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****西村肇の「変わりゆく研究環境 どうしたら独創的研究ができるか」
の最後に最近の物理学者の傾向についてメモしていた。
いつからかあまり批判し合わなくなったように私は感じるのである。むしろ、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の衆愚政治のような研究協力体制に傾いて来たようである。物性でも統計力学でも素粒子でも大方は、お互いに褒め合っているという有様である。いわゆる「劇場型政治」のような、「劇場型科学」と言えるだろう。要するに、お互いに芝居しているのである。
科学者ではない人や物理学者ではない人にはいったい何のことを言っているのか、そこに書かれた言葉以上のことを理解できることはないはずである。
偶然、畑は違うが、私がいわんとしたこととまったく同じことを俳優の高倉健さんがスマップの番組でやったという記事を見つけたので、それをメモしておこう。以下のものである。
◆高倉健 生放送初出演でSMAPの未熟さ、なれ合いを叱った
2012年8月23日 10時00分
タメ口は10年、いや100年早い――。高倉健(81)がまさに役者の違いを見せつけたといったところか。18日深夜の「SmaSTATION!!」(テレビ朝日)に生出演。6年ぶりの主演映画「あなたへ」(25日公開)の宣伝のためだが、共演したSMAP草なぎ剛や司会の香取慎吾にダメ出しを連発し、スタジオは凍りつき、連中は青ざめた。
開口一番、草なぎが
「ボク、今度のアルバムで(高倉健の代表曲)『唐獅子牡丹』を歌わせてもらったんですよ!」
とオベンチャラを言うと、
「聴いたけど、あんまりうまくねぇな」
とバッサリ。また、ドラマ「任侠ヘルパー」でヤクザを演じている草なぎが
「健さんをマネしています」
と言うと、
「役が合わない」
と突き放した。それでも
「あなたへの演技は良かったですか?」
とすがりつこうとする草なぎに対し、
「う〜ん……ちょっと役が足らない」
と最後まで評価しなかった。
矛先は香取にも向けられた。
「台本の記憶などは全て撮影現場で済ませちゃいます」
と香取が悪びれずに言うと、健さんは唖然とした表情になり、
「役者に向いてないんじゃないのか? オレが企画部長だったら(映画に)使わないな……」
と切り捨てた。
健さんがテレビ番組にゲスト出演するのは15年ぶり。生放送に出演したのはなんと初めて。取材に応じることもまれな健さんのまさに貴重な番組出演である。SMAPの面々は健さんを引っ張り出したと大威張りのつもりだったろうが、“大人”を甘く見てはいけない。収録なら間違いなくカットされていたはずだが、SMAPに対して視聴者が常日頃から思っていることを直言され、そのままオンエアの想定外の事態となった。
芸能評論家の金沢誠氏がこう言う。
「高倉健ですから何を言われても、ジャニーズ事務所もテレビ局も黙らざるを得ません。SMAPは普段からPRしたい映画などがあると、それぞれのメンバーの司会番組に出演して、気持ち悪いほどお互いの作品を褒め合う。健さんはそんななれ合いをたしなめているのだと思う」
草なぎと香取は高倉健に感謝した方がいい。
****まさに私が言わんとしたのは、こういうことである。
仲間内の研究であろうと、ライバルの研究であろうと、自分自身のそれまでの経験や蓄積から判断して、率直に意見をいう。場合によっては、相手が痛がることであっても平然とそのままの意見を語る。良いものは良い、悪いものは悪い。ダメなものはダメと明確に指摘する。そういう精神である。
相手がすでにいくら有名教授となっていようが、いまいが、いくらいい業績を残していようがいまいが、今やっていることやこれからやろうとしていることに対して、ダメなものはダメとダメだしする。そういうことをお互いにやる。そしてさらにより良いものを生み出そうという精神。こういうものが大事なのである。
学者も俳優も子供じみたものしかいなくなったせいか、ダメだしされると、「自分を嫌いなんだ」と勝手に解釈してしまう。あるいは、実によくありがちなことは、自分と相手の職の上下関係や立場の優劣を見て、相手が自分より下のランクにいると判断すると、「あいつは自分に嫉妬しているのだ」、「単なるルサンチマン分子だ」というように解釈してしまうのである。
それでは困る。だめなものは研究計画であり、研究内容なのである。役者であれば、ダメなのは演技なのであって、その俳優ではない。うまくできなければ、俳優に向いていないと言われるのである。ただそれだけのこと。歌手は歌手で良いのサ、ということなのである。
昔アメリカ留学した頃アメリカ人教授の指導下で良い仕事ができたからといって、日本へ帰国後に大学の教授となったのはいいが、その時代以上のことがまったくできなくなったとすれば、それが意味することは、「才能がない」、「研究者や大学教授には向いていない」ということになる。だから、大学を去る他ない。自分より向いている人へその道を譲るべきなのである。
しかしながら、大学を去ったらあるいは高専を去れば、他に職を見つけることが難しい。職なしになり家族も生活に困る。というただそれだけのために、大学や高専で職を維持しているわけである。
研究職が、こういう研究者ばかりになると、部外者や外部のものたちから、そういう本当の状況を知られるとまずいから、お互いにさもうまくいっているかのように演技をするようになる。互いに適当におべっかをいって褒め合うようになり、互いに傷つけることもなく、お互いになれ合いの世界になってしまうのである。
