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子ども貧国2011
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/380.html
投稿者 sci 日時 2011 年 6 月 20 日 15:40:27: 6WQSToHgoAVCQ
 

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/hinkoku/list/index.html
【子ども貧国】

お弁当に希望詰め 未来が泣いている(1)

2011年1月1日

夫の暴力から逃れ暮らす中で心に余裕が生まれ、子どもたちのために作ったお弁当=東海地方で
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◆暴力から逃れ母子で再出発

 「なんちゃってチキンライス」。それが、加奈ちゃん(6つ)の好物だった。ケチャップをご飯にかけるだけ。具はなし。母親の久美さん(28)は、食べやすいようにとケチャップに砂糖を混ぜた。

 加奈ちゃんが二つになり、妹が生まれたころ、東海地方の自動車関連工場で派遣社員として働いていた父親が失業した。母子家庭で育ち、虐待された経験のある父親は、自分の妻子に暴力を振るい始めた。久美さん名義で消費者金融から借りてパチスロに通った。

 久美さんが働きに出た。日当が数千円の食品加工工場で日雇い。月収は4、5万円。電気やガスを止められたこともある。「寒いから、みんなで寝よ」。母子が一つの布団で寝た。

 久美さんは「だんなの機嫌と、お金がかからない食事ばかりを考えていた」という。夫が家にいる時の夕食は、ごはんにみそ汁と野菜いためなどのおかずが一品。母子だけで取る食事の定番が、甘い甘い「なんちゃってチキンライス」だった。

 加奈ちゃんは、無表情なまま好物を食べた。感情を素直に表すことが苦手な子になっていた。

 「子どもさんに、お弁当を作ってください」。久美さんがわが子のために弁当を作るように言われたのは、1年前のことだった。

 夫の暴力がついに命の危険を感じる域に達し、久美さんは子どもを連れて、「母子生活支援施設」(旧母子寮)に入った。生活に追い詰められた母子のために、国が運営する駆け込み寺だ。

 施設は、母親が働きに出ている間、子どもの面倒をみる。ただし、昼食の用意は母親にしてもらう。子どもの食に責任を持つのが、生活再建の第一歩。そう考えてのことだ。

 「お弁当を見れば、どういう生活をしてきたか分かる」とベテラン職員は言う。コンビニのパンやおにぎり、冷凍食材ばかりを詰めたもの。すさんだ生活の影響を最も受けやすいのが食だ。「入所したばかりの母親はお弁当に彩りなど入れられない」と言う。 

 久美さんのお弁当は、生まれて初めて作ったにしては、上出来だった。卵とソーセージでウサギの顔を作り、ご飯にのせた。「みんな喜ぶかな」。新生活に不安な子どもたちを安心させようとの気遣いを込めた。

 久美さんの母親は料理がうまかった。「母さんの空揚げを作ってみようかな」。お弁当を作るにつれ、貧しさで忘れていた手料理の温かさを思い出していった。

 入所後、しばらくして職員が言った。「加奈ちゃんたち、顔がやさしくなったね」

 加奈ちゃんが通う保育園の遠足の日。久美さんは、にっこりと笑う大きな顔ののりご飯の弁当を作った。

 「今日のお弁当、なあに。見せてよ」。登園する加奈ちゃんに職員が声をかけた。加奈ちゃんは照れ笑いしながら、お弁当袋をそおっと、さすった。 (文中仮名)

◆「7人に1人」

 経済協力開発機構(OECD)が2008年に発表した報告では、日本の子どもの貧困率は13・7%で、7人に1人が貧困状態にある。非正規雇用の増加などで、20年前の12%から悪化した。ここでいう貧困とは、4人世帯で年収が254万円、2人世帯で180万円を下回ることで、生活保護基準にほぼ重なる。子どもの貧困は将来、さまざまな社会問題を生み出しかねない。さいたま教育文化研究所の白鳥勲さんは「本人がどれだけ努力しても貧困の連鎖を脱するのは難しい。社会が解決する問題だ」と話す。

   ◇

 「貧しさに苦しむ子どもたち」。そう聞いても、過去のことか、他の国の話と思われるかもしれない。だが、日本の子どもの7人に1人が貧困状態にあるとされる。経済大国の実相だ。少子高齢化社会で「宝」とされるはずの子どもたち。この国の未来が今、貧困に蝕(むしば)まれている。その現実を直視したい。

