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【書評】 山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したのか
<< 作成日時 : 2008/02/03 00:13 >>
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最近、下記の本を読んだ。
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「山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したか」 (絶版)
著者:ヤコブ モルガン 、忍野 昭太郎 (翻訳) 第一企画出版 (1994/12) ISBN : 4887190239
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読んでみてかなり暗い気持ちになってしまったが、369ぺージで章立ての構成は下記のです。
はじめに あなたの歴史間が180度かわります
プロローグ : 重大な真実が欠落している明治維新後の歴史 ---- P17
T 章 : 明治維新は日本のための革命ではなかった ---- P43
U 章 : 明治の指導者の多くがフリーメーソン ---- P97
V 章 : 親欧米政治家に絶望した青年将校たち ---- P155
W 章 : 日本軍の中枢が米国派だった太平洋戦争 ---- P239
題名の山本五十六に関する記述は、4章以降の3分の1程度で、前半は明治維新からの先の大戦到った経緯を歴史を検証しようとしており基礎データも整っておりかなり真面目な内容です。 4章では、敗戦に到る経緯特に陸海軍の作戦の失敗を指揮・指揮官の点から検証しようとしており、考えさせられる内容です。
著者は、外国人:ヤコブ モルガンとなっているが、ヤコブ シフ、JP モルガンに語呂あわせして日本人が書いたもののような印象を受ける。 著者略歴等の記述もないことだし.....、
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本の趣旨は、明治維新以降、売国奴的(言葉は悪いですが!)欧米支配層に魂を売った人たちが日本の行く末を誤らせた。 特に山本五十六を筆頭に海軍首脳部は、日本を対米開戦に持ち込み、無謀な作戦を繰り返し日本の戦力を消耗させて未曾有の敗戦に日本を導いた。
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というのがこの本の論旨です。
確かの不可解なことが多すぎる! 戦後先の大戦の分析本が沢山でているが、指導者層に裏切り者がいたとしたら妙に辻褄が合って来る気がします。
山本五十六が生きていたという根拠は、
1.彼の「死体検案書」(死亡診断書)と「死体検案記録」(死亡明細書)に疑問点がある。
2.死亡したとされる昭和18年4月18日のラバウルからブーゲンビル島ブインの航空基地視察の行動が普段着用しない草色の第三種軍装を見にまとっての敵前逃亡のための狂言ではなかったとの疑問がある。
3.戦後生きていたとの目撃情報がある。 (具体的証拠は掲載されていない)
etc.
これだけでは、証拠不十分としかいいようがなく、この本も「トンデモ本」扱いされるのが落ちだろうが.....、
しかし、明治維新以降の日本の近代史はできるだけ科学的の再検証することが必要だと思えてならない。 それが日本の再生に繋がっていく気がしてならない。
ネットで関連を検索したみたので以下参考資料として掲載しておきます。
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BLOG:ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報
にこの本の書評を兼ねた下記の記事があります。
日本を「戦争ができない親英米国家」にするために太平洋戦争で日本は「わざと負けた」
<海軍トリオが日本をわざと敗北に導いた>
この本は、そのように「どこの馬の骨が書いたのか判らない」という点で大きなマイナス面を持っているが、内容は非常に興味深いモノであった。
一言でこの本の主張を要約すると
太平洋戦争は、日本国内にいた、海軍の山本五十六、米内光政、井上成美、陸軍参謀の辻政信、瀬島龍三、服部卓四郎らが戦後の日本をアメリカの属国にするために、わざと拙劣な戦い方をした戦争であった」
ということである。
山本五十六が「米英の手先」ではなかったか、という議論は昔からあった。戦時中からあったのである。
その根拠として、戦後、フリーメーソンに買収された海軍の士官の高級倶楽部「水交社(すいこうしゃ)」の建物に山本や米内、さらには英米の士官たちも頻繁に出入りしていた事実が挙げられる。米内内閣の組閣も対米開戦の真珠湾作戦の採用もこの倶楽部で決定されたと言われている。 ------(続きを読む)
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阿修羅掲示板から
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◎日本軍の中枢が米国派(ユダヤ・フリーメーソン)だった太平洋戦争◎ 投稿者 トラトラトラ 日時 2002 年 10 月 18 日 06:11:42:
米国の為に重大な役割を果たした山本五十六
●骨の髄迄親米派のフリーメーソン
