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インターネットは、使う者の使い方次第では、知恵や出会いやリラクゼーションを与えてくれる。インターネットがある時代に生まれて良かった;心の底からそう思う。
でも、インターネットの使い方は個人に完全に委ねられているので、インターネットを通して何を得るのか・何を失うのかは個人次第。そのネットを使って違法薬物を売買しようとする人や、くだらないものに散財してしまう人だっている。個人の自由であるとともに自己責任なネットuseだからこそ、使う人の技量や知識、智慧といったものによって、ディスプレイ越しに得られるものは左右される。
***ネットにおける悪意や恨み言の特徴
インターネットが普及するよりも前に、悪意が存在しなかったわけではない。井戸端会議や、居酒屋のカウンターで、悪意が言葉や態度となって現れることも多々あっただろう。ただ、インターネットが普及する前後では、悪意を巡る状況はかなり変わっていると思う。
最も大きな違いは、ネットによって悪意を表明できる時間・空間が無限増殖したことだ。
昔の悪意は、表明できる場所や文脈、時間に依存する形でしか現れることが出来なかった。例えば姑の悪口を言いたい嫁は、そのような嫁同士だけが集まっている場所でしか姑の悪口を言えなかったし、そういう場所・時間・文脈は24時間のなかでもごく限られていた。牛の刻参りをやるにしても、人目を忍んで、夜中にこっそりやらなければいけないものだった。
ところがインターネットが普及してからは、私室のリクライニングチェアに腰掛けたまま、24時間、好きなだけ悪意を表明できるようになった。それどころか、スマートフォンを持っていれば、旅行中や出張中でさえ悪意を表明できる。いつでもどこでもカジュアルに、だ。2chの一部のスレッドのように悪意がふきだまっている場所もあるし、そうでなくてもネット上にはつねに“炎上案件”が転がっているので、炎上から炎上へ・祭りから祭りへと渡り歩いていれば、誰かを口汚く安全に罵るチャンスはほとんど常にあると言っていい。ディスプレイの前に座っている限り、あなたは望むだけ何かを貶すことも、何かを罵倒することも、何かを呪うこともできる。できてしまう。
★問題は、このような制限のない悪意・呪詛の表明が、個人の心に何をもたらすのか、だ。
ある程度の悪意表明や呪詛は、私はストレス解消には良いと思う。いわゆるガス抜きというやつだ。特に2chの隔離スレのように、あまり他人の目に触れないような場所での悪意表明は、誰かの迷惑になるようなリスクも少ないので、害が少ないとも言えるかもしれない。
しかし、そのような悪意や呪詛を日常的に表明していている人間は、その悪意や呪詛から影響を受けずに済ませられるものだろうか?
私は、悪意や呪詛を日頃から表出しすぎる者は、そうした呪いの言葉に次第に影響を受けてしまうんじゃないか、と警戒する。人は、はじめのうちは「ネット上でしか言わないから」「ネタだから」「炎上に便乗するだけだから」と思って悪意や呪詛を口にするのかもしれない。しかし、年余に渡って、何百回何千回と悪意を表出し続ける者は、次第に悪意に呑まれてしまうのではないか?
よくあるモノの見方からすると、★「行いは、人の心によって決定される」のであって、悪意や呪詛は、原因ではなく結果に過ぎない、という理解になりそうだ。しかし長期スパンで考えるなら「行いの蓄積によって、人の心が決定する」という部分もあるのではないか。少なくとも、長期的な行いの蓄積によって人格や精神が影響を受けるということはあり得ると思う。もちろんこのあたり、どちらが鶏でどちらが卵なのか、わかりにくい領域ではある。けれども、行いが蓄積し、それに慣らされていく効果は、侮っちゃダメだろう、とは思う。
このモノの見方でいくと、インターネット上で日常的に悪意を表明している人、とりわけ炎上から炎上へと渡り歩きながら、ネットに繋いでいる間じゅう、あらゆるものをバッシングして回っているような人・見下して回っているような人は、短期的なストレス解消と同時に、長期的には、自分の心を少しずつ黒く染め上げている、と言えるのではないか。そのような人物においては、悪意を表明することに対する違和感も抵抗感も次第に失われていくだろう。積もり積もれば、「ネットだから」「ネタだから」「炎上に便乗するだけだから」ではなく、筋金入りの、心の底からbadな人間ができあがるのではないか。
悪意や呪詛を思い通りに表明できなかった時代には、その時代固有の大変さがあったとは思う。けれど、悪意や呪詛を24時間好きなだけネットに垂れ流せる時代というのも、これはこれで大変だと思うし、ネット上の悪意の坩堝につかりきって、自分の精神をどす黒く染め上げていく人もいるのだろう。恐ろしいことだ。
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