不登校、崩れた生計 未来が泣いている(2)

2011年1月3日
◆小2の娘 無料塾で笑顔戻る

女の子が塾の仲間に贈った折り紙のペンダント。裏には一人一人へのメッセージが書かれている=東京都内で
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 小学2年生のみほちゃん(8つ)は、自宅近くにある都営住宅8階の通路に立っていた。昨年の6月中旬。背中に赤いランドセルを背負ったまま、眼下に広がる夕暮れ時の街を見た。生け垣にピンク色の花が咲いていた。

 みほちゃんは入学後まもなく、いじめに遭うようになった。クラスの女の子グループから同級生をいじめるよう強いられて、断ったら自分が標的になった。「母子家庭のくせに、幸せそうな顔している」と言われ、授業中に「死ね」と書いたメモを回された。

 「どうしたの、迷子になったの?」。通路でじっと動かないみほちゃんを、通り掛かったおばあさんが見つけ、1階まで送り届けてくれた。その夜、母親の恵子さん(46)とふとんに入ろうとして、みほちゃんは突然、泣き始めた。「今日、死のうと思ったの」

 みほちゃんは生まれた時から、区営住宅で恵子さんと2人暮らしだ。長く体調を崩していた恵子さんは、生活保護を受けてみほちゃんを育ててきた。

 3年ほど前からは隣町の病院で看護補助者として働くようになった。保護費と合わせて月収は20万円前後。節約のため、夕食がおにぎりだけの日が週に2日ある。

 みほちゃんは、一人になるのをおびえるようになった。トイレの中まで恵子さんに付いてくる。夜になると、いじめを思い出して泣く。「どうして、あなたはいじめるの?」。ふとんの上に座り、独り言をつぶやいた。

 学校に相談しても、答えは「いじめは確認できない」。恵子さんは、休職してみほちゃんにかかりきりにならざるをえなかった。

 蓄えはない。いつになったら仕事に戻れるのか。どうやったら娘は回復するのか。貧困が焦りを呼び、娘を受け止める心の余裕を奪っていった。「虐待をする人の気持ちが分かった」と恵子さんは言う。

 飲食店がひしめく都内屈指の繁華街の一角に小さな「塾」ができたのは、母子がぎりぎりまで追い詰められた、ちょうどそのころだった。

 塾では、生活保護世帯の子どもらに、弁護士や大学生らが無料で教えている。貧しい家庭の子どもたちは、勉強が苦手でも塾に通えない。進学を断念したり、中退したりして、貧困に…。そんな連鎖を断ち切りたい、と若手弁護士が立ち上げた。

 塾の話を区役所の生活保護係からのお知らせで知って、恵子さんは迷わず、みほちゃんを連れて行った。大げさでなく、わらにもすがる思いだった。

 生徒は7、8人だが、なかなか騒々しかった。「を」の字が読めなくて、国語の教科書を放り出す子もいる。でも、先生たちは子どもを自分の膝の上に抱き上げたりしながら、根気強く教えている。

 子どもたちを見ていて、恵子さんは気がついた。「みんな必死で大人に甘えている」。教室の片隅で、みほちゃんが笑っていた。4カ月ぶりの笑顔だった。

 塾に通い始めて3カ月。クリスマスを前に、みほちゃんは塾のみんな一人一人にプレゼントを用意した。

 ピンクの毛糸のひもが付いた折り紙のペンダント。真ん中に大きなハートのマーク、裏には踊るような字で「いつもありがとう」。

 配る前に、大きな声でみんなに報告した。「学校に通えるようになりました」(文中仮名)

    ◇
◆母子家庭悲鳴 9割「苦しい」

 働いても働いてもぎりぎりの生活を強いられているのが、123万世帯(2003年調査)いる母子家庭だ。厚生労働省によると、07年の時点で、母子家庭・父子家庭の半数以上は貧困状態にある。現在の生活について「苦しい」と答えている母子家庭は9割。07年国民生活基礎調査では、全世帯の平均総所得は566万円なのに対して、母子世帯は236万円と少なかった。全国の母子生活支援施設に入所する母親の8割が非正規雇用で、その半数の毎月の就労収入は10万円未満というデータもある。

    ◇


保健室で涙の告白 未来が泣いている(3)

