http://www.asyura2.com/10/social8/msg/722.html
Tweet |
http://diamond.jp/articles/-/19717 開沼博
闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に
【第2回】 2012年6月19日
開沼 博 [社会学者]
第2回
「売春島」の花火の先にある未来
私たちの目の前から“漂白”されつつある「あってはならぬもの」「おかしなこと」にこそ、現代社会が抱える矛盾、そして社会の原動力の中心が存在する。社会学者開沼博は「社会に『補助線』を引く試み」を始める。
最初に目を向けたのが「売春島」だった。彼はそこで数々の噂を耳にした。「島のことを深く調べようとして10年以上行方不明になっているジャーナリストがいる」「宿に荷物を置いていたら中身を調べられた形跡があった」……。しかし、現実のそれを実際に歩きながら、下世話な想像によって生まれた虚像を乗り越えた先に見えてきたものは、急激な近代化に翻弄された地方都市の悲しい素顔だった。
第1回『取り残された「売春島」に浮かぶもの』に続き、島が歩もうとしている未来に迫る。連載は全15回。隔週火曜日に更新。
船乗りは「把針兼」に安息を求めた
その島は古代からの「風待ち港」だった。
大量の物資を長距離にわたって運搬する役割が帆船に任されていた時代、風がなく船を進められない日が続くと、物資の調達と乗員の休息のため、船は「風待ち港」に停泊し、西へ東へ、目的地に向けて進むのに程よい風が来るのを待っていた。
ある者は宿に泊まり、海上ではめったに口にできない新鮮な野菜に舌鼓を打ちながら時を過ごす。そしてある者は、航海中に“調達”できない水上遊女に、しばしの安息を求めたのであった。
この水上遊女は「把針兼(はしりがね)」と呼ばれ、その字が表すとおり、船の帆や乗員の衣服などを繕う仕事もした。時には10日、長ければ1ヵ月ものあいだ“貸切”にし、ほかの港との往復の航海をともにすることもあったという。
明治以降、「把針兼」が禁じられ、また島自体が「風待ち港」としての役割を終えてもなお、この「伝統産業」はその役割をより大きなものとして島を支え続けた。
近代化の中で、終戦後の売春防止法と「赤線・青線」の生成を持ち出すまでも無く、「前近代的な性倫理」「売春」といった「あってはならぬもの」は公衆の面前から隠蔽されゆく。
しかし、隠蔽されたところでそれが無くなることはなく、むしろ「あってはならぬもの」であるがゆえに、その必要性はむしろ高まった。国の成長を縁の下で支える公然のタブーとして、人目につきにくい場所に背負わされ、寄せ集められ、そして保存されていった。
次のページ>> 「会社の親睦旅行に行ってくる」と島を訪れる男たち
「会社の親睦旅行に行ってくる」と島を訪れる男たち
冒頭の話にあったとおり、つい最近まで、西日本を中心に各地からその希少な「伝統産業」を島に求めて、「農業・土建業の団体客」に象徴されるような、日本の成長を担った男たちが途絶えることはなかった。すぐ近くにある伊勢神宮への参拝とあわせて「伊勢に会社の親睦旅行に行ってくる」と家族に言い残し、しばしの休息に出向いた男たちも多かったことだろう。
現在、この島で遊ぶ際のシステムはこうだ。
島の宿に泊まるか、あるいは置屋に直接赴くかすれば、「女のコ」を紹介してもらえる。日本人と外国人(タイ、台湾をはじめアジア系)の割合は半々か、やや外国人が多いかといった具合だ。
ショートが1時間で2万円。ロングがいわゆる“お泊り”で、夜11時〜翌朝7時までで4万円。ロングは、遊女の機嫌さえよければ時間と体力の持つ限り何回でも“できる”し、手をつないでの散歩に誘ってくれたり、食事を作ってくれたりさえするうえに、島から帰る際には船着場まで見送りにきてくれるという。
当初、客引きは客にショートを勧めるのかと思っていた。効率よく客にカネを支払わせることができるからだ。だが、みなロングを勧めてくる。決して利益を軽視しているわけではないのだろうが、「把針兼」以来の“おもてなし”が今でもスタンダードなのかもしれない。
「伝統産業」に襲いかかる存亡の危機
しかし、今、この「伝統産業」が存亡の危機にある。前出の客引きの老女はこのように語る。
「ここ5年ぐらいで旅館も置屋も何軒もつぶれたんよ。バブルの頃くらいまではまだお客さんもいっぱいでねぇ。団体のお客さんがひっきりなしに来てはカネを落としていった。それが10年ぐらい前からかねぇ、とんと来なくなってしまった。今はせいぜい数人のグループとか、“遊ぶ”というよりも噂を聞いて好奇心で来るような20代の若い人とかばかりだねぇ」
解体が中断され廃墟と化した宿
それは、10分も島を歩いてまわればすぐに実感できることだった。解体途中のプールが放置されたまま廃墟となった宿。かつては数多の遊女たちを住まわせていたであろう、山の中にところ狭しと並ぶ荒れ放題の家屋。