役者の世界では、そうなっては良い作品ができないぞ。というのが、高倉健さんの言わんとすることであろう。学者の世界も実はそれとまったく同じなのである。
ついでに加えると、学者の世界には俳優の世界にはない。腐敗のネタも転がっている。それは何かといえば、本や教科書の出版である。たいした研究を一度もしたことがなくても、他人の業績を自分で勉強してまとめて出版すれば、本や教科書を書くことができる。これに自分の職場(例えば、東大)の知名度をプラスすれば、それなりの本や教科書の体裁を持って一般人の素人さんたちをだまくらかすことができるのである。
この時、出版業者は本を売りたいから、学者さんを「先生、先生」といってスリ寄って来る。これにたいがいの学者や研究者がだまされる。そうされると、気分がいいのである。また、本や教科書が売れれば売れるほど、自分が偉くなったかのように錯覚するのである。そして本を作る度に学者精神が腐敗する。このことをかの哲学者ショーペンハウウェルは「読まれない為に本を書く」と評したのである。
私の理研時代、ほぼ同世代に茂木健一郎博士が博士をまだ取り立てで私と同じ職に入って来たが、私はいつも彼のいる研究室でコーヒーをくすねに行っていた。そこで最近どんな研究しているの?というような四方山話をいつもしていたものである。そんな時、私は茂木に「もっとしっかり研究しろ」ということを言っていたのだが、たいした研究をする間もなく、いつしか彼はイギリスに留学した。年長者の私は、先に任期を終えてここ阿南に来たのだが、その後、茂木が留学から帰国後は、いつの間にやら「脳科学者」に大変身。そしていつしか作家のような人間に変化していたのである。あとは皆さんがテレビで見た通りである。
学者というものは、売名や本や教科書で簡単に腐敗するのである。なぜなら一般人にはその内容の価値判断がなかなかできないからである。それを行うべきものは同業者ということになる。しかし、そこで、上のように、お互いになれ合ってしまえば、それで終わりなのである。
これが学者がどうしていとも簡単に「御用学者」になってしまうか?ということの理由である。その一端が分かったのではないだろうか? まあ、そういうことを言ったのである。
*****おまけ
*****ちょうど好都合の事件があった。
◆女性教授、部下の講師に「資質ない」と退職迫る
奈良県立医大(橿原かしはら市)は23日、医学部看護学科の女性教授(41)が直属の部下にパワーハラスメント(職権による人権侵害)をしたとして、停職1か月の懲戒処分にしたと発表した。処分は16日付。
大学によると、教授は昨年2〜3月、40歳代の女性講師に「資質がない」とメールで退職を迫り、講師の連絡箱に他大学の教員募集の案内を入れるなどのパワハラを計5回繰り返した。
講師は抑うつ状態となり、昨年2月、大学に相談。大学は翌月、教授と講師の職場を別にしたが、教授はその後も退職を迫るメールを5回送り、文書も1回、講師あてに郵送した。講師は今年3月末に退職した。
教授は大学の調査に事実関係を認めたが、「パワハラをした認識はない」と話しているという。大学の大西峰夫理事は「誠に遺憾。再発防止に努めたい」と話している。
これはどうやら「教授の人事権」と「パワーハラスメント」を混同したお馬鹿な事件のようである。
どこの会社の社長にも管理職の上司にも部下に対する「人事権」がある。上司ができの悪い部下には、辞めてもらって結構なのである。当然のことだろう。支払う給料に見合う仕事ができなければ解雇されるのは当然である。さらに、大学教授職が厳しい職場だというのはもともと入る前から分かっていたことである。
かつて、物理学の世界でもそういう話は頻繁にあった。中村誠太郎博士がハイゼンベルク博士の研究所に留学すると、「研究生活の仕方は自由だが、1年経って研究ができなければ、辞めてもらうが、その際、給料の全額を返還してもらう」とはっきり言われたようである。これなど、自由と放任は違うの典型的な例である。また、湯川秀樹博士の場合も、あまりに出来の悪い学生やスタッフには「明日からここに来なくていい」といったという話である。
上司である教授は絶対である。教授の要求にかなわないスタッフは解雇されるべきである。同様に、理事会の要求に見合わない教授も解雇されるべきであろう。
こんなのをさも事件のようにとり扱うとすれば、我々研究者は命がいくつあっても足りない。教授と意見が合わなければ、別の道を探せば良いのである。こんな研究者を置いておくとは、この大学側のすでに病んでいるようだな。
研究職は、サッカー日本代表と同じくプロなのだ。いくらその給料が未練に思ったとしても、結果が出せなければ解雇される。どのプロ組織にもある当たり前のことである。サッカーの監督に代表の人事権がないとすれば、そのチームに対する責任を持つことなど不可能である。それと同様に、だめな研究者を首にできなければ、もはや日教組(在日)に乗っ取られた日本の学校と同じである。ひょっとしたらすでに日本の大学も在日に乗っ取られつつあるのかもしれませんナ。
日本代表のドイツのボーフムの長谷部選手も今「戦力外通告」の最中にある。要するに解雇されたのである。結果が出せなければ、それで終わり。泣きついてもだめである。プロの世界は本来厳しいものである。日本ではそこが甘いから、結局独創的な研究が生まれないということなのである。
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