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2010年8月21日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.597 Saturday Edition
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■ 『from 911/USAレポート』第472回
「イラク戦争の七年半で、アメリカは何を失ったのか?」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第472回
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「イラク戦争の七年半で、アメリカは何を失ったのか?」
8月18日のNBCテレビ、夕方の『ナイトリィ・ニュース』では、ニューヨーク
のスタジオにいるメイン・キャスターのブライアン・ウィリアムスと、イラク領内の
幹線道路を、モスル近郊の「キャンプ・フリーダム」から、クエイト領へと向かう戦
闘部隊の走行中の軍用トラックとを衛星回線で結んで放映がされました。イラクの軍
用トラックには、NBCの戦争報道スペシャリストであるリチャード・アングル記者
が同乗しており、時折画像は乱れるものの、その昔の白黒で劣悪な「戦地からの映
像」とは隔世の感のある、高精細な映像で、淡々と状況をレポートしていました。
この撤収作戦は「オペレーション・ラスト・パトロール」と銘打たれ、今回の移動
に引き続いて、残る6000名の戦闘部隊が月末までに撤収すると、米軍の「イラク
撤退」が完了するということになっています。もっとも、その後も5万人の米軍がイ
ラク領内に残るのですが、こちらは戦闘部隊ではなく、あくまでイラク軍の教育訓練
だけを目的とした駐留だというのです。ですから、今回の戦闘部隊撤収が8月末に完
了するということは、具体的にはペロレイアス前中央軍司令官と、ゲイツ国防長官の
描いた「イラク出口作戦」が成功したということになり、それは他でもないオバマ大
統領による「イラク戦争を終わらせる」という選挙公約が実現したということになる、
そんな筋書きなのです。
そうは言っても、現時点ではイラクの治安は回復していません。選挙によって権力
の正当化に成功したシーア派主導の政権は、実質的な支配権を100%確立したわけ
でもないですし、一方で何らかの政権求心力を志向するとなると、アフガンのカルザ
イ大統領ほど露骨ではないですが、自然に反米的なポジションに移動する可能性も残
っています。ですから、5万の米兵駐留というのは、表向きは教育訓練のためという
ことではあっても、実質的にはイラクの安定と、反米化阻止という効果を期待されて
のものだということは明白でしょう。その意味では、戦争はまだ終わっていないので
す。
ですが、この戦闘部隊撤収というのが、7年と5ヶ月に及んだイラク戦争の一つの
ターニングポイントとなるのは間違いないと思います。では、有志連合戦死者470
0+、イラク軍戦死者11900、民兵等契約民間人死者1300+、イラク反政府
勢力戦死者55000(有志連合側の推定)、民間人犠牲者95000(イラク政府
による遺体カウント数)から136万(国際機関推定の中の最大値)といった膨大な
犠牲者を出し、なおかつアメリカとしては直接コスト845ビリオン(72兆円)を
浪費したこの戦争の結果、アメリカには何が残ったのでしょうか? また直接コスト
だけでなく、経済学者ジョセフ・スティグリッツ博士の試算によれば間接的な米国経
済への負荷は1.9トリオン(160兆円)という規模となっています。仮にそうだ
として、その結果アメリカは何を獲得し、何を失ったのでしょうか?
