投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 3 月 20 日 16:15:53: xsXux3woMgsl6
(回答先: 投稿試驗 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 3 月 20 日 16:01:10)
徳川幕府勢力は幕末明治維新期の、
討幕派聯合に敵對する佐幕派勢力の本體だつた譯であり、
當然、其の當時の重要な祕密を握つてゐる筈。
事と次第に據つては現在の僞りの日本を牛耳つてゐる勢力に對して、
致命的な情報を暴露する事も可能な筈。
其のやうな聯中にとつて致命的な情報を握つてゐるがゆゑ、
現在まで徳川勢力は生き永らえて來たのではないかと考へると、
以前報道された、安倍の會津に對する佗び入れの意味が見えて來る。
そもそも徳川お庭番衆のやうな諜報組織が完全に消滅したのだらうか。
其のやうな公儀隱密の組織が完全に徳川勢力の手から離れたのだらうか。
徳川さんの背後には物部さんがゐると云ふ話も有るだけに氣に成る。
「貴樣ら調子に乘つて此れ以上出鱈目し續けるやうならこつちにも考へが有るぞ」
といつた邊りが近づきつつあるのか。
以前にも感じる所があり書いたのだが、
NHK大河ドラマ「龍馬傳」は重大な鍵になると思ふ。
そして此の點が非常に重要だと思ふのだが、あのドラマには原作が無い。
詰まり、司馬龍馬史觀に縛られる事無く、
今まで公には語られてこなかつた龍馬が描かれる可能性が有る。
此の投稿
フリーメイソンの使用人売国奴・坂本龍馬を話題にするNHK大河ドラマの異常
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/423.html#c10
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/423.html#c11
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/423.html#c14
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/423.html#c16
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/423.html#c19
投稿者 ajax 日時 2010 年 2 月 23 日 01:27:50: yTkS8tBuN9lVU
のコメントのやうに三菱マンセーの爲のドラマと成るのか、
(岩崎弥太郎の語りで展開するドラマと云ふ事から、
慥かに其のやうな見方も出來る)
其れともフリーメーソン絡みの歴史が暴露されるのか注目したい。
尤もフリーメーソン絡みの情報を暴露しても、
日本の近現代を作つたのは我々だと、
矢張りフリーメーソン・三菱マンセーに、
話の展開を強引に持つて行くのかも知れない。
何れにしても此のNHK大河ドラマ
「龍馬傳」は、
今後の日本の歴史的意味に於いて、
非常に重要なドラマと成る。
單なるドラマでは濟まされない存在と成つてゐる。
※ また、其れと共に鹿嶋昇氏に據ると、
古代據り聯綿と歴史の眞實を隠蔽する組織、
藤原僞史ネツトワークと云ふ物が存在してゐると云ふ。
君側の奸 藤原五攝家
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/656.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 31 日 01:52:03: xsXux3woMgsl6
※ もう一つ附け加えるならば、
フリーメーソン及びイルミナテイと云ふ存在は、
聯中が意圖的に大衆に對し情報提供してゐるやうに思ふ。
其の目的は恐らくダメージコントロールの一環であり、
此の情報以上に更に現在進行形の何等かの重大な情報を隠蔽せんが爲、
デコイ、囮として、聯中が肖えて此のフリーメーソン、イルミナテイと云ふ存在を大衆に對し、
餌として提供してゐるやうに感じる。
