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(回答先: Re: 檀公善:ウォルフレン講演会の度重なる会場変更の経緯とお詫び、および聴講者と新実行グループへのお礼と感謝のメッセージ 投稿者 檀公善 日時 2010 年 12 月 07 日 16:07:46)
「真っ白」グループは、私、檀公善が、平成22年8月18日を皮切りに、★阿修羅♪掲示板に投稿した、「小沢真っ白」の真実をPRし、かつ政権交代を平成維新に発展させる行動を起こしていこうという一連の呼びかけに賛同して、メーリングリストというネット上のグループに参加した同志の組織です。参加するのも自主的で自由かつ任意であり、退散するのも自主的で自由かつ任意です。
「真っ白」グループは、平成22年12月5日、ウォルフレン博士の講演会を開きました。この講演会の開催については、直前に至って会場問題による混乱が生じ、実行委員会が中止決定したものを、ピンチヒッター的に名乗り出た5人の新実行グループが引き取り、実施されたものです。
高木共生氏をはじめ、全員が「真っ白」グループのメンバーである9人の新実行グループ(高木共生、上京明、Noriko Espinoza、笹崎幸雄、小川真由美、服部弘志、川田保、佐藤和子、山梨アイ子)のみなさまに、まず深甚な感謝の言葉を捧げるものです。
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まず会場問題が発生した経緯と、私の責任について報告します。すでに★阿修羅♪掲示板において報告してきましたように、この講演会の会場の手当ては、当初よりきわめて困難な課題でした。日比谷公会堂における開催を告知できたのは、もともとこの会場を終日利用する権利を確保しておられた宗教法人真光正法之會(以後、真光)の好意により、夜の部について、私どもが利用できるよう配慮していただけるということが前提になっておりました。
この合意の翌日、真光から日比谷公会堂管理事務所のほうに、夜の部をキャンセルし、「真っ白」で使えるようにしたい旨を伝えたところ、管理事務所(都から管理を移植されている財団)は、昼の部が4時までというルールを楯に、真光が4時までに退出をするという条件を持ち出してきました。これは真光にとっても受け入れがたい条件であるため、私は秋元実行委員長の助力により、あるO都議を通して、都に柔軟な対処を求めました。
都の管轄は、建設局公園緑地部公園課です。公園課としては、1)両者間の合意が前提、2)4時から5時までの空白の1時間について発生する新たな追加料金をどちらが負担するかを明白にすれば、継続使用はOKで、両者の利用区分を何時で区切るかは任意というものでした。この都の方針を確認したことによって、私たちは日比谷公会堂による開催の告知を開始しました。
私は再度真光を訪問し、広報担当のS氏にこの報告を行うと同時に、あらためて感謝の言葉を述べてきました。S氏は「よかったですね。おめでとうございます」と祝意を表明してくれました。真光には、夜の部の料金4時間分が戻りますが、その中から追加料金の1時間分を負担していただくこともお願いしました。
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12月1日、私は手続きの件で、日比谷公会堂の管理事務所を訪れました。信じられない対応でした。上(公園課)からは一切何も聞いていない。文書も来ていない。文書による指示が無い限り、われわれは何もできない。慳もほろろの言い分です。これ以上押し問答をしてもむだだと判断した私は、とりあえずそのまま辞去しました。
その日の夜、都に話をしていただいたO都議より電話がありました。管理事務所から公園課に、「真光と『真っ白』の間に合意なるものは何もない」と報告があったということで、夜の部を「真っ白」に貸すという話はなくなりました、というのです。
私は直ちに真光を訪ねました。O都議からの電話の内容をもとに、夜9時過ぎまで話し合いました。私が報告していた公園課の配慮について、これを否定する話が、管理事務所から真光に伝えられていたのです。
