http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/354.html
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朝鮮戦争 前編
http://www.youtube.com/watch?v=aChMHPLmf5Q
朝鮮戦争 後編
http://www.youtube.com/watch?v=BdxWJgcnXXg
http://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮戦争
スターリンによる侵攻容認 [編集]
これらの状態の変化を受け、同年3月にソ連を訪問して改めて開戦許可を求めた金日成と朴憲永に対し、金日成の働きかけ(内容としては、電報の内容を故意に解釈し、「毛沢東が南進に積極的である」とスターリンに示したり、また逆に「スターリンが積極的である」と毛沢東に示したりしたというもの)もあり、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認し、同時にソ連軍の軍事顧問団が南侵計画である「先制打撃計画」を立案した。
これを受けて、同年5月に中華人民共和国を訪問した金日成は、「北朝鮮による南半部への侵攻を中華人民共和国が援助する」という約束を取り付けた。中華人民共和国については北朝鮮を当初から積極的に支援したという見解があるが、実際はソ連の軍事支援が予想より小規模な事がわかったことにより、中華人民共和国内では侵攻支援への消極的意見が主流だったという。また、直前になってから侵攻計画を知らされた事に不満の声もあった。
南北の軍事バランス [編集]
北朝鮮軍のイリューシンIl-10
詳細は「国境会戦 (朝鮮戦争)#作戦計画および戦力配置の概要」を参照
開戦直前の南北の軍事バランスは、北が有利であった。韓国軍は歩兵師団8個を基幹として総兵力10万6000を有していたが、部内に多数潜入していたスパイの粛清、また独立以来頻発していた北朝鮮によるゲリラ攻撃の討伐に労力を割かれ、訓練は不足気味であった。また、米韓軍事協定によって重装備が全く施されておらず、戦車なし、砲91門、迫撃砲960門、航空機22機(それも練習機)を有するのみであった。
これに対し、朝鮮人民軍は完全編成の歩兵師団8個、未充足の歩兵師団2個、戦車旅団1個および独立戦車連隊1個の正規部隊と警備旅団5個を含み総兵力19万8000、さらにソ連製を中心とした戦車240輌、砲552門、迫撃砲1728門、イリューシンIl-10やアントノフAn-2などのソ連製を中心とした航空機211機を有していた。また、1949年夏より、中国人民解放軍で実戦経験(国共内戦)を積んだ朝鮮系中国人部隊が編入され始めており、これによって優れた練度が維持されていた。
また、戦闘単位当たりの火力にも差があり、韓国軍師団と北朝鮮軍師団が1分間に投射できる弾量比については、1:10で北朝鮮軍師団の圧倒的優位であった上に、双方の主力砲の射程に関しても、北朝鮮砲兵の11,710m(ソ連製122mm榴弾砲M1938)に対して韓国軍砲兵は6,525m(アメリカ製105mm榴弾砲M3)と劣っていた。
1950年6月25日午前4時(韓国時間)に、北緯38度線にて北朝鮮軍の砲撃が開始された。宣戦布告は行われなかった。30分後には朝鮮人民軍が暗号命令「暴風」(ポップン)を受けて、約10万の兵力が38度線を越える。また、東海岸道においては、ゲリラ部隊が工作船団に分乗して後方に上陸し、韓国軍を分断していた。なお、中華人民共和国ではアメリカ合衆国による北朝鮮への軍事進攻によって戦争が始まったと学校で教えられている[7]。
このことを予測していなかった李承晩とアメリカを始めとする西側諸国は衝撃を受けた。ただし北朝鮮側は、当時から現在に至るまで、「韓国側が先制攻撃してきたものに反撃したのが開戦の理由」だと主張し続けているが、この主張はソ連崩壊後のロシア政府にさえ公式に否定されている。
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/
朝鮮中央通信社が備忘録 「米国は朝鮮戦争の挑発者」
朝鮮中央通信社は、朝鮮人民の不倶戴天の敵、百年来の敵である米国の朝鮮侵略戦争挑発の真相を全世界に告発するため、さる6月24日、「米帝は朝鮮戦争の挑発者、侵略者である」と題する備忘録を発表した。その一部を紹介する。
国連の名を盗用
米帝は戦争の挑発者、侵略者としての正体を覆い隠し、戦争勃発の責任を朝鮮になすりつけ、朝鮮に対する全面的な武力侵攻を行うため国連の名を盗用した。
