http://www.asyura2.com/10/test21/msg/199.html
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検察審査会に関して、(1)「所管の行政機関がはっきりしない。」、(2)「行政機関ではなく準司法機関であると裁判所が判断した。」などの問題が指摘されている。また、(3)「国民の司法参加」制度が施行され始め、(4)改正検察審査会法の施行に端を発して民主党内の内紛が引き起こされ、政治が混乱の極みという状態に至っている。これらの問題については、表面的に現れる事象のみでなくこれらを生じさせている見えにくい仕組みについても考えてみる必要がある。そこで、以下の目次に従い、調べた結果を示すとともに投稿者の意見を述べる。なお、記述内容が一目で分かるようにするためにできるだけ図面化して示し、また、文面の煩雑さを避けるために引用資料のURLはできるだけ図面内に示すこととした。(だいぶ長くなりましたがお許し下さい。)
(目次)
1.検察審査会法の「主任の国務大臣」は法務大臣である
2.検察審査会は準司法機関ではなく行政機関である
3.検察審査会法の設立の経緯(関係者の談話や司法委員会での審議内容から)
4.国民の司法参加について
5.憲法と法律について
6.政治資金規正法上は小沢氏の元秘書3人の逮捕・起訴は違法かも知れない
7.植民地支配の常とう手段(関連資料のURLのみ提示)
8.米国の愛国者法と日本における法改正の動向(関連資料のURLのみ提示)
9.起訴便宜主義について
10.おわりに
1.検察審査会法の「主任の国務大臣」は法務大臣である
(1)図1に示すように、憲法第74条により、すべての法律及び政令には「主任の国務大臣」が署名をしなければならない。署名した「主任の国務大臣」は独任性の行政庁として、その法律や政令の執行責任を有する。
図1 憲法第74条
種々の法律の署名大臣名は「法なび法令検索」のサイトで調べることができる(http://hourei.hounavi.jp/information/ippatsu.php)。調べた結果を図2に示す。
図2 検察審査会法およびその改正法の署名大臣名
最初の検察審査会法 (昭和23年7月12日法律第147号) の署名者は内閣総理大臣のみであった。その後、検察審査会法は何度も改正されたが、単独で改正されたことはなく、いつも「・・・法等の一部を改正する法律」などという名称の法律の中に含まれて改正されてきたので、「主任の国務大臣」の特定が困難であった。しかし、検察審査会法の法改正が含まれたどの場合においても法務大臣が共通的に署名者に含まれていた。そこで、法務省所管の法律を調べることとした。
(2)各行政機関がどのような法律を所管しているかは、e-Gov 電子政府の総合窓口(イーガブ)の「法令データ提供システム」(http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi)のサイトが最も詳しいらしいことが分かった。このサイトの法務省所管の法律のページ中に、図3 (インターネット画面の一部を切出したもの) に示すように、検察審査会法が含まれていた。これにより、現在は、検察審査会法の「主任の国務大臣」は “法務大臣” であることが確認された。
図3 法務省所管の法律データに関するページからの切り抜き画面
なお、最初の検察審査会法の「主任の国務大臣」は内閣総理大臣のみであった。GHQの要求で急いで法律は作ってみたものの、閣内で検察審査会をどの機関に置くべきかについての結論が出ていなかったためと考えられる。なお、いつの時点で「主任の国務大臣」が内閣総理大臣から法務大臣に変更になったのかまでは追跡できなかった。
(3)以上で示したように、「検察審査会法の主任の国務大臣は “法務大臣” である。」ことが分かった。
2.検察審査会は準司法機関ではない
(1)準司法機関については法的な定義はまだなされていない。これまでに、下記のような準司法手続に関しての調査報告がなされている。
(a)21世紀社会にふさわしい準司法手続の確立をめざして
自由民主党政務調査会 (平成19年3月20日)