其れは、三百人委員會の正式メンバーで大衆洗腦工作部門の作家、
であらうと推察される、
ダン・ブラウンの一聯の著作と、其れを元にした映畫、
「ダヴインチ・コード」
「天使と惡魔」
そして最新著作「ロスト・シンボル」
等に其れが明確に表れてゐると個人的には思ふ次第。
では其の更に重大な情報とは一體何なのかと云ふ事に成るのだが、
其れは、現時點に於いて個人的には、
「惑星X」の問題と成るのかなと推理してゐる。
「惑星X」なる天體災害、そして救世主降臨洗腦シヨー 此れは聯中のペテンと見た
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/844.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 3 月 18 日 21:59:36: xsXux3woMgsl6
フリーメイソンに管理される日本
2012年の黙示録-SPACE LIBLARY 5号室
龍馬暗殺に隠された恐るべき日本史〜小林久三
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library505.html
龍馬暗殺に隠された恐るべき日本史
われわれの歴史から伏せられた謎と物証
小林久三・著 青春出版社 1999年刊
西郷は龍馬暗殺の秘密を知っていた 龍馬暗殺は薩摩藩によるのではないかという見方は、従来から存在した。その代表的なケースは、蜷川新氏の「維新正観」であろう。
国際法の権威だった捲川氏は、近江屋の女中が暗殺犯たちが引きあげていくときに、鹿児島弁で、二、三言葉をかわしていたのをきいたとする土佐藩の中島信行の言葉から薩摩藩犯人説をくみたてていったのだが、それだけでなく、薩摩藩関与を暗示する海援隊の佐々木多門の書が発見されている。
佐々木多門が幕府の旗本松平主税の家臣岡又蔵に宛てた機密文書には、「才谷(龍馬の変名)殺害人、姓名マデ相分り、コレニツキ薩藩ノ所置ナド、種々愉快ノ義有之」というものだが、それ以外にも「肥後藩国事史料」にも「坂本を害候も薩人なるべく候こと」の一文がある。
龍馬暗殺の二日後、薩長両藩は出兵協定をむすび、二十四日後の小御所会議で強引に王政復古のクーデターを決行するなど、武力討幕派はなにかに追いつめられたかのように焦りまくっていた。反幕のなかでもハト派の龍馬にこれ以上鼻づらを引きまわされれば、自分たちが政局から浮きあがり、孤立無援の窮地に追いこまれかねないという危機感がつのっていたのであろうか。
その危機感から、武力討幕派の薩摩藩は龍馬を葬った。暗殺のリーダーは西郷。西郷の指示で、当然、中村半次郎も動いたであろう。
彼らは一計を案じて、土佐藩主を暗殺グループに引き入れた。土佐藩の山内容堂、後藤象二郎にとって、武力討幕派の中岡慎太郎と大政奉還派の龍馬はともに目の上のコブで、同時に葬り去ることを望んでいた。
薩摩藩と土佐藩。両藩が作成したシナリオでは、暗殺の容疑を新撰組に向けることに決定した。その線から伊予出身の原田左之助を刺客の一人にすることにして、その物的証拠として彼の刀の鞘が狙われ、伊東派の藤堂平助があらかじめその鞘をすりかえておいた。
原田左之助の犯行を、さらに補強するための材料として、こなくそという方言を利用することにして、事件直後に現場にかけつけた谷干城が、その言葉をきいたと偽証することにした。後年、谷が第一次伊藤内閣で農商務大臣になったのは、龍馬暗殺にからむ秘密をにぎっていたためだろうか。
実際、龍馬暗殺について、谷の言動には重大な謎がある。谷は、暗殺現場にかけつけた、いわば事件の第一発見者であり、客観的な事実と符合しないにもかかわらず、終始一貫、新撰組犯人説を強硬に主張した人物であった。このことを裏返していえば、龍馬暗殺にはあらかじめ新撰組を犯人とするというシナリオがあり、そのシナリオに忠実にしたがって主張しつづけてきたということになる。谷の主張は、明治44年(1911)、74歳で生涯の幕を閉じるまで変わらなかった。薩摩と土佐藩の講釈による龍馬暗殺のシナリオ。薩摩と土佐には、共通の同士がある。土佐は、秦一族の長宗我部一族が支配したことはすでに紹介したが、薩摩の島津氏のルーツも秦一族である。島津氏は、秦氏の末裔としてきわめてエリート意識が強く、関ケ原の合戦で徳川家康の東軍に敗れたことを教訓にして、江戸時代、薩摩に強大な秦王国を築きあげてきた。
