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つくづく昨年の民主党代表選において、菅直人の当選を許してしまったことが、悔やまれて悔やまれてならない。パフォーマンス最優先の菅の対応の度外れた拙劣さが、どれほど人災化に貢献しているか、すでに無数の投稿によって指摘されているので、ここでは繰り返すまい。雑多な論評をあれこれ漁っても、情報洪水に飲み込まれるのが落ちである。震災オタクになっても意味が無い。
幸い★阿修羅♪のホームページに、広瀬隆氏のYouTube映像が掲載された。ありがたい。あれこれ読み漁るより、この映像を見て、可能な限り拡散されることをお願いするのみである。ただしそれでも、次の読売の報道だけは、やりすごすわけにはいかないので引用し、言及をしておきたい。
「東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡り、米政府が原子炉冷却に関する技術的な支援を申し入れたのに対し、日本政府が断っていたことを民主党幹部が17日明らかにした。
この幹部によると、米政府の支援の打診は、11日に東日本巨大地震が発生し、福島第一原発の被害が判明した直後に行われた。米側の支援申し入れは、原子炉の廃炉を前提にしたものだったため、日本政府や東京電力は冷却機能の回復は可能で、『米側の提案は時期尚早』などとして、提案を受け入れなかったとみられる。
政府・与党内では、この段階で菅首相が米側の提案採用に踏み切っていれば、原発で爆発が発生し、高濃度の放射性物質が周辺に漏れるといった、現在の深刻な事態を回避できたとの指摘も出ている。
福島第一原発の事故については、クリントン米国務長官が11日(米国時間)にホワイトハウスで開かれた会合で『日本の技術水準は高いが、冷却材が不足している。在日米空軍を使って冷却材を空輸した』と発言し、その後、国務省が否定した経緯がある。」(2011年3月18日 読売新聞)
冷却材というのは、中性子を効率よく吸収するホウ素材のことである。菅がこのアメリカの提案を受け入れてさえいれば、福島第一原発の惨事は、惨事とならなくてすんだのである。東工大出の菅には、俺には原発のことが分かるという、鼻持ちならない自負がある。そしてその自負に固執する性格のために、収拾の付かない大惨事を招いてしまったのだ。私たちは歴代の首相の中に、このような大罪を犯した人物がいたことを、孫子の代まで伝え、一国のリーダーを選びそこなうことの悲劇を、民族の記憶の中にとどめておかなければならない。
菅直人が、この災難を、政権延命の千載一遇の貴貨であると思っているとしたら、これ以上の国辱的犯罪はない。東京電力のスポークスマンと化したおしゃべり枝野は、蓮舫とのタッグによって、災害対策予算をずたずたに仕分けした戦犯ですらある。「100年に一度の災害への対策は無駄」と言った舌の根は、まだまだ乾いてはいないはずである。
ここではマスコミ各社による許せない犯罪について指摘しておきたい。マスコミのごまかしのポイントはこうだ。彼らは、例えばレントゲン撮影の場合の被爆は50マイクロシーベルトなので、これと比べて生命に危険な数字ではないという論法を使っている。少し考えれば分かることだが、人体へのリスクの放射線量は、累積値、すなわち時間の積分値なのである。つまりどれだけ長時間被爆したかが問題なのだ。レントゲンの撮影なら1秒で済む。居住地での被爆では、そうはいかない。1日は24時間だから、被爆値は1時間当たりの発表値を24倍にしなければならない。10日で240倍、100日で2400倍である。マスコミはあえてこのことに触れない。「直ちには生命に危険なレベルではない」の、「直ちには」が曲者なのである。これこそまさに、情報操作以外の何ものでもない。
上の表は、福島第一原子力発電所の設備の概要である。下から2行目は燃料の種類である。3号炉に「MOX」とある。MOXとはミクスド・オキサイド、すなわち二酸化ウランと二酸化プルトニウムの混合物という意味である。今回の事故で、東京電力が秘密裏にこのMOX燃料を使用していたことがばれてしまったのである。ウィキペディアの記述を見てみよう。
「MOX燃料とは混合酸化物燃料の略称であり、使用済み燃料中に含まれるプルトニウムを再処理により取り出し、二酸化プルトニウムと二酸化ウランとを混ぜたものである。主として高速増殖炉の燃料に用いられるが、既存の軽水炉用燃料ペレットと同一の形状に加工し、核設計を行ったうえで適正な位置に配置することにより、軽水炉のウラン燃料の代替として用いることができる。これをプルサーマル利用と呼ぶ。」
MOX燃料を軽水炉の燃料として使うことの危険性について、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、論文「プルサーマル導入─その狙いと危険性」の中で、次のように指摘している。
「プルトニウムが猛毒物質であることはすでに述べた。それとは別にプルトニウムを軽水炉で燃やす場合には、別の危険が付きまとう。軽水炉はウランを燃やすために設計された原子炉であり、プルトニウムは、@ウランより燃えやすい(核分裂断面積が大きい)、Aウランより制御しにくい(遅発中性子割合が少ない)という性質を持っているため、それを原子炉の燃料に使うと危険が増える。さらに、燃料の融点が低下したり、プルトニウムを燃料の中に均一に含ませることが難しいため局所的な燃焼が進むなど、技術的な多数の困難を抱えている。従来の軽水炉さえ厖大な危険を抱えていたのに、その軽水炉でプルトニウムを燃やせば、危険はさらに増大する。」
ただでさえ危険なMOX燃料であるが、一旦メルトダウン事故が起きると、二酸化ウランとは比較にならない被害をもたらす。このようなMOX燃料の使用について、今回の事故が起きるまで、国民はおろか、福島県民ですら全くの蚊帳の外におかれていたのである。しかも事故が起きてからの報道でも、このMOX燃料についてはタブー扱いになっている。
今回の福島原発事故の主たる原因は、地震ではない。津波である。津波によって、原子炉を冷却するための電源装置が全滅してしまった電源事故なのである。電源関連の回復以外に対処は無い。今回の地震についてはマグニチュード9.0で、観測史上最大規模であるとか、世界第4位とか言われているが、これらはきわめて意図的な捏造である。実際の規模は、阪神・淡路大震災より小さかったと言われている。津波が被害を拡大したわけであるが、これとて過去を遡れば、より大型の津波の記録がある。
1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒に発生した明治三陸地震に伴う津波は、本州観測史上最高の波高38.2mを記録した。波高は北海道の襟裳岬で4m、現青森県八戸市で3m、現宮城県女川町で3.1mであったが、現岩手県宮古市の三陸海岸で14.6m、現山田町で10.5m、現宮古市で18.9m、現釜石市で8.2m、現大船渡市で22.4m、綾里村で21.9mと軒並み10mを超える高さを記録した。とくに綾里湾の奥では入り組んだ谷状の部分を遡上して、日本の本州で観測された津波では最も高い波高38.2mを記録している。
今回の災害が千年に一度であるとか、想定外のものであるというのは、まったくの作り事である。とくに福島原発の津波に対する想定値は何と5mであった。津波による被害などは、設計時から全く想定すらされていなかったに等しい。5mの想定に対して9mの津波が押し寄せたところに、今回の大惨事のほとんどすべての原因があったのだ。まさに人災そのものである。この人災の責任を回避するために捏造されたのが、千年に一度というストーリーであり、その根拠が、マグニチュード9.0という嵩上げされた捏造数字なのである。
それはそれとして、今回の惨事が巨大なスケールの大惨事であることに変わりはない。その大惨事に、これまた前代未聞の菅らによる人災が加担して、それこそ千年に一度の大惨事に発展しつつあるのである。
ここで自己紹介をするべきではないかと思うが、私の顔の一つは原発設計者であり、人類の代替エネルギーとしてトリウム熔融塩炉による、安全で安心で安価な新しい原子力エネルギーを普及していくプロジェクトのプランナーでもある。詳しくは拙著「東ティモール非電化人口を一掃するトリウムエネルギー」をご覧いただきたい。安全な原発などありえないと固く信じている方にとっては、目から鱗を落としていただくチャンスになるかもしれない。
わが国のトリウム研究の大御所といえば、古川和男博士であるということを否定する人はいまい。その古川博士が、3月17日の朝日新聞「私の視点」に「福島緊急事態への対処体制へ疑念」と題する投稿を寄せている。下記に引用しておこう。
引用開始
一昨日辺りには、福島原発の事態もピークを越したのではないかと思いつつあった。しかし今は違う。私より何十倍も情報を持ち、あの原発の設計に関わった友人から「少なくも4号は、注水に失敗すればチャイナシンドロームである。しかも、注水困難な場所で500トンの水必要。今後の数日が運命の分かれ目。」と聞かされたからである。
今頃になって、「5,6号も危いので電源工事に掛るが、放射能が高いので今夜は見合わせる。」と報道している。真相は知るべくもないが、今まで何をしていたのであろう? また、今朝の報道で、「内閣官房参与に、放射線安全専門の小佐野氏任命」とあった。良い人事とは認めるが、今頃寝言ではないかと思う。
