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他者外部依存と自己依存、精神的自立・・日本人の美徳が洗脳社会に化けてしまった!
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/701.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 6 月 05 日 11:40:34: EVQc6rJP..8E.
 

http://sekaitabi.com/codependence.html

今の日本の状況をリアルタイムで知るたびに、怒りとため息ばかりがこみあげます。こちらで日本食品とか見るたびに、怒りで涙さえこみあげる。
この素晴らしい日本の食文化、そして日本に住む人々の土地を破壊した、人の命よりも利権や保身が大事な悪魔が憎いです。一生かかっても絶対に許すことはできない。きっと多くの方々が同じ気持ち、怒りでいることだろうと思います。
私は、海外に出て、海外に住む体験をすることを推奨しています。若い方々に対しては特に。それは「日本を捨てる」とかそういう意味ではありません。

■日本の中で常識とされていることの多くが「日本独自の洗脳」であること
すでに海外在住で、現地人の中に暮らしてるような人はわかる感覚と思うのですが、海外では「自分の意見をきちっと持っている」「自分の意見がきちんと言える」ということが、ごく当たり前なんですね。
私ももちろんすべての国に行ったわけではないけど、少なくとも自分のいる比国、そして英国・米国でもそうだったことは自分自身が体験済です。また欧州など、他国にいる方からの感想も聞いたりしてますし、お隣韓国の友人もそんな感じです。

うまく表現するのが難しいけれど、いわば「人間らしい生活・人生」を送る上で、自分の意見や主張を持つことは、日本の外ではごく当たり前のことなんですね。
日本では自分の意見を持つこと、自己主張をすることは善とされない風潮・文化があります。
「自分を持つ」のではなく、「その他大勢・多数に従う」という風潮がデフォルトになってしまってます。自分がどうこうよりも、周りに合わせることが重要のごとく。
そして日本は他者外部依存文化でもあります。「自分はどうしたいのか?」という部分が欠けているので、大事な判断さえも他者に任せてしまうことが多いのです。

自分の意見と思ってることが実は世論やマスコミ論調、または権威が展開していることにしか過ぎなかったりすることも多いので、ちょっとでも異を唱えると、それに対する問いかけが自分自身に向くのではなく、他者(他人)に向くのです。
たとえば「私はどうしたらいいのですか?」という質問を私は幾度となく浴びてきました。それも普段のささいな状況の中でもささいなことならいいとして、命に関わるような状況においても、そんな感じの人が、まだまだ圧倒的に多い。

たとえば放射能からの避難のトピックとしましょう。
「そんな避難と言われても、仕事はどうするのですか?」
「移った先で仕事が見つかる保証もないのに、面倒みてくれるんですか?」
「TVではそんなこと言ってないけど、違ったら責任取ってくれるんですか?」
「お金がない人は、どうすればいいのですか?」

これらは、「他者外部依存」を前提にされている質問。
これらの質問の、何がおかしいかがわかりますか?
わからなければ、それは日本という箱の中でどっぷり洗脳されている証拠です。
なぜなら・・・
自分がどうしたいのかは自分で考えて判断し、自分の意見と主張を持つ
これが、日本の外におけるデフォルト・標準感覚だからです。

では、自分で考える、他者依存ではない自分に軸がある人はどうなるか。
他者ではなく、自分に問いかけ、自分の答えを求める
んです。
「避難なんて考えてなかった。どのくらい危険なのか情報収集しなくちゃ」
「移った先で仕事があるかわからないけど、探してみるしかない」
「移ろうと思ってる先で仕事があるか調べて、問い合わせみたけど、厳しかった」
「お金がない今は難しいけれど、どうするべきか考えなければいけない」

これらはあくまで例ですが、要は「他人への自分の動向に関する問いかけ」ではなく、「自分に対する問いかけ」「自己判断」「自己行動」となる。
要は、生命に関わるようなレベルの重要な状況において、
「自分はどうしたらいいのですか?」
「自分はどうすればいいんですか?」
などと、他人に「自分の行方」「自分の人生に関する判断」を委ねません。
(質問や相談はするでしょう。が、自分の動向を、他者に全依存しません)。