2011年1月4日
◆「母に働かされているの」

中学生の時、養護教諭からもらった児童相談所の電話番号が書かれたメモ。大学生になった今も大切に財布に入れ、持ち歩いている=愛知県内で
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 中学3年のミキの告白は、養護教諭の田中明子(49)にとって衝撃だった。「私、母親に働かされているの」。5月下旬の6時間目、保健室でミキの目に涙が浮かんでいた。

 「金髪に、ひざ上丈のスカート」。4月に赴任したばかりの田中にとって、ミキは問題行動の目立つ不良少女の一人にすぎなかった。

 保健室のソファで悪態ばかりついていた「生意気そうな自分勝手な女の子」が、泣いている。「生みの親はいるけど、育ての親はおらん」。途切れ途切れに話すミキを、田中は抱き締めることしかできなかった。

 ミキは母子家庭で育った。3歳の時、両親が離婚。ミキを連れて家を出た母はやがて水商売を始めた。

 収入は常に不安定だった。ミキが小学5年になると、母は家に金を入れるよう言いつけた。「母さんが怖かった」。ミキは近くのおばちゃんに頼んで内職仕事を始めた。月2、3万円の収入に母は満足しなかった。中学に入学してからは新聞配達を二つの店で掛け持つようになった。

 母親に取り上げられない“臨時収入”を得ようと、はやりのルーズソックスを万引しては、格安で友だちに売ったこともある。その「不良仲間」たちもミキの生活苦のことは知らなかった。

 「本当のことを言ったら、どん引きされる。友だちにだって話せない」。貧乏は、誰にも話せない悩み。孤独だった。

 疲れ果てた心身にとって保健室のソファは最高の寝床。だが、田中が赴任した時、校長から聞かされたのは「保健室が不良のたまり場になっている」のひと言だけ。「教室には行きたくない」。ささくれだったミキの言葉に込められた意味を、読み取れずにいた。

 「彼女は何かを抱えている」。田中の疑問を解くかぎは2カ月後、突然、訪れた。いつものようにふいに保健室に現れたミキは、母親に働かされていると涙ながらにうち明けた。「貧困でそこまで悩んでいる子がいるなんて、思いもよらなかった」と田中は言う。

 告白から1カ月後、ミキは田中の勧めでスクールカウンセラーとの面談に応じた。面談を終えたミキに田中は児童相談所の連絡先を書いたメモを手渡した。「あなたの意思を尊重したい」

 ミキの通報をきっかけに児童相談所の介入が始まり、ミキは母の元を去った。

 なぜ、あの時、告白できたのか。その本当の理由はミキ本人にもわからない。「苦しくて。たぶん、本当は誰かに聞いてほしかったんだと思う」

 22歳になったミキは愛知県内の大学で児童福祉を学んでいる。「過去の自分と向き合いたかった」。講義や専門書に出てくる心に傷を負った子どもの症例が自分と重なる。「学べば学ぶほど自分が欠陥商品のように思えてくる」

 不安を埋めてくれるのが、アルバイトで始めた障害者の支援活動だ。働く親に代わって障害児に寄り添う。子どもの笑顔に癒やされ、親の感謝の言葉に自信をもらう。「頼って、頼られている」(文中仮名)

    ◇
◆「余裕のなさ」影響

 子どもの問題行動には貧困が影を落とすが、高度経済成長を経た現代日本で、両者をつなぐ視点は薄まるばかりだ。法政大大学院の岩田美香教授(教育福祉論)は、1977年の「犯罪白書」が「少年非行の普遍化」を指摘して以来、原因を情緒発達など個人の資質に求めがちだと指摘する。貧困家庭の育児について「金銭的困窮だけでなく、親の時間的な余裕のなさが家族の孤立を招く」点に着目。病気や飲酒問題を抱える親もおり、子の世話が不十分になったり、親子関係がこじれたりしやすいことから、学校がソーシャルワーカーの活用などで「家族の背景にまで目配りする」ことが必要だと訴える。

ゲーム機頼りの絆 未来が泣いている(4)

2011年1月5日
◆手に「最先端」 豊かさとは無縁

ふたり寄り添いDSで遊ぶ姉と弟=愛知県内で
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 パパ(45)とはもう3週間以上、会っていない。「おれの相棒、元気かな」。ソウくん(8つ)が気遣う。「相棒」とは、子どもに人気の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」のゲームに登場するキャラクター。

