http://www.asyura2.com/10/social8/msg/605.html
Tweet |
http://president.jp/articles/-/5253
突然の派遣切り。解雇で失意の同僚は自殺
石井 宏(仮名)49歳
商社経営→倒産→自己破産→離婚→寮付き派遣→派遣切り→強制退寮
石井宏さん(49歳・仮名)が、2009年1月に派遣切りにあい、仕事と住まいを失ってから1年が経った。いまは支援団体の協力で、生活保護を受け、アパートで暮らしながら求職活動を続けているが、書類選考で落とされてしまい、面接までなかなかたどり着けないでいる。
北海道出身の石井さんは、30歳のときに貿易関連の会社を起業。当初は順調に売り上げを伸ばしていたが、為替の乱高下に振り回され、事業に失敗。親から受け継いだ70坪ほどの二世帯住宅と土地を売却したが、すべての負債は返せず、自己破産の道を選んだ。
「借金をしていた親戚から、『女房をスナックで働かせて借金を返せ』と言われ、やむをえず離婚しました。幼い子ども3人は、妻が引き取りました」
住まいを失った石井さんは、住み込みの仕事を転々。派遣会社の寮に入り工場などに派遣されて働くようになる。派遣先である自動車部品会社で、2年間の勤務後、「もう契約更新はできない」とだけ伝えられ、派遣切りにあった。
当時の月収は約16万円。そこから社会保険料や寮費、寮備え付けのエアコンなどのレンタル料を差し引かれると、手元に残るのは6万円ほど。貯金をする余裕はなかった。
すぐに失業給付の手続きを進めようとしたが、派遣会社には、「離職票を発行するまでに3週間はかかる」と言われた。宿泊先のあてはなかった。
なんとかハローワークに家賃1万円の市営住宅を紹介してもらえたが、交通の便が悪く、ハローワークへの片道の交通費だけで1000円以上もかかる。また照明や暖房、風呂釜は未設置だった。求職活動もままならないなか、布団にくるまって寒さに耐えた。2月末、テレビのニュースで支援団体の存在を知った。すぐに連絡を取り、生活保護の手続きを進めた。所持金は5000円だった。
住み込みや寮付きの仕事を辞めるとき、いったん身を寄せる家族がいないと、いきなり住まいを失う恐れがある。高齢であればなおさらだ。
石井さんは、派遣会社で同僚だった60代の男性が、派遣切りにあって悩んでいる、と人づてに聞いた。「相談できる団体がある。生活保護も受けられる」と伝えようと、寮の部屋を訪ねたところ、男性が首を吊って亡くなっているのを見つけた。死後1週間が経過していた。
「寮に住んだまま雇用保険や生活保護を受けることができれば、家を失う恐怖はだいぶやわらぐと思います。同じ派遣会社にいて離職票も受け取らずに追われるように寮を出た人たちは、どうなってしまったのか……」
現在、石井さんは、家を失った仲間の力になりたいと、かつての同僚たちに連絡を取り、支援団体への紹介を進めている。
13年間勤続も「一言」で使い捨てにされる
三浦孝一 36歳
受験失敗→学費のためバイト→13年間違法派遣→派遣切り
「派遣ではどんなに頑張って働いても、簡単にクビになってしまいます」
こう語るのは三浦孝一さん(36歳)。三浦さんは、高校卒業後、大学受験に失敗。学費を貯めるために短期のアルバイトを始めたが、そのまま受験せずにアルバイトを続けた。21歳のとき派遣会社へ登録。機械部品会社で、包装や箱詰めなどのピッキングの仕事を始めた。時給は1400円で、月収は手取りで19万円ほどだった。
働き始めてすぐに、三浦さんは、派遣先の社員が仕事中にひっきりなしに吸う煙草の煙に困るようになった。子どもの頃にぜんそくを患ったことがあり、煙草が苦手だった。
勇気を出して、派遣先の上司に「換気扇を回してもいいでしょうか」と許可を求めると、上司は「換気扇は、火災のときにしか回してはいけない」と認めようとしなかった。
交渉してなんとか換気扇を回す許可を得たものの、それからは故意に近くで煙草を吸われたり、「電気代がもったいない」とたびたび換気扇を止められたりした。仕事中、言いがかりをつけられて胸ぐらをつかまれ、首を絞められたこともあった。
