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「つらい、でも語る責任」 8日、東京大空襲語る講演会
2010年12月8日
「10万人の人が亡くなった。生かされた私たちには語る責任がある」。高山市三福寺町の尾前昌子さん(79)は日米開戦の日の8日夜、東京大空襲の体験をそんな思いで語る。高山市民文化会館で開かれる「九条の会・高山」の創立6周年の記念講演会。
1945年3月10日未明、東京・下町は、米軍機が落とした焼夷(しょうい)弾で焼き尽くされた。尾前さんは当時14歳。家族で下町に住んでいた。周囲の空が赤くなっていくのを見て、「ここにいては危ない」と父母や妹・弟らと自宅から逃げた。長女の尾前さんは5歳の弟を背中におんぶした。
間もなくして、近くにも焼夷弾が落ち、強風にあおられ、炎が噴き上がった。泣き叫ぶ声と爆音の中を逃げた。
迫る炎から身を守るため鉄条網の中の貯水池へ身を沈めた。防空ずきんで顔を隠していたが、火だるまの人が飛び込んでくるのがわかった。どんよりとした煙のなかで、やがて夜が明けた。池にはたくさんの死体が浮いていた。
3月10日が来るたびに悲しみがよみがえる。横たわる黒こげの遺体。ろう人形のように立ったまま死んでいた人。背中で亡くなった弟のことも。「つらいけど話さないといけない」。戦後60年のころから、少しずつ語り始めた。
8日の講演会のための原稿を4、5日かけて改めて書き上げた。書いているうちに何度も涙がこみあげた。講演会は午後7時から。入場無料。(中沢一議)
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