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「第82回アカデミー賞」の授賞作品キャスリン・ビグロー監督の「ハート・ロッカー」 戦争は麻薬のようなもの。 http://www.asyura2.com/10/warb3/msg/426.html
株式日記と経済展望 2010年3月9日 火曜日 「第82回アカデミー賞」の授賞作品
戦争は麻薬のようなもの。一度、この快感を味わったものは永遠にそのスパイラルから抜け出すことはできない。一度感じた甘美な記憶は人間を再び戦場へと向かわせる。命が尽きるまで。 "War is a drug"とは、「ハート・ロッカー」の冒頭に提示されるメッセージです。ジェームスはその言葉通り、また戦場に戻ってきました。B中隊からD中隊へ。彼はふたたび365日の地獄を味わうでしょう。そして帰国する。そして、再び彼は戦場へ向かうでしょう。 戦争が続く限り、ジェームスがその地に向かうことを止めることはできません。命が続く限り、その身を危険にさらし、死地から脱するというあの快感を味わいに行くことになるのです。(中略) ★戦争という"ゲーム" サンボーンは「何を選んでもサイコロの目で生きるか死ぬかが決まる」といいます。「俺たちはそのゲームに参加してる」。 ジェームスは「たしかに、俺たちはそれに参加してる。けれど、なんでそのゲームをやっているのか分からないんだ、何でか、本当に分からない」。 戦争というのは運命について「不可変論者」になりたくなるような生死の世界。"いい人"が生き残るわけではないし、"悪い人"が死ぬわけでもない。誰が生き残り、誰が死ぬかはまさに"神の采配"の領域です。 神の気まぐれ一つで人間の命ひとつなどはいとも簡単に吹き飛んでしまう。今日隣に寝ていた相棒は次の日には肉片になっているかもしれないのです。戦地の明日に"確実"なんてものはありません。 しかし、その戦争という"ゲーム"になぜ参加してるのか分からないというのはウソです。本当はジェームスもサンボーンも分かっているのです。なぜ戦争に参加するのか分かってはいるけれど、理性の部分で分かりたくないだけ。 サンボーンはその点を理解しているし、自覚しています。だから、彼は「息子は欲しいが、もうやり直せない」と言ったのです。いずれにしても、2人ともこの泥沼にどっぷりと浸かってしまっていて、もう、抜け出すことはありません。 ジェームスは「サンボーン、なぜ、俺のやり方に従ってたんだ?」と問い、サンボーンは「分からない」と答えます。 「俺のやり方」とはジェームス流の爆弾の処理作業のこと。すなわち、リスクを度外視して徹底的に解除作業をやり抜き、爆弾処理班としての任務を徹底的にこなすこと。その中には死の危険さえいとわない、ということが含まれています。 サンボーンは当初はジェームスに反発しながらも、結局はジェームスに合わせていました。最後はジェームズが自分のやり方を貫くままにさせ、サンボーンはその補助をしていました。一緒に爆弾で吹き飛ぶ可能性があったのに、です。 実際、爆破テロの捜査をジェームズが強行した結果、エルドリッジは誘拐されそうになり、そのうえ、大腿骨の複雑骨折という重傷を負いました。彼は一生、その傷に悩まされることになるでしょう。少なくとも、何らかの後遺症が残ることは避けられません。 サンボーンらがジェームスのやり方を受け入れたのは、やはり戦争が"ゲーム"だからです。サイコロで決まるゲーム。明日の生死を決めるのは自分じゃない。はるか届かない力が自分の生死を決める。それなら、別に、少しくらい危険を冒したって何も変わらない。サンボーンらはそう考えていました。いえ、無意識にそう考えていたのです。 そして、部隊の任期が終了しても、また、戻ってくるだろう予感があったこともサンボーンの背を押しました。