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米国のイラク支配を痛烈に批判するスペイン大手紙記事:「歴史が彼らを裁くだろう」 http://www.asyura2.com/10/warb3/msg/450.html
(画像は、1943年に作られた、「第2次世界大戦期間にイラクに駐留する米国兵士の手引き書」の表紙) 米国のイラク支配を痛烈に批判するスペイン大手紙記事:「歴史が彼らを裁くだろう」 スペインの大手日刊紙エル・ムンドに載った、侵略戦争開始7周年を向かえるイラク(ティクリット)の特派員の記事です。原文はスペイン語ですが、以下にその和訳を載せておきます。まず、それをお読みください。 ************************************* 中近東/侵略から7年 ・1943年に一つのマニュアルが配布され軍はイラクの文化を尊重した モニカ・G.プリエト/Base Speicher (Tikrit)にて 「成功か失敗かは、イラク人たちが米国人たちを高く評価するかどうかにかかっている」この一節は、2003年に書かれるべきだったのかもしれないが、実は60年も昔のものである。そしてその著者はアラブ民族主義者ではなく、アメリカ合衆国軍の特別任務部隊の高官に他ならない。 これは、1943年にナチスの脅威に直面した英国軍を援助するためにイラクに駐留した米国軍内で配布されたマニュアルにあるものだ。43ページのポケット版のものだが、非常に読みやすい良い文章であり、読むのに20分とかからない。ジョージ・W.ブッシュによってイラクに派遣された兵士たちがもしこれを読んでいたら、米軍が犯し続けた恐るべき過ちのいくつかは防げたであろう。 この「第2次世界大戦期間にイラクに駐留する米国兵士の手引き書」というマニュアルは、何よりも、欧米のものとは異なる文化に対する尊重を教えている。あらゆることが書かれているのだ。「シェイフ【部族長、イスラム知識人の意味:訳注】たちは大きな権限を持ち十分に尊重して扱わなければならない」とマニュアルは述べる。しかし、(2003年以降では)イラク侵入以来、米国軍は部族の指導者たちに狙いをつけて彼らを地面にひざまずかせ身体検査をした。これはそのコミュニティーの中に激しい憎悪をもたらした。マニュアルは「イラク人たちは様々異なった部族と宗派に分かれている」と教えるが、ワシントンの指導者たちは、2004年から始まったようなイラクの社会組織が分裂する可能性を阻止するための策をとろうとしなかった。 「民衆とはできる限りアラブ語で話せ。それが下手なアラブ語でも、人々は言いたいことを解ってくれるだろう」と、マニュアルは手短に説明する。そしてその巻末には基本的な言葉の一覧が載せられている。ところが現在では、イラク人たちが解ろうはずもない完璧な英語で「止まれ」「進め」「出て行け」などの容赦も無い怒鳴り声が何年間も続いた後、やっと今頃になって、一部の兵士が敬語の使い方を覚え始めたという状態なのだ。 この古代メソポタミアの地で、その他の注意がこの7年間実行されたためしがない。たとえば、このマニュアルが「イラク」「イラキズ(イラク人)」と正確に発音するように求めているのに、兵士たちは「アェラク」「アェラキズ」としゃべり続けている。7年の間。自分たちが駐留する国の名前を発音することすら学んでいないのだ。 「相違点はもちろんある。衣服、食べ物、習慣、そして宗教的な考え方の違い、女性に対する取り扱いの違いなど、相違点はたくさんある。しかし気にすることはない。あなたはイラク人を変えるためにイラクに行くのではない。その逆だ。我々は、『生きるか死ぬか』という大原則に基づいてこの戦争を押しとどめようとしているのだ」。この注意事項は今回の侵略に派兵された部隊が見失っているものだ。