勤務を始めてから3年ほど経った頃、派遣先の常務から「正社員になる気はあるか」と聞かれた。正社員になることをひとつの目標にしていた三浦さんは、すぐに「ぜひお願いします」と答えた。
契約時、三浦さんの業務は「貿易事務」とされていた。原則として、派遣期間が3年を超える派遣社員に対し、派遣先企業には直接雇用に切り替える義務がある。ただし政令で定められた26種類の業務には例外的に3年以内の制限がない。「貿易事務」は期間制限のない専門業務にあたるが、三浦さんの業務の実態とは異なる。この企業は違法派遣をしていたのだった。
勤続13年が経った08年7月、久しぶりに常務の姿を見かけ、あらためて正社員化の話を尋ねた。常務からは、「経営が苦しいから無理だったわ」の一言だけだった。
この頃、派遣先では、喫煙者の割合が増えた。喫煙者は職場内で1日に何度もいっせいに煙草休憩をとっていた。三浦さんは、昼食時以外に休憩はとっていなかったが、煙に耐えられなくなり、煙草休憩に合わせて、自分も休憩をとってその場を離れるようにした。換気扇を止めるという上司の嫌がらせは相変わらず続いていた。
煙草休憩に合わせて席を立つようになった三浦さんに対し、上司は「おまえ、そんなことをしていると次の休憩はないぞ」と吐き捨てた。その言葉のとおり、三浦さんは、08年9月に期間満了として解雇されてしまう。三浦さんは、派遣という働き方をこう振り返る。
「13年間も繰り返し契約を更新していたのに、職場環境の改善を求めたら契約満了。簡単に使い捨てられる、奴隷のような働き方だと思います」
語学マスターの専門職も50代で紹介ナシ
河本陽子(仮名)55歳
外資系正社員→派遣登録→時給ダウン→派遣切り
16年間、派遣で貿易事務の仕事をしてきた河本陽子さん(55歳・仮名)には、この1年間仕事の紹介がなく失業状態が続いている。
大学卒業後、外資系企業などで正社員として働き、貿易事務の仕事に携わってきたが、リストラにあい退職。体調を崩し2年ほどの静養を経てから、1994年、派遣として働き始めた。38歳だった。
当初の時給は1800円。自費で英会話講座の受講を続けるなど、スキル向上には力を尽くしたが、契約更新や派遣先が変わるたびに時給は下がった。06年には1700円、08年には1650円。運よく派遣先が途切れずに働けても、年収は400万円程度だったという。
「正社員なみの給与があるようにも見えますが、派遣の不安定さをカバーできる待遇ではありません。ボーナスはなく、交通費すら出ませんから」
仕事には多数の専門知識が必要とされる。貨物船を2週間借りて、北米の2カ所で木材を積み込み、日本の8カ所の港でおろす。そのために航行ルートや荷物の積み降ろしの順序、燻蒸の場所などを決め、顧客と交渉する。資金の回収を行うこともあった。素人には務まらない。
「仕事はやりがいのあるものでしたが、派遣だというだけで、成果は自分の実績になりません。プロジェクトの途中で派遣契約が終了することもありました」
同じ派遣先での勤務は平均で1年。契約期間は約3カ月で、3回ほどの更新で「期間満了」となる。
「長くて3カ月のスパンでしか雇用が保証されませんから、口頭で契約を更新すると言われていても、契約書が送られてくるまでは不安でした」
将来設計が立てられないまま、09年2月に契約満了したのを最後に、ついに仕事が途切れた。いまは正社員のときの退職金を取り崩して生活している。
「募集されている貿易事務の求人のほとんどは、自分にできる仕事です。でも現場の上司は自分より年下の人なのでしょう。求人票には『30代が活躍しています』『派遣先の上司は45歳です』とそれとなく希望年齢が書いてある。私が申し込んでも、まったくひっかかりません」
この2月には雇用保険の失業給付も切れるが、生活の見通しは立たないままだ。
派遣会社は「派遣はスキルを生かして自由に働ける」と宣伝してきた。しかし、いくらスキルを身につけても、40代、50代になると仕事がなくなってしまう。生涯を通した働き方としては成り立たず、話が違うと立ちすくむ派遣労働者は数多い。
派遣会社の業界団体は、派遣のメリットを「非雇用」、つまり、雇わずに働かせることができることだとうたっている。派遣を活用している企業は雇用責任を負わない。しかも切り捨て御免――そんな処遇が、派遣社員の生活や未来を破壊している。
