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(回答先: Re: test 投稿者 pochi 日時 2010 年 12 月 07 日 08:41:02)
「人間の戦いは、個人対公的機関だ」 ―― 内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者、ジュリアン・アサンジ氏はかつてこう語った。
強大な権力を持つ組織(政府・警察・裁判所・学校・教育委員会etc)の好ましくない点や不正を正そうとする個人と、そのような動きを阻止しようとする組織――この対立の構図は、何も「ウィキリークス」の場合だけにとどまらない。
ビラを配れば、住居侵入罪や国家公務員法違反で逮捕され、証拠のクジラ肉を検察庁に提出すれば、窃盗罪で逮捕される――こうした〈権力組織の不正を暴こうとする側〉と〈権力を持つ側〉の対立は、まさにアサンジ氏の言う〈個人〉と〈公的機関〉との戦いでもある。
そうした中、「現代における〈正義〉論 〜市民により不正を暴く権利とその限界〜」と題されたシンポジウムが、7日、霞が関の東京弁護士会館で開かれた(主催:日本環境法律家連盟、パプリックイシュー連絡会議)。
司会は、東京弁護士会公益通報保護特別委員会の委員長を務め、また〈オリンパス裁判〉の弁護団に名前を連ねる光前幸一弁護士、パネリストには、ハーバード大学サンデル教授の「正義」にまつわるテレビ番組解説で知られる小林正弥千葉大学教授、ジャーナリストの斎藤貴男氏、国際人権法に詳しい東澤靖弁護士(明治学院大学法科大学院教授)、そして〈クジラ肉裁判〉の弁護団の一人、日隅一雄弁護士らが顔をそろえ、それぞれ〈正義〉や〈告発〉のあり方について意見を述べた。
〔小林教授〕
小林教授は、サンデル教授の正義に関する3つの類型(1、最大多数の幸福を実現するような功利主義的正義 2、司法的正義 3、善や真といった美徳的正義)を紹介しつつ、今回のクジラ肉裁判について、特に2つの考え方を紹介した。
「所有権や財産権などの権利関係を重視する立場(注・いわゆるリバタリアニズム)からすれば、告発のためであれ、クジラ肉を倉庫から持ち出す行為は有罪になるでしょう。しかし、『クジラの保全』といったことが、人々の間での共通善としてあれば、告発行為は、その共通善に寄与していることになり、正義に適(かな)うとも言い得ます。」
小林教授は、立場としては後者のようで「倉庫への侵入、そして持ち出しという行為には比較考量も大事であるし、〈勇気〉という美徳の観点からも告発した人間の行為を正義ととらえることができる」と発言した。
さらに小林教授が問いかけたのが、次のような例だ。隣家から幼児の泣き声が聞こえる、どうも幼児虐待かもしれない、しかも、日に日にその泣き声が弱くなっている。そういう時に、隣家の窓を破って侵入する行為は許されるのか――。
小林教授はその事例のあとで次のように述べる。
「そもそも日本においては、『検察や司法が正義』と考えられてきた傾向があります。しかし、法律とは、〈権力者の定める法律体系〉とも言えるのであって、〈法を超えた正義〉も考えられるのではないでしょうか。」
「法的には有罪だが、正義の行為ということもあるかもしれないし、法適用の際にも『道徳的には正義である』ことを考えた、刑の減免や無罪判決があってもいいでしょう。」
「その社会の共通善に寄与するかどうかという視点から考えることも必要で、〈クジラ肉裁判〉とは、司法的正義と道徳的正義の対立とも考えられます。」
〔東澤弁護士〕
続いての発言者、東澤氏は弁護士らしく、自身が「司法的正義」つまり法律に則(のっと)った正義の立場に立つと表明した上で、〈クジラ肉裁判〉における2つの重要な前提、そして日本における最高裁の奇妙なロジックについて説明があった。
東澤氏が言う「クジラ肉裁判の重要な前提」とは次の2点だ。
(1)〈クジラ肉裁判〉とは、「表現の自由」に関する裁判である。なぜなら、何かを表現するに当たっては、それに先立って、調査・取材・情報収集といったことが絶対的に必要だからである。
(2)そして、「表現の自由」は民主主義的社会にとって欠かすことのできないものである。
上のような前提があるにもかかわらず、どうして〈クジラ肉裁判〉、あるいは、各種のビラ配布事件(例 立川ビラ配布事件、葛飾ビラ配布事件)に見られるような、ある意味で奇妙な有罪判決が出て来るのか、その理由について東澤氏は次のように説明する。
「日本の司法、とりわけ最高裁は、表向きは表現の自由などの基本的人権を尊重するように言っていますが、その一方で、『調査や取材は絶対的なものではなく、他人の権利を不当に害するような活動は許されない』として来ました。しかし、現実の生活の中では、いろいろな情報収集や調査活動、取材は、どうしても他人の権利にひっかかって来ざるを得ません。また、沖縄密約の問題を考えても、権力者の側の不正を暴こうとすれば、時に、ぎりぎりのことをしなくてはならなくなる場合が出て来るのです。」
