投稿者 ダイナモ 日時 2010 年 4 月 23 日 19:09:29: mY9T/8MdR98ug
日経サイエンス2000年9月号より
戦争は人の心に深い傷を残し、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)の原因になる。ただ、第三者は患者の苦しみを理解できず、治療法の研究は後手に回ってきた。こうした心の傷は、戦後復興を進めるうえで足かせになりかねない
R.F.モリカ(ハーバード大学)
「クメール・ルージュ(カンボジア赤軍)は私の家族全員を処刑した。私は殴打されて意識を失い、気がついたときには、愛する家族の死体の上に横たわっていた──」 1981年、私にとって最初のカンボジア人患者が自分の体験を絵に描くように詳しく話したとき、私の第一印象は「そんなことはあり得ない」というものだった。それはホラー映画の一場面のように、あまりにも非現実的で、私は即座に理解できなかった。 私が抱いたこうした印象は、ユダヤ人小説家のウォーク(HermanWouk)が「信じない意志」と呼んだ状態の一例かもしれない。残忍な行為や精神的な苦痛を詳しく説明されたとき、たいていの人は私と同じように反応する。こうした拒絶反応の結果、政治家や人道支援要員、さらには精神科医でさえ、人が戦争によって受ける心の傷の深さを正当に評価できない。
戦争の記憶はゴムひも?
昔から戦争はゴムひもに例えられてきた。戦争は間違いなく地獄だが、いったん対立が終わってしまうと、被害者たちはすぐに“日常”に戻る。身体が受けた外傷はすぐには消えないが、生命を脅かすような事件への不安や恐怖は、直接の脅威が過ぎ去った途端に消え失せてしまう。多くの人々の態度は共通している。例えば、戦争を知らない人が犠牲者にかける励ましの声はいつも同じだ。「頑張れ、苦難を乗り越えろ」。 幼児虐待や強姦など心の痛手となる事件への周囲の反応も、以前はこれと似たようなものだった。しかし今、私たちは現実をよく知っている。恐ろしい体験をすると、自然には決して治らない心の傷を負う。犠牲者にはカウンセリングや経済的支援、薬物療法が必要になることもある。 1980年、ベトナム戦争や朝鮮戦争の帰還兵の調査がきっかけになり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が公式に認知された。しかし、多くの研究者が戦争のもたらす社会的・精神的な外傷について研究結果を公表し始めたのは、過去20年ほどのことにすぎない。これらの調査結果は、戦争で荒廃した社会の復興策の見直しを迫ることにもなるだろう。 1988年、ハーバード大学の私たちの研究チームは「世界精神衛生連盟」(theWorldFederationforMentalHealth)の協力を得て、タイ・カンボジア国境に設営された最大のカンボジア人難民キャンプ「サイト2」に精神科医チームを派遣した。私たちは993人のキャンプ住民を面接調査し、その結果、誘拐、監禁、拷問、強姦などの心的外傷を受けたとの回答は延べ1万5000件に達した。
周囲の人は無理解
この時点では、難民キャンプの保護・管理に責任を負っている国際機関は、難民の精神衛生の維持についてまったくノウハウをもっていなかった。世界各地の他の難民支援施設の状況も、これと同じようにお寒いものだった。長い時間を経て、その理由がはっきりしてきた。戦争のような集団的暴力が精神衛生に及ぼす影響は目に見えず、ほとんどの人が注意を払わなかったのだ。 単純にいえば、手足をなくした人や死体を数えることは、心の傷を受けた人を数えるのに比べて簡単だ。傷を負った人々はすぐに医者にかかる。しかし、「精神病」というレッテルを貼られると、その代償は高くつく。このため、心の傷を負った人の多くは、どんな犠牲を払ってでも精神科医を避けようとする。精神障害を見分ける客観的な基準がなく、文化によって精神障害への見方が違うことも、精神障害の軽視につながった。地域先住民による診断と西洋医学に基づく病気の分類とが一致しないことも多い。 集団的暴力を体験した人の多くは、自分自身の感情を他人に打ち明けない。「打ち明けたところで、誤解されるだけ」と恐れるのは、自然な感情だ。ユダヤ系イタリア人作家のレヴィー(PrimoLevi)は自叙伝の中で、彼がアウシュヴィッツで体験した幻想に触れている。彼は自分の家族と再会することを夢見ていたが、同時にそれを恐れてもいた。「私が家にいて、親しい人や数え切れないほど多くの物に囲まれていると想像するのは、身体で言い表せないほど大きな喜びだ。