何より、島の住民のほとんどが50代以上。60代、70代となるに従って増えていくようにすら感じられる。
客引きや「女のコ」にかまってもらいながら無邪気にはしゃぐ小学校低学年ほどの子どもも見かけた。宿の経営者の子であろう。「うちの子も大学生だけど東京に行ってんのよ」(スナック従業員)という話も聞く。
だが結局、島での生活を貫こうとする「若者」の姿を目にすることは皆無だった。
かつて、その従事者が島に大量のカネを落としていった日本の農業・工業は、バブル崩壊以降の長期不況の中で弱体化していった。いまや「使い捨て」の派遣労働者たちが、会社の経費で売春島に連れてきてもらえるような状況はありえない。島の客層の変化は、日本が成長期から成熟期を経て、縮小を始める転換点を如実に映し出していったと言える。
次のページ>> 「売春島」が弱体化した2つの理由
相次ぐ摘発で島の「浄化」は進む
島を弱体化させた時代の要因はほかにもある。一つは摘発だ。
宿に掲げられた「建前」は最近張り出されたように見える
拡大画像表示
日本は国際社会から「人身売買大国」の汚名を着せられた。そして、「歌舞伎町浄化作戦」にみられる性風俗への規制強化が進む90年代後半から現在に至る日本において、「売春島」は浄化されるべき対象だった。
98年5月、職業安定法(労働者の有害支配)違反。99年12月、売春防止法違反。00年2月、児童福祉法違反で置屋経営者を逮捕。00年6月、職業安定法(有害業務目的の職業紹介)違反。00年12月、タイ人女性の出入国管理法違反。
2000年前後、ほかにもあらゆる名目で島に女性を斡旋した暴力団員とともに、島民・売春婦が逮捕され、島は警察の摘発を受けた。もちろん島は今でも「売春島」であり続けるが、制約条件が明確に増え「商売をしにくくなった」ことには違いない。
「売春島」を弱体化させたもう一つの理由
島を弱体化させたもう一つの要因としては、情報化があげられる。
「箱型風俗(店舗型風俗店。全国的に規制が強化され新設も不可能になっている)もそうですけどね、そういうのわざわざ行かないでしょ。高いし遠いし。近くて安い、デリヘルに流れていってる」(近隣風俗産業関係者)
インターネットで検索エンジンを開き「○○島」とその名を入れれば、それがいかなる場所なのかは誰でもたちまちわかってしまう。かつては、男たちの社会の内に隠されていた情報が、インターネットの普及とともに誰にとっても入手可能なものとなった。
「客は何でもネットで探す。女のコの質、料金、なんでも出てくる」(同)。それによって、安易に旅先として明かせない秘境となる一方で、分散的にネット上に存在する数ある性風俗の一つへと成り下がることとなり、島の潜在顧客を絞ってしまった。
島を歩くほど実感するあばら家の多さ。その傷跡は生々しい。
古代から続くこの島の長い歴史に比べれば、この傷跡が、まだそれほど時間が経っていない状態であることは明らかであるがゆえ、その隆盛から衰退への大きな変化を実感させられる。
次のページ>> 「いまさら『表』の顔だけじゃあ到底やっていけない」
「売春島」の花火の先に遊女は何を見ているのか
きれいに整備された穏やかな海には誰もいなかった
そんな中で、島は「表」の顔をつくろうと躍起だ。2003年の夏にオープンした「パールビーチ」はその象徴だ。
この地で養殖が盛んな真珠をコンセプトに整備された海水浴場は、若いカップルや家族連れが気軽に島を訪れることができるように、洒落たデザインのベンチ・シャワー室などが建てられている。
数年前には、このビーチや島の広場でレゲエイベントが開かれた。地場の観光産業を盛り上げようとする地元企業が主催し、島外から多数の若者を呼び寄せて夜通しのライブが行なわれた。
観光客は無料遊覧船から美しい花火を楽しむ
子どもの夏休み期間中は、旅館の宿泊者を対象にした無料の花火遊覧船もある。94年に開業した島の対岸にあるレジャー施設では、毎晩打ち上げ花火が開催される。その花火を海上から最もよく見えるポイントまで、船は毎晩出航する。
海面に満開に咲く花火は、人でごった返した都会の花火大会では決して見ることのできないものだと言える。
「いまさら『表』の顔だけじゃあ到底やっていけない」
「裏」の顔に頼らなくてもすむような「表」の顔を確立したいという切実なもがき。「あってはならぬもの」を抱える島には、独自で温泉採掘に成功した宿もある。海を眺めながら入浴できる天然温泉の露天風呂は、他の有名観光地に勝るとも劣らない。
島周辺でとれた海産物が食卓を彩る
伊勢湾でとれる伊勢海老・あわび・牡蠣など豊富な海産物を使った料理も絶品。純粋に観光に訪れた旅行者でも楽しめるよう、船上バーベキューや釣りといった宿泊オプションも用意されていてインターネット上でも積極的に宣伝されている。
今まさに、島は観光地らしい観光地として生まれ変わろうとしているのだ。しかし、「今さら『表』の顔だけじゃあ到底やっていけない」(前出の客引き)。