http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2007/seisaku-002.html
(b)準司法的手続に関する調査研究報告書
財団法人 行政管理研究センター (平成19年10月)
http://www.soumu.go.jp/main_content/000078218.pdf
(2)(財)行政管理研究センターの報告書は、(a)の資料の検討内容も考慮して作成されたものである。本報告書では、図4に示すような条件を満たす「行政審判」手続が「準司法手続」と称される場合が多いとされる。また、「行政審判」はその形態により3タイプに分類され、それぞれに属する代表的な行政委員会等も記載してあったので、これらの内容も図4の中に合わせて示した。
「準司法手続」と称されるべき条件の中で、最も特徴的な条件は、
(a)(審判される当事者に対して)公開の口頭審理の機会が法律上保障されていること。
(b)(審判における)事実認定が手続に現れた証拠によってのみなされること。
である。
図4 準司法手続とは
(3)検察審査会法に記載されている「審査」手続を図示すると、図5のようになる。この手続の特徴は以下のようである。
(a)検察審査会は非公開である。
(b)陸山会関係の議決理由では、事実認定のための証拠がなく(注)、心証的理由が主であった。
すなわち、(3)の(a)と(b)は(2)の(a)と(b)を全く満たしていない。
(注) 以下を参照のこと。
再び:検察審査会が「甲」の審査申立てを受理したのは違法! (2010. 11. 28)
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/621.html
(4)社会的に認知されている準司法手続の共通的な条件を判定基準とし、かつ、行政審判を準司法手続で行う機関を準司法機関と定義すれば、明らかに、「検察審査会は準司法機関ではない。」と言えることが分かった。
すなわち、検察審査会法の署名者が法務大臣であり、検察審査会が準司法機関ではないとすれば、明らかに、「検察審査会は行政機関である」。この事実を、歴代の法務大臣は
「主任の国務大臣」として知っておられたはずである。
(5)閑話休題:命題について
文章が命題であるかどうかを判断する例題を図6に示す。小沢氏側の申立てについて、裁判所が「命題でない文章」に対する判断を拠りどころとして誤った裁定を下したと考えられる記事があったからである。
図6 文章が命題であるかどうかを判断する練習のための例題
3.検察審査会法の設立の経緯(関係者の談話や司法委員会での審議内容から)
検察審査会の設立当時の日本側とGHQの会談録や検察審査会法案の司法委員会での審議内容などを図7〜図11に示す。GHQとの意見の相違点や法案の裏の事情などがよく分かる。
図7に示すように、GHQとは検察審査会に法的な拘束力を認めるかどうかが争点となったが、日本側の意向が通り、拘束力を認めないことで合意されたという。
図7 検察審査会が設立された当時のGHQと日本側の会談録。
最初の検察審査会法案の第1条関係では、図8に示すように、所管の政府機構をどこにするのかという質問に対し、政府側は明確な回答をしなかった。政府内での意見の調整がこの段階ではできていなかったためであると考えられる。法律の署名が独任庁としての内閣総理大臣のみのであったからである。1
図8 検察審査会法案第1条についての審議内容。
第2条関係では、虚偽の審査申立てに対しては誣告罪の適用もあり得ること、第3条関係では、「検察審査会は、独立してその職務を行う。」という文言は、敢えて条文として入れたという政府側の回答があった(図9)。検察審査会は戦後の検察の民主化を目的にGHQの意向で設立されたので、法案作成側としてはおそらく “検察庁から独立して・・・” などとしたかったのであろう。しかし、終戦から日が浅く、過去に巨大な権力を持っていた特高上がりの人達も多かったであろうから、“・・・から独立して” とまでは条文として書くことができず、何とでも解釈(言い訳)ができる含みを持たせた表現に留め置かれたものと推定される。また、検察審査会法には内閣総理大臣が署名していることから、内閣から独立した機構ではなかったことは明らかである。ちなみに、会計検査院法(昭和22年4月19日法律第73号)では、「第一条 会計検査院は、内閣に対し独立の地位を有する。」となっており、何から独立しているかが明記されている。
