり立って軍事介入をしたアフガニスタンは、依然として、その目的を果たし得ていない。また核兵器の存在を口実にしたイラク派兵は、核が存在しなかった事実が明らかとなり、それ自身が完全に失敗だったことが明確になった。金融帝国の様相を呈し、世界中のお金をブラックホールのように吸い上げてきたアメリカ経済だが、その内実はサブプライムローン問題によって、実は根拠のない不良資産の証券化だったことが暴露された形だ。
グローバリズムは、アメリカという幻想国家が、自分のご都合主義で唱えている「市場原理至上主義」ともいうべきお題目である。その無秩序な市場原理主義経済(グローバリゼーション)がもたらすものは、世界的な格差拡大と分配の不公平、そして貧困の増大である。ここにこそ「テロの根」がある。
覇権国家アメリカの権威を以て当然のように語られてきた「グローバリゼーション」は、言ってみれば、無秩序な市場原理主義経済の鍵のようなものだ。これによって、国家の枠組みや地域経済の伝統的倫理観などをほとんど無視した形でこじ開けられ、形成された経済秩序は、覇権国家アメリカと世界的大企業とそこに参加する意志のある豊かな資金力を持った新興国家「中国」「ロシア」などによる新たな世界秩序の形成に向かって進んでいるのかもしれない。
根拠の第2は、アメリカの一極支配に、ヨーロッパという古い枠組みを「EU」と、衣更えをして、形成されつつある存在があることだ。現にこの「EU」の強みは、「ユーロ」という「ドル」に代わり得る世界通貨を発行していることだ。そのため、現在の石油高騰にもかかわらず、「ドル」に連動している「円」や他のアジア諸国と比べ、その悪影響は、「ユーロ」高の為替相場によって、軽減されている。
ユーロ諸国は、宗教観、歴史の発展段階に類似のものがあり、歴史観も似ていて、その世界観は、今後の世界に決定的な影響を及ぼすことが予想される。その第1が、環境問題への取り組みの真剣さである。この姿勢は、京都議定書の批准すら拒んできた温暖化の元凶とされる二酸化炭素の最大の排出国アメリカの消極的な態度とは、まさに好対照である。世界認識において、環境問題への取り組みは、今やもっとも優先すべき世界的な課題である。覇権国アメリカが、あくまで自国の利害を優先した態度をとり続けるのであれば、アメリカの存在感は、間違いなく低下の一途を辿って行くに違いない。
最後の根拠の第3は、21世紀に大国化すると予想されている「中国」への歴史認識の確かさだ。現在中国は、一部ではあるがこれを「モンスターと見なす」認識が広がっている。もちろん、これは過剰な中国脅威論のひとつではある。著者ウォルフレンは、世界中で喧伝され、日本の政治家や官僚の中にも根強くある中国を脅威論で見がちなあり方に疑問を呈している。そして、その論理をテコとしたアメリカ政治の立案者の頭にこびり付いている中国封じ込めの政策を「現実的ではない」とする立場を取る。要するに日本は、冷戦時代の日米同盟関係のフレームという幻想の中にいるのである。
また覇権国アメリカが台頭著しい中国マネーなしでは、夜も日も明けないことを次のように記している。
「アメリカ経済はいまや中国の輸入と、中国が購入するアメリカ国債に依存している。……もし中国がアメリカ国債を買うのを止めれば、それだけでアメリカ経済は壊滅的な打撃を受けることになる……それだけでドルは暴落し、おそらく7兆ドル規模を誇るアメリカ不動産市場も崩壊し、アメリカの銀行は次々に倒産し、おびただしい失業者を生み出すことになるのだ。」(同書 270頁)
以上のことは、中国経済が、覇権国家と呼ばれるアメリカの経済に深く食い込み、重要なパートナーに成長しつつあることを意味している。アメリカ経済のキャスティングボートを握っているとまでは言えないが、アメリカ国債の購入でも、中国は日本を抜いてしまっていることを考え合わせるならば、少なくとも中国経済がおかしくなれば、アメリカも只では済まない関係にあることは事実である。
3 結論 今の日本人は「浦島太郎」状態
政財界の人間はもとより、日本人全体が、認識しなけらばならないことがある。それは世界経済構造が、劇的に変化している現在の状況下において、旧態依然とした「日米関係を大切にしておけば、日本の政治経済の持続的発展は可能だ」という発想は、明らかに竜宮城から帰ってきたばかりの「浦島太郎」と何ら変わらないと知ることだ。ともかく、日本人には、発想の大転換が必要だ。
(私のコメント)
最近の中東情勢を見ると、アメリカの影響力の低下を目に見えて示してくれていますが、アメリカのイラク戦争の失敗のつけをエジプトやチュニジアで支払わされている。バーレーンにはアメリカの第五艦隊の基地がありますがそこでも反政府のデモが起きて多くの死者まで出ている。政権が崩壊すればアメリカの第五艦隊はバーレーンから追い出されるだろう。
