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http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=260679
ついに民主主義に疑問を持つ論評が新聞紙に現れた。(リンク毎日新聞より)
近代思想総ざらい、再度見直す機運を高めるべき。
年が替わっても、去年の気がかりはどれも解決せず持ち越され、思い結ぼれる。世事にかかわる主な例を三つあげよう。
・原子力発電に依存する生活を今にして悔やむ人たちの非難。「原発政策には民主主義が機能していなかった」。民主主義なら巨大科学技術を止められただろうか。
・アラブ革命。独裁者が数人去った。「自由だ。民主化だ」。だが、流血は続き、イスラム政党が多数を占め、それらの国が何を、どう目指すのかは誰も知らない。
・欧州債務問題。金融屋がはやし立てる。「民主主義ののろまめ。市場は容赦しないぞ」。はて、グローバリズムは民主主義の世界輸出とセットだったのでは……。
あっちでもこっちでも民主主義は明らかに失敗している。「それでも民主主義の可能性を信じよう」というのが新聞の決まり文句だが、それはゴマカシでしょう。
むしろ気がかりは、それでも民主主義が看板としてあがめられている、つまり、今や世界の正統思想、普遍的真理として、実力不相応の権威と化していることだ。
とんだ成り上がりというべきだろう。ソクラテスを死に追いやったアテネの衆愚政治を持ち出すまでもない。フランス革命が血で血を洗う恐怖政治と化し、民主主義は長い間いかがわしい過激思想だった。
一般に定着したのは、第一次大戦で総力戦に国民動員する大義名分に使われてからのこと。まだ100年にもならない。日本では第二次大戦後、世界では冷戦終結後たかだか20年間主流になったばかりだ。
民主主義は万能ではない。それどころか取扱説明書のない未完成品、下手をすると爆発の恐れもある危険物である。
しかも大衆民主主義は、指導者を小粒で無力にしていく。まず民主主義を疑う。今年はそこから始めたい。
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