投稿者 語巻き 日時 2010 年 2 月 18 日 09:25:09: FbKi3ZdqZar8U
東西冷戦終焉は欧州の左派、右派を問わず、中道路線の衰退を招いた。特に旧ソ連圏のポーランド、チェコでは過去の反動とばかりに政権は右傾化した。これに乗じているのがドイツのネオナチだ。新自由主義(ネオリベ)の嵐が吹きまくるドイツでは、福祉や年金・失業手当の削減に加え、消費税は19%にまで上昇。憤る国民が左傾化する中、資本側から潤沢な資金を得てか、極右はさらに勢いを増している。チェコでのナチによるユダヤ人大虐殺69周年記念日にドイツとチェコのネオナチは合同でプラハのユダヤ人街襲撃を試みて、反ネオナチ派との間で流血の惨事が発生。イラク反戦運動を禁止するチェコ現政権は独ネオナチの国境越えを傍観した。
▼ チェコ当局の対応
チェコの首都プラハで11月10日、約400人のチェコ人、ドイツ人混成のネオナチがプラハのユダヤ人居住区を襲撃しようとした。この日はナチが1938年にプラハのユダヤ人を大虐殺してから67年目。右へと傾斜するチェコ政府はイラク戦争へのチェコ軍参戦に反対する抗議活動を禁止中。この機に乗じてファシストらはイラク戦争に反対する市民団体「国民反戦連合」本部周辺を示威行進した。チェコからは「血と名誉」と称するネオナチ追随団体がドイツからの一行に加わった。
ドイツのネオナチは少なくとも3台のバスに分乗、国境を越えて10日早朝、チェコに入った。迎えたチェコの仲間らとともに人種差別的なスローガンを掲げた横断幕、プラカードを用意した。チェコ治安警察は不法侵入者に対して攻撃に出た。特別警戒態勢を敷き、プラハのユダヤ人街でファシストの暴徒らを大量検挙した。警察は幾人かの首謀者を検挙した際、ガス弾、斧類、棍棒、火炎瓶、火薬類を押収した。
しかもチェコの首都にやってきた極右の人種差別扇動者らは予定していたデモを計画通りには実施できなかった。なぜなら数多のプラハ市民、チェコのみならずドイツ各地から結集した反ファシズム運動家がデモコースに立ちふさがったからだ。この広範な約2000人に及ぶ反ファシスト連合はプラハの中心部である旧市街にあるユダヤ人居住区でのネオナチの動きを阻止しようとする一方、チェコ警察は約1500人を動員した。
反ネオナチのデモ行進に参加した人々は連帯の印として上着に「黄色の星」を付けた。かつて全欧州を隷属させたナチスドイツのテロ支配の時期にユダヤ人はそれを着衣に付けるよう強制された。数百人の反ネオナチ運動家らはナチスドイツ支配下(1938━45年)でファッシストの殺戮計画実行の犠牲になった当時のチェコスロバキア居住の7万7千人のユダヤ教信者を追悼するため建立された博物館前に集合した。そこで「ユダヤ人自由連合」の主催で1938年大殺戮の追悼式を開催、チェコの国会議員らも姿をみせた。
ネオナチ集団はプラハ市内で小規模グループに分散してモルダウ河を越えた。ユダヤ人居住区へ侵入したところで、阻止しようと立ちふさがった反ファシズムデモ参加者と激しく衝突した。相当数の負傷者が出で、病院に搬送された。ネオナチ側は衝突の際、ガス弾を反ナチ側に発射。ネオナチ側も強烈な反撃に遭い、重傷者も出た。
プラハ警察の報道官によると、負傷者は396人に達した。またドイツ人極右の逮捕者は96人に上り、警官5人が負傷した。
▼左翼封じ
旧ソ連支配体制からの自由と解放を求めたドイツの旧東独地域や旧東欧諸国で社会主義・共産主義思想が復権し始めた。1989年の民主革命(通称・ビロード革命)を経て「自由の春」を謳歌しているはずのチェコでも同様だ。米国型市場万能主義に影響された新自由主義の経済政策導入に反発し、マルクス思想の見直しとそれに基づく政治活動がプラハを再び赤色に染めてきた。ビロード革命の英雄で象徴だった作家のハヴェル大統領が2003年に退陣したのを機に政局は求心力を失い混迷している。