一方、土佐の長宗我部氏は、関ケ原の合戦の結果、西軍に加担して敗れ、山内一豊か遠州掛川から土佐国主として入国したけれども、長宗我部氏の血をうけた秦氏の残党は、幕末、土佐勤王党のなかに根強く生きている。長宗我部氏とゆかりが強い明智光秀をルーツとするといわれる坂本龍馬もまた、おそらく秦一族だったのであろう。
そんな龍馬を、薩摩と土佐両藩が協力して葬った背景には、もっと深い事情があったといわなければならない。その事情を知る谷は終生、沈黙を守りつづけていたのだが、薩摩藩の西郷隆盛も、龍馬暗殺の秘密を知る一人であったろう。
龍馬暗殺後、西郷は、死にもの狂いで戦争を誘発しようと試みる。「短刀一本で――」と岩倉具視に揺さぶりをかけたり、江戸で浪士たちに強盗や火つけを働かせたり、ありとあらゆる手段で幕府を挑発した。挑発は、江戸だけではなく、関東各地におよび、浪士隊を各地に派遣し、関東をかく乱する戦術に出た。革命は銃口から生れる。
けれども江戸城開城をめぐって、西郷は勝海舟と会談した結果、江戸城は無血開城された。その結果、西郷はあまりに幕府に寛容であると批判され、以後、戊辰戦争の指揮はすべて長州藩の軍事官僚の大村益次郎がとることになる。
西郷は、明治2年(1869)、明治新政府の招きを断わって、鹿児島に隠棲し、以後も新政府には背を向けて過ごす。西郷の政治的軍事的使命は、江戸城の無血開城の時点で終わったかのようにみえる。つまり無血開城をさせることで、西郷は傍流に追いやられたといえるのだが、その理由は何だったのか。西郷を傍流に追いつめ、最終的に西郷と桐野利秋(中村半次郎)を城山で死に追いやった人物は、いったい、だれなのか。
一人は、薩摩藩主の島津久光であろう。
薩摩藩に君臨する久光は、幕末には自分が将軍になりたいという野心をもち、さまざまな形で暗躍した。この人物なら、西郷の追放を指示し、傍流に追いやることも可能だ。
「幕府と薩長との武力衝突」で一体誰が得をするのか?
久光よりさらに強大な人物がいる。トーマス・ブレイク・グラバー。彼らは久光だけでなく長州藩にも圧倒的な影響力をもつことができた。日本名、倉場宮三郎。
このイギリスの武器商人は、薩摩藩と長州藩に武器弾薬を売りつけて巨万の富を築きあげた。薩摩藩の小松帯刀の紹介で龍馬と知り合ったグラバーは、龍馬の仲介でまず長州藩に7300挺の銃を売りつけ、薩、長両藩に食いこんで、やがて明治維新の陰の大立て者にのしあがっていく。
銃以外に艦船だけでも20隻、金額にして117万5000ドルを薩長両藩に売りつけている。それ以外にも、あらゆる武器に手を染めている。まさにヌレ手でアワの大もうけで、グラバーが手にした利益は莫大な額にのぼったといえるだろう。薩摩藩の家老が、グラバーの暮しを、30万石の大名に匹敵するといったが、それは過小評価だといって差し支えない。
武器商人として、20代半ばのグラバーが、幕末、幕府を倒すという名目で薩長連合を成立させる陰の黒幕になったばかりか、島津久光といった大物藩主とも対等につき合っていたのである。それだけでなく、イギリスヘ留学した五代才助たちは、フランス人のモンブランと契約を結び、慶応2年のパリ万国博覧会に薩摩藩は参加している。
薩摩藩は家老岩下方平をリーダーとする一行がフランスに渡り、万博に400箱あまりを出品し、陳列場には「日本薩摩太守政府」の名を使って幕府に対抗している。薩摩藩は、この時点で、すでに幕府を崩壊させることができると読んでいたのであろう。
薩摩藩は万博に参加しただけでなく、五代才助たちはイギリスの工場地帯を視察し、プラット紡績工場に紡績機械から工場の設計、技師の派遣を依頼した。その結果、慶応3年8月には鹿児島に日本初の紡績工場が誕生している。
こういった斡旋をグラバー単独でできるわけがなく、その意味で彼の背後にはヨーロッパの巨大な組織があったとみるべきであろう。その組織は、19世紀のアジアに進出して、アジアを拠点に大量の武器を売り込み、巨額の利益をつかもうとしていたネットワークだといえる。武器商人による、巨大なネットワーク。