図9 検察審査会法案第2条と第3条の審議内容。
図10に示すように、第16条関係では、検察審査会は裁判所に間借りしてその事務処理を手伝ってもらっているだけで、職務内容は裁判所から独立しているとの回答があった。すなわち、検察審査会は行政機関(当時の言葉では機構)であるという認識であった。第21条関係では、現在は問題として上がっていないが、不起訴になった案件は控訴時効になるまでは検察審査会での審査の対象にできるという回答があった。この回答には、恐ろしい内容が含まれている。誰かが恣意的にある人を告発し、たとえ不起訴になっても、忘れた頃に検察審査会で「起訴相当」の議決がなされると自動的に強制起訴されるという問題があるからである。
図10 検察審査会法案第16条と第21条の審議内容。
「もう一つの国民の刑事司法参加」という資料に記載されていた、検察審査会の設立責任者であられた佐藤法務行政長官の談話を図11に示す。検察審査会法はGHQの要請で急いででっちあげた法律であること、検察審査会の所管を法務府としたことなどが述べられている。
図11 「もう一つの国民の刑事司法参加」という資料から一部抜粋した文章である
4.国民の司法参加について
国民の司法参加に関して、「国民の司法参加」(法務省)という資料から意義・趣旨の部分の一部を抜粋した文章を図12に示す。法務省の文章が表そうとしている全体イメージが見えない。文章の中の“司法”という言葉を“研究開発”に置き換えてもほとんどそのままで文章が成り立つ。これは、司法参加ということの最も重要で特徴的な内容が意義・趣旨には書かれていないことを意味する。一般的には、概念が異なることについて書くと、自然にその概念特有の性質に合った文章になるはずであるからである。
図12 「国民の司法参加」(法務省)という資料から抜粋した文章
法務委員会での法務大臣による検察審査会法の改正理由についての説明を図13に示す。法務大臣の説明は非常に言葉足らずで真意が伝わっていない。権力側による現在の検察審査会の利用の仕方からみると、投稿者のパロディ欄に記したような真意があったことが窺われる。投稿者の素人考えでは、拘束力をもたすだけであれば検察審査会法を改正しなくても、既にある同様の内容をもった刑事訴訟法の第262条〜第270条の当たりを改正した方がすっきりさせられたのではないかと思っている。しかし、この場合は不起訴案件の不服申し立てについては裁判官が取り扱いを決定することになるので、たとえば、くじで選んだ検察審査員がたまたま年頃の似通った非常勤の司法修習生となったというような芸当はできなくなる(これまでにしたことはないと思うが!)。
図13 法務委員会での法務大臣による検察審査会法の改正理由の説明
国民の司法参加と憲法の関係についての法務委員会での議論例を図14に示す。これ以外の法務委員会での審議内容も含めると、政府側の意見は、「国民の司法参加は憲法上の権利ではなく、また憲法上の要請でもない。憲法に違反しない、あるいは、憲法で許されると解釈されるような政策判断(政策施策)である。」ということである。
図14 法務委員会での裁判員制度と憲法の関係に関する議論例
司法の信頼を高めるための施策としては、例えば、司法関係者の理数・工学系での論理・思考方法の実地訓練など多くの施策が考えられるはずである。これらの施策の内の1つであるに過ぎない「国民の司法参加」のみが強調され、司法関係者自身の能力向上に拘わる施策があまり言われないのにはそれなりの何か訳があるのであろう。
5.憲法と法律について
憲法と法律の関係について図15に示す。憲法は国家権力の行使を制限するための法規であり、法律は国家が国民の権利や自由を制限するための法規であると言える。憲法の前文では、「(国家の)権力は国民の代表者がこれを行使する。」という憲法の基本原理が述べられている。
図15 憲法と法律の関係
検察審査会の審査員が国民目線で拘束力のある議決を行うことについての憲法上の疑問を図16に示す。旧検察審査会法のように、検察審査会の議決に拘束力がなく、諮問的なものであれば国家権力の行使に安全弁が付いているようなものなので国民の主権への影響は小さい。しかし、拘束力を持った改正検察審査会法の現在の運用上の解釈、すなわち、検察官が不起訴とした案件に対して、