そもそも、「売春」という高単価・高収益の産業を基盤に成り立ってきた島だ。いくら観光地としての魅力を高めようと、安価に新鮮な魚介類を仕入れ、余計なサービスを省いてコストを削ったとしても、宿としての売上だけで島の経済を維持することは難しい。
昼間は「表」の顔を見せていた島も、日が落ちてからは、何人もの客引きが島の「メインストリート」に立ち、「それ目的」で散策する男たちを日付が変わる頃まで待ち構える。島は「裏」の顔を捨てられやしない。
島で育った若い人は、仕事を求めて都会に出て行ったきり帰ってこない。客引きの老女はみな、還暦を超えている。この客引きたちがいなくなった時に「伝統産業」はどうなってしまうのだろうか――。
次のページ>> 切り捨てられる「裏」の顔たちの未来とは
原発をめぐって交錯する2つの思い
周囲では、様々な形でこの「豊かではない地」の窮状に拍車をかける動きも起きている。その象徴が「芦浜原発建設計画」だ。
この島と同じ熊野灘に面する芦浜海岸に、「芦浜原発」の建設が計画されたのは1963年のこと。近代化が最高潮に達して高度経済成長にまい進する中で、この計画は地域の基幹産業である漁業の衰退を横目に、三重県南部地域の原発推進派と原発反対派の対立を引き起こした。
それは「原発を軸に中央からの再配分にすがる地域として生きるのか」あるいは「自らで新たな産業を作り出し、地域として自立して生きるのか」という価値観の激しい争いであったが、一方で、彼らに共有されている大きな目標もあった。それは「子や孫が安心して地元で暮らしていけるような地域にしたい」という思いだった。
ひとたび、原発を受け入れれば、国と電力会社から多大な補助金が入るのみならず、多大な雇用が創出され、その波及効果が長期間にわたって持続する。いち地域が都市の近代化に必用なエネルギー供給の根幹を支えるという、重要な役割を担わされるがゆえの「大金」であった。
地域の漁業・農業が衰退する中で、「原発に依存する安定した地域」か、「原発ではない新たな産業で生き残る地域」かを選ぶ対立は激しいものだった。90年代後半以降は、再分配抑止型の地方分権政策が貧しい地域をより貧しくする中で、原発誘致はほかに産業がない「ムラ」たちへの「特効薬」となってきたのである。
近代化の極致で切り捨てられる「裏」の顔たち
2000年2月22日。約40年続いた戦いは終わった。今でも地域改革派として名高い北川正恭知事(当時)が原発建設計画を白紙撤回し、中部電力が断念したのだった。
外の人間は「そんな汚らわしい麻薬など捨ててしまえ」というだろう。しかし、この「特効薬を捨てる選択」が正しかったのか否かは分からない。
「地域の自立」という名の弱肉競争の時代において、もしこの地域が原発なき、あるいは売春なき自立に成功しなかったならば、この地は遠からぬ将来において、今以上に仕事が無くなり、若者が残らない「負け組」地域になってしまう。一つの灘におこった、「原発を受け入れる」という地域の過疎化を止める特効薬を拒否する選択は、そして「売春」という「伝統産業」を捨てるという選択は、達成困難な地域の生き残り競争への参戦を受け入れる選択でもあった。
明治以降、華々しい躍進を遂げた日本の近代化の「表」の顔のもう一方には、限られた場所に集められた近代化の「裏」の顔がある。人口増大、技術革新、消費社会化といった「表」に隠されたところにあったのは「売春島」であり「原発誘致をせざるをえない貧しい地域」であり、その他諸々のこぼれ落ちる「裏」の顔たちだった。
近代化の極致において、「裏」の顔たちは切り捨てられようとしている。
次のページ>> 客引き老女は「売春島」の最期を待ち続ける
客引き老女は「売春島」の最期を待ち続ける
「明日の朝でも遊んでいけるけぇ、宿で朝ごはん食べて帰る支度したらまたこのあたりに来てみ。そしたら女のコのところ連れて行ってあげるから。せっかく島に来たんだからちょっとでも長く遊んでいったらええんやろ」
異様な輝きを放つ夜の街
数時後に訪れる変わらぬ日常
ほかの客引きもみんな引き上げていった中で、30分以上も他愛の無いことを話しただろうか。客引きの老女は最後にそう言って家に帰っていった。
翌朝も昨日と同じ場所でしばらく老女のことを待ってみたが、結局会うことはできなかった。
渡し船に乗りながら、離れていく島をずっと見ていた。日常を忘れた男たちで賑う華やかな夜の街を、不安と希望を抱えながらそぞろ歩く遊女たちは確かにそこにいた。
彼女たちとともにその日を楽しみ、懸命に生きようとする若き日の客引きの顔が、最期を待ちながら穏やかにこれまで通りの日々を過ごす老女のそれに変わっていった。
第3回は、日本人と偽装結婚する外国人に迫る。摘発の危険を顧みず日本に渡ってくる者、そして戸籍を汚してまでカネを求める者たちの実態とは。あらがうことなど許さないグローバル化と「あってはならぬもの」の均衡点に探る日本の現実。次回更新は7月3日(火)。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。