グラバーは、そのネットワークの一員だったのだろうか。幕末、幕府と薩長連合による武力衝突があれば、彼はさらに莫大な利益を得ることができるであろう。そして薩長両藩を中心にした新政府が成立すれば、これまでのつながりを土台にしてさらに有利なビジネスチャンスが生れる。
にもかかわらず龍馬は江戸城を無血開城にして、江戸を戦火に巻きこむことはなく、戦闘は東北、北海道を舞台にした小規模なものになってしまった。武力討幕による大規模な国内戦争を想定したから、グラバーは薩、長だけでなく、肥前、肥後、宇和島、土佐など西南各藩へ武器、弾薬、船舶を売りこんできたのだ。もし国内戦争で、それらの武器が使われなかったら、各藩への売り掛けが貸し倒れになってしまう。
グラバーは、薩摩藩主島津久光に対して絶大な影響力をもっていた。
一つの証言がある。イギリス公使館付き医師ウイリアム・ウイリスは、慶応2年(1866)9月、パークス公使にしたがって鹿児島を訪れているが、そのときのようすを本国にあてた手紙のなかで、次のように報告している。
「薩摩侯はグラバー商会に対して多額の債務があるので、これを利用してグラバーはたえずなにかをしでかさずにはいられない性質の公使と薩摩侯との会談を斡旋したのである。私のみるかぎりでは、公使や提督らのなかでも、グラバーがとびぬけて一番重要な賓客であった」
薩摩侯とは久光のことだが、武器購入でグラバーに多額の債務をかかえた久光は、イギリス公使のパークスよりも、グラバーをはるかに大事にしていたのである。そのグラバーの斡旋による島津=パークスの会談は、幕末の歴史を左右するほど重要な会談だったといわれる。
グラバーは、明治になって長州の毛利家が編纂した幕末史『防具回天史』のなかで、編集人のインタビューに対して、パークスは島津久光に会うまで幕府支持だったが、薩摩にいって久光に会ってから、180度変わったと前置きして、次のように語っている。「(パークスはグラバーの肩を叩いて)『すまんすまん。これまで自分は愚かだった。きみのいうことを信じなかったが、自分が誤っていたといま目がさめた。はじめて日本の大名の考えかたがどんな方向に進んでいるかがわかった。いままで大名とイギリスの間に連絡がつかなかったのは、幕府側が壁をつくっていたのだ』と、しみじみ私にいって詫びたものです。つまりこのグラバーが、日本のために一番役に立ったとおもうことは、私がハリー・パークスと薩摩、長州の間にあった壁をブチ壊してやったことです。これが私の一番の手柄だとおもっています」
としてそのあと、グラバーはこういっている。
「私は日本の大名と何十万、何百万の取引きをしたことがある。しかし、ここで強くいっておきたいことは、ワイロは一銭も使ったことがない(中略)日本固有のサムライの心意気でやったということ、これだけは特筆大書してもらいたい。徳川幕府の叛逆人のなかでは、自分がもっとも大きい叛逆人だと私はおもっている」
徳川幕府に対する最大の叛逆人。多少の誇張とおもいこみはあるだろうが、グラバーは、徳川幕府を倒したのは、薩摩藩でもなければ長州藩でもなく、グラバー個人だと自負していたのである。もっと具体的にいえば、グラバーが討幕勢力に売りまくった武器弾薬、艦船が260年あまりつづいた幕府を滅亡させたと、分析していたのであろう。
要するに武力討幕に徹底的にこだわり、薩摩、長州、土佐などの尻を叩きまくったのは、グラバー自身だったのは事実である。その場合、グラバーがヨーロッパの最新式の武器、艦船を扱っていたことが最大の切り札になった。
グラバーは血の気の多い男だったといわれる。グラバーの背後にひかえるヨーロッパの武器商人にとって、アヘン戦争終了後の市場は日本だ。日本に国内戦争が起るために必要な条件は、薩摩と長州両藩が反幕府のために結束することだ。そう考えたグラバーは、武器取引きをつうじて知り合った龍馬を利用することをおもいついた。土佐藩脱藩者の龍馬なら、藩の枠をのりこえて自由に動ける。