2006年6月の下院選挙では右派の野党第1党・市民社会党(ODS)が勝利したものの過半数に達せず、連立政権樹立は失敗した。こんな混乱の中、チェコ政府は再び芽を吹き始めた新たなコミュニズム運動の弾圧に乗り出している。それはソ連軍の戦車に踏みにじられた1968年「プラハの春」の逆現象となった。
_ 弾圧に内外から非難
チェコ内務省が「チェコ共和国共産主義青年同盟(KMS)」を非合法化し、その活動を禁止したことに対して、世界規模で抗議の声が上がっている。内務省・治安当局は「KMSは生産手段の私的所有を否定し、共同所有へと再転換すると主張している。このようなマルクス主義の根本原則の主張に固執する限り、活動禁止措置は続ける」と威嚇している。イラク戦争反対運動禁止もこの延長線上にある。
KMSはマルクス・レーニン主義思想に依拠して綱領を採択。 1.(生産手段を持たない)労働者層の大量動員を通じて資本主義体制の打倒に向け闘う 2.マルクスの思想を堅持し生産手段は私的所有を否定して、コンミューン型の共同体所有を原則とする━を掲げている。
▼ ロシア標的のミサイル防衛基地設置へ
このマルクス主義の原則の再評価は1989年のビロード革命後、北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)加盟など西側体制への同化を果たしたチェコでの資本主義復活に伴い発生しているマイナス面へのアンチテーゼある。特に、ブッシュ米政権に「新しい欧州」と持ち上げられたポーランドと共に北大西洋条約機構(NATO)域内での弾道ミサイル防衛基地設置に動き、対米冷戦宣言したロシアのプーチン政権は猛反発している。
いずれにしろ、西側の自由主義社会と同化したはずのチェコで思想、政治活動の自由が保障されていないことに幾千人ものチェコ人が当局の活動禁止措置を「ファッショ的な統制」と非難して立ち上がった。また、イタリアの著名作家で1997年のノーベル文学賞受賞者であるダリオ・フォーがチェコ政府の措置に強い異議を唱えると、内外の文化人、芸術家、学者らがこれに呼応して抗議した。
_ KMSは強硬姿勢貫く
KMSは強硬姿勢を崩そうとしていない。ダリム・ゴンダKMS副議長は16日、声明を発表。「内務省の非合法措置は違法だ。われわれは司法の判断を求めて提訴する」と法廷闘争を宣言した。声明はさらに「チェコ当局が国家権力という暴力装置を使用してわれわれの組織を公式に解散へと追い込むのなら、われわれの社会主義擁護の闘いはさらに先鋭化する」と非合法活動に踏み切ることを示唆して、当局をけん制した。
この断固とした決意表明は同日、KMS指導部が内務省から「KMSが1989年以前の旧体制の主義・主張の復活を促して、個々人の自由な経済活動を認めようとしないのならチェコ当局はいつでも組織解散を命じる裁量権を有している」との通知を受け取ったためである。これに対するKMSの反発が欧州各国の左翼シンパや知識人、労働団体に伝わり、ギリシャでは19日に大掛かりな抗議行動が実施された。
_ チェコ共産党の存在感
チェコ共産党(正式名はチェコ・モラビア共産党、KSMC)は2006年の国政選挙では得票率13%を占め、野党第2党の地位を保った。しかし、同選挙前の与党第1党で左派の社民党(CSSD)との連立は回避している。KSMCの青年組織に対する非合法化措置は、ブルジュアの諸権利を擁護する反共産主義者の魔女狩りが頂点に達したものと伝えられている。
