http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/746.html
Tweet |
http://chinsikou.blog99.fc2.com/blog-entry-2.html
朝鮮戦争は八百長戦争だったのか?!
朝鮮戦争の怪
朝鮮戦争は、1950年6月25日に北朝鮮軍の韓国に対する戦略的奇襲により始まった。不意を打たれた韓国軍は劣勢のまま押され、それを立て直すために米軍主力の国連軍が参戦した。
それにより、今度は北朝鮮が中国国境近辺まで追い詰められ、その過程で、同じ共産主義国家である、中華人民共和国義勇兵が加勢参戦してきた。
そして、その後の戦況は38度線付近で、国連軍、共産軍とも一進一退のまま休戦という形になっている。
ここまでは、多くの人が知っている事実だが、この朝鮮戦争は、太平洋戦争など、他の戦争と比べて、余りにも奇妙な戦争なのだ。
何が奇妙か?
まず、第一に当時世界最強の米軍が参戦しているのにも関わらず、「最終的勝利が得られなかった」いや、「勝利を望まなかった」ということだ。
その朝鮮戦争より5年ほど前、米国は、アジアで最強だった大日本帝国の陸海軍を各地で撃破。太平洋戦争当初は、圧倒的に米軍のほうが不利な戦況であったが、生産力、工業力で劣勢を挽回。開戦後、約三年半で日本を降伏させるに至った。
日本は太平洋戦争前まで、世界でも有数の強国だったのだが、米国は都市爆撃や原爆の使用も含む、とにかく容赦しない戦いで、日本を破った。
ところが、終戦後僅か5年目に起こった朝鮮戦争では、米国は、狭い朝鮮半島で3年も戦いながら、最終的な勝利を得られず、やっと38度線を維持するという、余りにていたらくな戦争をしていたのだった。
また、中国側も朝鮮戦争中盤から、朝鮮半島に義勇兵を送るという軍事介入したが、当時中国は国共内戦後で間もなく、軍が疲弊していたのは事実で、更にチベットへ侵攻したりしたので、更に朝鮮半島に、世界最強の米軍を敵に廻す余裕は、それほどあるべくもない状況だった。
しかも、この状況下で、中国は、敗勢の北朝鮮に加勢したのだ。
中国側は、北朝鮮支援に不安は無かったのか?
中国側は朝鮮半島で米軍に負けると思わなかったのだろうか?なぜならば5年前まで戦われた日中戦争中、日本軍は僅か80余万人で、中国の広大な沿岸中心の諸都市を占領していたが、中国国民党軍も、中国共産党軍も、日本軍を追い出すことはできなかったし、逆に兵力の少ない日本軍の方が、積極的に部分攻勢を仕掛けたりしていた。中国側は、日本軍が攻めてくれば、適当に戦い、後は退却して、日本軍が戦線整理のために後退すると、後退した場所を占領する消極的な作戦を取る以外なかった。日本軍は強いので、中国軍が正面からぶつかっても相手にならず、逆に包囲殲滅されるだけなので、「戦っては逃げ、逃げては時に戦う」姿勢をとるほかなかったのだ。
ところが中国軍が手が出ないほど強い日本軍を、米軍は叩き伏せたのだ。
このより強い敵である米軍に「敵う訳がない」と考えるのが、中国側の通常の思考であるはずだ。なにせ、日本軍に対してさえ、まともに戦えなかったのが、中国兵だったのだ。(それどころか、米国に多大な人的支援、物的支援を受けていたので、米国の巨大さは知っている筈である)
また、こうも考えられる。
米国は日本を占領したが、米国が自国兵力を損耗したくなければ、日本政府に無理難題を言って、わずか5年前に復員したばかりの日本帝国軍人の生き残りを、朝鮮半島に焚きつけることもできたはずで、帝国軍人のこれまでの大戦での優秀な質と実績を考えれば、50万人くらいの旧日本軍が朝鮮半島に参戦しただけで、北朝鮮軍も、中国軍をもいとも簡単に撃破できただろう。
中国側は、理性を無くしてまで、朝鮮半島に参戦する理由は、あったのか?
ここまで現実的に考えると、中国側の朝鮮半島への参戦は、間違えれば中華人民共和国という国家そのものを瓦解させ得る重大な政治的判断だ。
一部の本によると、毛沢東の朝鮮戦争への参戦決断には、スターリン ソ連首相の協力依頼があったからだという。そもそもソ連軍将校でもあった金日成が、熱っぽくスターリンに「南朝鮮の開放」を訴えたのに同調して、毛沢東に支援を依頼したと言う。
当時、スターリンとしては、ソ連を含めた共産主義陣営が、二次大戦の傷が完全に癒えず、その時点で自由主義陣営との完全対決(第三次世界大戦)は、時期尚早だと判断していて、総大将格のソ連が出れば、世界騒乱になる為、中国の一部の限定的な小兵力のみで北朝鮮を支援するのが、上策であると考えたという。
毛沢東は国共内戦でソ連が中国共産軍に協力してくれた「借り」があるので、「断れなかった」という。
米国はソ連も中国も恐れる必要がないのだが?!
