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http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120907/p1
***** 私達がプライベートなるものを手に入れたのは、割と最近のことだ。
かつて庶民は、隣近所の物音や話し声が聞こえるような間取り・建屋のなかで暮らしていた。また、典型的な農家のように、部屋と部屋をしきるのは板一枚だけの、家庭内にプライベートが存在しない状況を生きていた。いわゆる地域社会において、ウチとソト、イエと個人の境界が曖昧だった理由の一端には、そうした曖昧さを生み出ずにはいられないようなアーキテクチャに由来する部分もあるだろう。
それが、高度成長期も後半になってくると、コンクリートの壁、防音壁、頑丈なドアといったものに仕切られた住まいが出現してくる。『「51C」家族を容れるハコの戦後と現在』によれば、最初期の公共住宅*1は、必ずしも現代風の間取りを狙ってつくったものではなかったらしい。むしろ、農家の間取りなどを参照したうえで、フレキシブルに運用ができるよう配慮してつくられていた、という。
だが時代が下るにつれて、部屋数の多いマンションが普及しはじめ、壁やドアのつくりは頑丈になっていった。80年代以降になり、千葉県や埼玉県でマイホームの建設ラッシュが進んでくると、個人単位でスタンドアロンに過ごせるような部屋が庶民にも行き渡るようになり、子ども部屋として、多くの子どもにあてがわれるようになった。
もちろん、子ども部屋のようなプライベート空間が高度成長期以前に無かったわけではない。しかし高度成長期以前にプライベート空間を与えられたのは、知識階級や支配階級の子弟のような、ごく一握りの人達だけだった。また、戦後すぐに子ども部屋が普及したわけでもなく、早くからそういう贅沢な空間を与えられていたのは経済的余裕のある家の子女に限られていた。子ども部屋が「庶民」に普及してくるには、高度成長期の終わりごろを待たなければならない。
***** 子ども部屋・おたくの部屋・ファンシールーム
個人専用のプライベートな空間が普及してくると、あちこちのマンションやアパートに、一個人の・一個人による・一個人のための趣味の空間がつくられはじめてくる。おたくの部屋やファンシールームなどは、その典型だ。
かつて、部屋が家族みんなの共有物だった頃は、部屋は家族みんなで共用するのが基本で、家族みんなのニーズをそっちのけにして個人の欲望を部屋じゅうにぶちまけるのはほとんど不可能だった。
ところが「近所の人にも親にも入って来られない自分だけの空間」が、半ばデフォルトのように子どもに与えられるような時代になると、もはやこの限りではない。「自分の部屋は自分のモノ。だから、自分の欲望で埋め尽くしても構わない」、というわけだ。
この、「近所の人にも親にも入って来られない自分だけの空間」というのが、オタクを、そして現代人のライフスタイルを理解する鍵になると思う。
オタクをやるためには――正確には、20世紀末にオタクをやるためには――プライベートな空間が必要不可欠だった。つまりオタクがオタクであるためには、SF小説、漫画、ビデオテープといった、自分にしか意味の無いコンテンツを所蔵し楽しめるような子ども部屋が必要だったわけで、オタクというライフスタイル・オタクという趣味形態を生みだしたのは、個々の作品以上に、子ども部屋のようなプライベート空間だったとも言える。
かつて、SFおたくの世界には、「SF千冊読むまではSF語るな」という言葉が流通していたという。今にして思えば、あれは、「SFを沢山読んでないやつはおたく失格」という意味だけでなく、「SF小説を大量に所蔵できるようなプライベート空間を持っていないやつはおたく失格」というメタファーを含んでいたと思う。実際、SFを大量に所蔵できるような人でもない限り、「SF千冊
〜」をクリアするのは困難だったろうから。
同じことが、ファンシーな意匠に統一された部屋にも当てはまる。ひとつの部屋を自分自身の欲求で塗り固めるには、その部屋がプライベートな、個人のための空間であるという大前提をクリアーしていなければならない。おたくにせよ、ファンシーにせよ、そういった趣味趣向が庶民文化として発展していく前提として、プライベートな生活空間は必要不可欠なものだと思われる。
