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来年は「江藤淳生誕80年」らしい。というわけではないだろうが、江藤淳関連の著作の出版物が「江藤淳/吉本隆明対談集」を筆頭に相次いでいる。僕も、「政治評論家・江藤淳とその時代」を書いている。江藤淳の復活ー復権なくして日本再生はない。まず、追悼文で江藤淳を冒涜し、江藤淳的保守を貶めた「西部邁批判」から始めよう。西部邁は言うまでもなく、もともとは保守でも右翼でもない。正真正銘の左翼であり、ブント(共産主義者同盟)の委員長か副委員長か、あるいは東大自治会委員長等を、正確な肩書は知らないが、歴任した左翼学生運動に関心を持つもので知らぬものはない、れっきとした左翼闘士である。今、保守思想家として保守論壇に君臨している西部邁からは、想像も出来ないほどの「名物男」なのである。さて、その西部邁は、いつのまにか左翼過激派の指導者の仮面を脱ぎ捨てて、今度は保守・右翼陣営の指導者に変身=転向している。いつも表舞台にたっていないと気が済まぬ男なのであろう。学生時代は左翼過激派のリーダー、社会人になり、中年を過ぎるころは保守論壇の立派なリーダー。まことに華々しい世渡りの達人である。むろん、その人にはその人なりの人生の選択がある。一概に転向や変身を批判すればいいというものでもない。元来、保守思想家と言われる人たちの中には、西部邁と同じように左翼からの転向組が少なくない。ただ、僕は、そういう転向保守が嫌いである。むろん、僕は、彼等、転向保守と言われる人たちが単に感情的に嫌いであるだけでなく、思想的にも嫌いであり、理論的にも軽蔑すべき存在でしかないと思っている。たとえば、僕は、戦前の転向保守である亀井勝一郎や林房雄をぜんぜん評価しない。同じく、戦後、左翼陣営から保守陣営に転向して、いつも大きな顔をしてマスコミやジャーナリズムの表舞台で騒いでいた清水幾太郎や西部邁、その他の転向保守を、思想家としても人間としても評価しない。西部邁と同じくブントの活動家だったという塩見孝也や柄谷行人を、あるいは広松渉を、左翼思想の持ち主であるにもかかわらず、僕は尊敬するし、思想的にも理論的にも彼らからは学ぶことが少なくない。それに対して、保守思想を共有しながらも、西部邁等からは学ぶものは何もない。さて、その西部邁が、小林秀雄や江藤淳を批判している。西部邁の保守思想家への転向、保守思想家としての再出発は小林秀雄や江藤淳を批判することから始まったと言っていい。三島由紀夫が去り、小林秀雄、福田恒存、江藤淳が去って行った保守論壇のヘゲモニーを握ったのが、西部邁等、いわゆる転向保守である。保守論壇の地盤沈下と思想的劣化は、そこに始まると言っていい。(続く)
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20111213/1323727985
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