私は必死になって公園課の話を伝えましたが、管理事務所の話によって不信感に陥っているE氏(S氏の上司)を説得するには、エビデンスがありません。結局私が翌朝公園課を訪ねて、「ご理解いただけるよう手筈を整えます」と言い置いて、辞去しました。
そこから直ちに八王子に向かい、国民の会の矢野氏と落ち合いました。ここまでの経過を説明し、明日公園課を訪ねるので同行してほしい旨を依頼しました。公園課には2日午前10時半に、U課長とT課長補佐(指導係長)を、矢野氏といっしょに訪ねました。そこで聞かされたことは、かねてO都議を通じて聞いていた内容と、寸分変わりませんでした。すなわち、
1)両者間の合意が前提、2)4時から5時までの空白の1時間について発生する新たな追加料金を、どちらが負担するかを明白にすれば、継続しての使用はOKであり、両者の利用区分を何時で区切るかは、両者の合意によって任意であるというものでした。
その上で「12月5日に間に合うためには、今日(2日)、明日(3日)中に手続きを済ませてください。管理事務所には、今朝電話をしてありますから……。また真光さんの方で、公園課の方針について確認したいことがあれば、私(T課長補佐)が対応しますので、直接電話をくださるように伝えてください」とのことでした。
私は矢野氏と分かれ、その足で真光に向かいました。公園課に行ってきたこと、そこでの話の内容の全容を報告しました。その上で、公園課のT課長補佐に電話で確認していただくことをお願いしました。S氏の上司であるE氏は2階に上がりました。さっそく電話をしているようです。その間、担当者の一人でS氏の部下のF氏が種々話を聞かせてくれました。
真光正法之會は、崇教真光系の教団の中でも小さなほうで、自前の会館が一つもないのだそうです。したがって、
「さまざまのイベントを計画する都度、方々の会館を借りて行うんです。年間の行事のすべてに会館を借りる作業は、とても大変な私たちの仕事なんです。とくに多くの会館等は、一年前に申し込むとか、申し込んでも抽選で借りられないことも多々あって、苦労させられています。だから今回のことで苦労されている檀さんの立場とお気持ちはとてもよく理解できます。」
「日比谷公会堂はよく利用しており、あの場所が使えなくなると、うちの教団活動ははっきりいって麻痺するんですよ。なかなか管理事務所からは注文が多くて、日比谷公会堂さんにはかなり気を遣います。何かトラブルが発生して、使えなくなるようなことにならないかと、上の決断もそこらへんでしょうね。」
やがてE氏が2階から降りてきました。私はここが最後のチャンスとばかり、精魂込めて窮状を訴え、必死に救いを求めました。あらゆる質問にも、一つ一つはじめから丁寧に説明しました。ウォルフレン博士のことは、すでに調べていたらしく、よく理解しておられました。講演会の意義も十二分に評価しておられました。これ以上お互いに交わす言葉もなくなったところで、E氏は最終決済を仰ぐために、再び2階に上がって行かれました。
緊張をほぐそうと何度も深呼吸をしました。今現在、多次元空間の中にいる自分の位置を考えてみました。もちろんいろんな意味で、とんでもない崖っぷちにいるのは確かなのですが、その自分の位置と繋がっているあらゆるものが、一つ一つ無限空間の中の想念の中に見えてきました。背負っている責任のことを一つ一つ考えました。書いても書いても書ききれないほどの責任を背負っていることが自覚され、慄然としました。
例えば米木さんからの100万円をはじめ、心を込めて浄財を捧げてくれた人たちのこと。「12・5にはぜひ帰省してください」という私の要請を受けて、はるかサンディエゴから飛んできてくれているNorikoさんご夫妻。新潟で、名古屋で、動員のために最後の最後まで必死の努力を傾注しておられるであろう同志たち。ウォルフレン博士の講演を心から楽しみに待ち望んでいてくれる多くの人たち。そして骨身を惜しまず講演会実現のためにがんばってくれている実行委員のみなさん。★阿修羅♪さんをはじめ、協賛者としてサポートしていただいているみなさん……。
気が遠くなるほどの無限の責任を背負って、今私は一人ここに座っているのです。断崖絶壁の崖っぷちの椅子に……。
長い長い時間が経過したように思えました。E氏が2階から降りてくる足音が聞こえてきました。心臓がバクバクしてきました。ソファーに座ったE氏の顔が、苦渋で緊張していました。