■「自分を持つ」
「あなたはどうしたいの?」
「あなたは何がいいの?」
「あなたは何がしたいの?」
海外では、自分の意見が求められます。
これは英語習得で海外にホームステイした方、住んだ方などが経験されてるかもしれません。特に英語留学として英語圏であるなら、「自分はどう思うのか」「自分はどうしたいのか」という自分を問われることは必ずあることでしょう。
ここでもフィリピンでも英国・米国でもそうですし、世界的だと思います。
しかし、日本はそうではない。自分に関する主張が善とされていないから。
簡単なたとえをすれば、日本では
「出る杭は打たれる」
ですが、海外では、
「出ない杭は生きていけない」
こんな感じになることでしょう。

残念ながら「自分がない」「自分の意見・考えがない」という悪しき風潮が、国際舞台では自らの足を引っ張る元となってしまいます。
もともと島国で農耕文化だったゆえ、自分を持たなくとも群れて皆と同じでいれば問題なかった背景は大きいと思います。そこが他国と違うところで。
「別に日本で住むんだからいいじゃないか、何が問題?」とおっしゃる人もいるかもしれません。もちろん、そのままで平和に進むのであれば何の問題もないです。
けれど今は「自分はどう思うのか」「自分の主張ができるかどうか」が、国の存続にかかってくるレベルになっている。今のこの状態、自分がない状態で、生き抜いていくことはできないレベルにまで達しています。

外から肉食獣がウヨウヨ湧いてきて、今にも食いつこうとしてるからです。
別に大げさに言ってるわけでも、煽ってるわけでもない。今後訪れる厳しい現実とともに「変わらなければ生き残れない」ことが、ますます明らかになるでしょう。

日本の国民は長い間、「おとなしく従う羊」にされてきたのです。
このままでいると、ますます政府・国の横暴が進んでいくから。
その時に国民が「自分がない」「他者に委ねてるだけ」では、横暴を止めることも、ましてや国を変えることなどできないでしょう。

以上に書いてきた・・日本式の洗脳は、「生き抜いていく」点において危険な側面がある。
だからこそ自殺が減らないし、絶望を感じたらそれを自分の生きる権利として政府等にぶつけるのではなく(抗議・暴動など)、内方向に向いて自分を抹消してしまう。
自殺もそうだし、止まらない過労死もそうだし、その意味では特に、日本社会におけるくだらない日本式洗脳の犠牲になって欲しくないんです。

もちろん、他国だって問題がないわけじゃないです。けれど、自分の意見を持つことや、自己の主張もできないような日本式洗脳の文化・風潮は存在しません。
問題があっても、声を上げていける環境なんです。
仕事に関しても、日本では「仕事のための人生」となってしまっています。本来は「生きるための手段の一部が仕事」なんですよ。これも海外出るとわかります。

今年、この2012年でさえいまだに、「新入社員は朝6時出勤、23退社」を強要してる会社が実際に存在するということを教えてもらいました。
会社に仕える奴隷状態です。これは異常なんですよ。
「それが普通」であるかのような洗脳にはまってしまうからこそ、「過労死」「自殺」という方向に走ってしまうし、その流れが止まらない。
「それはおかしいことなんだ」って気づいて、声を上げるのが本来であり、気づいていける環境が必要なんです。非道・無謀なことにはNOを示さないとだめなんです。