*****「引きこもるプライベート」から「持ち運ぶプライベート」へ
そうこうしているうちに、子ども部屋にはテレビが置かれるようになり、ビデオデッキが置かれるようになり、パーソナルコンピュータが持ち込まれるようになった。オタクの生活空間という視点から見れば、80年代〜00年代とは、オタクのライフスタイルの必要条件ともいうべきプライベート空間を補強するためのハードウェアが強化されていった時代、とも言える。もちろん、プレイステーションやセガサターンといった据え置き型ゲーム機も、そうしたオタク部屋に組み込まれていった。
けれども21世紀を迎えてまもなく、子ども部屋の進化する時代は終わった。少なくとも、子ども部屋を彩るためのアイテムが脚光を浴びる時代は終わったと思う。「趣味の要塞と化した部屋に籠もってプライベートする」のは、もはや主流ではない。
かわって主流になったのは、「プライベートを持ち運ぶ」というスタイルだ。
この新しい潮流は、20世紀の頃から芽生えてはいた。SONYのウォークマンは、あらゆる空間を自分の音楽で満たしてくれるツールだったし、ゲームボーイのような携帯型ゲーム機は、子ども部屋に籠もって遊ぶところのビデオゲームを持ち運び可能にしてくれるものだった。
決定的だったのは携帯電話だった。
携帯電話は、「イエ」の通信手段だったはずの電話をプライベートなアイテムに変化させ、なおかつ持ち運び可能な機動性を与えてくれた。しかも、パソコンが独占していたはずの機能を次々に取り込んで、ガラケーにせよスマートフォンにせよ機能拡張していったわけだ。
★その結果、何が起こったのか?
20世紀において子ども部屋を満たしていたはずのプライベートが、掌サイズのマシンに詰め込まれてしまった!音楽も、映像も、小説や漫画でさえ、もはや自分の部屋に溜め込む必要は無い*2。ハードディスクなりオンラインストレージなりに所蔵すれば、それで事足りるようになってしまった。ミニカーやフィギュアや骨董を収集するような、物神崇拝者でもない限り、スマホさえあればプライベートなオタクライフをだいたい維持できる時代が到来した。
※なお、ここではオタクサイドを軸に子ども部屋→スマホという流れを紹介したが、それとは別に、ファンシールーム→ヤンキー車とガラケー というヤンキーサイドの流れも存在していて、そっちはそっちで「モバイルなプライベート」へと収斂進化していったことは付記しておく。ヤンキー側はヤンキー側で、ワンボックスカーを“動く子ども部屋”のように装飾し、パジャマ姿で近所のコンビニエンスストアに乗り付けるようなライフスタイルを身につけていった。
***** パブリックな空間が、プライベートな体験に染まっていく
2012年現在、私達はいつでもどこでもプライベートな時間を過ごせるようになった。それを端的に示しているのは、電車のなかの風景である――スマートフォンやガラケーをいじっている人達がそこらじゅうにいる。あちらには本を読みふけっている人がいるし、こちらではipodを聴いている人がいる。しかし車内の人間同士で会話しようなどと思う人は誰一人いない――。
電車の車内自体は、きわめてパブリックな空間である。だが、そこに居合わせている人達が体験している時間は、全くパブリックなものではなく、その人ひとりきりの、プライベートな時間が流れていく。そして、よほどのことがない限り、ある個人のプライベートな時間と、また別の個人のプライベートな時間が交わることはない。かつて、オタクが子ども部屋に籠もって自分だけの娯楽を享受していたのと同じように、現代人は、自分のスマホのディスプレイに籠もって自分だけの娯楽を享受し、自分だけの時間と空間を呼吸している。そういう、周囲と切り離された時間と空間の過ごし方が、子ども部屋のオタクだけのものから、公共空間を行き来する大半の人達のものとして普及した、ということだ。
***** そして個人の体験や世界観も変わっていった
高度成長期以来の半世紀は、個人生活に占めるプライベートな時間・空間の割合が増大一途な半世紀だった、と思う。
★この半世紀の間に、私達の暮らす家も、部屋も、町並みも大きく変化した。そうした生活空間のプライベート化は、私達の体験様式・内面・世界観といったものにも必然的な変化を与えているはずである。また、コミュニケーションの様式・消費コンテンツの流行・世代間断絶といったものにも影響を与えているだろう。もちろん、この2012年のインターネットのありさまにも。
子ども部屋から、スマートフォンへ。
引きこもるプライベートから、持ち運べるプライベートへ。
“プライベートの質的変化”というアングルで現代社会を眺めていると、色んなことにリンクしているように感じられて、いくら眺めても飽きることがない。折に触れて振り返っておきたいと思う。
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