山本五十六氏は明治17年4月4日、新潟県長岡の玉あ院町に6男として生まれた。父・高野貞吉は既に56歳に達していたので「五十六」と命名されたと云う。山本姓を名乗るのは小佐時代の33歳の時に山本家の養子となってからである。高野家は代々儒家であり父親の貞吉は小学校の校長であった。
五十六は坂の上小学校、長岡中学校と進級し、明治34年11月江田島の海軍兵学校に入学、37年11月に次席で卒業した。此の時の上位卒業者は塩沢幸一、山本五十六、吉田善吾(阿部、米内、第二次近衛の海相)、嶋田繁太郎(東条内閣の海相)、堀悌吉であり、上位4人は大将まで進んだ。 ------(続きを読む)
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同じく、阿修羅掲示版より
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真珠湾奇襲攻撃が“騙し討ち”となった「対米覚書」手交遅れの責任問題 投稿者 非リストゥーラ・カンチョ 日時 2002 年 2 月 10 日 22:22:33:
真珠湾奇襲攻撃が“騙し討ち”となった「対米覚書」手交遅れの責任問題
というのが阿修羅掲示板であっしら氏によって一つの問題として指摘されていますが、これは実はやや誤謬を含むものです。
通常国家対国家の戦争の場合、現地大使館員からの連絡のほか、軍レベルでの経路を通じても、念には念を押して通達するのが通常でした。特に1940年代の通念では、最低でも6−7つの経路で相手国に通達するというのが常識でした。ですから、国際法規のみならず、当時の通念及び常識を考慮に入れねばなりません。例えばドイツの場合でも、大使館だけでも、武官が面会を入れたり、大使館員にさえ禁足令を出したりという入念な指示が出されねばなりません。ところが、定刻陸海軍は、こういった情報戦をまったく軽視していたため、大使館員をあたかも特務組織の一部であるかのようにみなす素人さを犯しています。また、米国公館での尾行に大使館員をそのまま使用するなどといった「どしろうと」ではすまされないようなことまでやっているのです。また、東郷もたいした情報は帝国陸海軍からは与えられていないはずです。通常戦争ということになれば、相当の入念の入れようでなければならないのです。
しかし、一般国民向けには、外務省の失態として報じられるこの部分ですが、実態は帝国陸軍の戦争指導の失敗なのです。
それから、一般国民に皆様にもお知らせしたいのですが、外務省の公電など、大使館に一旦入ることさえできれば、ものすごく簡単に入手できる類のものです。皇太子妃の訪問日程など、全く苦なく通常入手できるはずです。在外公館というのはそれほどセキュアでもありませんし、情報工作用に使用できるような環境でもないのです。ですから、モサドもわざわざテベルの組織を民間企業に混入させているわけです。
以上
Re: 貴重なご指摘ありがとうございます 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 12 日 14:33:21:
「非リストゥーラ・カンチョ」さん、レスありがとうございます。
「対米覚書」問題は、手交遅れ以外にも、あの「対米覚書」が果たして“宣戦布告”と言えるものだったのかという問題もはらんでいます。
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話が長くなるので、結論的に書くと、日本帝国の海軍にも陸軍にも、その上層部に自国破壊者がいたと考えています。
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海軍は、さらには、「ミッドウェー海戦」という“無益”な作戦を立案し遂行しました。「ミッドウェー海戦」は、ハワイ諸島を脅かす前哨基地の確保とともに、米海軍主力部隊をおびき出し壊滅させるという企図で遂行されましたが、連合艦隊主力部隊は、第1機動部隊が作戦海域に到達したとき、遥か後方540Kmを航行していたのです。戦艦「大和」(連合艦隊旗艦)もその主力艦隊のなかにいました。
空母自体の防空力は貧弱なもので、戦闘機や戦艦・重巡洋艦・駆逐艦に防御してもらうしかありません。防空力が高い戦艦など主力部隊は遅れて出発して後方を航行し、「太平洋戦争」で主力となった空母を“野ざらし”にしたのです。
このため、「赤城」・「加賀」・「飛龍」・「蒼龍」という主力空母が“海のもずく”となっただけではなく、練度が高い優秀な雷撃部隊や戦闘機部隊を一気に失うことになったのです。
ミッドウェー諸島を確保し前哨基地として活用するというアイデアそのものが“無謀”であることは言うまでもありません。
これらの作戦を主導した海軍高官は、開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六氏です。
(長岡出身の山本氏が、戦後“日本”のような“国体”を夢見て自国破壊に走ったかどうかはわかりませんが)
前回書き込んだ「対米覚書」手交遅れ問題は、あくまでも、戦後もそのまま生き残り続けた外務省のことを対象としたので、このようなその他支配層の「自国破壊」問題は提起しませんでした。
問題は、「対米覚書」の手交を意識とも言えるかたちで遅らせたキャリア外交官が、戦後に責任をとらされるどころか、外務次官にまでなったということです。
日本が現在の様々な苦境を脱するためには、明治維新以降の「近代日本」を全体的に見直す過程(論議)が必要だというのが持論で、そのなかには、あらゆる支配層の“失政”(意図的か無能かを問わず)が含まれるべきだと考えています。
(それによって、山本五十六氏をはじめ亡くなった人に鞭打って恨みを晴らすという考えはまったくありません)
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