まずアメリカの失ったのは、地球社会に関する遠近感です。7年半の長い戦争の期
間を通じて、多くの若者がこのイラクという地に送られました。戦死者以外にも、重
いPTSDに苦しむ兵士、あるいは自殺者の問題など、派兵に伴う多くの問題が発生
しています。その多くは、南部と中西部出身の若者です。例えば、2009年11月
に起きた陸軍基地での軍医による乱射事件でも、犯人がイスラム系という問題だけで
なく、このテキサス州の基地が派兵前兵士や、帰還兵などの精神的な問題を多く抱え
ていたということが背景にあるようです。派兵の長期化は、同じ部隊を再三にわたっ
てイラクへ送るような事態も招いていました。一方で、例えば911の被災地である
ニューヨークや、ワシントンという地域からは、志願兵としてイラクへの派兵対象に
なるような若者の絶対数は少ないのです。
その結果として、中西部から南部にはイラクをはじめとした中東と「戦争に臨んで
いる」という感覚がずっと続いていたのだと思います。例えば、サラ・ペイリンとい
う人の人気のある部分は、長男がイラク派遣兵であって「イラク戦争の当事者」だと
いう点が影響していると思います。では、こうした地域に「イラク戦争の当事者意
識」があるからといって、中東ないしイスラム世界への理解が進んでいるのかという
と、決してそうではありません。むしろ、戦争の相手として改めて敵視するムードが
あると言っても良いでしょう。
こうした中西部や南部の意識が、今回、マンハッタンの南部、いわゆる「グラウン
ド・ゼロ」から2ブロックの場所に持ち上がっている「モスク建設計画」への猛烈な
反対論の背景にあると思います。では、その地元であり、他でもない911テロの地
元であるニューヨーク市などでの意識はどうかといえば、こちらは「オバマという国
際協調派」が大統領になっていることで、すっかり安心しきっているというムードが
あります。例えば、プラハで行った「核廃絶演説」そしてエジプトのカイロで行った
「イスラムとの和解演説」なども、こうしたマンハッタンを中心とした東北部の都市、
あるいはカリフォルニアなどでは支持が強いのです。今回の「戦闘部隊撤収」により、
こうした層は「オバマがイラク戦争を終わらせた」という理解をするでしょう。勿論、
中西部や南部にとっても「仲間の帰還」を喜ぶ解放感はあるようですが、それとは異
質なものです。
では、イラク戦争に反対し、オバマの国際協調路線を支持した人々の間では、イス
ラムへの理解が進んだのでしょうか? 例えば、イスラエル=トルコ問題など中東和
平の変化、あるいはイランの動向、そしてアフガン情勢とパキスタンの悲惨な洪水の
状況などのニュースは、事実としては報道されていますが、こうした問題にアメリカ
のリベラルの世論が何らかの方向性を持っているとは感じられないのです。むしろ、
ブッシュが一国主義で傷つけてしまったアメリカの対外イメージをオバマが回復して
くれてよかった、という印象の方が大きいのではないかと思います。仮にそうである
のならば、結局のところ自国のイメージを修復して関係を改善する対象というのはヨ
ーロッパや、ラテンアメリカ、そしてアジアの民主主義国しか視野に入ってこないわ
けで、イスラムとの和解ということをオバマが言っていても、人々の意識としては弱
いままだと思うのです。
更に、この2010年に入ってハッキリしてきた「オバマの支持率低下」という現
象は、政権周辺と支持者の間に「守りの姿勢」を強いるようになりました。例えばエ
ジプトへ行って地元の大学生を集めた前で「私の父はムスリム」などという演説を行
う自由は、もはや大統領にはないのです。今同じことをやれば、ペイリン以下の保守
派に叩かれて失点を食らうのが目に見えているからです。例えば、保守派の大好きな
話題として「オバマは本当は米国領土生まれではない」というのと「オバマは実はイ
スラム教を捨てていない」というものがあります。前者はハワイ州での出生証明書が
ちゃんとありますし、後者に関してはキリスト教と合衆国憲法の立場からは信仰の自
己決定権があるわけで、どちらもデマ以外の何物でもありません。
ですが、この二つのデマは今でも保守系のメディアでは繰り返し流されており、共
和党支持者の間で調査すると40%の人が信じていたりするのです。そんな中で、大
統領として新しく「イスラムを理解しよう」というメッセージを発信することは不可
能になっています。マンハッタンの「グラウンドゼロ」近隣のモスク建設問題でも、
オバマは「合憲」と言っただけで「炎上」状態になり、翌日慌てて「建設の趣旨に賛
同するものではない」という訂正コメントを出すに至っています。
そんな中、オバマとしてはイラク戦争の終結過程に関しては大変に慎重です。NB
C以下の各局が「戦闘部隊の撤兵完了へ」と大々的に、しかも「解放感」のトーンで
報道を繰り返している一方で、ホワイトハウスもペンタゴンも、「まだまだ不安定な
状況は続く」として派手なコメントは控えています。いずれにしても、大統領就任後、
特にこの2010年に入ってからは、イラクに関しては、オバマ大統領は「既定路線
の堅持」以外は何もできなくなってきているのです。
とにかく、この7年半を通じてアメリカはイラク、そしてイスラムとの間に何ら相
互理解を進めることはできなかったばかりか、かえって自らが傷つき分裂することで、