「結論ですが、ほんとうに申し訳ありませんが、今回の件は、お役に立てないということになりました」
ついに、向き合うべき結論と対峙するときがきたのです。この結論もまた、天の配剤です。だから私の中には、真光に断られたという被害感など、微塵もありません。ましてや日比谷公会堂を使えなくなったことについて、真光に責任を転嫁することなど、もっての他であると考えています。
もともと私の方の一方的で勝手なお願いから始まったことであるにもかかわらず、最後の最後まで、親切に誠実に対応していただいたことには、感謝の念以外の何ものもありません。真光の立場に立ち切ったとき、決裁者の方の決済もまた、正しい決済であったに違いありません。無理と道理は両立しない。私が学ぶべき哲理は、むしろそういうことであるに違いありません。
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真光を辞去すると、日比谷パークセンター・テラス席に集まっている実行委員のみなさんに報告するべく、矢野氏の携帯に電話して、「だめだった。あとはそちらに行って報告する」と伝えました。バスで西武池袋線の石神井公園駅に出、有楽町線の日比谷経由都営三田線内幸町の順路で、ミーティングの現場に向かいました。
途中、思案に暮れました。「結局、あれしかないのか」と思いました。日比谷公会堂と日比谷野外音楽堂は、同じ日比谷公園内で至近距離にあり、管理も同じ、ホームページも同じです。しかも今回は、12・5の同日の講演会の前までは、三井環氏支援の集会をこの日比谷野外音楽堂で催し、ここからデモ行進が出発することになっており、したがってこのために、三井さんの行事「12.5市民の連帯の会」の行事名で、終日貸し切られていることを、同会の堀田正人氏から聞いていたからです。このことは、日比谷野外音楽堂のホームページでも確認していました。
しかしその当時は、いくらなんでも野外音楽堂を講演会場に使うという発想は、とても考えられるものではありませんでした。12月5日といえば、一応冬。しかも夜。雨が降ったら……、雪が降ったら……。第一、講師であるウォルフレン教授に失礼では……。
日付は覚えていませんが、11月のある日、12・5の二日前、すなわち3日に右翼が日比谷野外音楽堂を使うという情報が入りました。私は早速ホームページに入り、確認しました。このときも、二日後の5日のスペースには、終日「12.5市民の連帯の会」によって貸し切られている事実が記載されているのを再確認していました。
「結局、あれしかないのか」。こんな思いに耽っている中で、矢野氏に電話を入れました。地下鉄の中で取れなかった矢野氏からの電話に、途中駅の停車中にコールバックしたのです。矢野氏の電話の内容は、ずばり「日比谷野外音楽堂を使える」というものでした。伊藤氏からも留守電が入っていたので聞いてみると、これも至急日比谷野外音楽堂を申し込むように、というものでした。私の方から提案するまでもなく、結局それしか選択肢がないということを思い知らされました。
ミーティングの場に戻ったときは、私から日比谷野外音楽堂を提案するまでもなく、すでにそのことを既成方針として、事は動いておりました。日比谷公会堂と日比谷野外音楽堂を比べるとき、その差は余りにも大きすぎますが、最終的に私の責任で日比谷公会堂が借りられなくなった以上、日比谷野外音楽堂であれ、利用できるだけでも本当にありがたいことだと受け止めるしかありません。
私は真光との交渉の顛末を説明し、最悪の結果を招いた私の責任を明らかにして、お詫びをしようと思って臨んだのですが、あたかも私の不作為によって借りられなくなったのだというような根拠の無い見解が、実行委員会の中に意図的に流布されていたために、事実とは異なる根拠で私が非難されている事態を知り、私はどう説明していいか分からない状況に困惑してしまいました。
日比谷公会堂が使えなくなったことについては、100%私に責任があることは言うまでもありませんが、それは私が、最終的に真光の同意を得ることに失敗したからであって、断じてそれ以前に、私に何らかの不作為があったからではありません。そのことは2日午前、私が矢野氏同伴で確認した東京都公園課の姿勢と、その直後の真光との交渉を振り返っていただければ明らかなことです。