こちらのニュースには、それがよく表れています。
インドネシアから来日した看護師たち すでに6割以上が帰国

もともと看護師をしていたスウォト君は、日本のアニメ「NARUTO」の大ファンだった。憧れの国で働けるチャンスがあると知り、日本行きを希望した。その理由を当時、彼はこう語っていた。
「第1は、お金のため。日本では最低でも月1000万ルピア(約9万円)を稼ぎたい」
その夢は簡単に叶った。日本で働き始めると、月16万円以上の収入が得られたのだ。インドネシアにいた頃の月収1万円とは大違いである。
今年1月の国家試験は不合格だった。それでも規定の点数を獲ったことで、来年に再チャレンジする権利を得た。しかし、スウォト君は仕事を辞め、6月に帰国していく。
「仕事に疲れました……」
インドネシアにはフィアンセがいるが、仕事の当てはない。日本に残れば、最低でも1年は仕事を続けられる。しかも国家試験に合格すれば彼女を呼び寄せ、日本で永住することも可能なのだ。
「いや、もう日本はいいです。お金がすべてじゃないでしょ?」
たとえ16倍の月給をもらったとしても、できないことはできないと、きちんとNOを示すんですよ。それも6割以上という人数で。

日本は16倍どころか、2倍どころか、増額もない状態で、同じ状態を強要されてるわけ。自己犠牲の元に、自分を安売りすることが当然の環境。
もちろん「そんな要求したら仕事を失ってしまう」という気持ちはわかります。けれどでは、このインドネシア人たちのように、6割などが拒否をしたら?
人手不足の問題はあるでしょうが、それだけの割合で人手確保できないなら、雇う側も、それでは成り立たなくなるので、改善せざるを得なくなります。
皆が、自分の意志に基づいて、無理なことに対しては拒否をすることが、どれだけ大事なのか、ということを実感させられるような記事でした。

これが、一般的な海外の感覚なんです。
たとえこのように大金とも呼べるような報酬が得られる状態であっても、多くは自分を犠牲にしてまで無理をしないのです。(大手投資銀行など例外はあるけど)
ましてや日本のように、給料増額もない状態では、ほぼすべてが拒否することでしょう。が、日本人は受け入れてしまう。それは日本式洗脳がそこにあるから。

■脱・日本の常識は、脱・洗脳。
日本は本来素晴らしい面をたくさん持っています。いたわりやかゆいところに手が届く文化、素晴らしい食文化、温泉や祭りなどの文化。察する文化。
それにも関わらず、日本で幸せを感じられない人が増えているのはなぜ?
「完璧を求め過ぎ」であり「いきすぎ」「やりすぎ」なのです。そこに加えて、上に書いてきたような、「他者外部依存」や「自己犠牲」。そこに加えて、それが善とされ、自分の意見や主張を持つことが悪とされている。

これでは幸せになれないわけです。人は皆、1人の人間として生きているのだから。ロボットとして会社や国のために生きてるのではありません。
気づくためにも、脱日本式洗脳のためにも、海外に出ることを管理人は強く推奨しています。そしてまた日本に戻るなら戻るで、戻ればいい。
その時には、大事な何かを学んでいるはずですから。
それは、上に書いたような日本の素晴らしい面も含まれているでしょうし、同時に、他国における文化や標準の感覚、日本ならではの洗脳も含まれてることでしょう。
少なくとも、「外から」という客観的な立場で経験を積めます。そして、皆がそろって同じ紺色のリクルートスーツ来て活動することの異常性に気がつきます。

人は「自己の自立(精神的・物理的)があってこそ、他者に手を差し伸べることも助けることもできる」と考えています。
個として自立していないのに、他者を必要とする行為は、助け合いではなく共依存。共に依存することで安心し、支配している(されている)ことで満たされる現象。
だからこそ、「ムラ社会」「村八分」という現象が発生する。
「個人の幸せ」を考えられる人であれば、「あなたが幸せであることが私の幸せ」という、利他思想にいきつくことができます。これこそが、幸せの究極の形。
「私がそうなのだから、あなたもそうしなさい」「あなたがそうしてるのだから、私もそうしよう」は、助け合いでもなんでもありません。共依存です。

日本の会社に例えてみればわかるでしょう。「社員の幸せが会社の幸せ」と地で本音で実践してる会社が、日本には果たしてどれくらいありますか?
残念ながら日本の企業はますます衰退の一途をたどるでしょう。改革でもされない限り。そして再び上昇を目指すはいいが、見当違いなものばかり作り上げていく。
誰もそんなものは求めてない!某企業の、ナノイオンを発するTVとかねw
私、この企業でしばらく働いていた外国人の知り合いがいますが、やはり相当環境が酷いよう。規模が大きいから部署等にもよるでしょうが、その人はそういう感想。
デキる人なのに、半年で辞めましたからね。
まぁ酷いとは言っても、世界感覚における「酷い」なので、日本的洗脳においてはそれが普通なのかもしれないけれど。

