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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu228.htm
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チャルマーズ・ジョンソンは、米国を「帝国主義」であるとみなし、その
対外関与を収奪恒久化のシステムとみなす方向へ議論を尖鋭化させた
2010年11月27日 土曜日
◆「日本異質論」のC・ジョンソン氏死去 11月22日 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2010112200199
チャルマーズ・ジョンソン氏(米国際政治学者)米メディアによると、20日、カリフォルニア州サンディエゴ近郊の自宅で死去、79歳。
アリゾナ州出身。カリフォルニア大サンタバーバラ、サンディエゴ両校教授を経て、民間シンクタンク「日本政策研究所」を設立、所長を務めた。1982年に「通産省と日本の奇跡」を出版。旧通商産業省(現経済産業省)主導による独特の閉鎖的な産業構造が日本の高度経済成長を支えたと分析し、「日本異質論者」の代表格とされた。(2010/11/22-10:51)
◆チャルマーズ・ジョンソンの死 11月25日 谷口 智彦
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4923
チャルマーズ・ジョンソン(Chalmers Johnson)が亡くなり、追悼文を散見する。日米関係を少なくも20年以上見た人なら、何がしか感慨を持たずにおれまい。
1982年に出た主著MITI and the Japanese Miracle(邦訳『通産省と日本の奇跡』)は、米国と英語圏の対日観に決定的影響を与えた1冊だった。
11月20日土曜日午後1時(現地時間)、カリフォルニア州サンディエゴ近郊の自宅で息を引き取ったと、長年連れ添ったSheila JohnsonがJapan Policy Research Institute(JPRI)のホームページで伝えている。享年79歳。
◆リビジョニスト4人組
米ビジネスウィーク誌は1989年8月7日号に「日本再考(Rethinking Japan: The New Harder Line toward Tokyo)」と題した特集(Bob Neff東京支局長筆)を掲げ、いわゆるリビジョニスト(修正論者)4人組を世に知らしめた。
アトランティック誌のジェームズ・ファローズ、オランダ人批評家カレル・ヴァン・ウォルフレン、対日通商交渉に関わった経験の持ち主クライド・プレストウィッツ、加えるに、ジョンソンの4人だった。
特集はアトランティック誌同年5月号に載った別の記事が触発したもので、それがファローズのエッセイ「日本封じ込め」だった。まだ牧歌的時代のこと、アトランティックという月刊誌の存在をこの記事で初めて知った人が、当時は少なくなかった。
ちなみに同じ記事を、今はネット上で読むことができる。
◆日本封じ込め論
Containing Japanと題したメインタイトルに続く副題は、日米貿易摩擦が沸点に近づきつつあった当時の論調をよく表していた。
「Japan's one-sided trading will make the U.S.-Japanese partnership impossible to sustain?unless we impose limits on its economy.」
というもので、一方的に黒字を溜め込む日本の経済行動に制約を課さない限り、ワシントンの主流派が重視すると称する対日安全保障関係それ自体の耐久力に、いずれは影響が及ぶと主張したものだ。
ファローズはアトランティック誌のブログでこのほどジョンソンへ弔辞を寄せ、往時を回想している。ジョンソンに取材した時ほど忙しくメモを取ったことは、記者人生で他になかったそうだ。
◆修正主義者と呼ばれたワケ
米国内で日本を扱う主流派が安保を重視し他の利益を従属させる一団と目されたところ、対日安保関係が大切ならばそれを内から掘り崩しかねない日本の利己主義的経済行動を矯正すべしと称し、経済・通商の意味を強調した点において、リビジョニストの修正主義者たる所以があった。