失敗は私が最終的に真光の同意を得ることができなかったことにあるのであって、それ以前に私が、なすべきことをなさなかったという不作為のようなことでは断じてありません。すでに述べてきた通り、真光の否決は、100%私が私の責任として受け止めなければならない事実であり、そのことで自分自身の責任を回避する意志は毛頭ありません。
何があろうと、私が真光の同意を取り付けることができなかったのは、まぎれもなく100%私の無力だったのであり、したがって100%私の責任です。私はその責任をまっとうできなかったことをもって、その日のうちに実行委員を辞任する旨、意思表示をしました。
ともあれ、事ここに至ったからには、たとえ日比谷野外音楽堂であれ、無事ウォルフレン教授の講演が実現すれば、これを喜びとして受け止めるべきだと思いました。この変更をもとに、実行委員会は急遽様々な事態に対処していきました。
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ところが3日の夜になって、ウォルフレン博士から、会場が日比谷野外音楽堂に変わるなら、講演はキャンセルするという意思表示がありました。
翌(4日)朝から、急遽代替会場を当たる活動が始まりました。文京区シビックホール、憲政会館と立て続けに振られ、あとは民間の貸会議室しかないということで、高木氏を中心に可能なところを当たり尽くしました。その結果「TKP東京駅日本橋ビジネスセンター・ホール3A」を押さえました。いっぽうNorikoさんがウォルフレン教授側との交渉を行い、キャンセルを復活することができたのです。
1時から日比谷パークセンター・テラス席で実行委員会が開かれました。ウォルフレン博士からのキャンセルを巡って、それでも開催するか、それとも中止するか、議論は二つに分かれました。ウォルフレン教授に損害賠償を求めるという意見も出ました。日比谷公会堂が決定していれば、こういう事態にならなくて済んだのにと思うと、胸が疼きました。
結論は実行委員長の秋元氏に委ねることとし、氏は中止を決定しました。直ちに高木氏、上京氏、笹崎氏、伊藤氏、川田氏の5氏によって新実行グループが結成され、実施に向けてのあわただしい準備が進められました。なおこの場で、米木氏よりカンパの返還を求められましたので、私はその要求を受け入れ、文書にサインをしました。カンパという金員の性質上、授受の双方に一致した意思がなければ成り立たない、という理解に基づいた判断です。
新実行グループ+私の6人は、日比谷から新会場がある日本橋までを、地下鉄の二つのコースを使って移動し、当日の誘導の仕方を検討しました。会場は使用中ということで、下見はできませんでしたが、確保は確実にできました。その後は詰めの打ち合わせを八重洲地下街の珈琲店で行い解散しました。
新実行グループの皆さんには、恐縮と感謝の気持ちをどう表現すればいいのか……実現という一つの意志のもとに、次々としかるべく手を打っていかれる姿に、ただただ見とれておりました。とくに高木氏は、前日の夜から当日にかけて、会場の再変更に伴うチラシ等を徹夜で制作したと聞いています。その尽力に手を合わせて感謝するとともに、世の中を変えていく闘いが、このような多くの尊い献身によって成るということに、あらためて確信させていただいた次第です。
最後まで私の懸念は経費の問題でした。会場費の二重払いをはじめ、もろもろの経費は、当初よりも膨らんでしまいます。私はウォルフレン教授の講演後の時間をいただき、「小沢真っ白」に関する最新情報をお話しながら、最大限のアピールによって、少しでも多くカンパを集めるための役割くらいは果たさせていただきたいとも考えましたが、全ての混乱をもたらした責任を取る意味で、5日の当日は、終日謹慎させていただくことにしました。
当日は、動画による中継を追っかけていました。いよいよウォルフレン教授の講演が始まりました。11月25日のディナーで、差し向かいでワインを酌み交わし、柔らかく煮込んだ肉に舌鼓を打ちながら、なんとか講演を引き受けとほしいと話し合ったときの記憶がまず甦ってきました。
