http://www.asyura2.com/10/social8/msg/616.html
Tweet |
昨今の日本社会は、やはりおかしい。
「引きこもり」の増加。
「ヴァーチャル人間」の増加。
「不登校」の増加。
「イジメ」の増加。
「お一人様」
「個食」
「孤独死」
「孤立死」
「ホームレス狩り」
学校にも通わず、職も探さず、独り立ちもせず、親の庇護で暮らしながら、その親に感謝もせず、家族に敵意むき出しで「閉じこもる」ニート。
(以前、この言葉を使って、医学的見地から抗議を頂いた事が有りました。実際の医学的ハンデの方の事では無く、一般の無知な社会通念上の意味で『ニート』と使って居ります)
私の知っている「世界」など、たかが知れている。
そんな私が「世界」を語る資格など無いし、おこがましい事限り無い事は承知の上で、言う。
日本のような「変な国」は、<世界>に他に類を見ないのでは無かろうか。
<イジメ>と<引きこもり>とは、同じ原点に発する現象の、コインの表裏であろう。
つまり、対人関係を構築出来ないのだ。
だから、他者を受け入れられず「イジメ」る。
他者に受け入れられず、「引きこも」る。
生身の人間との関係を持てないから、ワーチャルな遊びにのめり込む。
その結果、家族は崩壊し、社会は機能不全に落ち入ってしまったのだ。
▶世帯平均人数1.99人=初めて2人割る―東京(時事/見出し)
>東京都の1世帯当たり平均人数が1.99人となり、1957年の調査開始以来初めて2人を割り込んだことが15日、分かった。1月1日現在の市区町村の住民基本台帳の情報を基に都がまとめた。都は「もともと単身の若者が多い中、高齢者の1人暮らしが増えてきている」と分析している。
>調査によると、1月1日時点の都内の人口は1268万6067人、世帯数は636万8485世帯といずれも過去最高を記録。人口の伸びが3万9322人だったのに対し、世帯数の増加は4万4192世帯で、1世帯当たりの人数は前年の2.00人から1.99人に減少した。
>市区町村別で、1世帯当たりの人数が最も少ないのは、三宅村で1.60人。次いで青ケ島村1.62人、新宿区1.65人、渋谷区1.67人の順で、島しょ部と区部で少人数世帯が多い。
>総務省のまとめによると、昨年3月31日時点の1世帯当たりの人数の全国平均は2.36人。都道府県別で2人を下回るのは都が初めてとみられる。
【時事通信/3月15日(木)21時0分配信】
NHKのニュースで、この件に関してのインタヴューに応じた男性の台詞。
『いやあ、一人がいいです。家に(誰か)居られたらいやですねえ』
やはり、分っては居ても「唖然」とせざるを得ない。
例えば、全盛期のキムタクのような男が言うなら、まだ理解出来る。
モテにモテた挙げ句、男にも女にも、周りに群がられるのは、うんざりだっただろう。
「申し訳ないけれど、貴方がそう言うセリフを吐くのは、単にモテないからでしょ?」
と、思わず突っ込んでしまった。
『人間は、社会的な存在である』
この、基本概念が、身に付いていない人間が多すぎる。
親に、教わっていないのだ。
要するに、対人関係が構築出来ない。
早い話が、一人きりで居ないと、落ち着かない。
大勢に混じると、何も出来ない。
これは、「人として生きて行く」一番大切な事を家庭で教わっていないからなのだ。
或る言い方をすれば、甘えているのだ。
何でも、一人で出来る。
一人で生きて行けると、思い上がっている。
人は、社会の中で生かされている、と言う事が理解出来ていない。
社会に対する「責任」と言う物が有る事を、知らない。
別の言い方をすれば、日本社会が「外面的に」豊かになり過ぎた結果なのだろう。
親達が、子供は「少なく産んで大切に育てる」という、聞こえのいい言い訳に走って、子をもうけて育てる「手間ひま」を惜しんで、目先の楽しみに耽って来てしまった。