これは最高度水準の「国難対処プロジェクト」なのである。しかし、その自覚が菅首相にも東電社長にもあるとはとても思えない。否ある、と強弁するであろうが、「本質を知らない空威張りか、格好付け宣伝」に見える。だから、官房長官などが無責任にもTVに出ずっぱりで、「お疲れ様」と言われ今寝ていると。考えられない醜態である。あれは、広報部長の仕事である。時に顔出すのは良いにしても。
「プロジェクト」とは、「プロジェクト・リーダーを任命する事」なのである。チェルノブイリ時の様に、「レガソフ」を任命することである。日本人は、遂にその原則を学習できていないのである。最近の、全ゆる種類の国内外問題は責任者不在で失敗しているではないか。これがまた露見したに過ぎないが、今度はこれでは済まされない。「国家転覆」の危機である。まだ遅くない。否遅くても「今日から目覚めて、実行を」。 菅首相は「原子力に強いのだ」と胸をはったそうだが、知識の問題では無い。知恵、理念、思想の奥底の問題である。
どう言えば本当に判って貰えるのであろうか? レガソフは、事件の翌日からの超人的な苦闘の末、2年後の事件記念日前夜にピストル自殺した。あの強大硬直したソ連体制と真っ向から対決した(そして滅ぼした)からである。今の日本の、政府、業界、学界の低俗体質の全てに挑戦せねば、この問題は解決できない。それは、全国民が一瞬一瞬に見せつけられている現実の真相なのである。それを乗り越えて、この大国難に挑戦してくれるのが「プロジェクト・リーダー」であり、したがって『個人』以外には有りようが無いのである。
「そんな事出来る訳が無い」とあっさり逃避し続けてきたのが、少なくも私が生きて知っている「この3,40年の日本」であった。しかし、繰り返すが「これは未曽有の大国難」なのである。菅首相は「理解賛同して実行」する「重大な責務」を正に「自覚」願いたい。一刻を争う「非常時」が今である。
聞いて頂きたかったのは以上であるが、レガソフに付き補足すると、彼は大学を出てすぐに原発現場を知るべく修行し、現炉型は危険、恐らく「熔融塩炉型」が最良必須と決断し、上述の任命1ヶ月前には熔融塩炉建設許可をえていたのである。彼らは、私にその3年前に共同開発を提案していた。今は、漸く世界的にその炉の評価は定まりつつある。原理的に重大事故は起こさないのである。
引用終り
「プロジェクトとは、プロジェクト・リーダーを任命する事」。まことに当を得た指摘である。このことを国政のレベルで言い換えれば、「国政とは、宰相を任命する事」なのである。現下における最大の不幸、最大の国難は、たしかに地震・津波・原発事故の3点セットなのかもしれない。しかしそれ以上に日本国民にとっての大きな不幸、大きな国難は、この不幸、国難のときにあたって、選りにも選って菅を宰相に任命していることではないだろうか。
今全ての日本人が取り組むべき課題は、「禍をもって福となす」ことに尽きるであろう。復興の一語である。3・11以降、実は何人もの人から小沢一郎氏の安否消息を訪ねられた。無事地元におられるから安心してください、と返信していた。そこに受け取ったのが、政治評論家、板垣英憲氏からの有料メルマガである。引用したいのはやまやまであるが、残念ながら有料メルマガであるため、禁無断引用・転載とある。リードの部分は次のとおり。
「小沢一郎元代表はいま、郷里・岩手県奥州市の大先輩・後藤新平が、関東大震災で壊滅した東京を復興させた偉業に習い、『東日本復興事業』の先頭に立とうと意欲を燃やしている。」
関東大震災からの復興時にリーダーシップを発揮した後藤新平については、ウィキペディアはこう書かれている。
引用開始
関東大震災の直後に組閣された第2次山本内閣では、内務大臣兼帝都復興院総裁として震災復興計画を立案した。それは大規模な区画整理と公園・幹線道路の整備を伴うもので13億円という当時としては巨額の予算(国家予算の約1年分)のため財界等からの猛反対に遭い、当初計画を縮小せざるを得なくなった(議会に承認された予算は5億7500万円)。それでも現在の東京の都市骨格を形作り、公園や公共施設の整備に力を尽くした後藤の治績は概ね評価されている。この復興事業は、既成市街地における都市改造事業としては世界最大規模であり、世界の都市計画史に残る快挙と言ってよい。
特に道路建設に当たっては、東京から放射状に伸びる道路と環状道路の双方の必要性を強く主張し、計画縮小されながらも実際に建設された。当初の案ではその幅員は広い歩道を含め70mから90m、中央または車・歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので、自動車が普及する以前の時代では受け入れられづらかった。
現在、それに近い形で建設された姿を和田倉門、馬場先門など皇居外苑付近に見ることができる。『現在の東京の幹線道路網の大きな部分は新平に負っていると言ってよく、特に下町地区では帝都復興事業以降に新たに街路の新設が行われておらず、帝都復興の遺産が現在でも首都を支えるインフラとしてそのまま利用されている。』また、昭和通りの地下部増線に際し、拡幅や立ち退きを伴わず工事を実施でき、その先見性が改めて評価された事例もあり、『もし彼が靖国通りや明治通り・山手通りの建設を行っていなければ、現在の東京で頻繁に起こる大渋滞がどうなっていたか想像もつかない。』
引用終り
後藤新平と小沢一郎氏が同郷であることに、私は偶然以上の引き合わせを感じざるをえない。いっぽう菅はといえば、亀井静香氏や田中康夫氏が連立与党の立場から挙国体制を要求しても知らん振り。そうかと思えば唐突に、谷垣自民党総裁に入閣を迫ったりする。政権延命のためのパフォーマンス以外は全て不作為、不作為、不作為。今に国民生活のほうがメルトダウンしてしまう。いっぽう森永卓郎氏は、震災復興についてこう語る。「しっかりとインフラ回復をしないと、被害が長期に及ぶ」と。
「阪神大震災直後、95年度の近畿圏の名目成長率は2.44%と、全国の1.5%を上回っている。翌96年度も近畿圏が2.9%と、全国の2.8%を上回った。ところが、97年度に近畿経済の成長率は▲1.3%と大きなマイナスを示し、全国の▲0.00%を大きく下回った。その後2002年度まで、近畿経済の成長率が全国を上回ることはなかった。
大きな復興予算の投じられる最初の2年間程度は、復興予算のために経済活動が下支えされる。しかし、そのカンフル剤の効果が消えると、経済は長期低迷に陥るのだ。例えば、典型は神戸港だ。かつてはコンテナ取扱量世界3位を誇る国際ハブ港だったが、阪神大震災で使用ができなくなって、その後韓国の釜山港などに、ハブ機能を奪われてしまった。最大の原因は、船舶の大型化が要求する水深に神戸港が対応できていなかったからだ。阪神大震災で被災したのをきっかけに、国際ハブ港の条件を満たすように抜本的な改善をすればよかったのに、当面の復旧が優先されてしまったのだ。」
森永氏は復興資金に無記名の無利子国債を充てよと言う。それもよい。しかし、森永氏の正鵠を得た指摘のとおり、なすべきは決して復旧ではない。復旧なら誰でも考える。もっとも菅には、その復旧すらできまいが。必要なのは復興である。それこそこれを機会に、禍をもって福となすには、千年に一度の震災や津波に襲われてもびくともしない、新しい日本の国土を建設することである。これを構想できるのは、まさに後藤新平級の不世出のリーダーなのである。
3・11の大惨事の前、小沢一郎氏は『続・日本改造計画』をすでに脱稿していたはずである。今小沢氏は、おそらくこの『続・日本改造計画』の延長線上に、さらに大きく構想を発展させて、千年に一度の天災にも耐えられる大東北の建設を構想しているに違いない。板垣氏によればそれは、大堤防、港湾、都市改造、住宅建設等の、とてつもない気宇壮大なスケールだという。
ここでもう一度財源について語ろう。以下は3月18日の産経の報道である。
引用開始
東日本大震災を受け、政府は、復旧・復興のための補正予算編成に向け、主要財源として日銀が全額を直接引き受ける「震災復興国債」を緊急発行する方針を固めた。複数の政府筋が明らかにした。発行額は10兆円を超す見通し。日銀や与党と早急に調整に入り、野党も含めた合意を目指す。
政府は、震災復興対策の新たな財源確保を目指し、平成23年度予算案で計上した子ども手当や高速道路無料化などの財源を全額充当することを検討したが、3兆3千億円程度にしかならず、有効な対策は打てないと判断。新規国債発行も検討されたが、国債を市場に大量流通させれば財政事情が悪化する上、国債の格付けが下がり長期金利の上昇をもたらす危険性がある。
このため、震災復興国債を日銀に引き受けさせる案が急浮上。日銀による国債引き受けは財政法5条で禁止されているが、同条のただし書きに「特別の事由がある場合において国会の議決を経た金額の範囲内ではこの限りでない」と規定されており、今回の震災は「特別な事由」にあたると判断した。
日銀は日銀法で独立性を担保されており、難色を示す可能性もあるが、与野党に政府の関与を強める日銀法改正の動きがあることから最終的に引き受けに応じるとみられている。
平成7年の阪神大震災の復興対策では3度の補正予算で計3兆3800億円が計上された。今回の震災ははるかに規模が大きいことから「10兆円や20兆円では足りない」(亀井静香国民新党代表)との声もある。