 ソウくんのDSは普段、パパの家に置いてある。だから、「相棒」に会えるのはパパと一緒の時だけ。「おれがいないときは、パパが代わりに遊んでる」。2人の共通の話題は、ゲームだ。

 ソウくんが二つ違いの姉と名古屋市近郊の児童養護施設で暮らすようになって、もう6年になる。2歳のとき、母親が家を出ていった。トラック運転手だった父親は当初、ベビーシッターの助けを借りて懸命に仕事と育児の両立を図った。

 「(ベビーシッターの)利用料で週2、3万円を請求された。これは続かんなと思った」と、父親は言葉少なに振り返る。仕事中、幼い子どもたちに家で留守番をさせるわけにはいかない。やむなく、父子は離ればなれに暮らし始めた。

 姉弟が預けられた施設は、親の養育困難や虐待などの理由で、児童相談所に一時保護された子どもたちを受け入れる場所だ。家庭復帰を目指しながら、子どもたちが集団生活を送っている。

 「かつては親の失踪で入所に至る事例が多かった。今は虐待、離婚など入所の理由はさまざま」と施設長(56)。その根っこにあるのは今も昔も変わらない。「貧困だ」と、職員らは口をそろえる。

 だが、子どもを取り巻く「貧困」は、かつてとは様相を異にしている。DSやiPod(アイポッド)などの最先端の電子機器は“必需品”。継ぎはぎだらけの服のかわいそうな子どもたちは、過去の話だ。「公園で遊んでいても、誰も貧しいと気付かない」。中堅職員の本田勇二(29)は言う。

 たまの外泊から施設に戻った子どもたちが最新版のゲームを手にしている。そんな光景は本田の中では日常だ。「DSが親子の関係をかろうじてつなぎ留めている」

 昨年暮れのクリスマス、ソウくんは朝から窓の外を眺めていた。3週間ぶりの外泊。父親はなかなか迎えに現れなかった。

 ソウくんに付き添う本田には気掛かりがあった。数カ月前、父親は金銭的に窮地に立たされた。トラック運転手から事務職に異動を命じられ、ピーク時に30万円ほどあったという毎月の手取りは十数万円に落ち込んだ。「一緒に暮らせるよう頑張る」。父親の言葉に、かつての力強さは失われていた。

 パパの窮状は幼いソウくんにも伝わっていた。いつもふりかけご飯ばっかり食べて、前より疲れて見えるパパ。「おれがDSしてる時も、布団で寝てばっかり」

 クリスマスの一日が終わろうとしていた。「お客さまのご都合により通話ができなくなっております…」。本田の鳴らした父親の携帯電話は、料金滞納を告げる無機質な自動応答を繰り返すだけだった。(文中仮名)

    ◇
◆「総中流神話」に隠れ

 国立社会保障・人口問題研究所部長の阿部彩氏は著書「子どもの貧困」で、日本人の「貧相な貧困観」を指摘する。子どもにとっての必需品を調査した先進国間のデータの比較では、英国では84%がおもちゃを必需品と回答したのに対して日本では12・4%、自転車は英国が55%、日本が20・9%など、いずれの項目でも大きな差があった。

 阿部氏は日本人の心理の根底にある「総中流」や「貧しくても幸せな家庭」といった「神話」が、子どもの貧困問題に対する日本人の鈍感さにつながっているとみる。


メド立たぬ受験費用 未来が泣いている(5)

2011年1月6日
◆「家族支える」医学部目指す

「5」や「A」などの文字が並ぶ中学校の成績表。高校3年生の時に書いた作文には、施設や家族への感謝の気持ちがつづられている
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 岐阜県内の高校に通う3年の美香さん(18)の父親は、中学生のころ、突然、いなくなった。

 関東地方の出稼ぎ先から、仕送りがなくなった。家賃も払えず、美香さんと妹2人の母子4人は路頭に迷いそうになった。

 そこで手を差し伸べてくれたのが「あの人」だった。お母さんの会社の同僚。「面倒みてやるよ」。やさしい言葉につられ、お母さんは再婚し、美香さんたちはあの人のマンションに転がり込んだ。

