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勝利会見:「週刊誌は本当にバカだ」
−−いろんな報道(批判的な記事)もあったが
「制度を変えようと思ったら、凄まじい戦いがいる。あのくらいの報道でへこたれていてはできない。まあ逆にバカ新潮と文春にはある意味感謝している。あれだけ大風呂敷広げたので、そのくらいは」
週刊誌の批判をすると、会場から笑い声と拍手がわき起こり、厳しい表情の橋下氏も笑顔を見せた。ただ、その後、家族への思いも話し始めた。
「僕は公人だが、家族がいる。それを考えるとあの(週刊誌の)論調は理解できない。僕が不祥事を起こしたのなら仕方ないが。本当にバカだ」
勝利会見:「紳助さんに感謝の気持ちはなくしてはいけない」
週刊誌の報道に対する思いを述べた後、暴力団の交際問題で芸能界を引退した島田紳助さんのことに質問が及び、橋下氏は珍しく少し間を置いて答え始めた。
−−知事時代に「紳助問題」があり、「知事になれたのは紳助さんのおかげ」だという発言があったが
「今は(紳助さんと)連絡はとっていません。芸能界という中で(紳助さんは)そういう人と付き合いがあったということで、どうであれ僕がテレビメディアに出るきっかけを作ってくれたことに間違いはない。お世話になった方に感謝の気持ちはなくしてはいけないと思う」
文春や新潮を愛読するものとして、今回の橋下氏への攻撃、および島田紳助への攻撃は少々理解できない。
なぜ、あそこまで攻撃するのか・・・・
暴力団の息子に人権はないのか!新潮と文春のこの件に関しては、橋下氏への攻撃は筋が通っていない。アエラ2011.11.14の記事に私は軍配を上げる。
「同和と実父」報道に反論
「死んだ実父は同和地区出身の暴力団員」。一部報道に怒りを爆発させた。
「実父の問題は俺の不祥事なのか? 俺の子供たちの気持ちはどうなんだ?」
「現在の情勢では、多くの在阪テレピ局が開票と同時に橋下氏に当選確実を打つと聞く」(在阪ジャーナリスト)
***「ダブルスコアで橋下氏がぶっちぎり」(在阪紙記者)11月27日投開票の大阪市長選。
ダブルの府知事選と合わせ、人呼んで「大阪戦争」。その中心は、自ら率いる「大阪維新の会」のダブル勝利を目指し知事を辞職、市長選に打って出た橋下徹氏(42)だ。
最大の焦点は、大阪市の構造を作りかえ、府全体を東京都にも似た行政システムに変えようと橋下氏が掲げた「大阪都構想」のはずだった。
戦いは、しかし、異様な様相を見せている。
「父親が正式な暴力団員だったって、週刊誌読んで初めて知ったんです。噂では暴力団『関係者』とは聞いてましたが……」
1日夜、大阪・梅田。千人超の聴衆の前で知事退任後初の街頭演説に臨んだ橋下氏は笑みさえ浮かべた。
結構毛だらけだ!
「これはしょうがない。死んだ親父のことだから。しかし、今の権力構造を変えるには、坊ちゃんやお嬢ちゃんじゃできませんよ! 実の父が暴力団員?・結構毛だらけ! 実の父がガス自殺? 結構毛だらけだ!」
映画「男はつらいよ」でフーテンの寅が客に切った十八番のタンカ、「結構毛だらけ、猫灰だらけ……」を借りて笑いのめそうとしたのか。
「上等じゃないか、さあ来い」 と「敵」を挑発したのか。
後者なら、「敵」とは週刊新潮と週刊文春のこと。両誌は先月27日発売号で、橋下氏が小さい頃に生き別れた実父が同和地区に住む暴力団員で、ガス管をくわえ自殺したなどと橋下氏の「血脈」について詳細に伝えた。さらに11月2日発売号では第2弾を掲載した。
激怒した橋下氏は2日夕、ツイッターヘの書き込みで両誌を「バカ新潮、バカ文春」と罵り。 「僕の生い立ちは結構。しかし、僕のはるか昔に死んだ実父の出自、行状、死亡経緯は僕の何のチェックに役立つんだ?・ 僕は実父に育てられたわけではない。僕の苛烈な言動は、その実父の何に源泉があると言うんだ?」
「今回の報道で俺のことをどう言おうが構わんが、お前らの論法でいけば、俺の子供にまでその血脈は流れるという論法だ。
これは許さん。今の日本のルールの中で、この主張だけは許さん。バカ文春、バカ新潮、反論してこい。俺に不祥事があれば子供がいても報じろ。俺の生い立ちも報じろ」 「血脈を俺の現在の言動の源泉といなら、子供も同じということだな。個人の人格よりも血脈を重視すると言う前近代的な考えだ」
橋下氏は両誌の報道が「公人チェックの限界を越えている」と反論した。
***同和地区に住んでいた
同和問題を巡っては、陰湿な差別事件が数多く起きている。
一方で、差別を名目にした「逆差別」も問題化し、複雑化している。
大阪の労組幹部は知事時代の橋下氏を「強権的」と批判しっつも両誌の記事を「差別文書に近いのでは」と指摘する。 ツイッターによる橋下氏の「逆襲」が始まったのは10月29日だ。
「実父とその弟(伯父)がやんちゃくれで実父が最後に自殺したのは事実。僕が小学校2年の時。物心ついたころには実父は家にいなかったのでほとんど記憶なし」
