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福島県、浪江町の津島地区で起こった、津波と原発事故直後の様子が詳しく語られています。
『プロメテウスの罠』と題されたこの記事は、前田基行記者が取材した、現在連載中のものです。
事実が報道されないため、広がった被害。
放射能という目に見えないものの不安。
国や東電への対応への疑問。
「それでも原発は続けるの?」
この記事を読んで改めて、問いたい言葉です。
長文のため、一部のみ抜粋させていただきますが、ぜひ全文読んでもらいたいです><
以下、引用です。
* * * * *
「あの時、福島のある町で起こっていた、25人の真実」リンク
■防護服の男 (1)
(記事中の敬称は略しています)
福島県浪江町の津島地区。
東京電力福島第一原発から、約30キロ北西の山あいにある。
原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。
小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。
菅野(かんの)みずえ(59)の家にも、朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。
多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。
築180年の古民家を壊して、新築した家だ。
門構えが立派で、敷地は広い。
20畳の大部屋もある。
避難者を受け入れるにはちょうどよかった。
門の中は人々の車でいっぱいになった。
「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」
人々はとりあえずほっとした表情だった。
(中略)
そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。
中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。
しかしよく聞き取れない。
「何? どうしたの?」
みずえが尋ねた。
「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
みずえはびっくりした。
「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
「放射性物質が拡散しているんだ」
真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。
2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。
役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。
政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。
なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。
だいたいあの人たちは誰なのか。
みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。
■防護服の男 (11) あの2人のおかげで
菅野みずえの家に避難した25人は、「白い防護服の男」の情報とみずえの判断で、それぞれ再避難し、危険な状況から逃げることができた。
大量の放射性物質が飛び散り、住民が被曝(ひばく)するかもしれない、緊急の時期だった。
しかし、政府も東京電力も、それを住民に教えなかった。
しかし25人は、混乱を起こすこともなく、冷静に動いている。
みずえは今、福島市に近い、桑折町(こおりまち)の仮設住宅で暮らす。
「ほら、見てください」
みずえは空き地で遊ぶ子どもたちを指さす。
「あんな小さな子が、避難生活の苦労を背負って、これから生きていくんですよ。もし被曝していたら……」
それにしても、あの白い防護服の男たちは、一体だれだったのか。
みずえは今も考える。
そのころ福島県内は、文部科学省や福島県、日本原子力研究開発機構、東京電力、東北電力などの計測車が走り回っていた。
例えば、新潟県からの応援車もきていた。
3月12日夕のちょうどその時刻、津島地区を通っている。
新潟県の職員2人は、原発事故対応の支援のため、ワゴン車に乗って福島県に入った。
114号を浪江町に進み、津島地区を通った。
午後4時ごろ、その先の川房地区で、警官に止められて引き返している。
その職員に話を聞くことができた。
ただ、内部被曝してしまったので、名前が出るのは困る、とのことだった。
職員によると、当時、測定器は激しく鳴りっぱなしで、焦っていた。
津島地区を通ったとき、車がたくさん止まっていたので、避難所だと思った。
「防護服? いいえ、着ていませんでした。車を降りてもいません」
14日未明には、放射線医学総合研究所のモニタリングカーが、津島地区を通過している。
まだ、大勢の避難民がいたころだ。
車には測定器などを積み込んでいたが、「資材を運ぶのが目的だった。放射線量は測っていない」(広報課)という。
みずえが会った2人は、そうした計測チームの一つだった可能性が高い。
「あの2人の警告のおかげで逃げられた。それをなぜ、国や東京電力は、組織としてしてくれなかったのだろうか。もっと多くの人が逃げることができたのに」
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