http://www.asyura2.com/10/social8/msg/799.html
Tweet |
ttp://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120716/1342401707
まずサイゾーが、「同性愛は6兆円市場?IBMも積極的にホモ採用のワケ(1/4) - 日刊サイゾー 」という記事を書いた。
それに対し、とある人がこういう記事を書いた。「株式会社サイゾーに抗議します!「ホモ採用」 「ホモ」とは何でしょうか、「ホモ」とは? « あの女(ひと)の器」。
するとやまもといちろう氏が、「ホモというのは別に差別ではないのでは?」と自身のブログ記事「ホモがサイゾーに抗議している件で(追記あり)(さらに追記あり): やまもといちろうBLOG(ブログ) 」で疑問を呈した。
それに対して、サイゾーへの抗議記事を書いた人から、そもそもホモという言葉自体に揶揄するような意味合いもあるのだが、サイゾーはそれを殊更に取り上げることで差別的な意味合いをそこに含ませたという趣旨の指摘をした。それを受けて、やまもといちろう氏は記事の追記で、そういう意味合いがあるとは知らなかったと述べている。
これを読んで気づいたのは、差別というのは言葉そのものに宿るというよりも、その文脈に宿るということだ。ここでは、もちろん「ホモ」という言葉そのものにも差別的な意味合いがあるという指摘もあるのだけれど、それ以上に「サイゾーがそれを差別的な文脈で使った」ことが問題視されている。実際、やまもといちろう氏も「ホモ」という言葉に差別的な意味合いを感じなかったから、当初は「これは差別ではないのでは?」という疑問を呈したのだ(後に論旨を軌道修正している)。
このように、差別的な言辞というのは、当事者を「狙いうち」する形で表されるから厄介である。「狙いうち」というのは、上記の例でいうと、「サイゾーの記事に性的少数派は確実に差別されている嫌な気持ちを感じるのだけれど、それ以外の人(例えばやまもちいちろう氏)には差別をしているようには見えないから、それに抗議すること自体が揶揄や嘲笑の対象になってしまう」ということである。差別者に対して抗議しただけで、差別した当事者や第三者から「なに逆ギレしてんの?」と言われ、さらに差別が深まってしまうのだ。
だから、被差別者は差別者に対して抗議の声を上げにくくなる。そういうこともあるから、被差別者が抗議をするというのは二重三重に大変なのだ。
ぼくも、先日washburn1975氏という方から差別攻撃を受けた。氏は、彼のブログ記事の中でこう書いている。
そこが理解できなかったのだとしたら、本気で発達障害を疑う必要があると思います。つうか寝てたんじゃねえの? いつも眠そうな顔してるじゃん、あのハゲ。
誤読は許さない(キリッ - 男の魂に火をつけろ!
ここで注目してほしいのが、「ハゲ」というある程度差別用語として認知されている言葉が使用されていることではなく、「発達障害」という用語が「差別的な文脈」で使われていることだ。氏は、ぼくを揶揄する文脈の中で「発達障害」という言葉を使い、暗に「発達障害は劣っているもの、差別されるもの」ということを仄めかしているのだ。
ここでもう一つ気づかされるのは、サイゾーもwashburn1975氏も、差別を「意識的にしていない」ということだ。彼らは、ほとんど無意識で差別をしている。その心の奥底に差別的な気持ちがあって、しかしながらそれは心の表層には表れないため、差別心が言葉そのものではなく、その文脈に立ち現れるのである。そういう人に、だから「あなたは差別をしている」と言っても、なかなか理解してもらえない。なにしろ、彼らには差別しているという意識はないからだ。差別問題の厄介さは、そういうところにもあると思う。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
- Re: URL訂正 墨染 2012/7/17 11:58:36
(0)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。