「食事中僕が箸を放り投げて実父に背負い投げされたこと、下の駐車場から『徹〜』とだみ声で呼ばれたこと、通夜のときに顔を触らされて冷たく固かったくらいの記憶しかない。ガス管唾えての自殺は僕が成人近くになってから周囲から知らされた。暴力団に正式に入っていたかどうかは知らない」
「実父と叔父が(中略)暴力団関係者であったことは周囲の話からは聞いた。同和地区に住んでいたことを事実。伯父の愛人に子どもがいて(僕の従兄)、犯罪を犯したことは事実。この従兄とは僕が幼少のころ伯父に会わされたらしいが僕の記憶になし」
週刊新潮の記事に「証言者」として名前の出る叔父とは、橋下氏が中Iの頃、母親の再婚を機に付き合いが疎遠になっていたという。
「僕を育ててくれたのは、母親であり現在の父親である。伯父に小遣いやお年玉の類を除いて生活の経済的援助をしてもらったことは一切ない。僕の大学進学費用、妹の海外留学費用を全て現在の父のおかげである」
苦労して育つただけに、彼には裸一貫で努力してきた自負がある。早大卒業後に司法試験に合格。弁護士となった翌年に大阪に事務所を開き、成功人生を歩んだ。大阪のラジオ番組出演をきっかけに、東京のテレビ番組の常連出演者となり「型破り弁護士」で名を知られる。2008年の大阪府知事選に擁立され当選した。
「出自」についての記事の、7人の子供への影響を彼はツイッターに書いている。」 「妹も初めてこの事実を知った。妹の夫、その親族も初めて知った。妻やその親族も初めて知った。子供に申し訳ない。妹夫妻、妻、義理の両親親族、皆に迷惑をかけた。メディアによる権力チェックはここまで許されるのか」
「子供は親を選べない。どのような親であろうと、自分の出自がどうであろうと人はそれを乗り越えていかざるを得ない。僕の子供も、不幸極まりない。中学の子供二人には、先日話した。子供は、関係ないやん!と言ってくれたが、その方が辛い。文句を言ってくれた方が楽だった」
***子供も批判の対象に
「僕は暴力団との付き合いは一切ない。特定団体への補助金を優遇したことは一切ない。以前の同和事業に相当する補助金については、僕が知事に就任してから厳しく見直し。週刊誌は9億円しか削減していないと報じていたが、9億円も削減したのは僕になってからである。お金以外のところも厳しく見直した」
「公人に対する報道は無制限で結構。しかし公人にも完全別人格の子供もいる。公人の周囲の大人はまあしょうがない。しかし中学生や小学生がいきなりこの事実を背負うことは、公人の子供であればしょうがないのか」
31日には、昨年7月にサッカー日本代表の遠藤保仁選手に「感動大阪大賞」が贈られたときに自分の子供3人を知事室で遠藤選手に会わせたことについて取材を求める週刊新潮からのFAXの内容をツイッターで公開。
「父親の職場に子供を連れて来ることはそれほど非難されることなのでしょうか?」
「日々私に対する殺人・脅迫の類は絶えなく、子供自身を対象にしたようなものまであります。日々の私に対する報道によって子供自身も批判の対象に晒されています。また私自身が警護対象なので通常の家庭のような親子関係を築ぐのも困難です。これが私の家庭の実体です」 などと記した長文の回答も公開した。
少なくとも、「記憶にない死んだ父親」が同和地区に住む暴力団員だったことをもって批判されることへの橋下氏の憤憑は、政治家である以前に「人間・橋下」の本心からの発露であろうし、「そうだろうな」と理解できるものだ。
***生い立ちが礎になった
今回の報道は「同情論が強まり、むしろ橋下氏にプラスではないか」(前出の労組幹部)との指摘も少なくない。だがこればかりは浮動票がカギを握る選挙だけに、速断は難しい。
橋下氏率いる「維新の会」は春の府議選で過半数を占め、大阪市議選では第1党に躍進した。
伝統的に政治や政治家への不信感が根強い大阪でかつてない旋風を巻き起こしている。
「大阪都構想」と明治以来の国の統治システム変革を訴え、 「このまま放つといたら、日本は沈みますよ。沈む前に行動を起こす。それは地方からやらなければなりません。国会議員は絶対できない。その地方は、この大阪しかありません」 と街頭で叫ぶ彼。、そこには前回知事選での「破天荒だが愛されるギャラ」というより。 「短期に目標を貫徹したい、加速度的に生き急ぐような切迫さ」(在阪ジャーナリスト) を感じないでもない。
「あのような生い立ちがあって今の自分がある。だから、過去を恥じる思いも過去を消し去ろうという思いもI切ない。知事という職務は通常の生活では想像できないよ々な精神的負担を負う。それでも踏ん張れたのはこれまでの生い立ちが礎になったんだと思う」(10月31日の知事退任会見で)
橋下氏は11月2〜3日、家族旅行に出かけ、戻った後、選挙戦を再開した。
朝日新聞系のアエラとはいえ、正しいと感じれば私は評価したい。
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