しかし、私は、聞き手が私の話を納得してくれないことに、すぐに気づくだろう。実際、彼らはまったく無関心だ。彼らは、私がそこにいないかのように、ほかの話題を自信たっぷりに取り上げる。姉は私を見て、一言も言わずに立ち上がり、出ていった。こんな深い悲しみは我慢できない」。 不幸なことに、人々の疑いや無関心は、疑いようのない現実だ。邪悪な行為を理解しようとするのはつらいことで、人々の疑いや無関心はその反映でもある。人間はどうしてこんな邪悪な行為をするのか。その答えはすぐに見つからないし、自分自身が抱える罪に触れるのを恐れて、私たちは話題を変えがちだ。 国際機関が精神衛生をめぐる問題にようやく注意を払い始めた当初、多くの機関が単純な解決策を見つけようとした。当時、精神衛生ケアは、道路の再建やマラリアの治療などと比べて優先順位が低かった。しかし、研究者たちは精神衛生をめぐり6つの重要な課題があることに気づき、事態は改善に向けて動き始めた。 第1に、戦争を経験した一般市民の間で、重い精神障害を患う人が多く見つかったことだ。精神医学的な疫学調査の手法が改善され、集団の中から適切なサンプルを選ぶ方法や、先入観を持たない面接担当者の活用、診断法の標準化などが進み、患者が異なる文化に属していても信頼できる結果が得られるようになった。 私たちがカンボジア難民を調べた結果、重症のうつ病やPTSDの患者の割合は、それぞれ68%、37%に達していた。これはネパールのブータン人難民やクロアチアのボスニア難民が示す比率とほぼ同じだ。戦争による心的外傷を受けていない一般的な社会では、うつ病の比率が高くても10%、PTSDは生涯を通じても8%にとどまっているのに比べ、きわめて高い比率といえる。 第2に、心的外傷の症状が厳格な基準で測定できることもわかってきた。精神科医はかつて、患者の心の痛手となった経験を聞き出すことは、患者の心に土足で踏み込むことになりかねない、と心配したものだった。患者が不正確な説明をしたり、うそとは言えないまでも大げさだったり、最悪の場合、完璧なうそを話しているのではないかと、心配する精神科医もいた。 しかし、1980年代初期にアムネスティー・インターナショナルなど市民団体の活動が、医学の新しい運動となって現れ始めた。人権問題の研究者たちが、患者による説明の信憑性を確かめるために、さまざまなタイプの臨床試験結果同士を結びつけて評価する体系的な方法を開発した。
伝統的治療との溝
例えば、私たちの臨床研究では、インドシナで恐ろしい残忍行為を経験した患者に最新の診断手法を試みたところ、患者が自分の経験を正しく説明できないことがあった。そこで私たちは「ホプキンス症状チェックリスト」(HopkinsSymptomChecklist)として知られている単純な診断法を試みた。それは、1950年代から一般人を対象に広く使われてきた方法だ。 リストの全項目を回答するのにはおよそ15分かかる。設問には、落ち込んだり、寝付けないことがあるかどうか、自殺を考えたことの有無、といった問いが含まれている。私たちが患者にインドシナ語版のチェックリストを見せたとき、彼らはほとんど悩まずに、自分の感情を素直に回答できた。これをさらに改良したチェックリストである「ハーバード・トラウマ・アンケート」(HarvardTraumaQuestion-naire)は、外傷原因とPTSDの兆候に焦点を合わせている。現在、この手法は25以上の言語に翻訳され、それぞれ独自の文化に合わせて改良され、試行錯誤を続けている。 第3に、医療人類学者たちの努力で、精神障害に対する非西洋的な考え方が体系的に理解されるようになってきた。多くの社会ではヘルスケア、特に精神衛生ケアの担い手は伝統的な「いやし手」(ヒーラー)や共同体の長老で、医学的知識をもつ専門医ではない。しかし、これでは多くの患者が治療を受けられない。ヒーラーは患者を完全には治療できないし、専門医の場合、患者が肉体的苦痛をばくぜんと訴えても、精神病の重要な兆候と結びつけることができない。 カンボジアやウガンダ、ジンバブエでの大規模な現地調査によって、現在、精神的苦痛とさまざまな民族的診断法が関連づけられ、カタログが作られた。私たちのチームはカンボジア人向けに、こうした診断法の“百科事典”を作った。その結果、西洋医学の知識をもつ開業医が、地元の言葉を使って精神病を識別できるようになった。
脳に重い障害も
