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とある底辺高校のオタク部(仮)に見る、スクールカースト最下層の生徒
2012年01月10日 23:09
山内太地
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1)首都圏郊外のある高校の文化祭に行った。その高校は県下で偏差値が最低だった。正直、私は「怖いもの見たさ」で行ったのだ。案の定、ヤンキー風の生徒が沢山いた。しかし私はここで重大な発見をした。教育困難校の生徒全員がヤンキーではないということだ。
2)偏差値が県下最低の普通科高校。そこにいたのはヤンキーだけではなかった。「学力は低く、しかも大人しい」という、スクールカーストの最底辺の生徒が存在した。彼らはヤンキー生徒と比較して、校内ではすべての面で劣っているという扱いを受けていた。
3)「学力も低く、ヤンキーにもなれない」生徒の居場所を、私はその高校の文化祭で発見した。文芸部だった。文芸部と言っても、アニメやゲーム、ラノベなど、サブカルチャー全般を扱う、いわゆるオタクサークルだった。ここが、彼らのオアシスになっていたのだ。
4)「オタク部(仮)」の生徒の行動で、象徴的かつ私を極度に驚かせた反応があった。彼らは自作のラノベを展示していたが、私が手にとって開こうとすると駆け寄ってきて本を取り上げ、「読まないでください!」というのだ。彼女らは、来場者のために文化祭に参加していたのではなかった。
5)彼ら彼女らは、ヤンキー高校の自分たちの居場所、オアシスとしてのオタク部を確保することで、文化祭の喧騒での生き残りを図っていたのだ。そのキモい部屋にいれば、ヤンキー生徒には攻撃されない。私は彼らの居場所の招かれざる闖入者だったのだ。
6)オタク部(仮)の生徒にとってのサブカルは与えられ享受するもので、彼ら彼女らはクリエイターになりたいわけではないし、その実力も多分ない。しかし、学力もない彼ら彼女らは、進路選択の余地なく、あたかも自らの意志で選んだかのように、声優やゲームの専門学校に行ってしまう場合がある。
7)「自分の好きなことを見つけろ」を強制されるのに、学力面から多くの進路が閉ざされる。そんな生徒に、サブカル系の専門学校はまぶしく映るのだろう。進学高校からゲームや声優の専門学校に行く生徒の話は、ほとんど聞かない。
8)最近では人文系や情報系の大学でも、サブカルを扱う大学が増えつつあるが、ほとんどは底辺大学であり、結局は、こうした生徒を専門学校と奪い合っている。実際にクリエイターになれるかどうかは問題ではなく、彼らの夢が進学で延長されればいいのだ。
9)大学や専門学校を卒業しても、おそらく一生、充実したサブカルチャーライフを送ることは可能である。しかし、彼ら彼女らの拠り所であるそれは、ついにスキルとして職業になることはない。趣味ならばそれでもいいのだが、就職はどうなるのだろう。
10)僕は現実逃避としてのサブカルを否定しない。小説だってそういう側面はあるし、人を成長させる糧になる。ただ、その高校のオタク部(仮)で感じたのは、彼らがサブカルを消費することと、キャリア形成は一致していないにもかかわらず、キャリア形成とサブカルを同一化してしまっていることだった。
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