いま、このとき、このB中隊の任期が無事に終わらせたとしても、どうせ、自分はまた戻ってくる。 また、この生と死のゲームに戻ってくる。このゲームは死ぬまで続く。そうならば、ブラボー隊で死んでも、その次に配属される部隊で死んでも、その次の次の部隊で死ぬことになっても同じではないか。どうせ、人間が死ぬという結末は何も変わらないのだから。 サンボーンのその後については映画は全く描いていません。描く必要がないからです。ジェームスを見てください。彼を見ればわかること。ジェームス自身、「これからだろ」とサンボーンに言いつつも、戦地に戻ってきてしまいました。 これはもしかしたら、悪夢なのではないだろうか ? 毎日のように、生きるか死ぬかの一線上をふらつきながら歩く毎日。この悪夢から逃れるためには、死ぬしかありません。生きている限りはまた、任務に戻って来てしまう。だから、ジェームスは危険な任務を平然とこなしますし、危ない橋も平気で渡ります。 サンボーンもそんなジェームスに文句を言いつつ、本音では自分もジェームスと同じく、戦争中毒になっていることを分かっています。だから、いつのまにか、ジェームスの危険なやり方に慣れていってしまう。 悪夢を共有する2人の生き方は似ているのです。サンボーンも、彼自身の言葉を借りれば「こんなクソみたいな場所」に再び戻ってくるでしょう。だからサンボーンのその後は描かれなかったのです。(中略) ★イラクからの撤退を目指して -アメリカ軍の出口戦略- 2007年以降から2009年12月末現在まで、アメリカ軍の戦死者・負傷者数は急速な減少傾向にあります。イラク警察や地方政府への治安維持権限の委譲が進んでいることも、死者数の減少に歯止めをかけている一因でしょう。 また、アメリカ政府は、従来は反米・反イラク政府勢力であった組織にカネと武器を渡し、親米・親イラク政府派に転向させ、民兵組織を作らせてアルカイダ掃討作戦に協力させています。この手法はアメリカ政府が得意とするいつかどこかで見た手法で、カネが途切れたり、利害関係が逆転すれば、一転してアメリカの敵に逆戻りする可能性があるのですが、現在は一応の効果を挙げているといっていいでしょう。 アメリカ軍は遅くとも2011年までに、イラクから全面撤退をする予定です。アメリカ政府としては、円満に撤退するために、それまでは何とかイラクの治安を維持したいという思惑が働いています。このなりふり構わない必死の政策が行き過ぎて、撤退後に禍根を残さないといいのですが。 結局、カネや武器供与で反米派だった勢力が親米派に転向するということ自体に、イラク国民がいかに経済的な貧困に苦しんでいるかが露呈しているように思います。イラク政府が国民全体の経済的底上げを図らない限り、一時懐柔された勢力にも、再び不満はうっ積していくでしょう。 今はアメリカのドルで親米派になっているとしても、アメリカ撤退後、カネが途切れれば、それが縁の切れ目になって、反イラク政府勢力としてアメリカから供与された武器を使って台頭してくる可能性がないとは言えません。民兵組織化したイラク人に大量の武器を供与することは、アメリカ政府にとって、諸刃の剣になりかねないということは認知しておくべきでしょう。
核ミサイルを何百発用意したところで使うわけには行かないでしょう。アメリカといえども使えば何処からワシントンに向かって核ミサイルが飛んでくるか分からないからだ。相手が核ミサイルを持たないベトナム戦争でもイラク戦争でも使うことが出来なかった。一度使えば何処で歯止めがつくか分からない恐怖感があるからだ。 「ハート・ロッカー」と言う映画はイラク戦争の実態を取り扱った映画ですが、私はまだこの映画を見ていない。最近はアカデミー賞にすら興味が無くなって去年のアカデミー賞が何だったのかもわからない。ハリウッドの世界的な大ヒット作品が少なくなって来たせいもありますが、アメリカは経済的にも文化的にも衰退してきているのでしょう。 