 そこからが大変だった。「お前はだめだ、お前はだめだ」。お母さんにあの人は何時間も怒鳴り続けた。

 耳をふさいで勉強した。「もう終わったかな」と手を離しても、まだ続いていた。「今は、勉強しよう。集中しよう」。そう言い聞かせた。

 「もう、やめて」。半年が過ぎたある日、美香さんが叫んだ。母子は再び、家を出た。

 行き場所のない母子を保護し、自立支援する母子生活支援施設へ、2年間だけ身を寄せた。

 美香さんは今、大学受験の真っただ中にいる。志望は国立大学の医学部。将来は顕微鏡で細胞をチェックし、病気を探る検査技師になりたい。

 中学2年の入所時、何度も続いた転校で、学校の勉強が分からなくなった。大好きだった数学でも最低点を取った。悔しかった。

 「勉強ができないと大学に行って就職できない。これから家族を支えるのは私なのに」

 妹2人と3人で6畳部屋を分け合いながら、高校受験を前に夜中まで勉強した。職員にも勉強を教えてもらった。そのおかげで、県内屈指の進学校に進めた。

 同級生はみな、毎日のように塾に行く。美香さんは、3年の夏休みもファストフード店へバイトに行った。「少しでも進学資金をためたかった」。だけど、教材費や生活費にすべて消えてしまった。

 希望する大学は、自宅から通えない。家賃、生活費、授業料…。契約社員のお母さんの月給は13万円。とても進学資金など出せない。働きながら短大を卒業したお母さんも「どれぐらいかかるのか想像つかない」と言う。

 貸し付け型の奨学金はすでに申し込んだ。だが、受験に行くお金さえもひねり出すのが難しいのだ。ホテル代と交通費で3万円ぐらい。自立支援する施設の職員は「他にも受けたいところがあるだろうけど、経済的に1校しか受験できない。入学前にかかる費用を支援する制度はほとんどない」と指摘する。

 「はあ」。公営住宅の一室で、お母さんがため息をついた。最近、頻繁に1人で施設を訪れる。当面のお金のやりくりを職員に相談しているのだ。

 お母さんは、美香さんに「大丈夫だから、好きなようにしなさい」と言ってくれる。でも、好きなようにできないことは、美香さんが一番よく分かっている。

 「どうしても国立。私立には行けない。浪人なんか考えられない」

 一度しかないチャンスの日が、近づいている。(文中仮名)

    ◇
◆返済困難な若者増加

 貸し付け型奨学金を最大限利用すると、大学卒業時には数百万円の借金を背負うことになる。最近は不安定な雇用環境を反映し、社会人になっても奨学金が返せない若者が増えている。

 日本学生支援機構の2009年度の調査によると、返済が半年以上遅れている人の88%が年収300万円未満。延滞者の半分以上は無職やアルバイトだった。09年度時点で未返済額は過去最高とみられる797億円。返済猶予の申し出も相次いでいることを受け、機構は1月から、一定期間、減額して返還できる新制度を始める。

モンスターから逃れ 未来が泣いている(6)

2011年1月7日
◆必死で自活「夢どころじゃ…」

親から逃げ、同居するカップル。ゴミが散乱する部屋で寄り添って生きる=愛知県内で
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 名古屋市内の定時制高校に通う4年生の勝(21)の母親は“怪物”だ。いわゆる「モンスターペアレント」と、学校側から分類されている。

 修学旅行の積み立てや教材費などの学校納入金を、昨年4月から一度も支払っていない。学校側は「定職にもついているし、払えるのに払わない」とみる。ひとり親の母親は看護師だ。

 修学旅行を目前に控えた11月。教室で勝の担任の佐藤公一教諭が切り出した。「このままじゃ修学旅行にも行けんし、卒業もできんぞ。お母さん、なんで払ってくれんのだ」

 「先生、母さんの病院に行くのやめてよ。おれが怒られる。お金はなんとかする」と勝は言った。

 入学以来、自分の学費はバイトで稼いできた。毎月数万円、母親にも渡していた。「家にお金をいれなさいと言われていたから」

 父親は知らない。母さんが姉と勝を育ててきた。「仕事が疲れる」と言っては、アルコールをあおるように飲む母さん。勝が救急車を呼んだこともあった。

 しつけのためだと、激しくたたかれたこともある。「母子家庭だから大変なんだ」。ずっとそう思ってきた。定時制高校へ進学する時も「母さんには負担をかけない」と心に決めていた。

