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株式日記と経済展望
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高額の教育投資が行える親は、子供を海外留学させて、帰国子女枠で
大学に入学させる。塾に通わせて有名大学に入学させようとする。
2011年6月20日 月曜日
◆なぜ、高学歴でも仕事がデキない人が増えているのか 6月20日 吉本佳生
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110620-00000002-president-bus_all
企業が人材を採用する際に、学歴という情報を重視することがある。受験戦争を勝ち抜いて、有名大学を卒業した人は仕事を遂行する能力が高いはずで、採用すべきという判断からだ。「有名大学を卒業した人は仕事もデキるはず」という部分が「学歴シグナル」だ。
日本は、高い学歴が、高い収入をもたらすという学歴社会であった。しかし、この学歴社会と学歴シグナルは崩壊しつつあるようだ(図参照)。
高学歴=高収入の時代が終わったことは、過去10年の日本の歩みを見ればわかる。有名大学を卒業した高学歴グループに占める「高い能力」を持つ人の割合も減っている。
理由はいくつかある。例えば、一般の入学試験によらないAO入試(アドミッションズ・オフィス入試)で入学する学生が増えている。入試の科目数を減らす大学も多い。また、受験テクニックを重視する塾や予備校も増えている。こうした中で、受験生は勉強にさほど労力と時間をかけなくても有名大学に入学できてしまうのだ。
高額の教育投資が行える親は、子供を海外留学させて、帰国子女枠で大学に入学させる。あるいは、子供を小さいころから塾に通わせて有名大学に入学させようとする。これは、お金をかけて高学歴を買うのであって、「高い能力」を養っているわけではない。
これまでは、高学歴は「仕事上の能力の高さ」を示すシグナルだったのが、「親などの教育投資が高額なこと」のシグナルになってしまった。
こうして高学歴を獲得して社会人になっていくのだが、彼らは、社会人になってからの勉強が苦手だ。例えば、コミュニケーション能力である。社会人になれば、幅広い年齢の人たちとの間でこの能力が求められるが、同世代の間では可能でも、世代間のコミュニケーションはおぼつかない。激しい受験戦争によって、そうした能力を鍛える場所が非常に少なくなっている。
また、私が社会人になって身近に見てきた例をあげれば、エリートコースに乗る人は、必ず勉強している。一橋大学を卒業している先輩は、土日はいろいろな女の子と遊びに行くような人だった。しかし、仕事でどんなに疲れていても、夜中に必ず勉強していた。睡眠時間を削って勉強していたのだ。
もう一人は、上智大学を卒業した後輩である。英会話能力の高い人だったが、やはり必ずNHKラジオの英会話放送を録音していた。英語力を落としたくないと、仕事でどんなに遅くなっても録音を聴きながらテキストをめくっていた。
二人とも、その勉強に関連した仕事をしているかどうかとは別問題で、社会人になった自分が勉強すべきことを学んでいたのだ。
社会人になれば、受験生のときのように、勉強に集中できる環境が整えられ、勉強だけをしていればいいというわけではない。たとえ肉体的に、そして精神的に大変な状態であったとしても、勉強を続けられるかどうかが重要になってくる。社会に出て体育会系が重宝されることがあるが、これには一理ある。社会人になってから必要な勉強をするには、体力が必要なのだ。
仕事のできない高学歴者が増えているのは、こうした勉強をしなくなっているからだ。入社がゴールではないことに気づいてほしいものである。
(私のコメント)
最近の日本の停滞は教育に問題があるからだろう。「ゆとり教育」はそのいい例ですが、大学生の質的な低下は明らかだ。企業側も大卒の新卒者の採用を控えているのは経済が低迷しているばかりでなく、採用してもなかなか期待したほどの人材がいないことが原因でもあるのだろう。昔は受験戦争の勝者が有名大学に入りましたが、今では有名大学でもAO入試で入学する者が半数近くにもなり、成績が良ければ受験勉強しなくても入学が出来る。