一方、自民党の谷垣禎一総裁は時限増税を提案したが、菅直人首相は『日本経済をさらに悪化させかねない』として否定的な考えを示しているという。政府・与党が目指す復興対策の平成23年度補正予算編成では、23年度予算案に計上された子ども手当(2・2兆円)や高速道路無料化(1千億円)、高校授業料無料化(4千億円)、農業戸別所得保障制度(6千億円)などに充てる予定だった財源を振り分け、残りを震災復興国債で賄う方針。道路や橋梁(きょうりょう)などについて建設国債発行も検討されている。
引用終り
国債の日銀引受け。悪い話ではない。それにしても亀井氏の指摘は全くそのとおりである。10兆円や20兆円では全く足りない。森永氏が言うように、復旧ではだめなのだ。復興でなければならない。それも後藤新平のようなスケールの大きい大復興である。釜山港にハブ港を奪われてしまった神戸港の轍は、絶対に踏んではならないのだ。
千年に一度の禍を、歴史的大復興という空前のスケールの福に転じ、日本国を再出発させるには、そしてそれを託することのできる小沢一郎氏を日本国民の貴貨として活かすには、この際にこそ政府のもつシニョリッジ特権(通貨発行特権)の行使による造幣益をもって財政とする大英断を下すべきときである。
かなり大上段に振りかざした物言いをしているが、もともとそれほどの大事であるとは思っていない。ところがシニョリッジ特権の話題になると、これまでもそうであったように、意味もなく騒ぎ立てるおしゃべり雀がしゃしゃり出てくるのが常なので、ついついもって回った物言いになってしまうのである。シニョリッジ特権、あるいは政府貨幣を持ち出すと、にわかに怖いものでも見るかのような、あるいはまるで国家規模のM資金話でもあるかのように騒ぎたててくる俄か「金融通」や似非「エコノミスト」が登場しかねないので、ここではまず歴史の事実に学ぶことによって、これらの空理空論を遮断しておこう。
時と所は明治維新の日本である。維新は実現したものの、明治新政府にはとんとお金が無かった。それまでの日本経済は米本位制であり、税制は年貢米で、徴税者は各藩であった。明治政府には徴税システムすら無かったのである。明治政府の開闢は、実に戦争から始まった。戊辰戦争である。その莫大な戦費を賄おうにも、国の米櫃は空っぽであった。明治の国家財政を賄ったもの、それこそ太政官札という政府紙幣であったのである。
この太政官札の発行を考え出したのが、他ならぬ坂本竜馬と越前藩の三岡八郎(後の由利公正)であった。大政奉還後の国家財政について思いを巡らせていた龍馬は、越前藩に幽閉されていた三岡八郎の財政能力を高く買っていた。初対面の龍馬と三岡は、囲炉裏を囲んで飲み、かつ歌い、かつ語ったという。文久3(1863)年5月のことであった。
龍馬は、この若き日の知己に、その最期のときに近い慶応3(1867)年11月1日、再び会いに福井に行くのである。たばこ屋という旅籠の二階に宿をとった二人は、辰の刻(朝8時)から、子の刻(夜12時)まで、「我を忘れて咄(はな)し」「金札(太政官札)を発行せざれば、今日天下の計画はできぬ」ということで、大いに意見一致を見るのである。三岡は後にこう語っている。三岡が龍馬に教えたという調子になっているが、多分、互いに議論しあったのであろう。
「龍馬曰く、金もなく人もなくて至極(しごく)難儀である。私の言ふのに……天下の民は皆天子の民である。……何ぞ財無く人無きを憂へんやだ。……夫(それ)から名分財源経綸(経綸)の順序まで、予て貯へた満腹の意見を語り、夜半九ツ過るまで我を忘れて咄(はな)した。即ち金札を発行せざれば、今日天下の計画は出来ぬといふ事も委(くわ)しく語り……」(『由利公正伝』)
坂本龍馬と三岡八郎(由利公正)とは、夜を徹して協議し、基本方針を確認しあった。さらに龍馬は、越前藩に幽閉されていた三岡を、八方手を尽くして中央政界に押し出した。同年12月、龍馬の根回しによって金穀出納所取締役、すなわち大蔵大臣に任じられた三岡は、明治維新を成功させる上で決定打となった「太政官札」を、慶応4年(明治元年)2月から発行させることに成功したのである。龍馬と三岡は、幕末から明治維新というときに現れた、典型的なケインジアンであった。なんとケインズ理論が体系化される70年も前のことである。
当初明治政府の官制は、祭政一致を原則とした復古的な官制であった。まず神祇官が復活して太政官よりも上位に置かれ、太政官の下に民部省、大蔵省、兵部省、刑部省、宮内省、外務省の六省を置く二官六省制が採られた。太政官札というのは、この太政官によって明治元年閏4月から、明治2年5月までの1年間にわたって発行された政府紙幣であったのだ。発行総額は4,800万両で、通用期限は13年間とされた。戊辰戦争の戦費も含めた5,129万両の政府支出のうち、なんと94%を太政官札で賄なったのである。
当時戊辰戦争によって多額の費用を必要とした明治政府は、殖産興業のための資金が不足していた。欧米諸国に対抗するため、経済発展と軍事力強化による近代国家の形成を急いだ明治政府にとって、繊維産業や軍事産業などを柱とした産業育成政策である殖産興業の推進は必要不可欠であった。
日本初の紙幣の登場に、国民の間には戸惑いも生まれた。国民が紙幣そのものに不慣れであり、また新政府への信用も強固というわけではなかったので、太政官札100両を金貨40両と交換するケースもあったという。その対策に、政府は額面以下での本位貨幣との交換を禁じたり、租税などに太政官札の使用を義務付けるなどの政策をとったりしたという。とはいえ、もしも太政官札が発行されていなかったら、殖産興業のためのインフラ財源も確保できず、日本の近代化は大幅に遅れを取っていたに違いない。
また、財源確保の手段を他国からの借り入れに依存していたら、当然他国からの干渉を受けざるをえないことになる。欧米の先進国に肩を並べる近代国家に成長を遂げていくには、国の財政基盤を固める政府紙幣の発行は、無くてはならない必須のものであった。流通期間は短かったが、現在の日本の礎を築いた明治維新の日本経済の基礎を築く上で、太政官札の果たした役割にはきわめて大きいものがあった。
それにしても元をただせば、二人のうら若き青年の「朝まで生ダンギ」が、やがてGDP世界第二位となる国家の財政基盤をつくったというのだから、実に痛快というしかないではないか。その日本を再出発させるべき今、竜馬と三岡に倣って大復興の財源をつくろうというときに、ああでもないこうでもないという小田原評定は無用である。虚心坦懐に歴史に学ぶ心さえあるならば、今こそまさに実践のときではないか。
政府貨幣の発行について、実は難しいことは何もない。実際私たちが日常使っている1円、5円、10円、50円、100円、500円玉は、大蔵省造幣局が発行している政府貨幣であって、日銀が発行しているお金ではない。記念硬貨もすべて大蔵省造幣局が発行する政府貨幣である。別に硬貨に限定されているわけではない。かつて私が子どもの頃には、政府紙幣もあった。靖国50銭札と板垣50銭札である。日銀とは別に、政府がシニョリッジ特権(通貨発行特権)を行使して通貨を発行することは、今現実に実行されている目の前の事実であって、法的にも実務的にも何らの問題もありえない。
ところが既述のように、話題が政府貨幣のこととなると、魑魅魍魎のやからがあれこれと口を出すのである。平成15年4月、日経新聞の招待によって来日したノーベル経済学賞のコロンビア大学教授、ジョセフ・E・スティグリッツ博士が、基調講演の中で、日本政府が財政財源を調達するために、政府紙幣の発行に踏み切るべきだと提言したことがある。
このとき当時日銀の理事で、現在わが日銀の総裁である白川方明氏は、政府紙幣も日銀券も、お札であることに違いはないのだから、政府紙幣の発行などはナンセンスであるとの批判をシンポジュームの席上で投げ返したのである。おそらくスティグリッツ博士も、あまりにも幼稚な日本のエコノミストの実態を知って、あきれ果ててしまったに違いない。
現日銀総裁の白川氏にして、政府紙幣と日銀券の間にある決定的な違い、すなわち造幣益の有無について全くの無知であるということである。日銀券は、どれだけそれを発行しても、それによっていわゆる造幣益という政府の財政収入は1円も生まれない。菅内閣が決めたように、かりに新規に発行された国債を、震災振興国債と呼ぼうが何と呼ぼうが、これを日銀が購入し、その国債の対価を新規に発行した日銀券で政府に支払ったとしても、結局それは政府の日銀からの借金であって、政府の債務がそれだけ増えるだけのこと。政府にとっていささかも造幣益のような利益が得られるわけではない。
また日銀券の発行は、その額がそっくり日銀の負債勘定に計上されるのであって、日銀自身にとっても、日銀券の発行によって造幣益が生まれるわけではない。ところが日銀券の発行と違って、政府貨幣を発行した場合、その発行額は、いっさい政府の負債にならないのである。
造幣局の統計データによると、昭和23年から平成22年までの政府貨幣(硬貨)の発行額は、5兆7738億8367万9000円、記念硬貨の発行額は2兆0167億5050万円、合計すると7兆7906億3417万9000円、ざっと8兆円にもなる。これは政府貨幣であるから、この金額は政府の負債勘定には計上されていない。この発行額(額面価額)8兆円から、原料費や加工費を差し引いた差額としての正味の造幣益は、政府の財政収入として、一般会計に繰り入れられてきたのである。
政府紙幣と日銀券のこの決定的な違いを、何と現日銀総裁の白川氏はご存じなかったのである。そして既述のように、政府紙幣も日銀券も、お札であることに違いはないのだから、政府紙幣の発行などはナンセンスであるとのたまわったのである。スティグリッツ氏が基調講演の中で、政府紙幣の発行は、債務としては扱われないと断言しているにもかかわらずである。