こういう状況下で、米国は何故積極的に出なかったのか?前世界大戦で、東京やその他の都市を大空襲したように、非戦闘員をわざと殺して人口減少による戦略資源の枯渇、それによる敵国降伏を希求できたはずであるが、朝鮮戦争では、おこなっていない。
また、空爆による北朝鮮軍の補給路を断つ作戦も、余り大きな規模でなく、「この戦争で勝利したい」という、気迫が見られない戦争だった。勝ちたければ勝つように積極的な作戦を練るべきだった。
ところで、ここまで読んだ当ブログの読者の方は
「米国は第二次大戦が終わったばかりだったから、大兵力を投入できなかったという事情がある」
などと意見を持っている方もいるかも知れない。
だが、いずれ共産主義勢力との対決が避けられないのなら、まず確実に勝てたはずの朝鮮戦争で、勝利を収めなければ、いずれ後回しになるほど、これは大変な仕事になる。
仮に朝鮮戦争拡大により、最終的にソ連までが参戦する世界大戦になったとしても、自由主義陣営である国連軍の圧倒的勝利で終わることは約束されていたはずだ。
当時米国は工業力やその他の基礎的な国力が世界のどの国よりも凌駕していた上、核爆弾まで持っていた。
当時のソ連や中国といった共産主義陣営の実力は????
ソ連は、第二次大戦時のナチスドイツの侵攻を、米英の莫大な補給物品頼りに「やっと耐え、やっと勝てた」のが真相だ。とくに大戦後半の1944年の「ノルマンジー上陸作戦」という、二正面作戦に対応するための作戦が成功して、独ソ戦線に配置されていたドイツ側の軍用機の殆どが米英軍に対応する為にいなくなったがために、ソ連軍主力は強固なドイツの陣地を攻略することができたのだ。
そういった事情は、1944年7月の「ヒトラー暗殺計画」があり、それは近年の米映画「ワルキューレ」のモデルにもなった事件の関係者の意図からも汲み取れる。暗殺派側は、「ヒトラーを殺して、米英に降伏を申し込む。米英と和平さえなれば、ソ連など独力で片付けられる。ソ連軍などはドイツの敵ではない。とりあえず、現在の二正面作戦など続けていては、ドイツはもう終わりだ!」
という考えがあって起こした事件だ。
ナチスドイツ軍にとっても、米英とソ連という二正面の戦いが「軍事的に致命的」であると認識していた上、政治的な考え方からすれば、米英側に好ましいものを感じていたのだろう。それに、ドイツはソ連に対して、先に不可侵条約を破って攻め込んだのだから、許されべくもない。
だから、「降伏するなら、米英に!」となった。
共産主義勢力との全面的な対決姿勢を貫くと消される!?
1945年に5月にドイツは降伏したが、当時有名な米将軍である、パットン将軍は、「このまま共産主義者たちに宣戦してしまえ!」との強硬論の持ち主だった。
米国は、なぜか、その時点では、そういった意思を持っておらず、パットン将軍の強硬論は、政治に関わらないタイプの上司である、ブラドレー将軍やアイゼンハウアー元帥を悩ませていた。
米国は、第二次世界大戦よりのちに、「米国は、世界の自由と民主主義を守る」と言っている。
このときソ連を簡単に打倒できるのなら、パットン将軍の言うように「打倒」して置くほうが合理的である。
しかし強硬論を持つパットン将軍は、このタイミングで乗車していたジープが単独でひっくり返るという、事故により亡くなった。
いっぽう朝鮮戦争では、北朝鮮に加勢してくる中国軍の補給基地である満州を攻撃するという、戦略上、当然の主張をしていた、マッカーサー元帥を「大統領の意向に沿わない!」とのいう理由で、トルーマン米大統領は元帥を罷免した。
マッカーサー元帥の立てた構想は、「戦争に勝利する」という、目的から考えると、至って当然の作戦立案だが、どうやら、朝鮮戦争は「冷戦の一部としての戦争」の位置づけだったらしく、なぜかしら勝利してはいけなかった。その意図を汲み取らないマッカーサー元帥は、邪魔だったのだろう。
なんとなしに、米国自体が、共産主義国との「冷戦」望んでいたフシがあり、朝鮮戦争だけでなく、その後のベトナム戦争でも、その傾向が発揮される。また、「米国の敵である共産主義国も、米国の八百長戦争と息を合わせるが如く振る舞い、両者とも相手に致命的な傷を与えないよう配慮しながら戦争していた」と思える。
朝鮮戦争は、それまでにあった「どんなことをやっても敵国を打倒する!!」という当たり前の信念に燃えた戦争ではない、極めて不可解な「インチキ戦争の始まり」だったといえる。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。