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私は中日ドラゴンズファンであるため、中日新聞を購読している。この新聞は、浅卑、ゴミ売、NHK等に比べ、偏向が少ないと言われているが、とんでもない。今朝の朝刊の社説で、たくみに検察審査会による強制起訴が正しいと思わせるように誘導していたので、ご紹介したい。
「権力は腐敗する」と言ったのは十九世紀の歴史・哲学者であるJ・E・アクトンです。
この力の大きさ、怖さを自覚しないでゆがんだ正義感に酔ったり功名心に駆られると、逮捕された検事の前田恒彦容疑者らのように、権限を恣意(しい)的に利用し違法行為をすることになりかねません。
ここまでは正しい。ゆがんだ正義感に酔ったり功名心に駆られた検事たちが、アメリカ傀儡(かいらい)政権、官僚主導政権を何がなんでも維持したい勢力に操られていることも知らず、現職の国会議員を含む、小沢氏の秘書三人を強引に逮捕し、自白調書を偽造し起訴した。
しかし、特捜部検事による証拠の改ざんを、身を捨てて告発した検事のように、検察にもわずかであるが良識が残っており、小沢氏まで起訴することはなかった。
透明度が低く、内部の空気がよどんでいる組織は、必ずといっていいほど腐敗が起こるのです。それを未然に防ぐための最も有効な手段は、市民による監視を徹底することです。
これも正しい。社説は続けて、『市民による監視』の仕組みを例示するが、省略する。そしてこう結論付ける。
しかし、検察に関しては、不起訴にした事件について検察審査会が「起訴相当」と二回議決すれば強制起訴、となったほかはめぼしい改革がありません。
どうしてこういう結論になるのだろうか?
検察権力が腐敗し暴走をしたので、それを『市民による監視を徹底すること』によって防ぐというなら、検察審査会は、検察が暴走し逮捕したことに対して、『逮捕不当』の議決を出したり、検察が暴走し起訴したことに対して、『起訴不当』の議決を出す方向に機能させなくてはならないはずだ。
それを今の検察審査会は、まったく逆をやっており、検察が自らの暴走を辛うじて押しとどめ、小沢氏を不起訴としたものを、逆に起訴としてしまった。市民は、検察権力の腐敗、暴走をむしろ助け、検察に辛うじて残っていた良識を否定したのである。
検察は、特に特捜は、冤罪を生み出す方向へ暴走しているのであって、けっして有罪のものを見逃す方向に暴走しているのではない。とくに小沢氏に対しては、政治的に抹殺しようという方向に明らかに暴走しているのである。
この真相を巧みな論法で、マスコミはごまかそうとする。小沢氏は起訴可能であったが、検察が腐敗して不起訴にしてしまったため、『市民による監視』が機能し、小沢氏を起訴することが出来たという論法である。
特捜部検事による証拠の改ざんが明るみに出たことは、小沢氏に有利に働くものと、私は期待していたが、マスコミは、これを検察の腐敗、起訴能力低下と、意図的に曲解し、逆用しているのである。煮ても焼いても食えないやからである。
ここまで書いたところで、NHKの日曜討論をみたら、これはもっとひどい、小沢攻撃一色の番組だった。
民主党幹事長の岡田克也は、小沢氏をやむなく立場上弁護するかに見せて、小沢氏を攻撃する。公共放送であるはずのNHKの司会者も、不偏不党のふりをして、小沢氏を攻撃する。煮ても焼いても炊いても茹でても揚げても、どうしようもないやつらである。
それにしても、アメリカ傀儡(かいらい)政権、官僚主導政権を何がなんでも維持したい勢力は、あらゆる権力を濫用して小沢氏を潰そうとする。立法権、行政権、司法権、三権すべてが濫用されている。しかしもっともたちが悪いのは第四の権力と言われるマスコミである。
小沢氏は四つの権力に囲まれ、まさしく四面楚歌の状態に見える。しかし、忘れちゃいけない、我々がいる。
我々は、このまま瀕死のアメリカに抱きつかれて日本が衰亡するのを座視できない。我々は、もはやペーパーテストだけが得意な非人間的エリート集団がこの国を支配し続けることを許さない。小沢一郎は一人ではない。我々がいる。ともにこの国を、ひっくり返して、洗濯してやろうじゃないか。
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