そのことは、ジョンソンの弟子で前出JPRIを一緒に始めたスティーブ・クレモンズが自らのブログでやや身びいきに過ぎる――ジョンソンの業績はキッシンジャーに勝るとも劣らないとする――筆致とともに記している通り、ジョンソンが提示した認識枠組みを踏まえたものだったと言える。
国家偏重の(statist的)対外観を修正し、経済・産業政策からパワーを分析するフレームワークをジョンソンは導入したとするのがクレモンズの言い分であり、「developmental state」という国家カテゴリーを打ち出した点に、ジョンソンの主たる貢献があったという。
◆Developmental State
「developmental state」とは、TBSブリタニカ刊の邦訳『通産省と日本の奇跡』では「発展指向型国家」の訳語を得ているけれど、資源配分を政府が統制・制御しつつ、産業育成を目がけていく類型の国をいう。
当時、「開発独裁」というのとまた違うこの範疇にはまりそうな国、かつ成功した国は、日本以外になかった。
クレモンズは同じ範疇に中国流ステート・キャピタリズムを入れられるかに臭わせているが、民主主義の有無からして、日本と中国をひとからげにはできない。
けれども、教科書が教える発展型とは異なるパターンで伸びる国があることを、ジョンソンら米国の学者は日本によって初めて学んだとだけは言って構わないだろう。日本がなした「知的貢献」の1つに挙げられるかどうかはともかくとして。
日本のキャピタリズムは英米流のレッセ・フェール型と何か大きく異なる質の存在であって、これを並みの資本主義と同一視することは対日認識を曇らせると見る風潮は、その後長らく米国の対日観を拘束した。
◆対日制裁を理論的に正当化
日本を重視すると「菊クラブ」のレッテルを張られる。・・・それが当時の風潮で、随分と肩身の狭い思いをさせられたアメリカ人専門家は少なくなかった。
対日通商関係においても市場原理を貫くことはむしろ有害であり、時に制裁を科すことこそ合理的なのだとする発想は、いわゆるスーパー301条の発動などに根拠をもたらした。
1995年夏、円ドル相場を79円に押し上げるまでのワシントンで、主流をなした見方だったといえる。
◆ジョンソンは事実認識が間違っていた
一時代が過ぎた。小泉純一郎氏がジョージ・ブッシュ氏にぽんとボールを投げた時、リビジョニストたちが醸成した鬱勃たる空気は一掃された。
ジョンソンの分析には、その後事実認識において誤っていたとする説が多々現れた。
ケント・カルダーの「Strategic Capitalism」論 (拙訳『戦略的資本主義』)、スコット・キャロン(Scott Callon)の「Divided Sun」その他米国の文献に加え、日本の学界にも数多くの研究がある。
通産省が主導した産業政策は、実のところほとんど失敗に終わったと見るのが今日では定説であろう。
◆リビジョニストたちに自国観の屈折
ジョンソンその人は、米国を「帝国主義」であるとみなし、その対外関与を収奪恒久化のシステムとみなす方向へ議論を尖鋭化させ、晩年の著作はノーム・チョムスキーやアントニオ・ネグリを好みそうな左翼読者層にもっぱら受けた。
そういえばクライド・プレストウィッツも昨今は米国を「ならず者国家」と呼び、覇権の終焉をむしろ寿ぐかの言説をこととしている。
かつて日本の脅威をことさら大きく見た一群の人々は、気質においてひねくれ者の悲観主義者であり、自国像に元来屈折したところを持つ点で共通性があったと言えるかもしれない。(後略)
(私のコメント)
日米関係は、最近では米中関係の陰に隠れてしまうようになりましたが、アメリカと中国は政治体制が違う以上は米中同盟関係は経済的分野に限られる。それに対して日米関係は経済においては競争関係にあり、GMが倒産してトヨタが世界一の自動車会社になった。
アメリカは経済で日本に追い上げられて、アメリカのグローバル企業は中国に工場を移転して利益を確保して行った。本土に残った製造業は自動車と航空機産業ぐらいで、自動車産業は石油高騰の時代となって恐竜が滅びるように滅んでいった。アメリカそのものも石油によって支えられた帝国でありモンスターであった。
日本の台頭は70年代の石油ショック以降であり、アメリカと言う巨大恐竜は石油の高騰によって産業競争力を失っていくようになった。そして日本という哺乳類が登場してきたのですが、省エネを武器に世界に自動車を始めとして省エネ製品を売って経済規模を拡大してきた。