アメリカは毎年50兆円もの軍事予算を使っている軍事超大国ですが、人口が2400万人足らずのイラクに攻め込んでも13万人程度の兵士では全土を制圧するのは無理だ。だからゲリラ活動もなかなか収まりませんが、最近では地元の武装勢力を金で買収して味方につけている。ローマ帝国の末期でも蛮族を金で買収して統治していましたが、金が切れれば蛮族はローマにまで乱入してきた。 第二次世界大戦までは戦争の勝つことが国家の繁栄に結びつきましたが、もはや植民地を支配した所で帝国の繁栄には結びつかない。武力で制圧する事の費用が高くなり地元武装勢力を金で買収した方が安くつく。日本や欧米先進国同士でも戦争で決着をつけるよりも、情報戦争で政治を動かした方が勝つ時代となっている。 だからオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞して、「ハート・ロッカー」がアカデミー賞を受賞したのも情報戦争の一断面なのです。アメリカは世界各地に軍事基地を展開していますが、イラク戦争やアフガニスタンの戦争で負ければ世界の米軍基地は威圧力が無くなり張子の虎と化すだろう。アメリカはベトナム戦争で軍事力の限界が分かったはずなのですが、戦争中毒で戦争を止める事ができない。 日本もかつては戦争中毒にかかり大東亜戦争に負けるまで戦争を止める事ができなかった。戦争に一度勝つとその味が忘れられなくなり次々と戦争を始めるようになった。戦争に勝てば政権に対する支持率も高まるし軍人たちも威張りだす。中国大陸に踏み込んだはいいけれど挑発的なテロ攻撃が起こってどんどん奥に引きずりこまれていった。 アメリカも日本も戦争に勝って止められれば一番いいのですが、大敗して痛い目にあわないと戦争中毒はなかなか治らないだろう。戦争はバクチのようなものであり味を占めてしまうと止められなくなる。バクチも大敗したところで止める事が一番だ。アメリカもベトナム戦争で負けてまともな国になったかと思いましたが、湾岸戦争で元に戻ってしまった。 ソ連もアフガニスタンの戦争で敗れてソ連崩壊に繋がりましたが、アメリカも小さな戦争に敗れる事がアメリカ崩壊に繋がるという危機感があるのだろう。湾岸戦争ではサダム・フセインが生き残り、ブッシュ大統領は選挙で敗れた。戦争に勝って戦争を止める事がいかに難しいかを示すものですが、オバマ大統領は負けるためにアフガニスタンに深入りしているのではないだろうか? 「ハート・ロッカー」がアカデミー賞を取ったのはアメリカ映画界のメッセージでもあるのですが、直接的に反戦を訴えるよりも、戦争に魅入られていく兵士を描いた方が効果的なのだろう。派手にドンパチやることよりも地道な爆発物処理班の兵士を描いた事でイラク戦争の実態がよく分かるようだ。映画の興行的には派手にドンパチやった方がいいのでしょうが、イラク戦争はそういう戦争ではない。 摂氏50度にもなるイラクの町で40キロもある防護服を着て作業する地味な戦争だ。ゲリラたちはこれでもかといわんばかりに爆弾を仕掛けていく。爆弾は家電部品を使っただけのものであり何処でも作って仕掛ける事ができる。見た人によれば映画は緊張感の連続で見終わったときは疲れを覚えるようです。戦争を決断する大統領は豪華なホワイトハウスで決断するのでしょうが、戦場の兵士たちは灼熱地獄のバクダッド郊外で神経を病んでいく。 日本のテレビのニュースではイラクやアフガニスタンの事はほとんど報道されず、特派員も取材に行っていない。あったとしてもバクダッドのホテルからのコメントだけだ。非常に危険だから新聞社やテレビ局は取材に行かせない。いつテロ攻撃があるか分からないからですが国連職員も爆弾テロで大勢が死んだ。これも現代の戦争の一つの形態であり、爆弾テロはアメリカ国内でも日本国内でも起こり得る。
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