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http://diamond.jp/articles/-/17526
■急速に高齢化が進む中国“先進国”日本に注目
急速に進む高齢化社会は中国においても同じだ。中国では現在、60歳以上の高齢者(*)が1.7億人と、全人口の13%を占める。年間600万人の高齢者が増えていく高齢化のスピードは、むしろ日本よりも速い。
現代中国の高齢化社会を、俗に「421社会」という。「1人の子どもと2人の夫婦、4人の老人」というのが典型的な家庭構造だ。夫婦は共働きで子どもは一人っ子、そんな家庭には老人の面倒をみる者がいない、ということを意味する。
日本のようなサービス重視の介護施設の普及はまだまだ先のこと、ましてや介護保険の制度もない中国で、「自分が年をとったらどうなるのか」に漠とした不安を抱く中国人は少なくない。
そんな中国で、高齢化社会に向けて民間企業がサービスに乗りだそうとしている。
昨今は投資家や経営者らが介護先進国である日本に学ぼうと、日本の介護施設に目を向けている。日本の大学で社会福祉学を専攻する中国人学生も増えている。
日本の高齢者事情に関心を抱く中国人、彼らの目に日本の高齢者の有り様はどのように映っているのだろう。
高齢者事情のその違いは、中国人と日本人の性格の違いもあるし、生活文化や社会環境の違いにもよるものだが、日本の高齢者事情を視察した複数の中国人からのコメントは、非常に示唆に富むものでもある。ここ半年で出会った中国人の、専門家を含めたコメントをまとめてみた。
(*)高齢者については日本は一般に65歳以上、中国では60歳以上と定義する
■日本が「静」なら中国は「動」日中高齢者事情の違い
「みんな座ったきりだね」――
日本の高齢者介護施設を訪問中の、中国人見学者A氏から、こんな感想が漏れた。「日本の高齢者は座ったきりで、あまり動き回らないようだ」という印象を強めたようだ。
介護度の差にもよるだろうが、確かに、一見元気そうな高齢者でも、テレビの前に座ったままの人が少なくない。
同時に見学者のB氏も「日本の老人はあまりしゃべらないようだ」ということに気づく。
お互いに会話を楽しむ、といった光景があまり見られないのはなぜだろう。施設などで円座を組んで座っていても、そこからは高齢者同士の横のつながり、コミュニケーションが見えてこない。
一方、中国では、数人寄れば「おしゃべり」に花が咲く。上海では高齢者が3、4人でひなたぼっこをし、おしゃべりをする風景をよく見るが、年齢を経てもコミュニケーションを楽しむ能力は衰えていないように見受けられる。
日本の大学院で社会福祉学を専攻する中国人留学生のCさんは、その違いを次のように指摘する。
「日本の人間関係は、互いに干渉しない、というのが根底にある。そのためか、中国人に比べてコミュニケーションの密度は高くないように感じる。中国人は誰とでも気軽に会話を交わす」
■「薬に頼らない健康づくり」がカギ 背景に医療への不信感
高齢者の健康づくりも、日本人と中国人では異なる。
例えば、中国の朝の公園では太極拳を楽しむ高齢者の姿をよく見るが、これはまさしく自分の健康維持のため。「自分の脚が動かなくなったら終わりだ」という恐怖感を常に背負う中国の高齢者は、朝に夕に広場に出てきては競歩やストレッチ、器具を使った運動などを徹底して繰り返す。
中国の高齢者の心理には、保険制度の未整備、儲け主義の病院、袖の下を要求する医師、効果のない外資系の薬、というような、「医療への不信感」がある。中国の大都市には、富裕層向けの高質な医療を提供する医療機関も存在するが、一般市民にとっては縁のない場所だ。「薬に頼らない健康作り」は、高齢者共通のキーワードなのである。
「日本の高齢者はなぜ医療に頼る?」と感じるのは、そこに原因がある。彼らの目には、「日本人は医療への信仰が相当に強い」と映るのだ。
ところで、「誰も利用していない日本の公園」は、中国人にとって不思議でたまらない。「なぜか老人の姿が見えない」からだ。
中国の公園では、朝夕は体力増強に挑み汗を流す老人の姿が、昼はめいっぱい娯楽を楽しむ高齢者天国が展開する。カラオケを熱唱する老人とそれを取り囲むギャラリーは、今や中国の公園の風物詩でもある。それ以外にも楽器を演奏したり、賭けトランプに興じたりと、「高齢者文化」が花を咲かせる。
持ち前の明るさ、誰とでもすぐに仲良くなるという人なつこさで、彼らは、お金を掛けずして人生を楽しむことができる天性の才能の持ち主でもある。
■認知症の発症率は中国の方が低い?
「認知症は日本ではそんなに深刻だったのか」という認識を持った中国人もいる。
日本の65歳以上の高齢者における有病率は、調査によって異なるものの、3.0〜8.8%と言われ、日本全体で240万人の患者がいるとも言われている。
中国のある専門家は、「中国では、認知症については統計がないのだが、肌感覚では確かに日本に比べ発症率が低いのではないかと思う」と話す。
ちなみに男女合わせた平均寿命は、中国は73歳、日本は82歳である。この専門家は「発症率が少ないと思われるのは、寿命とも関連がある」と付け加えるが、他方、高齢者に対して「過保護でない社会環境」と「認知症」を関連づける人もいる。
中国は施設も不十分、面倒を見てくれる人的支援もない。こうした「安心できる老後ではない」という緊張感が自立意識を高めるのだ。
■中国で子どもの世話は高齢者の仕事「存在意義を奪わない」では一致
さて、旅行や趣味に繰り出す日本のシニア層は少なくない。そんな彼らを見るにつけ、「日本の老人は子どもの面倒を見ないのか」という思う中国人も少なくないようだ。
中国では夫婦共働きは当たり前のため、子どもの世話は高齢者がする、という暗黙の了解がある。「高齢者にとって、子どもの世話がひとつの大きな社会的な仕事」となっている。
ある上海在住の男性(会社管理職)は、「80歳の父親は、今でも家族に夕食を作ってくれる。自分の存在感はどこにあるか、自分の役割は何か、という認識を高齢者から奪ってはいけない」と話す。
日本のバリアフリー設計の専門家も、同様の意見だ。
「地方では、祭りの準備は決まって長老が中心となって行ったものだった。漁村でも、網縄の修理は老人の仕事と決まっていた。葬式の受付係には達筆な老人が欠かせない存在だった。ひと昔前までは、老人の役割は死ぬまで何かしらあったはずだが、今はそれを社会が取り上げてしまった」と分析する。
都内に拠点を持つ社団法人シニアライフ協会では、「老人を地域の経済活動に取り込むことが日本経済復興のカギを握る」との考えを、昨今、明確に打ち出している。高齢者が求めているのは「社会から必要とされている自分」だ。
高齢者の潜在するパワーを見出し、それをどう経済活力に結びつけるかは、少子高齢化が急速に進む中国でも共通のテーマになりそうだ。中国では、2050年には子どもの数の2倍にまで高齢者人口が増えると予測されているからだ。
それが中国の高齢者のすべてではないにしても、彼らの「元気な老い方」に、日本人が共有できるものはないだろうか。制度改革も必要だが、個人や社会の意識改革も必要だ。日本と比べれば、制度が未整備である中国は介護後進国かもしれない。だがその中国人の老後からは、国家の財政に頼らない老い方や、お金を使わない老い方が見えてくる。
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