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2012年6月10日、あるニュースが流れた。
東京都教育委員会が行った調査によると、新しい学習指導要領の実施により教える内容が増えたため、東京都内の公立小学校・中学校において、土曜日に授業を行う学校が急増しているという。東京都教育委員会は、月2回を限度に土曜日授業を行ってもよいと区市町村の教育委員会に通知していたところ、そのような調査結果が出たとのことだ。
ところが、東京都教育委員会は、土曜日授業を一度も行わない学校もあるため運用に「ばらつき」が出ていることから、学校ごとに差が出ないよう今後、調整が必要だとしている。
以上のニュース報道にもあるとおり、通う公立学校によって生徒の学力に差が出ないように、教育委員会はすべての公立学校に対して同じような取り組みをするよう指導する。
生徒に良かれと思って土曜日に授業をする公立学校が増えている。にもかかわらず、やってもよいが、ほどほどにやれという。全くやらない学校とのバランスを配慮するあまり、やる気のある学校の取り組みに水を差す。
あきれて物が言えないとは、このことだ。
どんな取り組みでもそうだが、ある程度の差や「ばらつき」が出るのは当たり前で、すべてが同じで良いはずはない。
なんでもかんでも同じにしたがることが平等だという。そんな馬鹿な親が急増している。そのため教育委員会としては、怒鳴り込まれるのが嫌だから、なのだろう。ある意味、「事なかれ主義」の象徴といえる。
日本社会が、これほど低迷する最大の要因は、教育の質の低下だと考える。その意見に賛同する人は多く、実際に同じことをいう有識者も多い。にもかかわらず、相変わらず、教育委員会は馬鹿な真似をし続ける。
そのように現在では、社会全体が馬鹿の一つ覚えのように同じ扱いに固執する。
なんでもかんでも明確に統一したがる。規則化したがる。法制度化したがる。
それは人の行動を単純化し、組織化することにつながる。利権や対価を搾取する側にとっては、非常に便利な社会システムができあがる。そして搾取される側も、ある時、ある場面では搾取する側にまわる。いじめられる、いじめる、の両面が明確に使い分けされる時代へと突入する。
そして、いったん問題が起きると、個人的な原因であっても、社会全体や組織全体の責任へと転嫁したがる。そちらの方が補償金を多く取れると思ってのことなのか。あるいは、普段は立場の強い組織からいじめられているため、こういう機会でもないと立場の強い組織に対して、報復できないとでも思ってのことなのか。
いまや、日本人としての尊厳や礼節は、どこにも見られない。それは生活保護の問題を見ても、よく分かる。以前では、いくら生活が苦しくとも、生活保護を受けるのは恥だという意識が強かった。よほど苦しくならない限り、そんなことは考えもしなかった。ところが現在では、働きたくないからといって平気で生活保護を受ける。弱者のふりをしてまで生活保護を受け、遊興にふける。
規則化・法制度化しないと日本社会が立ち行かないのは、もはや人の良識に頼ることができなくなったことの証しだ。今後は、法制度化、すなわち政治に期待するのではなく、すべてのできごとを私たち自身の身近な問題として捉えなくてはいけない。
思考や思想も同様に、画一化に向かっている。権力や権威のある者が声高に叫べば、多くの人が、それに従う日本社会。しかし同時に、その恐ろしさに気づく人も増え続けている。
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