四当五落という言葉がありましたが今では死語に近くなってしまっている。家庭学習の時間は減る一方になり、国際学力比較テストでも学力の低下が止まらない。このようになってしまったのは文部省の政策にも原因がありますが、家庭や社会環境の変化も原因があります。今では高校全入、大学も選ばなければ何処かの大学に入学が出来る。これでは学生は勉強しなくなるのは当然の成り行きだろう。
私の経験では、大学までの教育でも卒業してしまえばほとんど忘れてしまって、微分や積分など今では全く分からない。勉強しなおせば思い出すかもしれませんが、ほとんど忘れてしまう。だから社会人になってからも勉強は続けなければ何の意味も無いのであり、大学を出て5年10年と本も読まなくなれば大学を出た意味が無くなると言うことだ。
社会人になっても勉強を続けるか否かで能力の伸びは大きく違ってくるのであり、大学を出て10年20年も経てばその違いははっきりとしてくる。東大を出て遊んでばかりいる人と三流大学を出て勉強し続けた人では能力において逆転しているだろう。だから年功序列で入社した時の学歴で出世が決まるような会社はろくな会社ではない。
欧米のように能力主義社会では、キャリアを上げたければ転職して地位を上げるシステムができていますが、日本では転職は出世コースからはずれることを意味する。先日も西尾幹二氏の書いていたように、大学でも同一学内招聘禁止法と言う慣習法で出世のエレベーターはない。これほど能力主義が徹底しているから他流試合を繰り返しながら出生して行く。
日本では逆に年功序列で、入社した時の学歴で出世コースが決まるから、有名大学を出て一流企業に入社したものが勝ち組になる。だからトップクラスの学生は今でも進学競争は厳しいが、有名進学塾での受験術で金のある家庭は有名一流大学に入ることが出来る。中にはわざわざ海外留学させて帰国子女枠で有名大学に入る人もいるようだ。
もちろん能力主義にも欠点はありますが、能力を公平に計ることは難しく、本当の実力が発揮できる機会も無いことが多い。本当は能力のある人ほど起業してビジネスを立ち上げるべきなのでしょうが、日本では優秀な人ほど一流企業に集まってしまって、才能を自ら潰してしまうことが多いようだ。本当に能力があれば中小企業のほうが実力は発揮しやすく、意地悪な上司に潰されることもない。
能力主義の欧米社会では、大学教育でも能力主義が徹底していて、大学教授でも数字でランク付けされるようだ。日本では学生を集めることが大学教授のバロメーターですが、欧米では卒業生の平均初任給まで評価される。大前氏の話では学部長の全米ランキングまであるそうです。
◆卒業大学と学部で給料に差つくため米の受験戦争激化と大前氏 2月9日 ポストセブン
http://www.news-postseven.com/archives/20110209_12255.html
中国、韓国、日本、そして米国……。各国の教育事情には大きな隔たりがある。大前研一氏が解説する。
* * *
アメリカで受験戦争が激化したのは、どこの大学のどの学部を卒業したかで給料に大きな差がつくようになったからである。
私は母校であるMIT(マサチューセッツ工科大学)の取締役会メンバーを5 年ほど務めたが、米経済誌『ビジネスウィーク』が毎年発表する学部ごとの全米ランキングが学部長の評価に使われた。順位が落ちた学部は改善計画の提出を求められ、極端な場合には学部長を代えたり、上位校から引き抜いてきたりする案も検討された。卒業生の就職先、年俸などに基づいてランキングが付けられるため、入学志望者にとっても大きな指標となる。
ビジネススクールについてはもっと極端で、卒業生の平均初任給(オファー)はいくらだったかのランキングが出る(アメリカの会社では入社時期が同じでも、学歴と能力によって個々人の給料は大きく異なる)。それを基に、ビジネススクールの授業料の差が何年分の給料の差で取り戻せるかを計算し、志望校を決める。
つまり、仮に2年間の授業料が一流ビジネススクールは20万ドル、二流ビジネススクールは7万ドルの場合、それに対する投資利益率が何%で回収期間は何年かを比較するわけだ。その結果、授業料が高くてもハーバードやスタンフォードなどの一流ビジネススクールを卒業したほうが得だということになり、そちらに殺到することになる。
こうした背景から大学が給料を稼ぐための“道場”となり、かつての日本と同じくカネのかかる受験勉強に励むようになってしまったのである。
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