幸いわが国には、シニョリッジ特権の実践的活用について、理論と実践論の両輪を極めた天才がいる。大阪学院大学名誉教授の丹羽春喜博士である。丹羽博士の政策論に賛同する有志20名が、小渕恵三首相に政策要求書を提起したのが平成13年7月1日であった。それから10年、測りようのないほどの知的価値をもつ博士の提言は、残念ながらおしゃべり雀の話の種にされるか、さもなければ反ケインズ主義者の悪罵の標的にされてきた。10年が経過しようとしている今こそ、何としても博士の理論と実践論に日の目を見せなくては、それこそ日本人の恥というものであろう。
丹羽博士の実践論は決して難しい話ではない。それどころか実にスマートである。博士の実践論をよく知りもしない自称「エコノミスト」が、日銀券とは別に政府紙幣を発行すると、ATMや自販機などが混乱するとか、ハイパーインフレが避けられないなどと訳知り顔で論じている。まずは謙虚に耳を傾けるべきである。以下、博士の実践論の要諦を述べてみよう。見事にプロのエコノミストの発想の盲点をついていて、実に面白い。
はっきりさせておくべきことは、政府の財政収入を得る手段は三つしかないということである。(1)租税徴収、(2)国債発行、(3)通貨発行である。(1)にも(2)にも限界がある。ならば今日の深刻な財政・経済の危機を打開する財源調達は、(3)の通貨発行という手段しかない。そして通貨には、日銀券と政府貨幣しかない。 そしてすでに検討してきたように、政府貨幣を発行すれば財政収入を得られるが、日銀券の発行ではそれを得られない。平成10年3月末まで施行されていた旧日銀法においては、日銀券の発行には担保を必要とした。平成10年4月より、この担保の規定はなくなっている。だからといって日銀が無制限に日銀券を発行して債務超過に陥ってしまうことは、決して望ましいことではあるまい。 ところが政府貨幣では、この点が全く異なる。すなわち、通貨に関する基本法である「通貨の単位および貨幣の発行に関する法律」(昭和62年、法律第42号)では、貨幣すなわち政府貨幣の製造および発行の権能が政府に属するということが明記されている。この政府の貨幣発行特権(シニョリッジ特権)は、無制限かつ無担保である。しかも発行された政府貨幣の額が、政府の負債として計上されることもなく、その発行額は政府の正真正銘の財政収入になる。 こうした政府貨幣の発行による造幣益に対して、政府は利息を支払う必要も無ければ、償還をする必要もない。生産能力の余裕が十分にある現在のわが国のような状況下では、これは現世代および将来世代の国民の負担にもならない。 問題はここからである。政府紙幣というと、ほとんどの人は、今の日銀券の1万円札のほかに、別の政府紙幣の1万円札が印刷され、発行されるイメージをもつ。そこからATMがどうのこうのとか、自販機がどうのこうのとかいう議論が出てくる。
ついでに言っておくと、香港で使用されている紙幣の額面は10、20、50、100、500、1000HK$で、香港上海銀行(香港上海匯豐銀行=HSBC)、スタンダード・チャータード銀行(香港渣打銀行=Standerd Chartered Bank)、中國銀行(中國銀行香港分行=Bank of China)の3行からそれぞれ発行されている。額面によって紙幣(印刷)の色は統一されているが、デザインが違うので少し戸惑ってしまうかも知れない。しかし慣れるとどうということはない。ATMや自販機における混乱も全く無い。
丹羽博士の提案のスマートなところは、現実的に政府貨幣ないし政府紙幣を発行する必要がまるで無いところにある。つまり、国のシニョリッジ特権を、例えば500兆円分といった一定額分を日銀法第38条によって日銀に売ればいいのだ。その際政府がある程度の値引きをして売れば、日銀は日銀自身の資産内容を大幅に改善することができる。
日銀からの政府に対するその代金は、何も日銀券の現金で支払う必要は無い。500兆円であれば500兆円の金額が記された日銀の保証小切手を政府に渡せばそれでいい。政府はその保証小切手を財源として、震災復興なり、いかようにも財政出動に使えばいいのである。これこそが丹羽博士の「救国の秘策」である。実にスマートで、すっきりしていてすばらしいではないか。
丹羽博士の救国の秘策は、非常に容易かつ安全である。しかも効果は絶大かつ即効的である。問題があるといえば、こうした理に適った政策を禁じ手としてタブーにしたい、理屈の分からぬ妨害勢力の存在(多分日銀も)であり、あるいは日本がこうした超積極的な財政政策を採ることを、快く思わない海の向こうの金融勢力らである。
彼らの一部はまちがいなくこう言ってくる。そんなことをしたら、必ずハイパー・インフレになる、と。とんでもない。彼らには、わが国の経済が、どれほど長期にわたってデフレギャップ(需要不足による生産余力)を拡大してきたかが分からないのであろう。インフレギャップの発生など、今の日本には蜃気楼ですらありえない。虚心坦懐に考えれば、この丹羽博士の救国の秘策以外に、今のわが国の財政・経済の深刻きわまる危機的状況を克服する選択肢は何もないはずである。
中にはこういう屁理屈を、上から目線で言うやからがいる。そんなことで味を占めれば、財政規律が緩む、と。こういうやからがいる限り、政府主導、すなわち国民主導の民主主義などは、永遠に実現しない蜃気楼でしかない。だから政(まつりごと)は官僚にお願いしてやってもらわなければならないと言っているのである。
とはいえ、丹羽博士のこの窮極の秘策は、たとえば菅などには、まかり間違ってもできっこない。この秘策を実現するには、まちがいなく抵抗するであろう日銀等の抵抗勢力を、有無を言わせず従わせることのできる「辣腕」が必要であるし、海の向こうの金融資本の圧力と、一歩も引かず渡り合える外交能力も必要である。これらを二つながら備え、これを託せるのは、わが小沢一郎氏をおいては他にいない。ありえない。
元総務相の原口氏が掲げた「日本維新」は、今回の大惨事によって、ますますその意義に現実的な重みを増した。冒頭2011年が、日本現代史の特移点になると言ったのは、そういう意味での日本維新の年になるという意味である。そしてその特移点を突破するのに、わが日本国民は、小沢一郎氏という不世出のリーダーを、まさに貴貨として使うことができるのである。
小沢一郎氏を使うことができると書いた。この表現には重大な意味がある。どんなに小沢一郎氏が不世出のリーダーであったとしても、その小沢氏に百万力の力を与えるのは、国民である私たち一人一人である。主権在民なのである。小沢氏に何かを期待するのであれば、小沢氏が私たちのために何かをできるように、私たち主権者は何かをしなくてはならない。私たち主権者が立ち上がって行動を起こさない限り、2011年が日本現代史の特移点などになるわけもなく、「日本維新」がなるわけもない。
私事で恐縮であるが、3・11の2週間前、すなわち2・25、私、檀公善は、ついに70歳、古希を迎えた。70歳という節目に当たって、私は私の心の中で、高らかに「日本維新」のための宣戦布告を宣言した。「日本維新応援団」=「日本維新サポーターズ・アソシエーツ」(Nihon-Ishin Supporters Associates=NISA)と称する勝手連の旗を、高々と掲げようと決意した。鬨(とき)の声を天に届けよう。そして厳かに、文字通り命を賭けて戦うことを宣言しよう、と。
私がまず考えたこと、それは目前の「3・19東京一万人集会」に全力集中することであった。この集会の趣旨は、「2009政権交代の原点にかえれ!」、「こんな民主党なんて、いらない!」とあった。この二つが冠スローガンであるということは、例えば名古屋での「減税日本」の闘いや、政権交代の原点回帰を目指す原口一博氏の言う「民主党A」の勢力を広く結集する「日本維新の会」の理念とは、当然統合できるものであると考えた。
言うまでもなく今年2011年という年は、選挙の年である。統一地方選挙の前半、後半を合わせれば、全国で1,069件もの選挙がある。候補者だけでも総勢で万の単位になるであろう。衆議院議員の選挙も、4月24日に決まっている愛知6区の補選はもちろんのこと、衆議院の解散は、いつあってもおかしくない情勢である。
一時は4月24日の統一地方選後半との同時選挙も濃厚とされていたが、そこにまさに降って沸いた東北地方太平洋沖地震によって、被災地域の統一地方選挙の延期が決まった。そして衆議院議員選挙の日程は、とりあえず見えにくくなってしまった。まさに政治の世界は、一瞬先は闇である。
いずれにしても今年の前半が、未曾有の選挙集中の年であることに違いはない。しかも政権党である民主党のメルトダウンによって、選挙の拠って立つ政党基盤はきわめて流動的になってしまい、泥舟と化した民主党の、いわゆる民主党Aの候補者たちを救出する救命ボートには、まだまだ確たるものがない。減税日本や日本維新の会といえども、全国レベルで見れば、揺籃期にすら至っていない。
小沢氏に確固たる政治的基盤を約束することのできる勢力、これを、減税日本や藤島利久氏の「新党市民」を含めて、「日本維新」というキーワードでくくっていいものと仮定するなら、その日本維新の勢力にとって、衆議院議員を含めて、各レベルの選挙に取り組む準備は、まだまだほとんど整っていない。へたをすれば離党難民にすらなりかねない候補者もありうるというのが、今の混沌とした情勢である。