その結果、一人っ子が増え、その子達は物理的条件だけ十分以上に満たされて、育てられた。
ただし、物質的豊かさは、子供にとっては必要以上な物を与え、精神的な教育はなおざりにされてしまった。
そんな結果の、無惨な現実が「変わった国」として現れている。
「個食」というの出そうだ。
家族揃って食べずに、各自勝手に好きな時に別々に食事をとる。
そんなガキはたたき出せ。
ゲーム機に向き合って育ち、母親自らの「語りかけ」や「触れ合い」が、極小の状態で育った子供達が増えてしまった。
勿論、経済状態の厳しさが、否応無く「共稼ぎ」を余儀なくされてしまった事は事実である。
あるいは、男女の社会への共同参がが叫ばれ、母親も社会人として職業を持ち、父親と同じかそれ以上に活躍している現状もある。
多いに結構なのだが、その分「子供の方」が社会に共同参画出来なくなってしまった。
父親の、子育てへの非協力と言う側面もあろう。
核家族化が進み過ぎた結果、時間のある退職世代(親の親)が近くに居ない。
従って、働く母親の代わりに、子供の面倒を見る人が居ない。
子育てを行うにあたって必要な、社会的インフラや制度が完備されていないと言う、現実もある。
そこに加えて、『個性』の間違った理解による子育てが加わる。
「乱暴でもいい、個性的に育ってくれれば…」
違うのです。
乱暴は、個性とは言わない。
乱暴は、社会性の欠除であり、野蛮である事の証である。
個性とは、その個人のある特質が、その属する社会の中で他人に比べて際立って優れている、或は秀でている、そんな性格の事である。
今回の調査の結果が、総てこの種の「独りで」しか生きようとしない人間の増加だけが原因では無いのは当然である。
記事にも分析されている如く、高齢者の一人暮らしや、単身赴任など、他にも原因は有ろう。
しかし、日本の社会には、「社会に適応出来ない」人種が増えている事は、事実である。
「絶対、独りがいいですねえ。(他人が)居られると嫌です!」
こんな事を言う奴は、山寺にでも行くが良い。
ただし、「尼寺」であろうと「修道院」であろうと、そこも一つの<社会>なのだ。
そのような「孤絶した社会」は、一般社会より、余程厳しい規則やしきたりの中で、生きている。
人間は、社会と密接に関わって生きている。
社会の中で、生かされている。
その社会に、責任を負っている。
その社会に背を向けて、「お一人様」を続けたいのであれば、山奥の洞穴で座禅でも組んで瞑想に耽り、餓えて死ぬべし。
社会を形成するのは、進化した生物の特徴である。
そして人間の場合、社会を形成する構成員は、「自然人」だけでは無く「法人」も、含まれている筈だ。
社員を人間扱いせず、部品と同列に看做して「年金」にすら加入させない会社など、燃やしてしまうべきである。
企業利益のみを追求し、社員に異常な過負担を強いて、「鬱病」や「ノイローゼ」に追い込み、挙げ句の果てに「自殺」する社員を輩出する企業経営者など、地獄に落とされてしかるべきである。
日本は、「社会」が機能していない。
社会を円滑に機能させる手段である、行政や司法が<住民>に敵対し、政府は国民の生命財産を守る事を無視して、一部の特殊な存在の為に奉仕しようとする。
そんな世界は、<本物の社会>とは呼べないのでは無かろうか。
住民も、法人も、行政組織も、総てが「社会的関係」を円滑に構築する努力をせず、自分勝手に好きな事をやっている。
そんな国は、亡びて当たり前なのだろう。
どこで、ボタンを掛け違えてしまったのだろうか。
最早、修正は不可能なのだろうか。
悩ましい「社会」ではある。。。。。
http://blog.goo.ne.jp/veritas21/e/42504feb7bd497ba94522a64a764265d
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。