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地域政党「減税日本」は貧困層を切り捨て富裕層を優遇する「小さな政府」を目指している
「減税」はマヌーバーに過ぎない
減税日本の公約は次の3つしかない。
1.市民税10%減税継続
2.選挙による地域委員会全市拡大
3.市会議員報酬年額800万円に
減税日本が最も力を入れて主張しているのは「市民税10%減税」だ。名古屋市民の多くにとって魅力的な政策と受け止められたのだろう。「市会議員報酬年額800万円に」という政策も市会議員は高額な報酬を得ていながらそれに見合った活動を行なっていないのではないかという市民の不信感を焚きつけて支持されたであろうことは想像に難くない。減税日本は単純化された政策を示すことで市民の支持を得ることに成功した。
しかし単純化された政策だけで判断しても減税日本の本質は見えてこない。名古屋市民にとって減税と市会議員報酬の半減という政策は魅力的である。しかしそれらは減税日本が市民の支持を得るためのマヌーバーでしかない。減税日本という政党の本質はそこにはない。
減税日本は何を行なおうとしているのか。その手掛かりが政党のWebページの「政策Q&A」にある。
減税で経済を活性化させる?
@経済政策として
減税により民間部門の可処分所得を増やし、それにより消費が増え、経済を活性化させるという考えです。減税政策には即効性という利点があり、米国では共和党も民主党も経済状況に応じて適宜減税政策を行っています。一方で減税を行ってもさほど消費に回らない(2008年米ブッシュ減税時は10〜20%)という論文もあり、減税政策の経済効果に対する定説は定まっていません。
名古屋市での市民税10%減税で市民に還元される市民税は1世帯当たり平均年間1万5千円余りである。1ヶ月当たり1250円にすぎない。これで「減税により民間部門の可処分所得を増やし、それにより消費が増え、経済を活性化させるという考えです。」とは笑わせてくれる。減税は経済を活性化などしないと断言できる。「一方で減税を行ってもさほど消費に回らない(2008年米ブッシュ減税時は10〜20%)という論文もあり、減税政策の経済効果に対する定説は定まっていません。」などと予防線を張るあたり何をかいわんやである。
支出の上限を決めてその範囲内での行政サービスに限定する
Aプライスキャップ(料金上限規制)による行革の推進として
収入の上限を決めることによりその範囲で行政活動を行わざるを得ないようにして経営改善を行い、無駄を削減するという考え方。減税日本の減税政策の一番の論拠です。
収入の上限を決めるということは支出の上限が自動的に決まることを意味する。その範囲内で行政サービスを行なわざるを得ないようにするという政策である。無駄な支出をなくすというから行政サービスはこれまでよりも削減されることになるだろう。これは必要に合わせて支出を行なうという従来の政策から、何があろうともあらかじめ少なめに決められた予算の許す範囲内で行政サービスを行なうという政策への転換を意味する。需要があっても決められた上限を超えるのであれば断ることになる。これまでであれば予算が不足する事態となったら市債を発行するなどして需要に応えてきた訳であるが、これからはそれができないことなる。
「小さな政府」を目指す
B小さな政府論として
小さな政府とは政府・行政の規模・権限を可能な限り小さくしようとする思想または政策です。アダム・スミス以来の伝統的な自由主義に立しており、政府の市場への介入を最小限にし、個人の自己責任を重視します。行政が税金を徴収して支出するよりも市民が直接支出する方が合理的で、役人には庶民の本当に欲しいものは分からない、という立場です。
ここに減税日本の本質が述べられている。小さな政府とは米国の富裕層が常に指向している政府の形態である。富裕層はそもそも社会保障を必要としていない。医療保険も必要ない。なぜなら潤沢な資産を持って経済的に自立しており、政府・行政からのサービスは一切不要だからだ。それよりも自分たちのために使われる訳ではなく、貧困層へのサービスに使われる社会保障への出費を嫌っている。払うだけ損だという訳だ。
「小さな政府」は必然的に社会保障の削減を目指すことになる。これまで社会保障制度が担ってきたサービスは廃止され、各人の「自己責任」にまかせられることになる。これこそ富裕層が願っていたことである。貧困層のために税金を払わなくても済むからだ。
「行政が税金を徴収して支出するよりも市民が直接支出する方が合理的で、役人には庶民の本当に欲しいものは分からない、という立場です。」
何を言いたいのだろうか? これでは行政の責任放棄である。「役人には庶民の本当に欲しいものは分からない」という考えであるのならば全市民的な課題の解決など不可能である。
日本はすでに充分小さな政府である。OECD諸国の財政規模と公務員数の両面から大きな政府か小さな政府かを整理した2005年のデータによると、労働力人口に占める一般政府雇用者数は約5%であり、これはOECD諸国で最低である。他の諸国での平均は15%となっている。一般政府支出対GDP比でも日本は36%であり、これは米国より少ない。これ以上小さな政府にして何をしようというのか。
地域委員会は何のため?