※すべて雑誌掲載当時
プレジデント 2010年3月15日号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
http://eagle-hit.com/
↑金取りサイトなので注意。
【恐慌転落人生】41.「母親の入院」を機に離職、貧困生活へ(1)2012年3月 5日 20:42
本コーナーは、恐慌の現実を前に人生転落を余儀なくされた実話に基づくケーススタディある。
第1話.両親の相次ぐ入院という不幸
家族間での貧困の連鎖が表面化しつつあるようだ。
東京・足立区では世帯主の長期失業が恒常化しつつある。それに伴う生活保護世帯の激増が深刻化している。
jidfouroudou0305.jpg中学、高校に通う子供たちの多くは、夜遅くまでのコンビニやファーストフード店でのアルバイトによって睡眠不足。授業中は誰もが居眠りをしている。教師も彼らの家庭事情を理解しているため、半ば黙認せざるを得ない状況であるという。
そうした家族間での「貧困の連鎖」は、学校、そして職場をも巻き込み、今や日本は「先進国では有数の貧困大国」という茨の道を歩もうとしている。
「お父さん、お父さん、しっかりして。早く救急車を!」
蒲田の町工場で働いていた父親が脳梗塞で倒れて会社を退職に見舞われた田辺早百合さん(仮名・28歳)にとって、いまや家族の生活の糧はすべて、アパレル会社で働く田辺さん一人が背負わなければならなくなった。
それでもまだ、入院中の父親の面倒はすべて母親が診てくれる。父親の収入が途絶えるため、一家の生活費は減るものの、田辺さん自身の仕事への影響はあまりないのは不幸中の幸いではあった。
しかし、それから3か月経ったある日、病院で父親の看病をしていた母親が、突然、病室で倒れた。診断は脳溢血。何とか一命は取り留めたものの、身体の後遺症は残り、父親の看病は難しい。
「昼間は看護婦さんに父親の看病を任せられるかもしれない。でも、夜間は自分がしなければならない。そのため、しばらくは定時で帰らせていただきたい」
会社の上司と人事部長に、田辺さんはそう伝えた。
「そうですか。田辺さんも大変ですね。会社としてもできるだけのことはしたい。上にはそうした事情も含め、理解してもらうように働きかけましょう」
その上司の言葉に、田辺さんは安堵した。
そして、田辺さんの定時退社が始まって3週間が経ったある日、「ちょっと田辺さん、いい?」
明日の企画会議のプレゼンの資料を作成していた田辺さんの元に上司が近寄り、そう囁いた。上司の目はどこかよそよそしく、視線を合わせるのをあえて避けているように、田辺さんには思えた。
【恐慌転落人生】42.「母親の入院」を機に離職、貧困生活へ(2)2012年3月 6日 21:47
本コーナーは、恐慌の現実を前に人生転落を余儀なくされた実話に基づくケーススタディある。
第2話.常務からのリストラ宣告
蒲田の町工場で働いていた父親が脳梗塞で倒れて会社を退職。そして今度はその看病をしていた母親が脳溢血で倒れるという不幸に見舞われた田辺早百合さん(仮名・28歳)。
不幸中の幸いで両親ともに一命は取り留めたが、夜間の父親の看病のため、「定時での退社」を続けていた田辺さんに、上司から「常務から話があるようだ」と声をかけられたのは、定時退社を始めてから3週間後であった。
「失礼します」
上司とともに田辺さんは役員室のドアを開けた。
「ああ、田辺さん、大変だったねぇ。ご両親の具合はどう?・・・ああ、そう。まあ、リハビリも含めて時間はかかるよね。うん、うん」
それから20分ほどは両親の病後や仕事の様子などの会話に終始。なかなか本題に移らない常務の表情から笑顔が消え、冷徹な般若が宿った瞬間、田辺さんは内心、不吉な予感を抱いた。
「・・・実はね。これは私の個人的な意見とはまったく逆なのだけどね。社内的に、田辺さんが定時に帰ることに対して不満というか、反発する意見があってね。いやいや、私はもちろんそんなことは思っていないよ。ただね。会社というのは組織で成り立っている。特にうちのようなアパレル会社は長時間労働、残業が多い職場だしね。個人の都合を尊重していたら、とても組織として機能しないのは、君も分かってくれるはずだ」
"リストラ?"