マニュアルは、イスラムの宗教と理解するための、そしてイスラム教信者たちを傷つけないためのキーポイントを教える。「イラク人たちはイスラム教を深く信仰している。そしてモスクの近くに異教徒たちが近付くのをいやがる。あなたは高い塔(ミナレット)を見ればそれがモスクだと分かるだろう。モスクから離れていなさい」。これは大々的に実行されるべきだった指示なのだが、この数年間、宗教施設は攻撃を受け修理されることも無い。モスクが立ち並ぶ都市、ファルージャでは、2004年の軍事侵攻で60%の寺院が破壊され未だに捨て置かれる。 このマニュアルは、当時の美しい版画で飾られているのだが、同年(1043年)にシカゴ大学によって再版され、わずか10日の間に2万冊が買われた。イラクの深刻な現状について一部の担当者たちは次のような重大な認識を語る。「決してアラブ語を冒涜してはならない。なぜなら、あなたはそれが実際に何を意味するのかを知らず、問題を引き起こすからだ」、「いかなる状況であろうとも、イラク人に対して、犬や悪魔や死者への冒涜を表す表現を使ってはならない」、「アラブ人の前で決して小便をしてはならない」、また「犬が不浄な生き物であることを知っていなければならない」等々。このような指示は、米軍兵士が住居の検査や尋問のために訓練された犬を使うのを止めさせるために、強調できたことだったかもしれない。 アラブの女性たちについて担当者たちが何も語らないために、兵士たちはこの数年間を通して、女性たちの身体検査をして、イラク人との間に災厄を引き起こしてきた。マニュアルは言う。「もしその習慣にそって女性たちを取り扱わないならば、イスラム教徒たちは怒りを発し、問題が引き起こされるだろう」。 この2週の間に、私はこのマニュアルのコピーを士官たちと兵士たちに見せて回った。誰一人、このようなものがあったとは知らなかった。ある者は軽蔑するかのように一瞥しただけだったが、他は非常に興味を引かれていた。 「これを事前に持っていたら非常に役に立ったのだが。」このように告白したのは、このマニュアルを作ったジョン・A,ネイグル(John A. Nagl)中佐の認識についてよく知る一人の大佐だった。「この『(ラマダンの期間中には)イスラム教徒たちの我慢は限界を持っている。あなたが同じような状況に置かれた場合にもきっとそうなるだろう』という一節を知っておけばよかったと思います。そうすれば、私の担当地域で祝祭の期間中に起こった暴動にもっと上手に対処できたはずなのです」。このように、彼は2003年のラマダン期間中に起こった、アンバル(Anbar)のスンニ派地域での起こった出来事について書いている。 しかし、ワシントンは米軍兵士たちに、イラク人の習慣について最低限のガイドも渡さねば指導もしなかった。人々の尊敬を得ようともせず、イラク人のために働こうともせず、占領者に対する嫌悪を増大させていった。その教訓は彼らの指揮官たちに思い知らされている。「歴史は2003年の決定をした者たちを裁くだろう」。ニニヴェ地域の駐屯軍の司令官であるマイケル・ジェイスンは私にこう語った。「もし私がイラク人だったら、抵抗者となっていただろう」。 【訳出、引用、終わり】 この記事を書いたモニカ・G.プリエト記者は、記事中で述べていることの何十倍もの、とうてい容認しがたい米軍の行為を見てきたことだと思います。米国自身が60年も前に「イラクの文化と習慣を尊重しイラク人に米国が高く評価されなければならない」という内容の手引書を兵士たちに配布していたことと比較しながら、大統領が靴を投げられるほどにイラク人に憎まれる米国とその指導者に対する怒りを、記事中ににじませています。また彼女の記事を掲載したエル・ムンド紙編集部に敬意を表します。 彼女の怒りは、全て、イラクでの米国軍の行動に関する事実に基づいたものであり、ありもしないことをでっち上げてデタラメな「怒り(=政治的な意図による恫喝)」をぶつけるワシントンポストの編集部と記者とは、ジャーナリストとしての格が違います。 プリエト記者が取り上げたジェイスン司令官の イラク侵略・破壊戦争を含む「対テロ戦争」の醜悪な正体を暴露することが、その継続と9・11以来続く世界秩序と経済の破壊を止めさせる、最大の要素となることでしょう。
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