また、このチェコ当局の措置について、ドイツの社会主義青年労働者同盟代表は「チェコ政界に重要な役割を果たしている共産党への威嚇攻撃である」と断定。さらに、「(非合法措置は)共産主義の復活をけん制する欧州連合(EU)の最近の動きと連動していることは間違いない」と述べ、党員10万人を抱え、国内第3党のチェコ共産党の存在の重みを強調した。
▼ドイツへの経済同化
チェコではグローバリズム・新自由主義経済を歓迎する都市富裕層を支持基盤とする右派政党・市民社会党(ODS)が06年6月の総選挙で勝利、隣国ドイツを中心に西側資本の投資を一層促進しようと躍起となっている。このため、「生産手段の人民的所有を」などとマルクス主義の原理原則を標榜するチェコ共産党傘下の共産主義青年同盟(KSM)を危険思想団体として活動禁止にした。
その背景には欧州連合(EU)拡大の最大の受益者・統一ドイツと日、米資本の旧東欧圏での熾烈な経済覇権争いがある。西側資本誘致と「経済自由化」に遅れをとるまいとするチェコ政府はなりふり構わず「赤いプラハの春」を封殺しようとしている。その激しさは極右ネオナチ取り締まり以上のものがある。
▼ 冷戦終焉が変えたEU
盟主・米多国籍資本にとって、1959年のバート・ゴーデスベルグ綱領採択でマルクス主義と決別したものの、社会民主党(SPD)が冷戦時代の1969年から82年までブラント、シュミットの2代にわたり政権を掌握したドイツ、同じく中道左派の労働党、社会党が政権を長年握った英国、フランスを中核とする西欧諸国の経済システムは、米国の市場万能・金融偏重型のそれとは明らかに異質な存在であった。
失業、年金、休暇、育児、医療など労働者対策を最重視する社会福祉型国家が関税撤廃して連合する当時の自由経済圏・欧州共同体(EC)は、1980年代、米国を見るのとは違った観点から、日本企業の集中豪雨型輸出を激しく非難した。賃金をはじめ労働条件の大きな格差を前提とする前近代的な下請け、系列システムをフルに活用し、廉価で質の高い製品を洪水のように輸出してくる日本をドイツのエコノミストは「ソーシャルダンピングの国」と呼んだ。その産業社会の構造そのものが、人権を軽視して企業利益を絶対優先するダンピング体質を孕んでいると見たからだ。
このように米国以上に西欧諸国に異端視された日本の財界は、1980年代に急速に統合を進めた当時のEC(欧州連合・EUの前身)を「(われわれを排除するため)城壁を築いている」と警戒した。いずれにせよ、冷戦終焉前には3極体制と称された米、欧、日の資本主義はその歴史的経緯からしてもそれぞれの異質さが目立っていたのである。
日本企業は80年代後半から対米投資と同様、貿易摩擦回避のため英国を皮切りに「城壁の中」、すなわち対EC投資と現地生産に続々と踏み切った。カナダ、メキシコとともに北米自由貿易協定(NAFTA)を1990年代初めに形成した米国の通商政策にも明らかにECの地域主義に対抗する意図があった。
しかし、冷戦終焉とドイツ統一が欧州連合(EU)の体質を変えた。ベルリンの壁崩壊に続く、ドイツ統合の動きはフランスをはじめとするEU諸国に大きな警戒心を呼び起こした。予想通り、中世以来、東方拡大を繰り返してきた「大ドイツ」は旧占領地である東欧諸国に向かって経済膨張を続けた。
これを拱手傍観するはずのない米、日の多国籍企業は東欧を中国、ベトナムと並ぶ、新規投資先とみてドイツに対抗して参入した。この3極による激烈な競争はぞれぞれの特質を薄め、その資本主義体質の均質化を迫った。まさに、EUは城壁を崩して、米国発のグローバリゼーション=新自由主義という流れに適応せざるを得なくなったのである。
▼ 社会民主主義も変質
