http://www.asyura2.com/10/social8/msg/551.html
Tweet |
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2012/01/post_49f5.html
philanthropyを辞書で見ると、博愛主義、人類愛、慈善とあり、philanthropistは博愛家、慈善家となっています。語源的には、明らかに「人間を愛する」ことを意味しています。
お正月のNHKテレビでオーストラリアのコアラの減少についての番組がありました。コアラが多数住んでいるユーカリの森をよぎって幅の広い舗装道路が出来て、道に出て来るコアラが車に轢き殺される事故が増えています。車にはねられたかユーカリの木から落ちたのか、道路わきにうずくまっているコアラを見たという通報に、コアラ用の救急車が現場に駆けつけて、傷ついたコアラを収容し、コアラ用の病院に急行し、コアラ用の可愛いベッドの上で手術が始まりました。次の場面では、大きな屋敷に住む老婦人が森の中で見つかったコアラの迷い子赤ちゃんを引き受けて、コアラの赤ん坊用に仕立てた屋内の幾つかの個室で手厚く飼育していました。十分成長したらユーカリの森に返してやるのだそうです。
カナダで北米原住民に何が起ったかを50年ほど前に知ってからの私には、すっかり癖として身についてしまった連想、発想のパターンがあって、このテレビ番組を見ながらも、ついオーストラリアの原住民が受けた(受けている)処遇に想いが走りました。しかし、傷ついたコアラを通報した女性、駆けつけたコアラ救急隊員、手術を行なう医師や看護師、赤ん坊のコアラを孫のように慈しむ老婦人、これらの人々の善意はよくテレビ画面から伝わって来ましたので、折角の目出たい正月のことでもあり、意地の悪い見方はすまいと心に決めたつもりでした。
しかし、その決心ははやくも崩れようとしています。この十日間に目に触れたことが余りにも凄まじいものですから、改めて、欧米の文化伝統の中でのphilanthropyとかcharityといった言葉の意味を考えてみたくなりました。
今から丁度2年前の2010年1月12日、ハイチは大地震に見舞われました。死者推定20万〜30万、負傷者推定30万〜40万、数字が確定しないところにこの気の毒な国の悲劇が顔を出しています。震災から2年経った今も、文字通りのテント住まい、仮小屋住まいの難民が少なくとも10万人、瓦礫の多くも放置されたままのようです。加えて、2010年10月下旬に発生したコレラは現在までにすでに6千人以上の死者を出し、依然として毎日死者が絶えません。ハイチでは過去50年間にコレラ発生の記録が無く、今回のコレラ菌は国連がかの悪名高い保安維持軍隊MINUSTAHの一部としてハイチに配備したネパール国軍の兵士が持ち込んだものです。これらの事は2011年9月28日付のブログ『ハイチのコレラ禍』(1)で論じました。
昨年11月の末、ハイチ復興を目指すコンフェレンスが、2日間、前アメリカ大統領ビル・クリントンの主導で、首都のポルトープランスで開かれ、数百人の外国投資家、企業家たちが高級ホテルの数々に溢れました。中でも目立ったのは服飾産業(アパレル産業)関係の企業家たちで、Levi’s, Gildan Activewear, Hanes, Banana Republic, GAP, Wal-Mart, K-Mart などが、ハイチで得られる奴隷的低賃金労働力を活用する大規模の製造施設を北部ハイチに開設し、一部はすでに生産を行なっています。そのコンフェレンスを報じる記事の中に、参加者の一人が“I remember somebody saying a crisis is a terrible thing to waste,” と発言したとあるのを読んで一瞬意味を取り違えそうになりましたが、続く文章を読んで背筋に悪寒が走りました。はじめは、危機(難局)の経験は無駄にしてはならない、という意味に取りかけた私は、それに続く“The crisis hasn’t been wasted, at least not by clothing-makers.(このハイチの危機を、少なくとも、衣料製造業者たちは無駄にしてはいない)”という文章でその冷酷残忍な意味を思い知らされました。これこそ将にナオミ・クラインの言う「ショック・ドクトリン」そのもの、惨事便乗型資本主義(ディザスター・キャピタリズム)の典型です。“terrible”という形容詞はこの発想にこそふさわしいものです。
ハイチの今の法定最低賃金は一日当り約3.5ドル、このレベルでハイチ人を働かせる事が出来ます。アメリカの一時間当りの法定最低賃金は約7ドル、日本もほぼ同じ水準です。ざっと言って、ハイチの人々はアメリカ人や日本人の15分の1の低賃金で働きます。この黄金のチャンスを世界の資本家たちが無駄にする(waste)わけはありません。大震災の何と有難くスウィートなこと!
大震災の以前から、ハイチには何と数千を数えるNGOが乗り込んで,本来は政府が担当すべき業務を担当し、ハイチは「NGO共和国(Republic of NGOs)」と呼ばれていました。大震災後はハイチに1万をこえるNGO団体が殺到したと言われています。その中にはphilanthropyやcharityを標榜する団体が無数に含まれています。可哀想なハイチ人たちを慈しみ善を施すのが彼らの仕事だといいます。何だか変です。いや絶対に変です。
ハイチの人口は1千万、1万のNGOがあるとすれば1千人あたりに1つの割合になります。数日前に知ったことですが、インドへのNGOの流入は物凄く、現在、その数は3百3十万にのぼります。400人当り1つのNGOということです。驚くべき事実ではありませんか!これは、現実の世界のガバナンスがどのようにして行なわれているかに疎い私たちの致命的な盲点ではないかと考えます。philanthropyとかcharityとかいう良い響きの言葉は、今や、humanitarian military intervention(人道主義的軍事介入)という悪魔的な言葉と一緒に並べて理解さるべき言葉なのではないでしょうか?
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。