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なぜ日本人は・・自らの祖先が侍であるかのように語るのか
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/454.html
投稿者 尚林寺 日時 2011 年 8 月 31 日 11:07:54: JaTjL5JPya4go
 

http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20110331#p1

**** 日本人の祖先は農民
日本人が自らを出さないことには2重性がある。一つは自然主義的に環境に埋め込まれてきたこと。共同体で共有される慣習の流れに身を任せることになれている。日本人の土着のベースがあるが、精神性といえば農民層に浸透した浄土宗の他力思想だろう。もう一つは武士層に浸透した禅的に「我無し故に我有り」という形で自らを主張すること。これはいまでは一つの美学に近い。我が我がは美しくない。「侍」たるもの、黙ってやるべきことをやる。
しかしおもしろいのは、武士の時代、武士はほんの一握りで、ほとんどが農民だったわけで、いまの日本人の祖先はほとんどが農民だったはずである。なのに現代日本人がまるで祖先がみな侍だったように語ることだ。
確かに祖先を考えるときに、農民よりも支配者層の武士の方がかっこいい。それに支配者層といっても、日本人は運命共同体的なもので、精神性の祖先は侍といってもいいのかもしれない。しかしそうではなくて、ほんとにほとんどの日本人の祖先は侍なのだと思う。いつほとんどの日本人が侍になったのか。明治維新から戦後までの近代化においてである。

**** 近代化という日本人総侍化
近代化には大きく二つの面がある。産業化と民主化である。明治維新は下級武士層によるプルジョア革命だったために、民主化よりも産業化が重視された。日本における民主化は西欧に侵略されないよう、国民を育てて、富国強兵のための手段であったといえる。
このように国民を軍事、産業力として育てるために用いられたのが、武士の精神性である。天皇を君主とした忠誠心、そして個を殺しても組織を重視しする推進力など。このように国民総侍化が行われたのだから日本人が戦争へ邁進したのはある意味で当然だったともいえる。究極的にお国のためにと自らの死を捧げた。

**** 西欧人「おまえは何者であるのか」
さらに西欧人は当然のようにと「おまえは何者であるのか」と問う。それに対して日本人が持ち得た方法が「我無し故に我有り」であった。武士道とはなにかがもっとも語られたのは、多くの知識人が西洋で学びはじめた明治以降である。
そしていまも他国と対峙するときの日本人のあり方として「侍」が立ち上がる。いまも日本人は明治以降の侍化を継続している。現代の侍ジャパンや、侍ドラマなど、日本人の侍への郷愁は、正しくは、武士の時代へのものではなく明治以降のものだ。


*********comment
古代日本の列島には朝鮮系の天皇家と土着民しかいなかった。
侍という自意識を、日本文化が持ち始めたのは確かに近代においてであろう。
近代とはある日突然・・幕が開いたように始まるものではあるまい。
そこには「プレ近代」の揺籃期があったはずである。即ち、近代意識の芽生えの時代があったはずだ。
原始的な土着民の意識に、カルチャーショックを与えた者がいたはずである。
それは、黒船でも、マッカーサーでもない、聖徳太子であろう。
日本人が大陸の文化と出会うきっかけをつくたのは、ほかでもない聖徳太子であった。
仏教伝来が・・原始アニミズムであった神道を自我覚醒させたのである。
この自我覚醒こそが・・普遍的な文化意識としての近代の始まりなのであろう。
日本人は自我覚醒すると・・世界史に例を見ない文化マニファクチャーぶりを発揮する。その先鞭をつけたのが、道元の禅を風俗化した[武士道]である。
忘れてならないのは・・[武士道]風俗の以前に、[禅・浄土教]風俗があったことである。
この国の近代化のもろさは、イデー主導ではなく、風俗が先導した歴史であるということである。
欧米人の想う禅思想とはきわめて形而上学的であるのに・・邦人のそれは「茶の湯」や「能」に見られる現世鑑賞の粋なのである。
戦後民主主義と云われるものの・・出鱈目ぶりもご多聞にもれない。(尚林)  

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コメント
 
01. 2011年8月31日 22:59:20: Pj82T22SRI
>古代日本の列島には朝鮮系の天皇家と土着民しかいなかった

土着民もアイヌや熊襲など地域によっていろいろだし
大陸(朝鮮以外のモンゴロイド)も弥生以前から入ってたと言われているね
天皇家は、その勝者というところか

>。ホ武士道]風俗の以前に、[禅・浄土教]風俗があった

禅はどちらかと言えば、上流階級向けだが
大衆向けだと浄土系に加え、日蓮系も結構強いね
どちらも弾圧を経験している

2度の元寇は黒船以上のショックを当時の社会に与え
鎌倉時代に日本独自色の強い大衆仏教思想が生まれたんだろう
神風期待を生んだのはまずかったがw


02. 2011年9月01日 22:30:12: BljXKvWpyg
うそばかりねつ造するなよ。あんたのウソ記事などだれも読みたくはない。
こいつはアクセス禁止にすべきだな。

03. 2011年9月01日 22:45:31: KMgfTrUWsU
最近やたらサムライサムライと言うのは、保守系言論人と言われていた怪しい人たちが、1990年頃から3、4年前まで撒いてきた言説の影響もあると思う。
それ以前は、そんなには言わなかったように思う。

嗤ってしまうのは、そうした言説は李登輝や金美齢、黄文雄といったところからもだいぶされたこと。
彼らに言わせると、大陸中国やチョーセンと戦うのがサムライということになる。きっと、それが彼らに都合よくて、おだててけしかけるのにいいと思ってたんだろね。

気張ってサムライの精神とはと何かと意味を込めようという作業や、それを声高に言ってまわるのを、元々のサムライの家系の人は必要ないからやらないように思う。
サムライの家系というのは江戸時代の官僚官吏層の子孫。


04. 2011年9月10日 00:46:04: 6kuobrWeYc
武士(とその家族)はだいたい10-20%くらい。
西欧の第一・二身分(貴族僧侶)は1%もいない。
また武士だった人間が土着し帰農したケースも多々あるから、
戦国時代以前「武士」だった人間、地侍や土豪も含めれば意外と多いのではないか?

05. 2011年9月12日 16:40:32: 7WZekNACgc
何を以ってさむらいと言うか、だが、一応非常時に戦闘員となる者としよう。
鎌倉時代以前でも家之子・郎党などと言われる者が、実際に生産も担当していたのだが、農民であると同時に戦闘員でもあったから、自称ではあってもさむらいであったし、主従関係があれば形式的にも源平藤橘などの名門の末と名乗れた。
室町期には町人であっても自衛上武装する者は多かったし、金で武門の職名を買う者も居たから、これらはさむらいと言っても間違いはない。
戦国期にはもっと不分明となり、油商人や野武士夜盗の類が大名になったり、農民でも足軽として戦闘に参加したり、漁師も時には海賊となるなどであったから、日本国中全員がさむらいだったと言って言えないことはない。
武士と農民・町人の身分が明確に区別されたのは江戸時代からであって、家系はそれ以前から続いている。
但し、侍としての精神、例えば江戸期の殿様第一の儒教精神や、新渡戸稲造的なサムライスピリッツを持っているか、というのとは別ものであるが。

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