米帝侵略者は、朝鮮民主主義人民共和国に反対する戦争を準備して、国連安全保障理事会と国連総会で自らに従順な多くの加盟国を利用して国連の「権威者」が武力侵攻を行ったことを隠そうとした(ソ連の図書「朝鮮戦争」1部1959年85ページ)。
米帝は戦争の準備を進める一方、国連の看板の下に米軍の全面介入を「合理化」するため米国務省に「文書作成グループ」をあらかじめ結成し、国連安全保障理事会と総会に提起する「基礎文書」と採択される「決議案」まで作成した(米国の図書「朝鮮戦争の歴史」上日本語版162ページ)。
米帝の権謀術数と強盗さながらの要求によって国連安保理会議が1950年6月25日に招集され、ここで北進を「南進」と断定する「決議」が採択された。
国連安保理は、「国連朝鮮委員団」によってではなく、米国務省の性急な要求によって招集された。
米帝は、南朝鮮を占領した当初から朝鮮の北半部に対する侵略戦争を既成事実化する一方、その準備を推し進める目的の下、「南征」「南伐」虚偽宣伝攻勢を狂ったように展開した。
米帝は機会あるたびに、李承晩かいらい一味に「南朝鮮が先に攻撃を受けたということを世界が認めるようにすべき必要性」を力説して「南征」「南伐」虚偽宣伝攻勢を展開した(米国の図書「朝鮮戦争−答えのない問い」44〜45ページ)。
米帝は48年8月から1950年6月まで、延べ4回にわたる南朝鮮かいらい軍に対する粛清を行い、誰かの「南征」「南伐」政策に同調したからであると内外に流布した(南朝鮮の図書「韓国戦争秘史」1巻1992年80ページ)。
米帝に唆された李承晩は、申性模かいらい国防長官と蔡秉コかいらい参謀総長に「ダレスが38度線に到着したら、南朝鮮軍のある区分隊を北朝鮮軍に変装させて銃を撃たせ、北朝鮮軍の奇襲であると説明するよう命令」した(「AP通信ソウル特派員電」50年6月19日付)。
真相を抹殺
米帝は、朝鮮戦争勃発を「北の奇襲」「まったく予想外の出来事」であるとねつ造するために策動した。
これを50年6月25日、ムチョー南朝鮮駐在米国大使が米国務省あてに送った「最初の報告」を通じて実現しようとたくらんだ。
米国の図書「朝鮮戦争−答えのない問い」は、ムチョー大使の「最初の報告」が現実性と科学性、公正さがなく、疑惑に満ちていることについて具体的な資料を挙げて明らかにした。
ムチョー大使の「最初の報告」の電報を受け取ったアチソン米国務長官は、グロス国連駐在米国代表を通じてトリグブ・リー国連事務総長に国連安保理の招集を求め、あらかじめ準備した「決議案」も渡した。
米帝の権謀術数と強盗さながらの要求によって午前2時に国連安保理が招集され、不当な「決議」が採択されることになった。
朝鮮戦争は「南進」ではなく、徹底的に北進によって起きたということを米帝とその手先自体が認めた。
戦争は事実上、南からの挑発で始まった(日本の「共同通信」1975年6月25日付)。
朝鮮戦争の放火者の主役を担ったマッカーサーは、「この戦争はわたしの計画であった」と告白した。
米帝は、戦争の過程にわが人民軍隊がソウルを解放して押収した機密文書によって朝鮮戦争挑発の真相がことごとく明るみに出るや、しばらくの間口も開けずにいたが、1951年5月にねつ造文書を持ち出して「6.25南侵」を「立証」しようとし、戦争挑発の真相を覆そうと狂奔した。
戦後の時期も米帝は、朝鮮戦争挑発の責任から逃れるためすでに用いた手法を繰り返す一方、「情報自由法」に基づく「秘密解除」を通じた「再評価」と、東欧の開放政策を巧妙に利用した「交戦双方間の共同評価」を持ち出し、朝鮮戦争挑発の歴史わい曲策動を執ように行った。
米帝は冷戦が終息するや、米国式「哲学」に基づいて力の立場で朝鮮戦争挑発の真相を骨抜きにし、抹殺しようと策動した。
米帝が提唱した朝鮮戦争挑発の歴史「改訂」とは、「強者」の立場に立って自分らの利益に即して朝鮮戦争挑発の真相を覆す強盗の論理である。
米帝の朝鮮戦争挑発の歴史「改訂」策動の裏には徹頭徹尾、冷戦が終息した機会を利用して朝鮮戦争挑発の責任を朝鮮側になすりつけることで、朝鮮を「戦犯国家」に仕立てて圧殺しようとする陰険な下心がある。
米帝とその手先の朝鮮戦争挑発の真相に対するわい曲・ねつ造策動は、南朝鮮占領を永久化し、世界制覇のための朝鮮戦争を再び起こそうとしている。
歴史の真実は覆い隠すことも、消すこともできない。
米帝があらゆる権謀術数を尽くしても、朝鮮戦争の挑発者、侵略者としての正体は絶対に隠せない。(朝鮮通信)
[朝鮮新報 2010.7.14]
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