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404 Blog Not Found:備忘録 - そもそもなぜ老は敬われてきたのか
「お年寄りを見殺そう」という第三極の政治勢力: やまもといちろうBLOG(ブログ)
最近、真面目そうな顔写真が入ってイメージチェンジした『やまもといちろうblog』と、アルファブロガーの小飼弾さんの『404 Blog Not Found』に、リンク先のようなディスカッションが出てきました。twitter等でたくさんの意見が寄せられているのを観るにつけても、そろそろ時代の潮目なのかな、と思わずにはいられません。昨今の高齢化・少子化を巡る情勢や時代の閉塞感を思うにつけても、「お年寄りどころじゃない。それより子育てを。未来を。」的な意識が高まってくるのは当然といえば当然でしょう。
もちろん私も、そういった話題に強い関心を持っていますし、そういう目線でメディアを眺めています。また、こうした社会全体の【お年寄り/子育て】について考える際には、お二方の記事に近い意見を抱いていると自覚してもいます。
けれども、いざディスプレイの前を離れ、身の回りのお年寄り達に会ったり、臨床活動を通してお年寄り達と話をしたりしていると、リンク先のディスカッションが遠い世界のことのように感じられます。なんていうんですか、リンク先のようなディスカッションを読んでいると、まるで若い世代のことを考えないお年寄りとか、子や孫のことを考えずに財産を独占している悪しきお年寄りとか、そういう邪悪な老人が巷にあふれているようなイメージが湧いてきそうなものですが、そんな我利我利亡者のお年寄りって、少なくとも70歳以上の人達のなかでは少数派のように感じられるんです。私はそういうお年寄りをあまり見たことが無い。
実際には、殆どのお年寄りは「若いのに迷惑をかけたくない」という思いを抱えているのではないでしょうか。そして「若いのに迷惑をかけたくない」からこそ、タンス預金なりなんなりを守銭奴の如く守り、あるいは健康を損ねないよう病院通いに余念が無いのではないでしょうか。いや、なかには資産家なお年寄りもいて、「若いのに迷惑をかけたくない」とは無関係にお金を貯めている人もいるかもしれません。でも、そんなお年寄りなんて少数で、庶民感覚な多くのお年寄りは、自分なりに若い世代のことを考え、むしろ考えているがゆえに、お金を貯め込み、消費を抑制し、高血圧や糖尿病の薬をきちんと内服しているのではないかと私は思います。
ときどき、「お年寄りが金持ってるんなら、派手に使って景気を良くすればいい」みたいなことを言う若い人をネットで見かけます。でも、よほどの資産家でない限り、お年寄りにはそんな事できるわけがありません。お年寄りは仕事をしていませんから、一度貯金通帳から消えたお金はもう戻ってきません。しかも、自分が一体何歳まで生きて、どれぐらいの医療費・介護費を必要とするのか事前に予測できない以上、「若いのに迷惑をかけたくない」と思ったら、念のため財布の紐を締めておくしかないでしょう。そして多くのお年寄りは、年金システムをあてにはしていても、それらがいつまで続くのか怪しげだということを知っています;「自分達の代なら逃げ切れる」という保証はどこにもない。となると、そうした社会制度が壊れた後に子どもや孫に迷惑をかけないためにも、やっぱり財布の紐を締めておくしかない、という判断にもなります。これから先、医療費や税収を巡る雲行きが厳しくなってくると感じ取ったお年寄りは、きっとますます財布の紐をかたく締めようとするのでしょうね――「若いのに迷惑をかけたくない」から。
職業柄、私は認知症になりかけのお年寄りや、鬱病が治った後のお年寄りと医療費や介護費について会話する機会がよくありますが、そのようなお年寄りの大半は、自分の子どもや孫に金銭的にも労力的にも迷惑をかけたくない、それだけは全力で回避したい、と話されます。そのためにも、病院にきちんと通って、健康的な生活を心がけ、将来やってくるであろう医療費や介護費への備えを日々怠らない――そういう意識を持っていらっしゃる人が大多数です。前頭葉をやられたとか、特別な事情がある人を抜きにすれば、それぞれのお年寄りは、それぞれのお年寄りなりに、「若いのに迷惑をかけたくない」と思っていると私は実感します。だからこそ、「ぽっくり地蔵」のようなものが信仰を集めてもいるのでしょう。
■ミクロな「若いのに迷惑をかけたくない」/マクロな「若いのに迷惑をかけたくない」のねじれ
ただし、こうした個々のお年寄りの「若いのに迷惑をかけたくない」って、「顔の見える範囲の若いのに迷惑をかけたくない」じゃないかと思います。そして、そういったお年寄り個々人の「若いのに迷惑をかけたくない」という願いが積もり積もった結果として、マクロな社会全体のレベルでは「若いのを圧迫している」という現象が、今起こっているのではないかとも思います。
多くのお年寄りは、「若いのに迷惑をかけたくない」と本気で思っているし、現に、一族郎党に迷惑をかけないように個人としてできる限りのことをしています。けれども、そうした個々の「若いのに迷惑をかけたくない」という善意が何百万も集まった結果として、世論なり政治選択なりが高齢者のほうを向き、予算配分や社会決定を高齢者重視に傾け、子どもやシングルマザーに対する手当を脆弱なものにしているとしたら……。善意のねじれとでもいいますか、一人一人のお年寄りの「若いのに迷惑をかけたくない」という思いが、マクロな社会レベルでは、若い世代を圧迫する政治決定や施策に繋がったり、遠い未来の子孫が借金まみれになる一因になったりするというのは、なんだか悲劇的なことだと思います。ですが、今起こっているのは、こういう悲劇的なことではないかと思います。
だから私は、こうした問題を「悪しき老人vsかわいそうな子ども」「高齢者vs若年者」といった世代-対立的なアングルで叩き切って欲しくないなと願いますし、そのような世代間対立を煽りそうなコンセンサスづくりには素直に賛同しかねます。そして当該分野でポリティカルな発言をするメガホンの大きな人達には、是非とも、お年寄りひとりひとりの「若いのに迷惑をかけたくない」という気持ちを汲み取っていただいて、それがマクロな社会レベルでも有益に働くようなアイデアを捻り出していただけたらとも期待します。とても難しい注文だというのは承知していますが。
殆どのお年寄りは、悪しきセルフィッシュな老人などではありません。
彼らも彼らなりに、後に残される世代のことは心配しているんです。
そこらを踏まえた、もう少し繊細な手つきのアングルが出てくるのを期待します。
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