(@)国民の代表者でない検察審査員(個人データは非公開)のみで構成される
(A)上級庁の決められていない(とされる)独立した検察審査会が
(B)どこからも束縛されることがなく議決を行い、
(C)その議決結果が「主任の国務大臣」の承認を得るという手続を経ることもなく、
(D)国家権力としての効力を持って行使される。
というようになってくると、これは明らかに、憲法の基本原理に違反していると考えられる。
図16 改正検察審査会法に対する憲法上の疑問
国民の権利と国家権力、および、国家権力である立法権・行政権・司法権の3権の相互間の関係を模式的に表すと図17のようになる。ひし形の図形は、各境界を出入りするためのドアーを示す。3権の間で相互に機能する抑制効果を意味させた。
図17 国民と国家権力の関係図
6.政治資金規正法上は小沢氏の元秘書3人の逮捕・起訴は違法かも知れない
図18に、政治資金規正法の条文をもとにして作成した報告書等の提出・訂正フローと政治資金規正法第31条を示す。報告書等に “形式上の記載の不備など” がある場合には、第31条の規定により、総務大臣等の命令で訂正させることが可能な法構造になっている。報告書内容の訂正に関するフローは分岐ループ(サブルーチン処理)の部分に対応する。政治資金規正法上は、訂正命令の回数と訂正命令を発することができる時期については規定されていない。すなわち、報告書等の保存期間である3年間の間については、報告書等の記載内容に“形式上の記載の不備等”がある場合には、フロー的にはいつまでも分岐ループの中にあることになる。そのため、この期間中に“形式上の記載の不備など” の疑いで検察官が会計責任者を捜査・逮捕したいと思っても、事前に「主任の国務大臣」である総務大臣等に情報を入れ、政治資金規正法関係の専門家の意見も聞いて、会計責任者に訂正の機会を与えるに足る不備内容であるかどうかを確かめる必要がある。この手順を手抜きして、分岐ループの中にある報告書等の内容に関係させて、検察官が独自の判断で会計責任者等を逮捕・起訴することは、おそらく総務大臣の権限に対する違法な越権行為に当たると考えられる。
図18 政治資金規正法の報告書等の提出・訂正フローと政治資金規正法第31条
検察官が小沢氏の元秘書3人を“期ズレ”記載の容疑で逮捕・起訴する前に、政治資金規正法の規定の趣旨を酌んで、法務大臣の判断を事前に仰ぐという手続を行っておれば、現在のような政治の混乱は生じなかったと予想される。あるいは、意図的に逮捕・起訴をするためにあえて相談をしなかったのかもしれないが! しかし、政治資金規正法はこのようなことを許す法構造にはなっていない。立法時に、国民の代表者である国会議員が、ささいなことに捉われないで天下・国家の大きな目標に向かって邁進すべしという政治家魂的なものが背景にあったのではないかと思われる。
(たとえ話) ある男が東京駅から品川駅までの切符を買って列車に乗った。途中で横浜での用事を思い出し、そのまま列車に乗って行くことにした。検察官がいくら捜査・逮捕・起訴権をもっているとはいっても、品川以遠のある地点で、この男を無賃乗車の疑いで逮捕し、起訴することは法的に許されていない。不足運賃は横浜駅の改札口を出るまでに支払えば良いことになっているからである。政治資金規正法における報告書等の“形式上の記載の不備等”についても、論理構造的にはこの場合と同様であり、保存期限前に訂正すべしとされるところがあれば訂正すれば良いだけの話である。
7.植民地支配の常とう手段
これまでの6項目は、表に現れてニュースとなったものを対象としたが、本項目はこれらのニュースが生みだされる原因となっている見えないしくみに関するものである。長い歴史の中で、「常に存在するが常に見えないようにされているしくみ」であるが、その指導原理は非常に単純である。
すなわち、支配側に継続的に利益が流れ込むようにするために、
(1)被支配国の政治勢力を分裂させる。
(2)被支配国の国民に気づかれないように味方側を支援して支配を続ける。