それでもどんなことがあっても、私たちは各レベルの選挙において、日本維新の勢力を勝たせなければならない。だから私は、日本維新応援団=日本維新サポーターズ・アソシエーツ(NISA)という勝手連を立ち上げたのである。
難民といえば、政党や候補者だけの問題だけではない。泥舟化している民主党の党員・サポーターにしても、難民化の危機は目前に迫っている。昨年の民主党代表選で、小沢氏に投票した党員・サポーターが、消えた11万票を除いたとしても、9万人もいる。この人たちのほとんどは、今でも形式上、泥船民主党の党員であり、サポーターなのであろう。
こうした党員・サポーターにも、それなりの大きさの救命ボートを用意しなければならない。いや用意するのではない。自前の救命ボートを自分たちでつくれるように、サポートしていく必要があるのだ。それが日本維新応援団=日本維新サポーターズ・アソシエーツ(NISA)なのである。
再度の確認であるが、3・19に掲げられた、「2009政権交代の原点にかえれ!」、「こんな民主党なんて、いらない!」という冠スローガンと、目の前の各レベルの選挙戦で日本維新の勢力がかかげる冠スローガンとは、必然的に軌を一にするべきものであるはずだ。
ちなみに日本維新応援団=日本維新サポーターズ・アソシエーツ(NISA)の第一の冠スローガンは、「原点回帰! 国民の生活が第一」であり、第二の冠スローガンは「○○減税日本VS増税日本●●」である。○○と●●は、勝ち負けを象徴したデザイン的要素に過ぎない。そして以上二つの冠スローガンに加えて、3・11の直後に、第三の冠スローガンとして、「超大型財政出動で震災復興を!」を追加することにした。
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上の画像は、NISAの行進旗である。幅が2,456mm、長さが3,473mm、8.63u≒5.2畳の布製の旗である。デモ行進のときに、6人で手に持って行進するためのもの。3・19でお披露目するために作った。3・19のデモでは、ヘリコプターが空からカメラを回して放映するということを聞いていた。ならば空から見える超大型のポスターというか、旗を作ればいいというのが、この行進旗を作った動機である。デザインは、NISAのB2版大型ポスターを、そっくりそのまま拡大したものである。
デザインのモチーフは、イラストレーター川野隆司氏の作品「浪裏朝日」である。政治団体、日本維新の会のサポート活動全般に、自由に使えるという契約を交わした上で使用している。テーマはもちろん葛飾北斎の「浪裏」を現代化した構図と、燃えるような真紅の空をバックにした朝日の大胆な組み合わせである。このデザインは、ポスターをはじめ、名刺やのぼりなど、さまざまなメディアに統一された日本維新のシンボルとして使われていく。
選挙のような大衆動員を必須とする営みにおいては、シンボルやカラーを統一することの意義はきわめて大きい。シンボルおよびカラーに関しては、キーワード連想法による加点法によって評価をするが、このモチーフの場合、連想するキーワードは、日本語だけでも下記のように多岐にわたり、結果、圧倒的なポイントを獲得した。
太陽、朝日、朝、始、開始、スタート、旭日、日新(日々新た)、上る、昇る、上昇、天、天空、陽、陽気、熱、暖、温、温暖、プラス、ポジティブ、真紅、赤、紅、血潮、燃える、萌える、滾る、増、明、夜明け、暁、円、円満、満、丸、日の丸、日の出、日出る国、日の元、日本、日向、東、東方、東洋、和、球、玉、珠、祥、吉祥、福、祝福、福運、開運、勝、勝利、先勝、必勝、大、太、エネルギー、力、パワー、漲る、起。起床。七転八起、達磨、縁起、浪、波、濤、潮、黒潮、動、躍、躍動、興、復興、振興、生、生命、産、産土、生産、興産、富、富裕、豊、豊富、豊穣、豊饒、太平洋、洋、海、富士、不二、鴎、飛翔、希望、大願成就、……。
さらに興味のない人には蛇足かもしれないが、風水師、王健秋氏に気のパワーを測定してもらった。まさに針が振り切れるほどのパワーが放出されているという。自画自賛に聞こえるかもしれないが、まさに日本維新の夜明け、そして日の出の勢いを象徴する、最高のイメージであるということができよう。とくに東の空から昇ってくる太陽であることから、「東日本復興」のシンボルとして、これ以上のモチーフはないのではないかと自負している。
中心にNISAの3本の冠スローガンを入れた。「原点回帰! 国民の生活が第一」、「○○減税日本VS増税日本●●」、「超大型財政出動で震災復興!」。上部に「日本維新サポーターズ・アソシエーツ」の大きなロゴ、下部に大きくインパクトの強い太陽を配置しながらも、視線はごく自然にこれらの3本の、少し小さめに入れたスローガンに惹きつけられるよう、意図してデザインされている。アートディレクションとコピーは私、檀が担当、デザインはNISA代表でグラフィックデザイナーの松森伸仁氏が担当した。イラストはくり返すが川野隆司氏の名作、浪裏朝日である。
同じデザインのB2サイズのポスターは、3・19のデモが実行されていれば、全参加者に無償配布ができるよう、印刷を済ませていた。当日は軽トラックで明治公園の会場に運び、そこで参加者全員に1枚ずつ手渡しする予定であった。残念ながらデモが中止され、このことは実現できなかったが、せっかくのことなので、この★阿修羅♪の拙稿をお読みいただいているみなさんに、2種2枚一組を、先着5,000名様に無償でお送りしたいと思う。ただし、手渡しであれば送料がかからないが、メールであれば宅配便でお届けしなくてはならないので、送料として全国一律1,000円(以上)をカンパで負担していただけると幸いである。
「NISAポスター希望」
日本維新応援団=NISAの活動の一つは、このNISAのポスターを、日本維新、日本復興のシンボルとして、日本中の街角に張り出し、日本中の町や村の屋外、屋内を満艦飾にすることである。既に書いたように、今年は各レベルの選挙が総集中する未曾有の選挙年であるが、民主党のメルトダウンが始まっていることから、いわゆる民主党A、日本維新の勢力となる候補者にとっては、周到な選挙準備もできないままに選挙戦に突入していかなくてはならない特殊な事情、悩みを抱えている。とくに拠って立つ政党基盤がインフラとして十分に確立されていない現状では、政党ポスター等の準備も整わないままの選挙戦になることが十分に予測される。これは民主党Aないし日本維新の勢力にとって、きわめて不利なことである。
上掲のポスターは、最近民主党が制作した政党ポスターである。正気の沙汰とは思えない。崖っぷちに立つ民主党の候補者が、こんな恥知らずのポスターを使って一歩「前へ」進んだら、まっ逆様に谷底に落下すること必定である。まともな民主党Aないし日本維新勢力の候補者に、こんな縁起の悪いポスターが使えるはずがない。だからこそ私たち日本維新応援団が、日本全国の町や村を、浪裏朝日のポスターで満艦飾にしなければならないのである。
ところでこのNISAの浪裏朝日のポスターの、公職選挙法上の位置付けはどうなるのであろうか? このことはNISAの公職選挙法上の位置付け如何に依存している。要するにNISAという勝手連が、公職選挙法199条の5項に規定する「後援団体」に該当するかどうかである。同条同項によれば、「後援団体」とは、「政党その他の団体又はその支部で、特定の公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)を推薦し、若しくは支持することがその政治活動のうち主たるものであるもの」と定義されている。
NISAには、後半の「特定の公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)を推薦し、若しくは支持することがその政治活動のうち主たるものであるもの」は該当するが、前半の「政党その他の団体又はその支部」には該当しない。したがってNISAは、公職選挙法上の「後援団体」ではない。
こうしてNISAは公職選挙法上の「後援団体」ではなく、NISAのポスターは、公職選挙法の規制を受けることはない。いっぽう、「後援団体」のポスターや、いわゆる「政党ポスター」に該当する場合は、そのポスターは公職選挙法上のきわめて厳しい制限を受ける。NISAのポスターがいかに有利な宣伝媒体であるかは言うまでもない。
各レベルの選挙の公示日は目前に迫っている。本日、3月24日は都道府県知事、同27日は指定都市の市長、4月1日道府県議員および指定都市の議員、同12日は衆議院愛知6区補選、同17日は指定都市以外の市長・議員、特別区の議員、同19日は町村長、町村議会議員と、文字通り目白押しである。政党ポスターであれば、掲示可能期間は余りにも短く、衆議院議員選挙までの日程を考えると、途中統一選挙前半の期間、後半の期間には、いったん撤去しなければならないのである。
NISAのポスターであれば、無制限に貼り出すことができるし、一時撤去の必要も無い。今から2〜6カ月延期されることが決まった被災地域の統一地方選挙や、いつ公示されるかわからない衆議院選挙にかけて、同一のポスターを、いくらでも、いつまでも、貼り出して構わないのである。とくに被災地であり、小沢氏の出身地でもある岩手県および宮城県、福島県の少なくとも3県で、ずばり東日本復興のイメージであるともいえる浪裏朝日のポスターが、長期間にわたって貼り出されることは、被災者の皆さんをエンパワーする上で、この上ない力の源泉であると自負している。
