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巨大メディアの生活保護バッシングが止まらない。芸人の身内の受給を次々と暴き、「次は誰だ?」と魔女狩りのような狂乱ぶりだ。
この騒ぎに小宮山洋子厚労相まで悪ノリ。「給付引き下げ」や「親族の扶養義務の厳格適用」を打ち出し、現場の混乱を招いている。小宮山は国民に扶養強化を押し付ける前に、国会議員の扶養義務を洗い直すべきだ。厚労相を務めた舛添要一参院議員(63)にだって、生活保護の姉の扶養要請を断った過去があるのだから――。
◆年収3億円を自慢しながら役所の扶養要請に…
舛添には4人の姉がいる。かつて長姉とは認知症になった母親の介護をめぐり、「決別」したことを告白したが、生活保護を受けていたのは、すぐ上の4番目の姉。1人で北九州市の舛添の実家を離れ、同じ市内に暮らしていた。
今から20年前、舛添が東大助教授の座を捨て、「タレント学者」として売れっ子になった頃のこと。姉の受給が市役所内で話題となり、「弟なんだから多少は援助できるでしょう」と、東京に暮らす舛添の元に担当者が派遣されたという。
ところが、舛添は姉を助けようとしなかった。担当者は「可能な範囲で毎月1万円でも2万円でも仕送りしてくれ」と粘ったが、いい返事はもらえなかったようだ。
もちろん当時、舛添が生活に貧していたわけではない。舛添自身、5年前の週刊誌の取材にこう述懐していた。
「東大を辞めた頃は、多い時は年間3億円を稼いだ」
当時は潤沢な資金を手に、現在も住む世田谷区内の自宅兼事務所を購入。河口湖畔の別荘や、都心のマンションなど不動産を大量に買い漁っていたのだ。
舛添は身内が恩恵にあずかりながら、生活保護世帯には厳しい。大臣時代に「生活保護世帯の母子加算」を廃止。民主党政権が復活させたことに立腹し、「(受給額を)そこまで増やしたら人間が腐る」とメディアの取材に言い切ったほどだ。
次長課長の河本準一は曲がりなりにも母親に資金を援助していた。河本バッシングに熱心な片山さつき議員は、非情な元旦那こそ追及すべきではないのか。
なぜ舛添は実姉に援助の手を差し伸べなかったのか――。この問題は、07年の舛添の大臣就任直後にも週刊文春が追及。文春の取材に舛添事務所は「不愉快です。帰ってください」と、有無を言わさず追い返したという。
元厚労相でさえ守ろうとしない扶養義務を国民に強制するのは本末転倒だ。生活保護問題対策全国会議の幹事で、花園大教授の吉永純氏(公的扶助論)はこう言う。
「そもそも、親族の扶養の有無は生活保護適用の前提条件ではありません。実際、福祉事務所に助けを求めに来る人の大半は、これ以上親族に頼れば共倒れになるような人や、親族から見放されている人が多い。今の国会の議論だと、“親族の経済力を調べ尽くしてからでないと”と受給を断る口実づくりとなりかねない。現実に、06年には北九州市で身障者の男性(56)が『2人の息子に援助してもらうのが先』と計2回も保護を拒絶された。本来は保護の要件を満たしていたのに結局、餓死したのです。扶養義務を厳しくすれば、本当に保護が必要な人を救えないケースが出てきますよ」
現在も姉は生活保護を受けているのか。なぜ援助しなかったのか。改めて舛添事務所に質問したが、回答は得られなかった。
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