「今回のシンポジウムの副題にある〈市民により不正を暴く権利〉という点からすると、最高裁が言うように、他人の権利を不当に害するような活動は許されない…というふうな原則で市民の活動が制限されると、これは恐ろしい社会になってしまうおそれがあります。」
「もうひとつ、恐ろしいのは、検察や警察が、被疑者を好きなように拘留できることです。あることが有罪か無罪かは、法廷で決着をつければよいことで、その前に、言わば検察・警察の胸三寸でビラを配ったり告発したりした者の身柄を拘束出来てしまう、そのことが市民活動への非常な委縮効果をもたらすわけです。これが〈人質司法〉と呼ばれているゆえんですが、こういうことを考えて行かなければならないと思います」
さらに東澤氏は「日本の司法制度の中で、個々の取り組みはあるものの、〈人質司法〉といった根本的な悪弊をなかなか是正できていない」と指摘し、司法制度を変えて行く取り組みの一つとして、国際人権規約(注・日本は1972年に批准)などの国際人権条約やヨーロッパ人権裁判所の判例(注:前回記事でも海渡弁護士が数多く紹介している)をもとに、日本の事件を考えて行くことを提唱した。
〔斎藤貴男氏〕
〈クジラ肉裁判〉の青森地裁判決(注:告発のためのクジラ肉持ち出しを窃盗罪とした。2010年9月6日)を「社会秩序を維持するためには、やむを得ない」としながらも、「罪に問われる危険性を顧みずにグリーンピースジャパンの2人が行動に出たことにシンパシ―(共感)を感じる」と切り出しのたは、フリーのジャーナリストの斎藤貴男氏だ。
斎藤氏によれば、「司法も、時の政権におもねることがあるから、〈何が正義か?〉について、完全に司法にゆだねてはいけない」という。
「だから、私は、今回の有罪もやむなしという立場ですが、問題は、判決そのものよりも、事件をうまく利用した警察の動き、具体的には〈世論誘導〉にあると思います」
例えば、警察が家宅捜索をし、その家宅捜索に入る様子をうまくマスコミに撮らせて、対象となっている団体が、とんでもない活動をしているような印象を視聴者に与えたり、そうした世論誘導によって、いろいろな活動に携わる人々の生活までを破壊したりしている事実があると斎藤氏は指摘する。
「権力の側をチェックすべきジャーナリズムが、権力に対して追従している。まさにジャーナリズム自らが自滅しているわけです」
斎藤氏によると近年は企業への取材も非常にやりにくくなっているらしい。取材を申し入れても、なかなか受けてもらえなかったり、「お尋ねの件は、すべてホームページに載せてあります」といなされてしまったりするということだ。
「ホームページに載せてある情報というのは、すべてその企業にとって都合のいい情報でしかないわけです。ですから、本当に真実を暴こうとすれば、かなり踏み込んだ取材もせざるを得ない、だから、司法には司法の価値観があり、本来はジャーナリズムにはジャーナリズムの価値観があってもよいと思います。もちろん、司法にとっての正義はあるでしょうし、もし、自分のやった取材活動が最終的に有罪となれば、その時は私は刑に服する覚悟はあります」
そういう覚悟からか、斎藤氏は「グリーンピースの2人にはシンパシ―を感じる」と言うが、近年、ジャーナリストは何か書くとすぐに訴えられるケースも多く、しかも「そういう時にも、業界(ジャーナリズム)は全く味方してくれない」とのことだ。「企業の顔色をうかがう“ジャーナリスト”が多くなった」と斎藤氏は嘆く。
会場では、参加者からの質問・意見も多く出された。その中で、今回の「調査捕鯨での横領を告発するための、クジラ肉持ち出し」について、「ほかに手段は無かったのか?」「正義のためなら何をしても許されるという風潮を生みはしないか?」といった意見が出されたが、それについてふたりの弁護士からコメントがあった。
ひとりは、前回記事で紹介した海渡雄一弁護士で、同弁護士は、告発行為に関するヨーロッパ人権裁判所の判例を紹介した。
「ヨーロッパ人権裁判所は、告発に際して3つの基準を定めています。ひとつは、その行為が、公共の利益を目的としていること、ふたつめには、利害が均衡していること、つまり、より大きな公共の利益のために、やむを得ず法律にふれるおそれのある行為をする――そのプラスとマイナスのバランスが取れていなくてはいけないということです。そして、3つめには、倫理的基準に照らしても認められるということです。例えば、告発するのでも過度にセンセーショナルな方法を用いてはいけません。これらの点からすると、さきの警視庁からの捜査協力者のリスト漏えいなどは、認められないでしょう。ヨーロッパ人権裁判所でも、告発行為を無制限に認めているわけではなく、例えば、同裁判所で扱われる事例が100程度あるとすると、(正当な告発行為として)認められるのは、せいぜい10か20ぐらいだと思います。」