 勝は最近、同じ定時制高校で出会った彼女と一緒に暮らし始めた。彼女の両親も学費を支払わない“怪物”だ。

 「2人とも行く場所がなかった」。勝は少しうれしそうだ。まるで同志と出会ったかのよう。4万5000円の家賃は勝が払い、カーテンも冷蔵庫もない部屋で、1日1食、白米1合を分け合って暮らす。

 「先生、お金貸して」。勝は結局、佐藤教諭に助けを求めた。修学旅行代金と家賃の6万5000円を、3カ月の分割返済の約束で借りた。

 佐藤はほかの生徒にもお金を貸す。みな、親に頼まず、佐藤のところに来る。最近の親子を見て感じる。「親子のきずなが希薄になっているんじゃないか」。勝の母親にきちんと支払うよう談判したこともあるが、「私には関係ない」と一蹴された。

 勝は今春、卒業する。行き詰まった生活からの「出口」を見つけるのは厳しい。過去最低水準の高校生の求人倍率。佐藤は「昼間の生徒にくる求人の10分の1しか、夜間にはこない」と嘆く。定時制の生徒だと告げただけで、会社訪問さえ断られることもある。

 分割返済の1回目の期限。佐藤は牛丼を手みやげに、部屋を訪ねた。勝はバイトをクビになっていた。レジの金が売り上げと合わないことが理由だった。

 「あのままいったら、犯罪者かホームレスになる」。佐藤は卒業後が心配でならない。金を貸す自分は、その場限りのセーフティーネットだ。

 「これからどうするんだ?」と佐藤。勝は、牛丼を一気に口にかき込みながら言った。「夢とか言ってる場合じゃないでしょ。とりあえずバイト、バイト」(文中仮名)

    ◇
◆深刻な給食費未納問題

 公立小中学校では給食費の未納問題が深刻化している。文部科学省によると、2009年度の給食費未納総額は約26億円(推計)とされ、前回の05年度調査より約4億円増えた。学校側が挙げた一番の理由は「保護者の責任感や規範意識の欠如」だ。

 就学援助と生活保護の家庭が7割にも達する名古屋市内の小学校で勤務経験のある事務職員は「計画的にお金を使うことが不得手だったり、気が回らなかったりというケースが多い。一概にモンスターペアレントと片付けるのは乱暴だ」と指摘する。


障害抱え収入の柱 未来が泣いている(7)

2011年1月8日
◆母病気で5人家族苦しく

膀胱・直腸機能障害で苦しんできた少年。おむつをはきながら働き、家計を助ける=愛知県内で
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 ヒロユキ(18)は紙おむつをリュックに詰め込み、アルバイトに出かける。学校の冬休み中は週5日。この三が日も働いた。時給は750円。給料は全額、母親の口座に振り込んでいる。

 生まれつき腎臓が一つしかなく、膀胱(ぼうこう)・直腸機能障害がある。一時は人工肛門が必要で、今も便意がわからない。1日4回、トイレでおむつを替え、使用分を家に持ち帰る。

 子どものころは自宅のトイレに入るたびに泣いた。学校では「なんか臭わない?」とクラスメートがヒソヒソ話しだすと、こっそりとトイレに向かった。

 兄(20)、弟(15)、母(38)、祖母(71)と5人で愛知県内の家賃2万円の公営住宅に住む。兄を虐待していた父はヒロユキが3歳の時に家を出た。養育費は一度も払われていない。祖母は年金を受給できず、一家は母がアルバイトで稼ぐ月8万円程度の収入に頼って生きていた。

 それでも、家族の仲のよさが救いだった。狭い部屋に身を寄せ合い、拾ってきたテレビの前で、寝るまでおしゃべりが続いた。

 ヒロユキは自宅から電車で1時間かかる特別支援学校の高等部に進んだ。入学時から授業料が無償で、家計の負担を軽くできたからだ。

 だが、ほそぼそとやりくりしてきた家計は、母の病気で簡単に崩れた。一昨年4月にアルバイト先の飲食店で倒れ、十二指腸潰瘍の診断を受けた。1カ月の入院後、新しい職を探したが、見つからなかった。

 世間体を気にして生活保護は受けず、収入は母の兄の援助と児童扶養手当を合わせた月5万円ほど。夕食が白飯にお茶を掛けただけの時もあった。電気やガスは何度も止められた。

 「このまま山に入ってみんなで死のうか」。母の入院中、食卓で祖母が冗談とも本気ともつかない口調で言った。「いいよ。いつ行こうか」。ヒロユキが冗談っぽく返して、家族の明るさを保った。

