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老人ホームで死ぬということ
文・田中和彦
介護付き有料老人ホーム長のTさん(56)には、救急病院での看護師として30年以上のキャリアがあった。
13歳の時、心筋梗塞(こうそく)で父を亡くしたことがきっかけで、医療の道を志した。救急病院では、師長代理まで務めたが、50歳を前に、体力の限界を感じ、自宅から近い場所に転職することにした。
地元でも有名な総合病院への再就職を念頭に置いていたが、夫が「こんな施設もあるよ」と渡してくれたのが老人ホームのチラシで、そこに看護師の募集があった。
「まあ応募しとくか」程度の気持ちで書類を送った。一方、本命の総合病院からは経験が評価され、トントン拍子で内定が出た。
「来週からお願いします」と言われたその日、老人ホームの人事担当者から電話を受けた。「もう決まりましたので」と断ると、「看護師が2人いないと、オープンできないんです」と泣きつかれた。法律で入居者30人につき看護師1人を配置することが義務づけられていた。
困っている人を見ると、やり過ごせない性分だった。総合病院の師長に相談すると、「3カ月待ってあげるから、行ってらっしゃい」と背中を押された。
ホームの仕事は想像以上にきつかった。休みも取れず、夜中の2時3時まで働きながら、またたく間に3カ月が過ぎた。生来の責任感の強さから、途中で放り出すこともできなかった。待っていてくれた師長は「あんたもバカだねえ。でも、頑張りなさいよ」と励ましてくれた。
老人ホームと病院の違いは、「死」に直面すると痛感する。病院で心拍停止を知らせるのは心電図のモニターだ。モニターなどなく、医師の常駐しない施設では、心拍と呼吸の停止を看護師が確認することになる。
あるとき、末期がんの老人が病院から転院してきた。持病のリウマチで夫の世話が長年できなかったという妻も一緒だ。いよいよ最期を迎える直前、居室に老夫婦だけを残した。妻が夫の耳元でささやいたのは、ただただ感謝の言葉だった。その日は、スタッフたちと一緒に大泣きした。
数えきれない死をみとってきたが、初めて「自然の死」に立ち会ったと思った。それが、理想の施設とは何かを考えるきっかけになった。
Tさんが今、ホーム長として取り組むのは、患者と家族のための終末医療。若い職員の間には「分を越える」という声もあるが、いつか理解してもらえると信じている。病院でもなく家でもなく、死ぬ場所としての老人ホーム。それを考え抜くことの意義を。
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プロフィール
田中 和彦(たなか・かずひこ)
人材コンサルタント、映画プロデューサー。1958年、大分県生まれ。リクルート社の「週刊ビーイング」「就職ジャーナル」などの編集長を務めた後、映画業界に転身。キネマ旬報社代表取締役などを経て独立。02〜07年、beでコラム「複職(ふくしょく)時代」を連載。近著『断らない人は、なぜか仕事がうまくいく』(徳間書店)など著書多数。
http://www.asahi.com/business/topics/hataraku/TKY201203190143.html
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