EU変身を強いた本家・ドイツの社会民主主義思想自体も変質した。1998年に16年ぶりに政権に復帰したドイツ社会民主党(SPD)は冷戦終焉後、EUを襲った構造変化への対応をいやおうなく迫られた。多くのドイツ企業は低賃金労働力を求めて旧東欧圏に進出した。ドイツ国内は二ケタ台の高失業率に苦しみ、旧東独地域では同20%超が常態化している。
そこで2003年にシュレーダーSPD前政権が打ち出したのが「アジェンダ2010」と呼ばれる構造改革プログラムである。これまでのような社会福祉国家を維持するための財政確保の難しさを訴え、総労働賃金コスト削減をはじめとする「弾力的な」労働市場の実現、工場の海外移転防止のための法人税引き下げなど企業経営を重視する政策を提起した。同前政権はドイツ産業の活性化で2010年までに失業率を半減させ、内需を拡大できると目論んだ。
対象分野は、経済、職業教育、労働市場、医療、税制、教育、年金、家族支援など。労働市場改革では、零細企業の新規雇用者に対して解雇保護法を適用しない、年金受給開始年齢の繰上げ、年金受給者からの介護保険料全額徴収など露骨な弱者切捨て政策が打ち出された。
さらに、2002年には雇用対策で辣腕を振るってきたことで名高いフォルクスワーゲン社の人事担当役員ペーター・ハルツ氏を委員長に任命した諮問委員会を発足させて、翌03年に労働市場改革関連法(1−4法)を成立させた。「ハルツ法」と呼ばれるこの一連の法律の主目的は、長期失業者への手当を生活保護水準に引き下げることにある。また、失業手当と生活保護に相当する社会扶助を統合し、失業給付支給と同時に就労へ向かわせる内容となっている。
▼チェコ社民党も
チェコの社会民主党(CSSD)は今年6月の総選挙までは政権与党だった。そもそもチェコ内務省が共産主義青年同盟(KMS)を威嚇し、非合法化へと動き始めたのは昨年12月で、CSSD政権下のことであった。変質したドイツSPDに比較しても、より保守的とされるCSSDは徹底した反共産党を貫いており、その下部組織KMSによるマルクス主義の原理・原則の主張を「憲法違反」と断じ、組織解散を迫ったという。
06年6月の選挙で第一党となったのは、既述のように右派の市民社会党(ODS)であった。だが、得票率は35.38%。社会民主党(CSSD)は同32.32%とその差はわずか3ポイントにすぎなかった。一方、共産党(KSCM)は同12.81%。これにチェコ緑の党の得票率6.31%を加えると、51.44%に達していた。チェコ版の3党による「赤緑連合」が成立していれば、3党連立政権は問題なく誕生していた。
僅差で第2党となったチェコ社会民主党が選挙後に行ったのは、市民社会党(ODS)との連立拒否であった。共産党、緑の党もODSとの連立に応じなかったため、連立政権構想は崩壊。政局は混迷に陥った。クラウス大統領の指示で、主として無党派閣僚で構成する選挙管理内閣を組閣。総選挙の早期再実施に追い込まれている。
このような政局混迷がチェコ経済に与える影響は大きく、さらに共産党の進出はCSSD、ODSにとって目の上のこぶである。チェコ共産党がKMSの二の舞になる懸念が高まっている。
チェコ社会民主党の右傾化はドイツSPDのそれと相乗し合っている。ドイツ社会民主党(SPD)は最左派のラフォンテーヌ元党首派の離脱を招いた。離脱派は旧東独の政権党・社会主義統一党に起源を持つドイツ民主社会主義党(PDS、連邦議会第4党・議員54人)とまず政党連合を組み、07年6月に正式に左翼党を結成した。チェコにおいても、独、日、米の資本の攻勢に対抗、これをチェックできる政治勢力の結集の必要性を主張する知識人らの声が高まっている。
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