 「家計を助けたい」と高校を中退して働き始めた兄は職場になじめず、職を転々とした。中学生の弟は友人たちとみんなでファストフード店に入っても、一人だけ何も食べずに我慢している。

 ヒロユキは高校3年生になり進路選択を迫られた時、好きなテレビゲームの開発を学ぶ専門学校に進もうと考えた。学校の合同説明会に足を運び、パンフレットを開くと、授業料は年間100万円。「到底無理だ」とその場であきらめた。

 就職活動を始め、年末に県内の大学から正規職員として内々定をもらった。障害者採用の枠だった。春からは20万円程度の月給が入るはずだ。

 「障害があってよかったです」と、ヒロユキは話す。テレビで学生の就職難を報じるニュースを見るたびに感じるのだという。

 「百パーセントの本音じゃないですけど、家のことを考えると、本当にそう思います」。穏やかな笑顔のまま、18歳は続けた。「この時代に高卒で安定した職に就けるなんて、なかなかないですから」(文中仮名)

    ◇
◆就職環境は不十分

 国は障害者雇用率制度で、民間企業や公共団体に全社員、職員のうち一定の割合で障害者を雇用するよう義務づけている。

 愛知県教委の調査によると、公立特別支援学校高等部卒業生の就職内定率は近年95%前後を維持している。だが、県内のある特別支援学校教諭は「毎年、卒業生の2割は1年を持たず、半数は3年を持たずに会社をやめてしまう」と指摘。「障害者が自分に合う仕事や職場を選べるだけの環境はまだ整備されていない」と、課題を挙げている。


世間体 隠れた借金 未来が泣いている(8)

2011年1月9日
◆「田舎の付き合い」重荷

借金返済のため結婚指輪も売った。家にはケースだけが残る=岐阜県内で
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 ショートカットにくりくり二重。屈託なく部活に打ち込む活発な子。高校時代の友人の目に、小川瞳(21)はそう映っていたに違いない。

 週末になると、強豪校との試合のために遠征を重ねた。夏休みも冬休みも合宿に明け暮れた。

 瞳は岐阜県の山間部に2人姉妹の妹として生まれた。実家は小さいながらも自動車の部品工場を営み、羽振りが良い家と見られていた。

 でも、それはうわべだけだった。

 瞳の遠征や合宿のたび、両親は費用を工面するのに必死だった。母からお金を手渡されるのは、決まって支払期限ぎりぎり。瞳は「お金掛かってごめんね」とあやまった。

 節約のために、瞳のトレードマークの短髪も、手先が器用な父がはさみを入れていた。「友達みたいに美容室に行きたい」というのが、瞳のささやかな願いだった。

 バブル崩壊の影響がじわじわ広がる中、祖父が他界し、働き手は両親2人だけに。技術が求められるだけに、パート職員などを雇うことはできない。受注できる仕事が減り、不況も加わって売り上げは最盛期の3分の1以下になった。

 工場のため月10万円近く掛かる電気代すら、工面が難しかった。娘の成長に合わせて教育費は増える一方。両親はカードローンで金を借り、共済年金や学資保険を崩してはやりくりした。

 とはいえ、父には田舎ならではの付き合いがあった。祭りや行事の後は若手を自宅に招き、酒や料理を振る舞った。地域の寄り合いの後は、仲間とすし店に連れだった。

 瞳が中学3年の時には、家を改築した。地区に下水道が整備され、父は「接続工事をしないと、恥ずかしくて地元の集まりにも出られなくなる」と、新たに1000万円の住宅ローンまで組んだ。

 「はたから見たら普通の家が、実は借金まみれというケースは田舎には多い」。岐阜県の山間部で多重債務者らの生活相談に乗っている元市議(65)は指摘する。

 「横並び意識から教育費などを無理し、子育てを終えたころに限界が来る。恥ずかしいからか、親戚や友人を頼らないため、周りからは貧困が見えない」

 高校を卒業し、学費の安い公立の学校に進んだ瞳。それを待っていたかのように、家計は破綻した。毎月の返済は40万円超。裁判所に借金の圧縮を求めた。返済が滞れば家財を差し押さえるという条件だった。