この地域から遠く離れてしまったということが言えるのではないでしょうか。ブッシ
ュの「一国主義」は、その奥に「自国の利害しか現実感がない」という孤立主義の心
情を抱えていました。現在のアメリカは政権交替を経てはいるものの、孤立への指向
性はむしろ増しているといって良いでしょう。経済がそう強いているのは事実ですが、
この虚しい7年半の戦争が人々をそうした無気力・無責任へと追いやったということ
も大きいと思うのです。
もう一つアメリカが7年半の間に失ったのはカネです。景気、経済、あるいは国富
と言ってもいいでしょうが、スティグリッツ博士の言う1.9トリオンというのはま
だまだ表面的、直接的な数字であって、私はもっと大きいと思うのです。それは直接
間接の戦費だけではありません。大きいのは原油価格と、その世界経済とアメリカ経
済へ与える影響です。
私は、ジョージ・W・ブッシュが2003年の春にイラクへ侵攻した主要な動機は、
原油価格の暴落阻止であったと今も思っています。当時のサダム・フセインは、国連
の経済制裁によって、表向きは原油の輸出を厳しく制限されていましたが、シリアな
どを通じた闇ルートでかなりの輸出収入を得ていたのです。その量はバカにならない
もので、そのために国際的な原油の市場価格は下方圧力を受けていました。ブッシュ
はイラクの石油をアメリカが独り占めするために戦争を起こしたという解説が、国内
外の反対派にはありますが、これは結果を見ても誤りです。ですが、原油価格の暴落
を防ぎたかったというのは状況証拠から見て非常に濃厚だと思います。
そのブッシュの時代には、特に2008年の夏までは、この原油価格の高値誘導と
いうのは「上手く行った」のです。最終的には、2008年の7月に、1バレルは1
40ドル台という異常な水準まで上がりました。その要因としては、中国を中心とし
た新興国の需要拡大もありますが、直接的にはイラクでの産出量のコントロール、そ
して戦争の影響での湾岸地区全域での供給抑制などがあったと思います。ですが、2
008年9月の「リーマンショック」に端を発した需要後退は、原油価格バブルを一
気に吹き飛ばしました。原油は1バレル40ドル台を割るなど、ある意味でブッシュ
政権が目指したものは全て雲散霧消してしまったのです。
では、オバマ政権の「原油価格」への姿勢はどうなのでしょう? 金融危機対策か
ら雇用対策へと、経済政策に関しては対症療法に振り回される一方で、民主党政権と
しては金融規制も進めなくては、というここ一年半の「オバマの経済」において、原
油価格に関しては、その指向性はメッセージとしては発信されていません。ですが、
そもそも選挙戦では「グリーン・エコノミー」創出する、そこで国内雇用を増やすと
いうことをかなり強く打ち出していました。ということは、オバマも原油高というの
を前提に考えていたと言えるように思います。原油高という圧力がなければ、代替エ
ネルギーの普及を経済合理性が後押ししてくれることはないからです。
そんな中、世界同時不況により原油価格が低落し、そして一時ほどではないにして
も、現在では70ドル台から80ドル台でウロウロするだけという状況になっていま
す。代替エネルギーを主張したオバマも、現在はBPのメキシコ湾海底油田流出事故
からの復興対策に追われ、雇用か採掘中止かという論争に苦労しているのが現状です。
ただ、この事故により、ブッシュ=チェイニーの路線としての原油高から、メキシコ
湾深海油田の開発強化というシナリオはここでひとまずスローダウンした形になりま
した。まして、ブッシュ=チェイニーによる原油価格の高止まりを目指したエネルギ
ー戦略、そしてその中でのイラク戦争という要素も、もはや過去のものになった、そ
う言えると思います。
そう言えば、そもそもの開戦理由になった「大量破壊兵器の所在」については、ブ
ッシュ政権の末期にブッシュ前大統領自身が事実誤認を謝罪しているのです。謝罪で
済む話ではないのですが、アメリカではそれ以上の追及はありません。そのブッシュ
大統領夫妻は8月上旬に、以前オーナーでもあった野球チームのテキサス・レンジャ
ーズの新オーナーに招待される格好で、ヤンキース戦の観戦に姿を見せていました。
レンジャースは今年は快進撃を続けているのですが、往年の豪速球投手ノーラン・ラ
イアン氏がチーム買収を完了したのを受けてということのようです。ライアン氏と並
んでベンチ脇の最前列席ですっかりリラックスしていた前大統領夫妻は、過去の人と
いうしかない雰囲気を漂わせていました。
いずれにしても、アメリカは多くのものを失いました。その反対に獲得したものは、
ほとんどないに等しいと言えるでしょう。何とも空虚な7年半のドラマは、ここに大
きな転機を迎えたようです。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ
ンズ)( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
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【編集】 村上龍
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