というのが基本のパターンである。非常に重要なテーマであるが、ここでは、3件の資料のURLを示すに留める。原文に当たってもらった方が良いと思うからである。
・オランダ植民地統治と法の支配 (京都大学東南アジア研究センター 吉田 信)
東南アジア研究 40巻2号 2002年9月
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/53726
・アメリカ:闇の支配構造と掠奪戦争〜「「拒否できない日本」を読んで」
http://blog.trend-review.net/blog/2009/10/001383.html
・官僚階級と植民地支配とアメリカ留学 (山崎行太郎: 2010年1月22日)
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100122/1264117548
8.米国の愛国者法と日本における法改正の動向
この項目についても、4件の資料のURLを示すに留める。原文に当たってもらった方が良いと思うからである。
・米国愛国者法(反テロ法)(上)
外国の立法 214 (2002. 11)
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/214/21401.pdf
・米国愛国者法(反テロ法)(下)
外国の立法 215 (2003. 2)
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/215/21501.pdf
・組織犯罪処罰法改正案(いわゆる共謀罪の新設) (2006. 5. 10)
http://blog.goo.ne.jp/hisap_surfrider/e/91f025dcfcdbc2e6a17f3c53af9c4119
・大谷昭宏氏の「共謀罪を止めた男」の話しを聞いて目から鱗、オザワンと言うのは大した男だ (2010. 6. 15)
http://www.asyura2.com/10/senkyo88/msg/562.html
9.起訴便宜主義について
起訴便宜主義とは、算数的な表現で言うと、「1+1=2でもよい。」とする主義のことである。50円と100円の買い物をしたお客達に対して、売り手の気分(考え)で、ある客には150円を請求し、他の客には10,000円を請求しても良いとする主義である。これでは、安心して買い物ができない。数式を扱う世界では、「解の一意性」や「1対1対応」が論理を進めて行く場合の前提となっている。数式が単純であるか複雑であるかには関係しない。
法の世界と数式の世界とは異なるが、法の運用上の理想は、「解の一意性」のようなものの実現、すなわち、同じような内容の案件に対しては必ず同じように対応するということであると思う。そのためには、「同じような内容の案件」とは何かについて定義ができる法文体系になっている必要がある。法律は国民が守るべきものであり、国民が条文を読んでも分からないという文章表現になっておれば法律の守りようがない。
起訴便宜主義を野放しにしておいて、「国民の司法への信頼を高めるために、国民の司法参加を推進する。」ということが分かりにくいのは、以上のような理由にある。これに事後主義が加われば、「司法への信頼」どころの話ではなくなる。「何で自分だけが?」となる人が増えるであろうからである。
10.おわりに
陸山会問題の経過をたどると、図19に示すように、違法と考えられるような判断の連続のように思われる。
図19 陸山会問題の経過と各時点における違法と考えられる判断内容
このような異常な事態を理解するには表面に現れた個々の事象のみではなく、このようなことが起きる原因となる見えない全体的なしくみについて考えてみる必要があると思う。7項目目と8項目目はその試みとして加えたものである。特に近頃は、政治の中枢部分で、日本人が育んできた美意識とはかけ離れた基準をベースとした判断・行動様式が強く現れてくるようになってきたのが気にかかるところである。
ここで、日本人の美意識とは、たとえば、唐木順三著「中世の文学」(筑摩叢書)に書かれているようなものの感じ方・捉え方が底流としてあるような意識と捉えている。
(おわり)
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