アメリカが衰退してきた原因は石油の高騰にあるのであり、日本の台頭はその結果に過ぎない。そこでアメリカは同じ巨大恐竜である中国と手を組む事で日本を抑え込む事にした。アメリカ国内でも日米安保重視から経済重視となり日本をいかに抑え込むかが戦略となり、チャルマーズ・ジョンソンやジェームズ・ファローズのような「日本封じ込め」論者が一世を風靡した。
90年代のクリントン政権の政策は、まさに「日本封じ込め政策」であり、日本は失われた10年に突入した。日米安保重視から経済重視の政策は、日本の円を切り上げ中国の元を切り下げることで、日本経済の空洞化が始まり、コスト競争力で中国製品にかなわなくなって日本経済は停滞した。
日本が一方的に黒字を溜め込むといっても中国に比べれば問題になるほどの黒字ではないのですが、アメリカは日本に対する態度と中国に対する態度のダブルスタンダードで、中国が2兆ドルもドルを貯めこんでも為替操作管理国に指定せず、日本が1兆ドル足らずのドルの貯めこみが「日本たたき」の原因となったことはダブルスタンダードだろう。
チャルマーズ・ジョンソンはクライト・プレストウィッツ、 ジェームズ・ファローズ、カレル・ヴァン・ウォルフレンと並ぶ日本異質論の主役であり、修正主義とも言われている。日本は中国のように人民元を為替介入で固定しているような事もしていないし、資本の輸出入も規制していない。だからの日本の円は79円まで吊り上げられて中国や韓国にコスト競走で不利な立場に立たされた。
しかしながら彼らは中国に対しては中国異質論を指摘するつもりは無いようだ。むしろ中国に迎合して海兵隊のの沖縄からの撤退論まで主張している。
◆元CIA顧問の大物政治学者が緊急提言「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」 独占インタビュー チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所(JPRI)所長 5月7日 ダイアモンドオンライン
http://diamond.jp/articles/-/8060
―鳩山政権は普天間問題で窮地に立たされているが、これまでの日米両政府の対応をどう見るか。
まったく悲劇的だ。両政府は1995年の米兵少女暴行事件以来ずっと交渉を続けてきたが、いまだに解決していない。実を言えば、米国には普天間飛行場は必要なく、無条件で閉鎖すべきだ。在日米軍はすでに嘉手納、岩国、横須賀など広大な基地を多く持ち、これで十分である。
そもそもこの問題は少女暴行事件の後、日本の橋本首相(当時)がクリントン大統領(当時)に「普天間基地をなんとかしてほしい」ということで始まった。この時、橋本首相は普天間飛行場の移設ではなく、無条件の基地閉鎖を求めるべきだったと思う。
(私のコメント)
私は日米関係こそがアメリカを支える一番の力だと思いますが、日本異質論者たちは日米を分断させればアメリカが弱体化することを良く知っていた。最近では、米国を「帝国主義」であるとみなし反体制派左翼の論客となっていた。だから彼らは日本を叩いても中国は叩かない。
90年代のアメリカは日本異質論者によってジャパンバッシングが行なわれ日米間にも亀裂が入ろうとしていた。日本経済は停滞して中国はGDPにおいて日本を上回るようになり、アメリカによる日本弱体化は達成された。日本においても民主党政権が出来てアメリカと距離を置く外交が行なわれて、日米中の正三角形が外交の主軸になろうとしていた。
チャルマーズ・ジョンソンは、それを想定して普天間基地不要論を言ったのだろう。オバマ大統領も米中のG2が外交の主軸とみなしていたが、鳩山内閣は本気で沖縄の海兵隊基地の海外移転を要求するようになった。アメリカにしてみれば驚天動地の事であり、日本との関係が崩れればアメリカの世界覇権が無くなる事に始めて気がついたようだ。
中国は経済力の拡大で軍事力を近代化して極東においてはアメリカと対抗できるまでになり、沖縄の米軍基地が無くなればどうなるかはバカなアメリカ人でも分かるようになった。その意味ではチャルマーズ・ジョンソンの意図は成功したかに見えた。しかし鳩山首相の辞任によって流れが変わり、オバマの外交も中国と対立的になってきた。
私は、いよいよ日本も自立の時が来たと思ったのですが、アメリカ外交の急激な転換は中国自身も戸惑っている事だろう。米中の新冷戦体制は日本が再びアメリカ側に組み込まれる事を意味しますが、新冷戦体制にして日米同盟を維持しなければ、アメリカの世界覇権体制が維持できないからだ。
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