教授はプロのジャーナリストとして、とても高いプライドを持っておられます。そのときも、デモには一切加担できない。それはジャーナリストである自分に対する評価を損ねるからだ、とはっきり言われました。したがって三井環支援のデモと一体の行事であると思われてはならないと、かなり気を遣ってきました。
またお聴きお呼びのとおり、講演の最後に、「これからディナーに行く」と言われていましたが、実はこのディナーは、数ヶ月前から入っていた教授にとっては最優先の大事な予定で、もともとはこのディナーの予定のために、12月5日の講演は無理筋だったのです。
私はこのディナーを後ろにずらしていただくことを強くお願いし、曲げて無理やり講演を割り込ませていただいたわけですから、公会堂から野外音楽堂への変更を申し入れたことに対して、キャンセルを宣告されたことについても、とても複雑な思いで受け止めました。キャンセルに対して「はい、そうですか」といって中止にするのも遺憾の念が残りますし、まして勝手にキャンセルしたんだから、損害賠償を請求するなど、とてもとてもできる筋合いではありません。
こういうこともありましたので、新実行グループの皆様の義勇には、言葉に尽くせない感謝の念を抱いています。また一切の交渉を仲介していただいたNorikoさま(ご夫妻)の筆舌に尽くせないご尽力についても、費用等問題は残っておりますが、講演会が中止になった場合と比較するならば、少しは報われたのではないかと、ほっとしています。
私と家内は自宅のPCで、UPFニュースのUストリームの実況で、ウォルフレン教授の講演を聴きました。スピーカーの音が割れるので、ステレオのイヤホンを、家内と片耳ずつシェアして、頬を寄せ合いながら聴きました。講演の内容もさることながら、さなざまな記憶や思いが頭と胸の中を駆け巡る中で、あっという間に最後まで見届けました。
横目で見ると家内の頬に、止め処も無く涙が流れておりました。家内の涙は、ウォルフレン教授のメッセージへのものもあったかもしれませんが、99%は、この日のこの時のために死力を尽くしてなお、大勢のみなさんにご迷惑を及ぼすに至ってしまった夫のこの間の所業を、最も近いところにいて、一部始終を見てきたことから来るものであったはずです。
いろいろな意味で感無量の講演会でした。みなさん、ありがとうございました。そして私の無力によりご迷惑を及ぼした全てのみなさん、申し訳ありませんでした。お許しください。
最後にこの講演会に協賛をいただいた★阿修羅♪さん、格別のご支援ご配慮をいただき、まことにありがとうございました。私の無力で生じた修羅場であったにもかかわらず、阿修羅神の力に救われて、無事講演会を開いていただいたものと信じています。
【メーリングリスト】
小沢氏および石川氏・大久保氏・池田氏へのいかなる冤罪も許さないという立場で、小沢支持・不支持、民主党支持・不支持をこえて、コラボレーションするためのメーリング・リストにご参加ください。今すぐinfo@tsuiq.infoにメールをくださるだけで、参加できます。名前は実名でなくても結構です。住所も不要ですが、小選挙区の名前は記入してください。個人情報の転用は、いっさいいたしません。
メーリングリストに参加すると、身の回りで「小沢真っ白」を「PR」したり、コラボレーションによって宣伝物を制作したり、カンパをしたり、メンバーが各自が無理なくできることを実行することによって、小沢氏および石川氏・大久保氏・池田氏への冤罪に反対する活動に参加することができます。
メンバーはすでに500名を超えており、アメリカや中国を含め、グローバルに広がっています。
ぜひあなたも、今すぐメーリングリストに参加してください。info@tsuiq.info に、お住まいの小選挙区名を書いてメールを送信してください。参加された場合、かなりの量のグループメールが着信します。この点お含みおきください。
檀 公善
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- Re: 檀公善:ウォルフレン講演会の度重なる会場変更の経緯とお詫び、および聴講者と新実行グループへのお礼と感謝のメッセージ 檀公善 2010/12/07 16:17:59
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