NISAポスターの頒布は、原則としてデータ渡しで行う。データは無償で提供する。皆さんがパソコンで受け取ったデータを、最寄の印刷屋さんに転送するか、あるいはUSBメモリに落とし込んで持参すれば、全国の大半の印刷してもらえるはずである。またフェデックス・キンコーズのような大型出力のサービス業者に持ち込めば、1枚からのプリントにも応じてくれる。
印刷は、もちろんNISAでも実費で受け付ける。いずれにしても、これらは全てノンプロフィットのボランティア・ベースであって、いかなる卑劣な風評が流布されようとも、金儲けの事業などでは断じてない。いろいろなケースに応じた実費については、現在鋭意製作中のNISAウェブサイトにおいて公開される。
このB2サイズのポスターとは別に、A3弱サイズのミニポスターを、全国各地の最寄のセブン−イレブンの店頭でサービスしているネットプリント経由で受け取ることもできる。プリント料金は、1枚100円である。8桁のプリント予約番号を入力する必要がある。現在この番号は「65321696」であるが、有効期間は3月30日までである。その後のプリント予約番号は、NISAのウェブサイトで公開される。
私たちは、日本全国で、有権者総数約1億人の100人に1枚、すなわち少なくとも100万枚のNISAポスターを掲示したいと考えている。一人平均10枚貼ってくれるとして、10万人の応援団、つまりサポ−ターが必要になる。10万人! 決して小さい数字ではないが、大きすぎる数字であるとも思わない。だって昨年の民主党代表選で、小沢一郎候補に投票した党員・サポーターが少なくとも9万人はいるはずである。この数字には、不正に遺棄されたと噂される11万票は含まれていない。小沢支持の民主党党員・サポーターを結集するだけでも、10万人の応援団は実現するはずである。
民主党がメルトダウンしている過程の中で、これらの党員・サポーターの多くは、このまま放置されれば幽霊党員・幽霊サポーターになるしかない。繰り返しになるが、NISAはこれらの同志たちの救援ボートでもある。民主党の旧党員・サポーターとNISAとの違いは明らかである。どちらかといえば政党の付属物であり、カンパと票を貢ぐパッシブ(受動的)な立場でしかなかった旧党員・サポーターと違って、NISAは、「自立と共生」を地で行く、自主的な勝手連である。パッシブではなくアクティブ(能動的)に活動する文字通りの応援団なのである。
その趣旨は、私たちが共通に使っているメッセージ付き特製名刺のメッセージに表現されている。この名刺はサイズがふつうの名刺の倍。裏表2ページではなく、4ページからなる二つ折りの名刺である。もちろんデザインには浪裏朝日が採用されている。
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名刺の内面にビッシリと書かれているメッセージを転載しよう。
転載開始
ごあいさつ
国が君の為に何ができるかより君は国の為に何ができるのか? J・Fケネディ
2年前私たちは、国民の生活が第一の理念に共鳴し、政権交代という偉業を成し遂げました。しかし私たちが目にしたのは、目を覆いたくなる菅政権による政権後退でした。そしてついに政権崩壊へ。
でも私たちは国民の生活を第一とする政治を諦められません。菅政権がマニフェストを放棄し、憑かれたように逆走する中、原口一博元総務相始め、心ある志士たちが、日本維新の旗の下日本の政治を一新する動きを始めました。
日本維新サポーターズ・アソシエーツ(NISA)は、この新しい政治の波を積極的に支持し、とことん応援するために、全国ネットの勝手連として産声を挙げました。
統一地方選、衆院選と、日本列島が選挙一色の季節を迎えています。これらに完勝することこそ、国民の生活が第一の原点に回帰する真の日本維新となるものです。
減税日本、新党市民等、日本維新の会に結集する大小の政党政派の候補を、全員必勝に導くことこそ、日本維新サポーターズ・アソシエーツに課せられた任務です。
この勝手連の運動を、あなたの貴重な1分、1円で支えてください。
私たちが全国で取り組んでいるさまざまの活動については、ぜひ下記のウェブサイトをご覧ください。
この名刺はご希望によりどなたでも無料で使用することができます。ご希望の方は下記ウェブサイトか電話からお申し込みください。
転載終り
このメッセージ付き特製名刺は、NISAの応援団員=サポーター志望者全員に、無料で制作してお届けする
(メッセージ付き特製名刺[無料]希望)。戦略的観点から、この名刺が「無料」であることは、きわめて大事なことであると考えている。戦争に譬えるのは適切でないが、この名刺はまさに、戦闘に欠かせない機関銃の銃弾そのものだからである。
したがって、どうしたら1円でもコストを下げることができるか、徹底的に工程等を工夫した。いろいろ調べてみたが、通常の名刺印刷の料金体系では、この特製名刺が100枚で5千円を切ることはない。私たちはまずA3のサイズに10面付けの台紙を印刷することで、カラー印刷のコストを大幅に下げ、これを2分割してA4に裁断し、ここに1人〜5人分の個人別原稿をモノクロのレーザープリンターで刷り込無む。そのあと、5面に裁断するという工程を実現した。目標原価は、100枚を印刷し、メール便で送る送料を含めて@300円であり、何とかこれを実現することができそうである。
ここまで単価を抑えることができれば、このための資金繰りは、カンパだけでも十分回るというシミュレーションをしている。そしてありとあらゆる手段を尽くして、この無料のメッセージ付き特製名刺を拡散し、サポーターの数の急拡大を図っていく。
今や沈み行く泥舟と化した民主党から、日本維新、日本復興を目指す勢力の新船、すなわち救援ボートに乗り移ろうとする民主党Aの候補者たちのラッシュは、止まるところを知らない怒涛の勢いになるであろう。彼らは自ら乗り移る救命ボートに、当然のことながら後援者・支持者をも乗り移るように、働きかけをせざるをえない。それこそ喫緊の至上命題である。NISAはこの民族大移動の勢いを的確に把握し、サポーターを救命ボートであるNISAに、破竹の勢いで組織していかなければならない。そのときに武器として役に立つのが、この応援団員=サポーター専用のメッセージ付き特製名刺であると位置づけている。
名刺を受け取ったサポーターは、リアルワールドにおいてはいろいろな人と名刺交換をしつつ、応援団員=サポーターを拡散していくことができる。またネットワールドにおいては、自分のブログを使ったり、BBSへの投稿やツイッターなどのソシアルメディアを使って、NISAおよびメッセージ付き特製名刺について広く拡散することができる。こうしてリアル、ネットの双方の世界で、NISAの存在を一気に拡散し、10万人の応援団員=サポーター、100万枚のNISAポスターの掲示目標を早期に達成していきたい。
有権者数175万人の名古屋市で、40万人以上のリコール署名を集めたあの名古屋市民のパワーを全国ネットで結集するならば、目標を達成し、来たるべき各レベルの選挙選で連戦連勝し、日本維新を実現することは決して不可能ではない。そのとき間違いなく私たちは、小沢一郎総理総裁に、日本復興の最高のリーダーとして働いてもらうことができるようになるのである。
今NISAでは、突貫工事で本格的なウェブサイトを開発中である。テンプレートには、ブログの簡便さで本格的サイトを作れるWordPress Themeを用いる。WordPress Themeを使ったことのある方、ホームページやブログのスキルを提供していただける方は、ぜひそのスキルと時間を提供していただきたい。ウェブサイトにも、NISAのイメージデザインである浪裏朝日は使用される。NISAのサイトでまず実現したいのはBBSである。
次に応援団つまりサポーター登録を合理的に受付け、メッセージ付き特製名刺の制作と連動させ、一日でも早く送付できる体制をサイト上に構築したい。さらにサポーター相互の各レベルの選挙区別のコラボレーションのための情報交換ができるインフラを提供し、またポスターをはじめとする応援グッズの発注、物流手配などを、最も合理的に実行できるEC機能を装備する計画である。
私たちは、3・19の東京デモを、小沢一郎総理総裁実現への最も重要な一里塚であると位置づけていた。残念ながら3・11の大震災によって中止となったが、私的には、3・11は、中止をせざるをえない事情であったというより、むしろ3・11の政治的意義をより拡大し、より鮮明にするべき必要性のほうが優先していたのではないかと考えている。3・11が発生したことによって、「2009政権交代の原点にかえれ!」、「こんな民主党なんて、いらない!」という思いは、スローダウンするどころか、いっそう募るものになったはずである。
未曾有の数の犠牲者や被災者は、自分たちの生命をかけた悲痛な叫びを、誰かに代弁してほしいはずである。また私たちは、その叫びを代弁するべき責務を背負っていたのではあるまいか。その上で、二度とこのような「人災」をくり返さないためにこそ、「2009政権交代の原点にかえれ!」をより強く叫ぶべきであったし、「こんな民主党なんて、いらない!」と強く強く叫ぶことによって、真の日本維新、日本復興を実現する政治勢力の結集と勝利を誓うべきではなかったか。犠牲者や被災者のことを思うと、デモなんかやってる場合ではないだろう、ではなくて、犠牲者や被害者のことを思えば思うほど、彼らの叫びをも糾合して、より力強くデモをしなければならなかったのではないかというのが、個人的ではあるが、私の見解である。