田辺さんの脳裏に一瞬、その言葉が浮かんだ。
しかし、もし今、田辺さんが会社を辞めたら、2人の両親の高額の医療費、さらには田辺さん自身の生活費すら、貯金を取り崩さなければならなくなる。
「会社側の事情はよく分かりますが、定時に帰るとはいっても、決して仕事は手を抜いていませんし、昼休みだって取らずに仕事をしているのです。もし今、私が会社を辞めたら、それこそ入院中の両親と3人、どうやって暮らしていければいいのか・・・」
常務は腕組みをし、沈黙を保ったままであった。それは暗に「リストラは会社としての決定事項だ」という意思表示にも、田辺さんには思えたのだった。
恐慌転落人生】43.「母親の入院」を機に離職、貧困生活へ(3)2012年3月 7日 20:52
本コーナーは、恐慌の現実を前に人生転落を余儀なくされた実話に基づくケーススタディある。
第3話.公私両立を許さない現場の「不満のマグマ」
蒲田の町工場で働いていた父親が脳梗塞で倒れて会社を退職。そして今度はその看病をしていた母親が脳溢血で倒れるという不幸に見舞われた田辺早百合さん(仮名・28歳)。
母親に代わり、父親の看護のため、定時退社を続けてから3週間後、常務からの呼び出しは、予期せぬ会社からの「リストラ」宣告だった。
「定時に仕事を終えても、昼休みを潰し、その分、時間内での生産性アップは強く意識していたつもりです」
田辺さんは仕事面でのマイナス面はない、と強く主張した。
しかし、会社側の判断は違った。沈黙を保っていた常務は苦渋の表情で口を開いた。
「君の仕事への不満はまったくないんだ。むしろ、両親が大変なときに、会社の仕事にも穴を開けず、本当に良くやってくれていると思う。私も本心は、君にいて欲しい。しかし、君も知ってのとおり、アパレル業界は外食業界同様、人手の維持が生命線なんだ。一人の個人よりも多数の組織で回っている世界。特別扱いは組織の統率力にひびが入るし、何よりも、だったら私だって親が病気で・・・とか、子供がまだ小さいから早く退社したいとか、誰もが自己主張をし始める。分かって欲しい」
アパレル業界は人使いが荒く、休みもなく、薄給な職場の代表格であることは、田辺さん自身も体験上、嫌というほど分かっている。常務の言うことは何ら誇張ではなく、その通りだと思った。
ユニオン団体等に相談を持ち込む労働者のベスト3は、外食産業、アパレル産業、そしてIT産業と言われているが、それだけ現場で働く労働者の不満のマグマは、いつ爆発してもおかしくない状態である。
実際、現場の上司からのセクハラ、パワハラは珍しいことではない。それが原因でメンタル不調を起こし、うつ病になった社員も少なくない。また、薄給ゆえに多くの借金を抱えているケースも少なくないため、リストラ後の生活苦からブラック企業への転職を余儀なくされることもある。
そうした短期で転職を繰り返すという「貧困スパイラル」は、田辺さん自身の近辺でも実際に起こっていた。
"加藤さん・・・"
田辺さんはかつての上司であり、現在、派遣社員として家賃2万円のアパートで困窮生活を続けている人物をふと思い出した。
「分かりました。今月末で退職という形で結構です」
そう言い残して常務室を出た田辺さんは、その日は早めに早退。元上司である加藤氏のアパートを訪ねたのだった。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。