〈クジラ肉裁判〉の弁護団のメンバーで、パネリストとして前に座った日隅弁護士も、雑誌「環境と正義」2010年11月号に執筆した記事を示しながら、今回の裁判に証人として出廷したデレク・フォルホーフ教授の言う基準を紹介した。それによると、政府等の不正を暴くための情報収集やそれらを発表する行為が、形式的には法に触れるものであっても、免責される場合としては次の6つをフォルホーフ教授は挙げているという(注:上記海渡弁護士の3点と重なる点も多い)。
(1)公共の利益に関する情報を明らかにするという目的があること
(2)代替的な手段がほかに無いこと
(3)法に触れて入手するものが非常に重要な証拠であること
(4)法に触れることによって侵害される利益が大きいものでないこと
(5)行為者に利得の目的が無いこと
(6)不当にセンセーショナルな方法によって発表されないこと
また、日隅弁護士によれば、当初グリーンピース・ジャパンの2名は、証拠となる鯨肉のビデオ撮影をするだけの予定であったという(そのあたりの詳細は、現代人文社『刑罰に脅かされる表現の自由』に詳しい)。
「調査捕鯨のおかしさ」「クジラ肉の横領」――そして、それらへの告発行為と聞くと、何か、私たちの日々の生活とは、やや縁遠い印象も受けるが、会場は活発な意見交換が行われ、2時間半のシンポジウムは、サンデル教授ふうに言えば「白熱」した内容であった。
なお、この〈クジラ肉裁判〉について、クジラ肉を持ち出した佐藤潤一氏(「グリーンピース・ジャパン」事務局長)と海渡雄一弁護士が、『刑罰に脅かされる表現の自由』(現代人文社)の中で、端的に核心を突いている箇所があるので、最後に紹介したい。
「これまで私たちが捕鯨問題を訴えると、どうしても西洋VS東洋という図式で、文化の違いに議論がすり替えられがちでした。しかし、問題点はもっと違うところにあります。“調査捕鯨”にまつわる利権構造や、税金の無駄使い、その非科学性、そして事業継続により、環境破壊の影響をもっとも受けやすいとされる南極海を国際社会がクジラ保護区(サンクチュアリ)と定めたことを有名無実化してしまっている点が議論されるべきです。私はこの裁判を通して、捕鯨問題を〈イデオロギー対立〉から、〈税金を使って本当にやる必要のある事業なの?〉と冷静に考えるきっかけにしてもらえればと思っています。その上で同時に、日本における市民の〈知る権利〉や、NGOおよびジャーナリストの社会における監視役としての重要性も問い直せたらと期待しています。」〔佐藤氏〕(注:前掲書P23)
「本件は単純な窃盗事件ではなく、NGOの行なう調査活動において、どのような行為・手段が許容されるかを問う、まさに表現の自由、知る権利という重要な人権保障をめぐる裁判なのです。」(海渡弁護士)(注:前掲書P30)
〈クジラ肉裁判〉は、今後、仙台高裁に法廷を移して争われることになる。本裁判を通じて〈正義〉や〈告発〉のあり方についての議論が深まることが期待される。
(了)
〈関連サイト〉
◎日本環境法律家連盟(JELF)
◎グリーンピース・ジャパン
今月1日付で星川淳前事務局長の後任として佐藤潤一氏が事務局長に就任した。
http://www.greenpeace.or.jp/info/staff/?gv
〈関連記事〉
◎「不正を暴く権利」はどこまで認められるか?〜クジラ肉裁判より〜
http://www.janjanblog.com/archives/18814
〈参考記事〉 〜「権力を握る組織」と戦う人たち〜
◎群馬県警の「裏金」に抗議して、でっちあげ逮捕された大河原氏の場合
http://www.janjanblog.com/archives/22407
◎東京都教育委員会に異を唱えて、報復的業績評価をされた土肥氏の場合
http://www.janjanblog.com/archives/17119
◎担任による性的暴力で浦安市と千葉県を訴えた小6女児と保護者の場合
http://www.janjannews.jp/archives/2937122.html
◎報復人事をめぐってオリンパス社と戦う現職社員・浜田氏の場合
http://www.janjanblog.com/archives/20492
◎区議会だより等を配布していて、住居侵入罪で逮捕された荒川氏の場合
http://www.news.janjan.jp/living/0912/0911303893/1.php
◎裁判所や丸の内警察署前で「司法改革」等を訴えて別件逮捕された大高氏の場合
(一部情報によると、大高氏は12月6日に東京拘置所に移送されたとのこと)
http://www.janjanblog.com/archives/23416