私の旦那さんも日本の会社で働いていましたが、日本式に従えなかったばかりに、いろいろと暗黙の嫌がらせを受けていました。嫉妬も入っていたかな。
会社としては外資で海外式なのに、他社員は顧客が日本なので日本式に従わなければならない。長時間残業しているのを、私の旦那は時間が来れば帰ってくのだから。
それでありながら、結果はきちんと出していたので、海外本社からは認められていました。長時間労働してる日本人同僚にとっては気に食わないわけです。

「長時間労働」=「仕事熱心」というのも、甚だしい勘違いです。仕事のできる人は、ちゃんと締切に間に合わせようとします。終業時間は、締切時間。
それさえも守れずに、ダラダラと長時間働くというのは、これも世界視点で見れば、「時間を守れない、仕事のできない人」となるわけです。
これも日本式洗脳から来るもの。
そして「皆がそうである」を強要されて。
「皆と同じでいたい」または「皆と同じでいなければいけない」、すなわち人間として本来当たり前の、自己の自立がありません。軸がからっぽなんです。

「皆と同じでいよう」という生ぬるいレベルはもう通じないのですよ。
意識改革なく、自分を変えることはできない。自分を変えることなく、行動を変えることはできない。行動を変えることなく、今の状況や国を変えることもできない。

立たされてる状況や危機を乗り越えるために、今こそ、自己自立が必要。
空気を読むということは素晴らしい日本の文化の1つではありますが、今の現象は、空気読むじゃなくって、呼吸過多なんだろうと。
幸せになっていき、平和になるなら、それほどよいことはないですが、ハッキリ言って「空気」によって悪い方向に進んでますよね。望む行動さえできないなど。
空気、飲み込んじゃだめです。
軸は自分にあります。自分を信じましょう。
そして、自分をいたわって、自分を大切にしよう。
日本式洗脳によって、会社や国に仕えるロボットにならないために。
そして「他者外部依存」で行き先が見えなくなることのないように、自分独自の目を持とう。共依存を助け合いと勘違いしてはいけない。それは足の引っ張り合い。
答えは他人にではなく、自分自身に求めよう。
まずは、そこからです。未来と日本をよい方向に変えていくために。

 

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コメント
 
01. 2012年6月05日 13:26:33 : 8GQC322382
自分があるというのは怖い部分もあると思いますね。
自分は他人と他人の間の中にしかないですから。
他者に依存しないで自立といいますが、どういう意味かわかって使われているのか疑問です。地球の自然界の全生物において自立して自給自足している生物はいません。他の生物から殺されなくなったというのが自立と同じ意味になっています。

そういう意味ではパチンコ屋やNHKやカルト宗教や公務員、今回騒動があった河本一家などは立派に自立している(た)と言えますね。政治家などの為替者は、そういう意味でつかってるのでしょうか?それとも、旧利権者に迷惑をかけるな的な意味なんでしょうか?それともやっぱり死ねって言う意味なんですか?怖い怖い


02. 2014年8月13日 12:32:31 : apLBvcDrPM
自分で考える。
これが出来ている日本人のいかに少ないことか。
自分の不勉強、無知、愚かさ、日本衰退の実情を見て見ぬふりするために、
偉大な祖先たちが作り上げてきた日本の威を借り、まるで自分のことのように誇る。
こんな国家、国民には絶望しか待っていない。
自信を持つことは良いことだが、使い方を誤ればそれは虚栄や傲慢に繋がる。
虚栄や傲慢は客観的な視野を曇らせる忌むべきものである。
少なくともアメリカに首都を包囲され、首根っこを掴まれているのにもかかわらず、
呆けた顔で無能を晒している今の日本のままでは未来は無い。

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