第4の発見は、心の傷となる特定の経験はとりわけ、うつ病とPTSDの原因になる可能性が高いことだ。私たちが調査した難民キャンプ「サイト2」でカンボジア難民にとって最も深刻な苦痛は、頭部の強打や身体の他の部分のけが、監禁(投獄)、殺人の目撃、子供の餓死だった。難民キャンプが十分に保護されていないことや、他の成人への暴力を目撃することは、さして大きな苦痛ではなかった。 第5に、非常につらい体験をすると脳の組織が変化することもあり、それは永久に残る。1960年代初期、ノルウェーの研究者エイティンガー(LeoEitinger)らは、ナチスの強制収容所の生存者を調べた結果、頭部のけがと精神病の症状に関連があることを発見した。最近の研究によると、第二次世界大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争で殴打されたことのある米国人捕虜の多くが脳障害になっていることがわかった。同様に、デンマークの研究者ラスムッセン(OleRasmussen)らは、拷問を経験した200人の一般人を調べ、その64%が脳神経に損傷を負っていたことを突き止めた。 身体が直接傷を負わなくても、精神的苦痛が脳に傷跡を残すこともある。PTSDを取り上げた研究結果で入手できるものは少ない。ただ、外傷の結果、海馬などの脳の特定の部位が収縮するとの研究報告もある。何人かの脳神経学者が、これらの新しい結果をPTSDの永続的な兆候と結びつけ始めた。 6番目、つまり最後の発見は、精神的苦痛が社会全体の機能不全に結びつくことだ。昨年、私たちは、クロアチアのボスニア難民を対象に、精神疾患と社会の停滞とを結び付けて分析した。その結果、4人に1人は労働に携わることができず、家族の世話や他の社会的な生産活動に従事することもできなかった。 こうした精神障害の長期的な影響は、まだよくわかっておらず、長期的な研究もあまりされていない。オランダ人を対象にした最近の調査では、第二次大戦中にナチスの迫害を受けた人々は終戦後50年以上にわたり、高い率でPTSDに悩んでいることがわかった。 さらに、こうした心的外傷は世代を超えて影響を及ぼす可能性がある。ホロコースト(ナチスドイツによるユダヤ人虐殺)を逃れた生存者の子供たちは、心的外傷を受けていないユダヤ人のグループと比較して、PTSDが高率でみられる、との研究報告もある。
戦後復興の足かせに
しかし、その因果関係ははっきりわかっていない。ナチスがもたらした恐怖が直接、PTSDの原因になったのか。あるいは、ナチスの迫害を受けた後、何らかの理由で傷つきやすくなったのか。さらには、両者の相互関係はまったく別の要因によって関連づけられるのか──。戦争の長期的な影響を理解するために、私たちは現在、ボスニアで長期的な研究を続けている。 集団的暴力を受けた生存者のうち緊急の精神衛生ケアが必要になるような深刻な精神疾患はごく一部だが、圧倒的大多数が程度こそ低いものの、戦争後も長引く精神障害を経験している。これは統計をみてもはっきりしている(70ページのグラフ)。社会を効率的に再建するため、この大多数を無視できない。戦争終結後もずっと、身体的な疲労や憎悪、相互不信は消えない。心の病はマラリアなど慢性的な病気と同じように、国の経済開発にとって重荷になる。
専門の治療組織が必要
国際機関がこうした事実を認識し始めたのは、ここ5年ほどのことだ。とりわけ世界銀行は、戦争で荒廃した国では旧来の開発モデルが機能しないことに気づき、新しい手法が必要なことを認めた。カンボジアと東ティモールで、国際的な支援機関が地域密着型の精神衛生の診療所を設立し、南アフリカ共和国とボスニアでは、地元の医者がテレビに出演し、問題の深刻さや治療を受けることの重要さを訴えかけた。 私たち自身の計画では現在、うつ病の人々が生産的な労働に復帰できるよう手助けする小規模支援事業の準備を進めている。世界中で拡大し、社会を疲弊させている無気力と復讐の悪循環を断ち切るには、こうした努力が決定的な役割を担っている。(編集部訳)
----- 著者 Richard F. Mollica ハーバード大学医学部教授で専門は精神医学。1981年、集団的暴力や拷問の生存者を救済するため、米国で最初の臨床センターのひとつである「ハーバード難民・心的外傷プログラム」 (Harvard Program in Refugee Trauma)を共同で設立した。この論文は、彼が今年初め、早稲田大学で実施した集中講義の内容をまとめた。
原論文 Invisible Wounds(SCIENTIFIC AMERICAN June 2000)
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