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http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20110331#p1
**** 日本人の祖先は農民
日本人が自らを出さないことには2重性がある。一つは自然主義的に環境に埋め込まれてきたこと。共同体で共有される慣習の流れに身を任せることになれている。日本人の土着のベースがあるが、精神性といえば農民層に浸透した浄土宗の他力思想だろう。もう一つは武士層に浸透した禅的に「我無し故に我有り」という形で自らを主張すること。これはいまでは一つの美学に近い。我が我がは美しくない。「侍」たるもの、黙ってやるべきことをやる。
しかしおもしろいのは、武士の時代、武士はほんの一握りで、ほとんどが農民だったわけで、いまの日本人の祖先はほとんどが農民だったはずである。なのに現代日本人がまるで祖先がみな侍だったように語ることだ。
確かに祖先を考えるときに、農民よりも支配者層の武士の方がかっこいい。それに支配者層といっても、日本人は運命共同体的なもので、精神性の祖先は侍といってもいいのかもしれない。しかしそうではなくて、ほんとにほとんどの日本人の祖先は侍なのだと思う。いつほとんどの日本人が侍になったのか。明治維新から戦後までの近代化においてである。
**** 近代化という日本人総侍化
近代化には大きく二つの面がある。産業化と民主化である。明治維新は下級武士層によるプルジョア革命だったために、民主化よりも産業化が重視された。日本における民主化は西欧に侵略されないよう、国民を育てて、富国強兵のための手段であったといえる。
このように国民を軍事、産業力として育てるために用いられたのが、武士の精神性である。天皇を君主とした忠誠心、そして個を殺しても組織を重視しする推進力など。このように国民総侍化が行われたのだから日本人が戦争へ邁進したのはある意味で当然だったともいえる。究極的にお国のためにと自らの死を捧げた。
**** 西欧人「おまえは何者であるのか」
さらに西欧人は当然のようにと「おまえは何者であるのか」と問う。それに対して日本人が持ち得た方法が「我無し故に我有り」であった。武士道とはなにかがもっとも語られたのは、多くの知識人が西洋で学びはじめた明治以降である。
そしていまも他国と対峙するときの日本人のあり方として「侍」が立ち上がる。いまも日本人は明治以降の侍化を継続している。現代の侍ジャパンや、侍ドラマなど、日本人の侍への郷愁は、正しくは、武士の時代へのものではなく明治以降のものだ。
*********comment
古代日本の列島には朝鮮系の天皇家と土着民しかいなかった。
侍という自意識を、日本文化が持ち始めたのは確かに近代においてであろう。
近代とはある日突然・・幕が開いたように始まるものではあるまい。
そこには「プレ近代」の揺籃期があったはずである。即ち、近代意識の芽生えの時代があったはずだ。
原始的な土着民の意識に、カルチャーショックを与えた者がいたはずである。
それは、黒船でも、マッカーサーでもない、聖徳太子であろう。
日本人が大陸の文化と出会うきっかけをつくたのは、ほかでもない聖徳太子であった。
仏教伝来が・・原始アニミズムであった神道を自我覚醒させたのである。
この自我覚醒こそが・・普遍的な文化意識としての近代の始まりなのであろう。
日本人は自我覚醒すると・・世界史に例を見ない文化マニファクチャーぶりを発揮する。その先鞭をつけたのが、道元の禅を風俗化した[武士道]である。
忘れてならないのは・・[武士道]風俗の以前に、[禅・浄土教]風俗があったことである。
この国の近代化のもろさは、イデー主導ではなく、風俗が先導した歴史であるということである。
欧米人の想う禅思想とはきわめて形而上学的であるのに・・邦人のそれは「茶の湯」や「能」に見られる現世鑑賞の粋なのである。
戦後民主主義と云われるものの・・出鱈目ぶりもご多聞にもれない。(尚林)
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