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9/11後のマスコミにおける、現代版赤狩り(マスコミに載らない海外記事) http://www.asyura2.com/10/warb4/msg/269.html
9/11後のマスコミにおける、現代版赤狩り(マスコミに載らない海外記事) 4月21日付「マスコミに載らない海外記事」誌から転載します。 記事中で、9・11事件後の「アカ狩り」についてはいくつかの具体例が挙げられていますが、その追跡や詳しい分析はありません。しかし、この難関名門私立大学で、2001年以降の、マッカーシーズムにもなぞらえることのできる検閲体制を討議するパネル・ディスカッションが開かれ、学生新聞で記事になったことの意義は大きいでしょう。 残念なことに、最大の検閲の例である、9・11事件当日にテレビ番組で腐るほど放映された世界貿易センタービルでの「爆発・閃光目撃証言」、第7ビル「崩壊フライング放送」、ペンタゴンでの「飛行機見えない」レポート、ペンシルバニア州シャンクスビルでの「残骸も火も見えない」リポートが、ことごとく「放送禁止」処分にされたことについては触れられていない様子です。さらに、事件当日にツインタワーで爆発を目撃して市庁舎に伝えた多くのリポーターが翌日から貝のように口をつぐんでしまったことも、議題になっていません。 さらに、本来ならマッカーシーズム的「ブラックリスト」以上に、直接的にジャーナリストを襲った悲劇についての方が重大でしょう。 また、オサマ・ビン・ラディンとアルカイダに接触して探ろうとするジャーナリストに対するむき出しの言論弾圧の例は、次のウエッブページの後半にあるアルジャジーラ記者タイシル・アロウニについての部分をご覧ください。 しかし、米国で徐々に「対テロ戦争」を客観的にとらえ直そうとする動きが起こっていることの証左の一つとして、この記事(「マスコミに載らない海外記事」誌の訳文)をご覧ください。 *********************************** Brent Yarnell 昨夜の、ジャーナリズムの諸問題に関する第五回年次エドワード R. マロー・フォーラムに出席したパネリストたちは、9/11テロ攻撃後のマスコミ検閲を、マッカーシー時代のブラックリストになぞらえた。 コミニュケーションとメディア研究(CMS)プログラムのディレクターで、パネル進行役を勤めたジュリー・ダブロウは、イベント冒頭に“ブラックリストは、本当に、ジョー・マッカーシーと、ともに終わったのか?”と疑問を提示した。 パネリストたちは、現代のマッカーシーズムの事例と考えられるものとして、バンドのメンバーたちが、イラク戦争を批判した後、クリアチャンネル社が、同社の全放送局で、ディクシー・チックスの音楽を放送するのを拒否したことや、ビル・マーが、政治に異議をとなえる発言をした後、彼の番組“ポリティカリー・インコレクト”(1993-2002)が中止されたことも含め、9/11後のマスコミ検閲の例を挙げた。 “あの人たちは仕事ができず、放送で流して貰えなかったのだから、それは起きているのです。何らかの形、または他のやり方で、起きているのです。” ドキュメンタリー映画“裁判にかけられたハリウッド”(1976)の監督で、映画制作者のアーニー・リースマンは語っている。 ハリウッドのブラックリストは、1940年代末と1950年代、実際の、あるいはそうと疑われた政治信条に基づいて、人々がエンタテインメント産業で働くのを妨げていた。ブラックリストは拡張され、ジューナリストも対象になっていたと、ライスマンは語った。 このフォーラムが、その栄誉を讃えて設立された故エドワード・R・マローは、CBSテレビのジャーナリストで、ウィスコンシン州選出のジョセフ・ マッカーシー上院議員に対し、彼のテレビ番組“See It Now”(1951-58)で、公然と彼を批判して立ち向かった人物だ。 マローは、その勇気と、マスコミ業界の人々が恐怖で身をすくめていた時代に、進んで正々堂々と意見を述べたことで、支持された。 彼の息子で、シナジー・ラーニング・インターナショナル常務取締役ケーシー・マローもパネルに参加していたが、当時一家が感じていた恐怖について 語った。 “ニューヨーク市の、私が通っていた小学校のクラスには、私のところにやってきて、‘お前のおやじはアカだ!’という生徒たちが確かにいました。” とマローは語っている。“家に帰って、母親に、父親がアカだったかどうかではなく、アカとは何なのか尋ねたのを覚えています。” “デイクシー・チック現象: マロー、マッカーシー、そしてブラックリストは、歴史上の教訓か、現在の出来事か?”と題する今年のフォーラムは、CMSプログラム 、フレッチャー法律外交大学院のエドワード・R・マロー・センター、および、市民権・公共サービス・ジッナサン・M・テイッシ・カレッジが後援した。 パネリストたちは、エドワード・マローのマッカーシーとの討論と、2003年のイラク侵略に至るまでの間の、マスコミによる報道不足と、彼らが見な しているものとの関係を例にとった。 “この国で、私たちは、マスコミが、なすべき仕事をせぬまま、イラクに、はまってしまった”マロー・センターのプログラム・ディレクター、クロッ カー・スノウは語った。 “マロー・ボーイズ: 放送ジャーナリズム前線のパイオニアたち” (1997)の著者で、ジャーナリストのリン・オルソンは、侵略に至るまでの間、ジューナリストたちは、問われるべきだった厳しい質問をし損なった、と 語った。 “エド・マローが激怒するだろうことの一つは、臆病になりがちな傾向です”と、オルソンは語った。 オルソンによれば、放送局が報道から娯楽へと、益々移行しつつあり、現代のニュース番組が、昔に比べ、一層娯楽化したが、有益度が低下しことが、問題の一因なのだ。 “彼が大事にしていたものの一つは、教育でした。”とオルソンは語っている。“彼は[現代マスコミの]分析と教育の欠如に、がっかりするだろうと思 います。” 【転載ここまで】
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