グラバーは、おそらく龍馬を陰に陽に援助したにちがいない。薩長連合成立のため、龍馬は奔走した。ところが、その過程で龍馬は大きく成長して、個人の身で時代を転換させようという野心をもちはじめ、「船中八策」を練り、いきづまった政局を打開するためには大政奉還以外にないと主張しはじめる。
グラバーにとって、龍馬はもはや邪魔者でしかなかった。ビジネスの障害物でもある。
龍馬を、ただちに処分すべし。
グラバーは、その意向を島津久光につたえた。久光も、グラバーと同じ立場にあった。大量の武器を購入した薩摩藩は、国内戦争が起こらず武器が使用されなければスクラップにせざるを得ない。そのうえ多額の債務だけが残ることになる。
久光は、龍馬暗殺の指示を、ひそかに西郷隆盛に出したと推論できる。当時、鹿児島にもどっていた西郷は腹心の中村半次郎にその指示をつたえた。
半次郎は、土佐藩に協力をもとめた。その頃、海援隊と陸援隊の対立から藩内が分裂し、深刻な対立抗争が生まれていたことを苦々しくおもっていた山内容堂は、龍馬、中岡慎太郎の暗殺を認めた。
薩摩と土佐藩連合による暗殺決行。暗殺は、新撰組によると擬装したが、それが破綻すると京都見巡組の今井哲郎を犯人の一人にしたてあげ、見巡組の犯行とみせかけようとした。
この工作にもっとも貢献したのは、土佐出身で司法大輔の佐々木高行であろう。維新後、参議兼工部卿、枢密顧問官などを歴任した佐々木は、今井信郎に禁固5年の判決をいい渡したが、実際には3年という軽いものだった。
すべてを知る西郷と桐野利秋(中村半次郎)は、その後、西南戦争で死亡した。
グラバー商会は、明治3年(1870)8月、倒産する。負債総額、約50万ドル。
グラバーが懸念したとおり、戊辰戦争は大規模な国内衝突にならず、明治維新で各藩の財政事情は苦しくなり、大量に買いつけた武器の借金返済がほとんど不可能になり、おまけに戦争が短期間で終わったため、武器、艦船が大量に売れ残り、長崎の大浦倉庫に山積みされたためだった。
けれども、グラバーが援助した志士たちは、政府高官になっている。彼らの庇護のもとで、グラバーは明治44年に死去するのだが、幕末から明治にかけて、政、財界に隠然たる勢力をもちつづけた彼の死の床で脳裡に浮かんだのは、坂本龍馬の顔だったのだろうか。
★ なわ・ふみひと の ひとくち解説 ★
幕末において日本を国内の大戦乱から救ったのは、江戸城を無血開城させた勝海舟と西郷隆盛の功績ということになっています。しかしながら、その前に坂本龍馬が仕掛けたとされる「大政奉還」という徳川慶喜の大英断がなければ、幕府と薩長による内戦は熾烈を極め、双方に多くの犠牲者が出て、漁夫の利を得たのはグラバーなど外国の武器商人たちだったでしょう。
私は、幕末に於いてグラバーを初めとする外国人たちの意図を完全に見抜いていたのは勝海舟だけであったと見ています。その勝海舟に薫陶を受けた坂本龍馬が大政奉還という荒技を仕掛け、また西郷隆盛も勝海舟との談判を通じて江戸総攻撃を思いとどまったのです。
そのことに最も不快感を抱いた武器商人たち(を操る世界支配勢力)は、薩長に坂本龍馬の暗殺を命じ、西郷隆盛については西南戦争に引きずり込んで自害させるという挙に出たと思われます。そのような“世界支配勢力”の意図を見抜いていた勝海舟は、維新の大功労者と言われながらも決して表舞台に出ることはありませんでした。坂本龍馬を殺し、西郷隆盛を死に追い込んだ黒幕が誰であるかを知っていたため、自らも身の危険を感じていたからでしょう。
この本と併せて以下の書籍に目を通していただくと、そのあたりの経過がよくわかります。
『ユダヤの日本侵略450年の秘密』(太田龍・著/日本文芸社)
『操られた龍馬』(加治将一・著/祥伝社)
『幕末維新の暗号』(加治将一・著/祥伝社)
『坂本龍馬とフリーメーソン』(鬼塚五十一・著/学研)
『明治維新の生贄』(鹿島昇・宮崎鉄雄・松重正/新国民社)
『天皇破壊史』(太田龍・著/成甲書房)
『勝海舟と坂本龍馬』(加来耕三・著/出版芸術社)
(なわ・ふみひと)
長州VS会津 今だに残る恨み 安倍首相が「おわび」 [J-CASTニュース]