そういう意味で、私は3・19が中止になったことについては、残念でならない。ただしこれは、私の一つの個人的見解であり、感想である。主催者たちのご苦労やご努力に、無責任に水を掛ける意図は微塵も無い。私は一協賛団体の代表者に過ぎないし、もちろん主催者ではないのだから、主催者の決定については当然敬意を払って尊重するものである。主催者が苦渋の選択として中止を決定した背景には、おそらく私などの知りえないご苦労やご配慮があったものと推測する。
中止決定の文章を読むと、「4月下旬以降または政局の動向が見えるようになるまで延期やむなし、との判断に至りました」とある。4月下旬と言えば、まさに統一地方選挙が終り、「政局の動向が見えるようにな」っている時点である。それまで手を拱くのではなくて、むしろ政局の動向をリードすることこそ、デモの趣旨であるべきではなかったか。私としては、地団太を踏む思いである。中止を決定された主催者の思いも、地団太を踏む思いであろうと思う。またぜひとも参加したいと手ぐすねを引いておられた参加予定者の皆さんも、みんな同じように地団太を踏む思いでいるに違いないと思うがいかがであろう。
ここは延期の期間を最小限にして、可能な限り早期に、あらためて開催に踏み切ってはいただけないだろうか。ぜひともご検討をお願いしたいものである。
日本維新の会β版の最新の情報によれば、「日本維新の会」の設立総会も、地震対応のために延期になったようである(http://www.facebook.com/event.php?eid=139258199473121)。あらためて開催される設立総会には、全力投球で参加者を募りたいと思っている。参加は、g10320@shugiin.go.jp で受け付けている。申し込んでおくと、正式の開催通知などを受け取れることになっている。設立総会に、メッセージ付き特製名刺を持参したい人は、今すぐこちらから申し込んでいただければ、最優先で作成し、発送させていただく。
3月19日の『メルマガ・日本一新』に、「菅首相は原子力を本当に知っているのか?」と題する平野貞夫氏の次の一文があった。
引用はじめ
菅首相は16日(火)夕刻、官邸を訪ねた内閣府特別顧問の笹森清元連合会長に「ボクはものすごく原子力に強いんだ」と、東工大応用物理学卒の経歴を誇るように言ったという報道があった。私はこれを聞いて、よくも言えたものだと驚き、平成19年7月の参議院通常選挙のことを思い出した。
当時、私は民主党高知県連代表を務めていた。東電のプルトニュウム汚染物を高知県東洋町に埋める話があり、反対運動をやっていた。民主党高知県連は、エネルギー対策の中長期構想として、「プルトニュウムという核兵器になり、有害物質を発生させる現在のウラニュウム原発政策を順次変更すべきだ。そのため、プルトニュウムを焼却でき、かつより安全性が高い“トリウム溶融塩原子炉”(ja.wikipedia参照)の研究開発を復活すべきである」ということをまとめた。
この趣旨を参議院選挙のマニフェストに入れてはどうかと、私は当時の小沢代表に進言した。小沢代表は「それは良い考えだ。私から菅代表代行や鳩山幹事長にいうと上から命令する感じになるので、君から二人によく説明して、是非マニフェストにいれるようにして欲しい」と応じてくれた。
早速、菅代表代行に会って、小沢代表の意向を踏まえて説明したところ、実に素っ気なく、「文科系の君から原子力の話を聞いても仕方がない」という不遜な態度であった。驚いたのは「トリウム溶融塩炉による原子力発電なんか知らない」という言葉であった。この人は政治家として、ウラニュウムによる原子力発電の危険性について認識していない。これ以上、民主党内でこの説明をしても無駄だと思い、鳩山幹事長には説明することをやめた。
東電出身の笹森氏は記者団に「(首相は)原子力について政府の中で一番知っていると思っているんじゃないか」と、皮肉交じりに語ったという。この菅首相の驕りが、12日(土)早朝の自衛隊ヘリによる福島第一原発事故現場に行くという暴挙につながり、爆発防止の現場で結果的に初動作業の邪魔をすることになる。
同日の与野党党首会談で、「危機的状況にならない」と、菅首相が断言するのを待つかのように1号機で水素爆発が発生し、原子炉建屋が崩壊した。15日(火)早朝の東電本社での恫喝行動といい、官邸での「東電の馬鹿野郎」との怒鳴り散らし発言といい、福島第一原発をめぐる菅首相の判断ミスには際限がないのでこの程度にしておくが、この初動の遅れが、禍根となったことだけは明記しておきたい。
引用終り
私は平野氏のこの文章の中で、「小沢代表は『それは良い考えだ。私から菅代表代行や鳩山幹事長にいうと上から命令する感じになるので、君から二人によく説明して、是非マニフェストにいれるようにして欲しい』と応じてくれた」という文章と、「菅代表代行に会って、小沢代表の意向を踏まえて説明したところ、実に素っ気なく、『文科系の君から原子力の話を聞いても仕方がない』という不遜な態度であった」という文章とのコントラストに接して、実に複雑な感慨を抱かざるをえなかった。
既述のとおり、私はここに出てくる「プルトニュウムを焼却でき、かつより安全性が高い“トリウム溶融塩原子炉”」の開発設計者である。このことについては、拙著「東ティモール非電化人口を一掃するトリウム・エネルギー」をお読みいただきたい。以下、内容の一部を引用させていただく。
引用開始
ところが、反原発運動の中にも少しずつ認識が広まってきていますが、原発の中には、ウラン−プルトニウム・サイクルがもたらす「3K」(核兵器、核拡散、核廃棄物)とは無縁の、安全かつ安価に建設できるトリウム熔融塩原子炉によるトリウム原発という選択肢があるのです。
トリウム熔融塩原子炉の特徴は、まず原理的に苛酷事故を起こすことがありえず、ウラン軽水炉に比べて3,667分の1しか放射性廃棄物を生みません。最も厄介な核廃棄物であるとされるプルトニウムを生み出さないばかりか、このプルトニウムをも燃料として焼却し、エネルギーに変えてしまうことのできる唯一の原子炉でもあるのです。
反原発運動の中では、核兵器や核拡散の原因物質であるプルトニウムを指弾するわりには、現実に溜まりに溜まりゆくプルトニウムについて、これをどうやって処分すればいいのかについては、全くのノーアイデアのようです。本気で地球上からプルトニウムを葬り去ろうと考えるのであれば、これをトリウム炉で燃やし、核エネルギーに変えてしまうしかないのですが……。
日本はすでに原爆を5千発もつくれるだけのプルトニウムを備蓄しています。つまり日本は、たったの2週間もあれば、いかようにも核兵器を作れる潜在的な核保有国なのです。その日本が、世界唯一の被爆国であることや、憲法第9条を根拠に、いかに声高に核兵器の全廃を訴えたとしても、世界が日本を信用してくれるわけがありません。こうした日本を見る疑いの目にきちんと対応していくためにも、日本は増え続けるプルトニウムの備蓄に対して、明確な方針を打ち出す必要があります。プルサーマル計画をもって「核保有国」への疑惑を払拭することはできないでしょう。
トリウム熔融塩原子炉の基礎実験は、今から40年以上も前の1969年に、米国のローレンス・リバモア研究所で成功していましたが、「核兵器を作れないトリウム原発は冷戦の役に立たない」として、当時のアイゼンハワー大統領によって却下され、以来トリウムは封印されたまま現在に至っています。
このボタンの掛け違い以後、世界の核技術者たちの手で、研究開発の命脈が細々と保たれてきましたが、2009年1月、北欧3国のトリウム原発の開発企業3社のコンソーシアムによって、ついにフィンランドの次期の6番目の原発として、3,000MWeのトリウム原発を採用するよう、提案がなされていることが発表されました。
またトリウム熔融塩の研究で世界の最先端を行っていたチェコ原子力研究所は、2011年に実験用トリウム熔融塩原子炉を完成させることを公表しています。
一方アメリカでは、40数年前にトリウム炉の実証実験を成功させた上記のローレンス・リバモア研究所が、アルゴンヌ研究所、ロス・アラモス研究所とのコラボレーションによって、連邦エネルギー局の管轄の下、SSTAR(小型・密封型・移動式・自動式の炉)というコンセプトのトリウム炉の開発研究に取り組んでいます。
そしてこのプロジェクトには、実は日本の財団法人電力中央研究所(CRIEPI)からも、ローレンス・リバモア研究所に研究員のチームが派遣され、コラボレーションに参加しているのです。
また米国議会は、米海軍においてトリウム原子炉の研究を進めるための開発費を、国防予算の中に織り込むことを議決しました。ついでながらいくつかの情報を分析すると、オバマ大統領が近々、トリウム・エネルギーの積極的展開策を打ち出すであろうことは、ほぼまちがいのない規定路線であるようです。
私は、古川博士(この投稿の中で、既に氏の朝日新聞への投稿を転載済み)のいう1兆kWeの電力(人類全体が21世紀に必要とすると思われる電力の総量)を生み出すトリウム原発網を、21世紀中に建設するための総合計画の策定に取り組んできました。シミュレーションの結果、出力80MWe、50%稼動、寿命30年の分散型小型トリウム熔融塩原子炉を、総計で84万基生産する必要があることが導き出されました。また立ち上げには10年で倍増というスピードが要求され、ピーク時と想定される2065年での発電量は、100億kWe/年となる必要があることが推定されます。
