http://www.asyura2.com/10/social8/msg/535.html
Tweet |
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/31973?page=4
私が暮らす埼玉県志木市は、妻が生まれ育った町である。人口約7万人。市のほぼ中央を流れる新河岸川の舟運によって栄えた商家町で、妻の先祖たちも江戸時代からこの地で様々に商いをしてきたという。
今でも、往時を偲ばせる瓦葺きの屋敷がバス通り沿いにいくつも残っており、我が家を訪れる編集者や新聞記者は一様に意外の感に打たれている。
神奈川県茅ヶ崎市で育った私は、東京駅と新宿駅と上野駅はしばしば利用していたが、池袋駅には降りたことさえなかった。妻と出会わなければ、池袋とも志木とも縁はなかっただろう。
★ ★ ★
長男の誕生と共に志木に移り住み、はや16年になる。代々続く旧家の一人娘の婿さんということで・・暢気に暮らしている。
現在高校1年生の息子が生まれたばかりの頃は志木の町にも馴染みがなく、私は乳母車を押しながら一つひとつ通りを覚えていった。
息子が小学校に進むと友達が家に遊びに来て、買物に行くスーパーマーケットの店員さんたちにも顔馴染みができて、志木の町も居心地がよくなってきた。
志木に移って10年が過ぎた頃にふと思ったのは、新築のマンションに引っ越してきた人たちからすると、公園で子供と遊ぶ私は町の古株に見えるかもしれないということだった。実際、そんな目で見られていると感じることもあり、それからさらに5、6年が過ぎた今では古株度はさらに増しているのだろう
しかしながら、私にとって志木は、あくまで妻が生まれ育った町であり、自分は新参者にすぎないと考えている。
★ ★ ★
私はたまたま妻と知り合って結婚し、志木に居着くことになった。同じように、私の両親は抽籤に当たった結果として、茅ヶ崎の公団住宅に移り住んだ。
つまり、私が茅ヶ崎で育ったのは全くの偶然である。ところが、私としては、茅ヶ崎で育ったことは運命であり、妻との出会いと結婚の方をより偶然度が高い出来事のように感じている。これはいかなる心理によるものなのか?
いかようにも理屈はつけられるだろうが、自分の意志が介入し得ない過去の出来事に対しては、たとえ全くの偶然であっても、人はそれを偶然とは考えないのではないだろうか。
妻との結婚もまた、幾重にも偶然が重なった結果である。ただし、当事者である私は結婚に至る経緯をくまなく知っており、少しでもタイミングがずれていれば、私たちは出会っていなかった。
それは運命もしくは奇跡と呼ぶに値する出来事なのかもしれない。しかし、そうならなかった場合もリアルに想像できるだけに、私としてはやはり偶然の産物だと考えておきたい気がしている。
同じような意味で、私の両親にとって、抽せんで茅ヶ崎の団地が当たったことは偶然と感じられているはずである。
ところが、息子である私はそれを絶対的な運命だったと受けとめている。そして、私が偶然の産物と感じている志木での生活は、息子たちにとっては動かしがたい運命であるに違いないのである。
★ ★ ★
分かりづらい話をしつこく書いてしまったが、ここでようやく前回、前々回の主題であった「旅」に結びつければ、旅はどこを目指すのかよりも、自分が帰属を運命づけられた「故郷」からの離脱という意味合いの方が大きい。
つまり、旅に出るためには、離れるに値する故郷がなければならない。
そこは自分一人が故郷であると思い込んでいればよいのであって、私にとっての団地がそうであるように、歴史的な重みは必要ない。
前回の反省も顧みずに「若者の留学嫌い」について口を挟めば、彼らが遠い異国への旅に誘われないのは、旅の前提となる故郷がないからではないだろうか。もしくは、旅と故郷という二項対立とは全く別の生き方を模索しているのかもしれない。
若者の傾向について語るのはこれくらいにして私事に戻れば、私は両親が今でも茅ヶ崎の団地に住み続けてくれていることをとても心強く感じている。
父と母からすれば、抽籤で偶然当たった団地かもしれない。しかし、私にとってはまさに自分が育った唯一無二の空間である。そこに妻や息子たちと訪れて、自分が子供だった頃と変わらない雰囲気の中で和気靄々と過ごすほど心休まることはない。
妹弟たちも同じように感じているらしく、お正月や夏休みには各地から3DKの狭い団地に集結して、大にぎわいとなるのが恒例である。
そうした関係に至れたのも、兄妹弟のそれぞれがある時に家を出て、見知らぬ世界を旅してきたからだと、私は思っている。
★ ★ ★
旅といえば宮本常一(1907〜1981年)である。このコラムでも何度も取り上げているが、生涯にわたり全国をくまなく歩き続け、その足跡を線でなぞれば日本地図が真っ黒に塗り潰されるとまで言われた希代の民俗学者には汲めども尽きぬ魅力がある。
『民俗学の旅』(講談社学術文庫)は、宮本の幼少時代の思い出から始まる自伝的回想で、読者にはぜひ原文に当たっていただきたいが、これを読めば生涯のほとんどを旅に費やした宮本の原動力が、彼の故郷に対する深い親愛にあることが分かるはずである。
旅に関するくだりから1つ挙げれば、宮本は小学校を卒業したあとに、父に教えられて郷里である山口県の大島で1年間百姓をした。その後に宮本は叔父を頼って大阪に出るのだが、父は息子を託すに当たって次のように言ったという。
「世の中へ素手で出ていくのは身体がもと手であるから、どんな苦労にも堪えられるようにしておかねばならぬが、1年間百姓をさせてみてもう大丈夫だと思う。何をさせても一人前のことはできるだろう」
自分の子供を家の外に出すに際して、これだけの確信に裏打ちされた言葉を吐ける親はまずいないと思う。
性懲りもなく「若者の留学嫌い」に話を戻せば、学生が海外に出るとか出ないとかといった繰り言を語る大人たちに向かって私が言いたいのは、それならあなた方はどれほど必死に彼らを鍛えたのかということである。(佐川 光晴/中略)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。