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/470.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 16 日 20:45:50: QYBiAyr6jr5Ac
徳川家から見た近代日本 幕府と長州の「戰ひ」は今日まで連綿と續いてゐる
http://www.asyura2.com/0601/idletalk19/msg/694.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 8 月 27 日 03:45:01: Gsx84HOp6wiqQ
徳川家廣(飜譯家)
・・・・・(笑)。例へば「三百年のベール」。徳川家康の出自の謎を「解き明かした」明治
のトンデモ本「史疑」の内容を紹介し、また其の本が世に出なかつた經緯を書いたものです。
此の著者の南條範夫氏は、一高、東大と進み、商工省から滿州國に行つて、戰後には時代
小説の大家と成つてゐるのは、皆さんご存知のとほりですが、實は舊制山口中學卒でもあ
ります。詰り、岸信介と物凄く近い人なのですね。
兔に角、長州藩閥人脈の方達は、大日本帝國の歴史を正確に記述される事を非常に恐れ
てゐる筈です。英吉利のバックアップを得て國を造り、シベリア出兵の失敗によつて中樞
から一時追ひ出されるものの、其の後、滿州事變を畫策する事で強引に權力を奪還して、
最後は大日本帝國の領土を失はせてしまつた。
終戰時の日本の領土は明治維新時よりも狹く成つてゐました。一人當たりのGNPでいつて
も、低く成つてゐたのではないか。此の樣な事實から國民の目を逸らし、責任逃れするには、
前任者に罪を擦り附ける ― 江戸時代が暗黒時代だつたと喧傳するしかない譯ですね。
「龍馬傳」には結構注目してゐます
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/292.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 1 月 10 日 22:29:31: xsXux3woMgsl6
そして此の一聯の問題の背景にはナチス・朝鮮勢力が深く關與してゐる。
其の點を考慮せずに此の問題をヤルと恐らく聯中の策に嵌るだらう。
徳川勢力は其の邊は拔かりが無いやうで、
徳川家廣さんの飜譯書に「ヒトラー・マネー」と云ふ本が有る。
(最初、此れが理解出來なかつた。
なにゆゑ「ヒトラー」なのか、然も「カネ」なのだと。
情報の鐵則なんだね。カネの流れを追えと云ふのは。
此のナチス殘黨共のカネの流れを追うと云ふ事は、
ゆゑに聯中を把握する上で極めて重要な事なんだと)
統一協会の正体はネオナチス:勝共も朝鮮総連も阿部も兎に角すべてを裏切って寝首を掻くのです
http://www.asyura2.com/07/cult5/msg/370.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2008 年 4 月 22 日 20:15:54: 8EItFG7yGzQIA
木村先生にリクエスト
http://www.asyura2.com/07/holocaust4/msg/599.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2008 年 4 月 22 日 19:46:21: 8EItFG7yGzQIA
玄洋社
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/276.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2009 年 9 月 03 日 20:16:20: 8EItFG7yGzQIA
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- 投稿試驗 卍と十と六芒星 2010/3/20 16:34:27
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