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2010-06-21 13:24:28 1945年6月23日、沖縄の地上戦は組織的戦闘が終結した。「沖縄慰霊の日」となった6月23日以後、戦争と平和、米軍基地問題をテーマにした番組が計画されている。注目すべき番組に6月27日放映の「ETV特集 よみがえる戦場の記憶〜新たに見つかった沖縄戦の映像(NHK教育 6月27日午後10:00)」がある。 ======================================== 写真:読谷村・1945年4月2日 米軍上陸直後に撮影 新たな映像の中には、これまでなかった日本軍の秘密兵器の映像や、“戦争孤児”の学校、そして多くの沖縄の住民たちの姿が記録されていた。沖縄戦資料の研究を続けてきた琉球大学の山内栄さんは、フィルムはアメリカ軍が記録や宣伝の為に撮影していたと言う。しかし、戦後65年たった今、映像は、人々が封印してきた戦場の記憶をよみがえらせようとしている。 その瞬間に何が起きていたのか?フィルムに写っている人を探す為に、沖縄各地で上映会を行った。多くのフィルムが見つかった事は、沖縄で大きな波紋を広げた。 誰にも語れなかった家族の“集団自決”。名乗り出せなかった“戦争孤児”としての過去。そして戦場での悲劇を乗り越えようとする人々。 フィルムは、戦場の記憶を呼び起こすとともに、戦後の生きざまをも浮かび上がらせた。沖縄戦を記録した未公開の600本のフィルムをたどり、写された一人一人の沖縄戦と戦後の人生を見つめる。 生々しい事実、全国の方に 「ETV特集」で入手したフィルムは未編集で無音でした。「読谷村」などと記されたわずかなキャプション(説明文)をたよりに、県内で何回か上映会を開いたところ、住民から「あれは○○さんだ」「あの時はこんな状況だった」と新しい事実が生々しく判明してきました。「集団自決」「避難壕(ごう)の状況」など今まで誰にも話せなかったことを証言してくれたのです。 また今まで公開されている写真の中には、住民が米軍を歓迎しているという説明がなされているものがありましたが、前後に撮られた動画と住民の証言から、それは米軍が意図的にしたてたもので、決して歓迎していたわけではないことも明らかになりました。65年たってもまだまだ分かっていないことが多くあるのだと実感しました。 また「アメリカ海兵隊」で追った海兵隊は沖縄県民にとって塀の向こうのブラックボックスでした。何をしているのか分からない。逆に海兵隊の側から見てもそう。そこで実際に内部で取材して一人一人の兵士の発言から実態を中立的にとらえようとしました。見てもらって判断してもらおうと考えています。よく言われる「抑止力」の役割を果たしているのか。全国の人や政治家に見てもらいたいですね。 (*上記は「しんぶん赤旗」6月21日付のテレビ・ラジオ欄から転載)
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10569329090.html から転載。
gataro-cloneの投稿
ETV特集 よみがえる戦場の記憶〜新たに見つかった沖縄戦の映像【NHK教育】
テーマ:戦争責任(歴史)
(写真左:伊波トミさん、“集団自決”から逃れる為に隠れていたガマ(壕)から出てきた直後に撮影された。 )
左写真:
包帯を巻いた少女・・・
今回の取材で戦争孤児の、ひとりの女性である事が解った。
その女性は、孤児院で名前をつけられ、今、自分の本当の名前を探し続けている。
(1945年6〜7月ころ 沖縄市の野戦病院で撮影)
65年前、住民を巻き込んだ激しい地上戦が戦われた沖縄。その戦場を記録した600本の新たなフィルムが見つかった。沖縄県公文書館の調査で、多くのフィルムが米国立公文書館に眠っている事がわかったのだ。1980年代に沖縄1フィート運動の会や沖縄県公文書館などが収集した350本のフィルムは、沖縄を記録した映像の一部に過ぎなかったのだ。NHK沖縄放送局は、3年前から沖縄戦を記録した全てのフィルムの収集を続けてきた。
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沖縄放送局の宮本英樹プロデューサーの話
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