もしアメリカがイラク戦争に踏み込んでいなければ、中東諸国における影響力はもっと大きな存在であったはずだ。サダムフセインはアメリカにとっては必ずしもマイナスではなくイランに対する番犬の役割もしていた。フセインがクウェートに侵攻したのはアメリカに唆されたためであり、フセインはアメリカにだまされた様なものだ。
アメリカがフセインを裏切ったのは、イラクの石油が必要だったためであり、アメリカ軍はサウジアラビアから追い出されて用心棒として失業しかかっていた。だからサダムフセインを叩きのめして中東全体に睨みを利かせる必要があった。しかしフセインを取り除いてしまうとイランの一人勝ちのようになってしまった。バーレーンで起きている反政府デモの背後にはイランがけしかけていると言う噂もある。
イラク戦争によって示されたものは、アメリカ軍の思わぬ弱点であり、アメリカ軍は目に見える敵に対しては強大な強さを誇るが、目に見えない敵に対しては打つ手がなくて立ち往生してしまう。それはベトナム戦争でも経験したことであり、9・11テロにしても見えないテロリストに手を焼いている。軍事力が強大であるだけに目に見えない敵に対する戦い方が分からないのだ。
小国であるならば敵を作らないような用心深い外交も必要ですが、アメリカのような軍事大国になると戦争で決着を付けたがる。軍事大国意識を転換させるには、日本のように手痛い敗北が必要であり強大化した軍部を縮小させることは難しい。イラクやアフガニスタンには十数万もの米軍が駐留していますが、今回の中東の革命騒ぎからは蚊帳の外になってしまっている。
昨日改めてカレル・ヴァン・ウォルフレンの『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』と言う本を読み直してみたのですが、2007年に出版された本ですが、今日の状況を予言した本であり、2008年に起きたリーマンショックも中東の革命劇も、TPPに対してもチリやシンガポールを誘い込んで経済共同体を作ろうとしていることをカレル・ヴァン・ウォルフレンは予想していたようだ。
アメリカの年次改革要望書は、鳩山政権によってなくなりましたが、アメリカはチリやシンガポールのような小国を抱き込んで日本に対して市場開放を要求してくる。アメリカはグローバリズムを利用して経済的帝国主義で世界の主導権をとろうとしていますが、リーマンショックで大打撃を受けた。日本はアメリカにとっては太った豚であり、傀儡政権を脅迫しながら金を搾り取ろうとしている。
アメリカはドルを高くしては買い叩き、ドルを安くしては売り叩いて為替差益まで手に入れている。中国に対しても人民元を90年代に切り下げさせて投資させて、今日では人民元を切り上げさせて投資を回収しようとしている。グローバリズムに対する批判は今日では当たり前でしたが、90年代ではグローバリズムは世界経済を発展させるものとして良い評価をされていた。
しかしグローバリズムの正体が明らかになるにつれて、アメリカの隠れた金融帝国主義であることがはっきりと見えてきた。アメリカのグローバリズムの被害を一番受けたのはアメリカの裏庭である南アメリカ諸国だ。メキシコやアルゼンチンなどデフォルトに追いこめられてはIMFの救済を受けましたが、アメリカ資本に多くが乗っ取られてしまった。韓国や東南アジア諸国も同じだ。
そのおかげで南米は反米政権の誕生でアメリカは外交的に孤立してしまっている。東南アジアでもアメリカは警戒され、中東ではこれから反米政権だらけになるだろう。もはやアメリカの言いなりになる国は日本ぐらいになり、日本の鳩山政権がアメリカ離れを模索し始めると、アメリカは明らかに狼狽した。アメリカに残されているものは軍事力しかなく、中国や北朝鮮の脅威をあおって日本や韓国を手懐けるしか手はなくなってきた。韓国の哨戒艦沈没事件や砲撃事件はタイミングよく起きた。
アメリカのことをよく知りたければ、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏のようなヨーロッパ人に聞いてみるのが一番だろう。ドイツ人のリチャード・ヴェルナー氏も「円の支配者」でアメリカのやり方を暴いた。フランス人のエマニュエル・トッド氏の「帝国以後」もアメリカの没落を予言している。ヨーロッパ人から見ればアメリカは超大国ではあっても二流国家であり、決して日本の手本になるような国家ではない。
『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』と言う本の中でも、留学生が一番多いのはヨーロッパでありアメリカではないと指摘している。アメリカには文化的には、これといってみるべきものは無く、ハンバーガーとコカコーラぐらいだ。科学技術でリードしていますが9・11テロ以降は留学生の受け入れも厳しくなった。リーマンショック以降はアメリカ企業に就職もままならないから留学生も減ってきたのは当然なのだろう。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。