この天文学的スケールの大量生産を実現するために私が到達した開発構想は、原発の構成要素である「原子炉+蒸気発生器」および「タービン+発電機」を、それぞれ45フィートのコンテナーサイズに凝縮、つまり原発全体を2本のコンテナーに集約してしまい、プレファブリングによって大量生産するというものです。ちなみに、45フィートのコンテナーは、13,716ミリ×2,438ミリ×2,896ミリというサイズです。
これで地球上のどんな場所であれ、2本のコンテナーをコンテナー船、鉄道、トレラー等で現地に運びさえすれば、一夜城ならぬ一夜原発ができ上がるということになるわけです。言い換えれば地球上の任意の場所が、直ちに油田の油井になるようなもので、電力は、個々の需要地において必要なだけ幾らでも得られるということになります。たとえそれが、銀座4丁目であっても、あるいは南極の昭和基地であっても、そしてもちろん東ティモールの「電気の通じない村落地域」であってもということです。
わが国初の原発は、茨城県東海村の広大な敷地に建設された東海発電所で、その出力は166MWeでした。わずかコンテナー2本に凝縮されるトリウム原発が、東海発電所の約2分の1の出力を実現することを思えば、実に隔世の感を禁じえないものがあります。
80MWeのトリウム原子炉を45フィートのコンテナーサイズに凝縮することは、もちろん至難の業です。構成要素は炉本体、燃料タンク、熱交換器(蒸気発生器)、ポンプ等となるわけですが、当然ながら、炉本体は可能な限り大きくしたいわけです。そうすると、燃料タンクは炉本体に比例するとして、熱交換器+ポンプの大きさと炉本体の大きさとは、絶対的なトレードオフの関係になってしまいます。
どのように工夫してみても、熱交換器とポンプのサイズを小さくすることは容易なことではなく、私は一時、80MWeを下方修正するか、あるいはコンテナーサイズ化を諦めるか、というところまで追い詰められていました。とにかくコンパクトな熱交換器の技術を見つけ出すしかないと、グーグルで、「heat exchanger」、「熱交換器」をキーワードに検索をかけ、世界中のありとあらゆる熱交換器を虱潰しにチェックしていきました。
そうして私の目に止まったのが、フィンランドのバーテルス社が製造しているプレート・アンド・シェル(P&S)熱交換器でした。早速来日したバーテルス社の社長と技術部長に、基本設計を試みたトリウム熔融塩炉の仕様を説明し、そこに組み込む熱交換器として、同社のプレート・アンド・シェル熱交換器の技術が応用できるかどうかのディスカッションを行ないました。
問題はいくつかありました。最大の難点はプレートのサイズでした。設計では、直径2,408ミリの円形のプレートが多数必要になるのですが、素材である耐熱・耐放射線のニッケル合金、1%ニオブ添加ハステロイNの鋼材の板幅は、1,500ミリしかないのです。
結局バーテルス社では、1,500ミリ幅の鋼板2枚を溶接で並列に接ぎ、3,000ミリの幅にすることにチャレンジすることを決断してくれました。こうした紆余曲折を経て、80MWeのトリウム原子炉は、1ミリと違うことなく、ぴったり45フィートのコンテナーサイズに納めることが可能ということになったのです。
それにしても、一口に84万基といいますが、その生産自体、とてつもなく大変なことです。うまく生産計画を調整しても、ピーク時で年産8,400基程度になります。年間280日の稼動として、日産30基のペースです。しかもタービンや発電機など、この炉の生産数に見合った発電設備や送電設備(グリッド)等のインフラも、原子炉に付帯して生産されなければなりません。
それだけではありません。実はトリウムという核燃料は、それ自体では燃えません。つまり核分裂を起こさないのです。国際高等研究所の亀井敬史博士の表現を借りるならば、トリウムはいわばマッチの軸木みたいなもので、燃えるためにはマッチの頭の火薬部分に相当する「火種」が必要になります。幸いトリウム原子炉の普及の初期には、現行のウラン−プルトニウム・サイクルの厄介な廃棄物であるプルトニウムをこの「火種」に使い、焼却という目的と併せて一挙両得とすることができるのです。
私は単純にウラン−プルトニウム・サイクルの現行の原子力発電を否定し、トリウム原子炉を絶対視する立場を採るものではありません。ウラン−プルトニウム・サイクルの原子炉は、多くの先進国のみならず一部の途上国を含めて、無視することのできない規模ですでに稼動しており、よしあしはともかく、現実に大量のプルトニウムを廃棄物として排出しています。
とりあえずトリウム原子炉に点火する「火種」として、このプルトニウムを全量活用することは、二重に重要な意味をもっています。そういう意味では、現行稼動中ないしは建設中、あるいは建設予定のウラン−プルトニウム・サイクルの原子炉とトリウム原子炉は、互いに共存しつつ、遷移・移行していく関係にあるのです。そしてそうすることこそ、ウランVSトリウムを絶対的で不毛な対立とするのではなく、両者の間の現実的な共存関係を築くことになるのです。
ところでこのウラン−プルトニウム・サイクルの廃棄物であるプルトニウムは、決して無尽蔵に存在するものではありませんし、また無限に排出を続けていいものでもありません。したがっていずれトリウムというマッチの軸木を燃やす「火種」としてのプルトニウムが不足することになるのは確実ですし、またそうなってくれなければ困るということでもあります。
そこで古川和男博士の核スポレーション反応という原理を応用した大電流陽子加速器と熔融塩増殖反応装置とからなる加速器熔融塩増殖炉を使って、トリウムから「火種」となるウラン233を増殖することが必要となってきます。
マッチの軸木であるトリウムを大量に燃やそうとすればするほど、「火種」としてのマッチの頭の火薬が相応な量必要になります。トリウム炉の生産は、マッチの頭の火薬の確保に支配されます。廃棄物プルトニウムに限度がある以上、加速器熔融塩増殖炉の開発について、悠長に構えているわけにはいきません。
引用終り
トリウム・エネルギーと私の立場、仕事について、拙文を長々と引用させていただいたが、こうした執筆は、わが日本では、今回の福島原発の惨事のような機会でもなければ日の目を見ないものなので、あえて紹介させていただくことにした。お許しいただきたい。
実を言えば、今回の日本の惨事によって、早速いくつかの国では、ウラン−プルトニウム・サイクルの原発開発計画を見直し、トリウム・エネルギーの開発をテンポアップする計画を表明している。中国、インドはその典型である。北欧3国、ドイツ、アメリカなども、トリウム・エネルギーに全力投球をしてくるに違いない。
こうした国際的な状況の中で、日本の実態は最悪である。意図的にトリウム・エネルギーを無視するだけでなく、強引に高速増殖炉もんじゅの計画を推進し、また諸外国に東芝などのウラン−プルトニウム・サイクルの原発を売りつけることを、国策とすらしている。平野氏の文章にあるように、一国の首相である菅は、「驚いたのは『トリウム溶融塩炉による原子力発電なんか知らない』という言葉であった」のであり、「この人は政治家として、ウラニュウムによる原子力発電の危険性について認識していない」のである。
私は半ば本気で、日本でトリウム原発が実現するのは、世界の国の中でもラストに近い国になるのではないかと考え、諦めの境地に至っていた。そしてそれと同時に、むしろ世界でも最も貧しく、最も電化率の低い東ティモールであるとか、バングラデシュやルワンダにおいて、最優先でトリウム原発を実現するプロジェクトに取り組んできた。
そういう私であったから、平野氏の、「小沢代表は『それは良い考えだ。私から菅代表代行や鳩山幹事長にいうと上から命令する感じになるので、君から二人によく説明して、是非マニフェストにいれるようにして欲しい』と応じてくれた」という文章に初めて接し、感涙を流している次第である。小沢一郎氏が政権のトップリーダーに就けば、トリウム・エネルギーがこの日本の国で日の目を見るのだということに、確信がもてたからである。
しかしこれが実現するとすれば、そのプロセスは想像を絶するほどに凄いことになる。何せ独立行政法人日本原子力機構といえば、権力構造から言って、これは国の権力が全く及ばない国家権力の中の独立した国家権力なのである。日本の国家が手も足も出せないほどの絶対権力をもっている。日本国の原子力政策は、イコール日本原子力機構が決める原子力政策なのである。民主党の原子力政策を起草している電力労組出身の党員も、実にこの日本原子力機構の意を忠実に体しているのであるから、小沢一郎氏の「トリウム・エネルギーをマニフェストに」などという発言は、まさしく驚天動地のとてつもない出来事なのである。
私はあらためて確信した。小沢一郎氏こそは、日本維新と日本復興を本当に実現できる、日本で唯一無二の政治家である。NISAはあらためて小沢一郎政権の実現を目指す自立と共生の勝手連として、日本維新、日本復興の先頭に立って闘う。再びジョン・F・ケネディの名言を引用して稿を終えよう。
・・・And so my fellow Americans, Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country.
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