「市民が直接支出する方が合理的」ということで持ち出されたのが「地域委員会」である。
Q.地域委員会の目的は何ですか。
A.地域委員会は地域のことは地域で決める、住民が市政運営に参画する、という理念のもとづいて作られた制度です。具体的には、地域課題を解決するために、投票で選ばれた委員を中心に話し合い、市予算の一部の使い道を決める新しい住民自治の仕組みであります。人口に応じて、年間500万円、1,000万円、1,500万円の予算をつけます。現在の町内会と自治区を中心とする住民自治をもっと充実・拡大させ、真の住民自治を目指します。
地域委員は選挙で選ばれるとはいっても無給だと思われる。「人口に応じて、年間500万円、1,000万円、1,500万円の予算をつけます。」地域委員に配分される1,500万円から500万円の予算に相当する金額が市の他の予算から削られることになる。総額でいくらになるのかはっきりしないが、数百億円くらいにはなるのではないか。それだけのお金が市にあれば、各地域間で連携をとって有効に使うことができるはずだ。それが地域委員ごとに分割され、地域委員は自分が属する地域のことにしかお金が使えないとなれば、各地域のつながりはどうなるのだろうか。幅広い地域委員のつながりを結べないとなればできることは限られてしまう。いやそれは市の役割だと言われればそうかもしれないが、少なくとも数地域の間の地域委員が連携して活動できるようにする必要があるだろう。そうでなければ余計な無駄が出ることになる。
市の役割と地域委員の役割の境目がはっきりしない。地域に使われる予算は最大でも1,500万円に制限されることになる。他には市から地域の課題への支出は無いことになる。はたしてこれで地域の暮らしは成り立つのだろうか。はなはだ疑問である。
Q.町内会とはどう違うのですか。
A.町内会も地域委員会も目的は同じです。しかし構成メンバーと活動範囲が異なります。
構成メンバーは、7〜11人の地域委員会の委員は選挙で選ばれている、という違いがあります。また活動を行う分野も少し違い、地域委員会ではこれまでの町内会が取り組むことができなかった活動を主に取り組みます。具体的には町内会の主な取り組みが防災訓練や防犯パトロール、夏祭りや盆踊りの開催、地域の清掃活動であるのに対し、地域委員会は町並み保存や公園の管理、地域ぐるみの児童虐待防止活動や育児支援などが想定されます。
これによると地域委員はこれまで行政が行なってきた業務を肩代わりする側面が存在するようだ。行政の無駄を無くすといって行政サービスを削減し、その肩代わりに無給の地域委員をあたらせようとするものとみられる。地域委員の法的地位が不明である。もし地域委員の過失で取り返しのつかない事態を招いた場合、その地域委員の法的責任はどうなるのだろうか。
Q.地域委員会で取り上げる課題は、どのように選ぶのですか。
A.課題の選び方は、地域委員会ごとに任されています。ただし取り上げる課題分野に一定のルールがあります。既存の町内会や自治区で行っている分野のものは地域委員会では原則として取り扱いません。また全市的な政策も除かれています。
どうにも地域委員が行なう仕事が不明確である。市の行政サービスを削減するためにひねり出したのが地域委員のようだ。地域の健康保健所や児童相談所の役割を部分的に担わせようとする意図が見え隠れする。何しろ「住民が市政運営に参画する」ということで地域委員の仕組みが設けられたのだから。「市政の無駄削減」を無給の地域委員で行なおうとするものだ。減税新党にとっては行政サービスも無駄の一つなのだろう。
米国・ティーパーティー運動との相似
ティーパーティー運動の本質は税金の無駄遣いを批判して「小さな政府」を目指すことにある。税金の無駄遣いとは社会保障への支出、景気浮揚のための大規模な財政出動などを意味する。ティーパーティー運動を担っているのは富裕層である。オバマ政権の社会保障政策、財政出動などには自分たちが払った税金が自分たち以外の人々に使われているとして強く反対している。富裕層であるがゆえに社会保障政策に反対し、自己責任論を声高に主張する。減税にはそれほど関心を持っていない。とにかく小さな政府を実現してほしいということだ。個人の自由に干渉してくる政府の政策に反対する。政府は小さければ小さいほどいいというのが彼らの考えだ。
減税新党も減税を前面に出しているがそれは市民の支持を得るためのマヌーバーに過ぎず、本質は「小さな政府」を目指そうとする政党である。自己責任論を主張しているのもその文脈からすれば当然である。ティーパーティー運動と似ているのもうなずける。徹底した無駄排除を主張し、それは社会保障にも及んでいる。減税新党が社会保障問題には一切なにも語らないのはそのせいである。
「小さな政府」で喜ぶのは富裕層である。貧困層にとっては地獄である。減税を餌に広範な市民からの支持を取付けた減税新党はそのうち自らを支援してくれた市民に対して牙をむくだろう。
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