 瞳が学校を卒業する直前、母から手紙が届いた。結婚指輪を売った、と書いてあった。

 母のつらさは痛いほどわかった。「仕事がもうかるようになったら買い戻すつもりだから」。母の言葉に慰められた。

 あれから3年。自動車の海外輸出が好調で、実家の工場は大みそかまで稼働した。価格競争の激化で部品の単価が下がり、働いても実入りは少ない。

 たんすの中には今でも、金字で「寿」と記された結婚指輪の箱が眠っている。外はぴかぴか、でも中身はまだ空のままだ。(文中仮名)

    ◇
◆「家計費の補助」が4割

 多重債務問題に取り組む全国の約90団体が加盟する「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」によると、2009年に寄せられた相談件数は計約8200件。相談者は40、50代で半数近くを占め、借金の主な原因は「家計費の補助」が40%超。「年齢的に給料は最も多くなる時期だが、子どもの養育費も多く掛かるころ」と同会の本多良男事務局長は指摘する。


夢の設計図破れた 未来が泣いている(9)

2011年1月10日
◆苦学生 家族のため就職

新聞配達を続けながら専門学校に通ってきたが、家計を支えるために学校をやめざるをえなくなった=名古屋市熱田区で
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 4つ離れたお兄ちゃんは無口だけど、頼もしい。高校に上がる少し前、お父さんが失業した時もそうだった。

 「バイト始めようかな」。メールで相談したら、すぐ返事を打ってきた。「やめとけ。おれが何とかする」

 名古屋で新聞配達をしながら、勉強を続けてきたお兄ちゃんは、地元の建設会社への就職を決めてこの春、沖縄に帰ってくる。

 午前4時、人けのない名古屋市内の住宅街で山城真理雄(19)が懸命にペダルをこいでいた。自転車の前かごと荷台に積み上げられた150部の新聞の束。新聞奨学生として働きながら、専門学校に通い2級建築士の資格取得を目指してきた。

 実家のある沖縄・石垣島はこのところ景気が良くない。ホテルマンだった父(62)はこの10年で職種を3つ変え、契約社員として警備の仕事に就いていた。コンビニで働いていた母(47)は、収入を補おうと結婚前にやっていたバスガイドとして再び働き始めた。けれども、2人の月収は40万円に届かない。

 懸命に働きながらも不安定な収入に翻弄(ほんろう)され続ける両親の姿が、高校の教師の叱咤(しった)と重なった。「資格がないと食っていけないぞ」

 建築士に狙いを絞ったが、困ったのが進学費だった。親には頼れない。高校3年の進路説明会で新聞奨学生の制度を知り、「これしかない」と思った。奨学金の支給を当て込み、新聞販売店に50万円を前借りして専門学校の入学費用に充てた。

 起床は午前3時。朝刊を配達後、2時間だけ仮眠をとって学校へ向かう。勉強の合間を縫い、夕刊配達もこなす。就寝時間が12時を回ることも少なくない。

 名古屋に来て1年近くが過ぎたころ、父が警備員の契約を打ち切られた。「心配しないでいいから」。電話口の父は努めて淡々としていた。

 妹から相談のメールが届いたのはそれから間もなくだ。地元の進学校に合格した妹。読書好きで「本に囲まれていたい」と、大学に進学して図書館司書になる夢を抱いている。

 「何とかする」と妹には言ったものの、あてがあったわけではない。入学費用に前借りした分の返済もあり、手元に入る奨学金は毎月6万〜7万円。寮暮らしで生活には困らないが、妹の学費を払うほどの余裕はない。

 真理雄は予定していた設計士受験課程への進級をあきらめ、就職せざるを得なかった。学校の先生には「勉強一本じゃないと(2級建築士の)合格は難しい」と念押しされたが、「今はとにかく、妹に勉強に集中させたい」と思い切った。

 ことしの正月、成人式に出席するため、久しぶりに帰省した。父は今も仕事が見つからず、母も仕事を減らされていた。

 両親は、息子の就職が決まったことを素直に喜んでいる。真理雄は、進級をやめた本当の理由を両親には伝えていない。(敬称略)=第1部終わり(取材班・星浩、小笠原寛明、長田弘己、森本智之、多園尚樹、原田遼、太田朗子)

    ◇
◆中退者の実態つかめず

 国が「学校教育の最も重要な調査」と位置付ける学校基本調査は、その対象を在学・卒業者に限っている。中退者の実数すらつかめていないのが現状だ。文部科学省調査企画課は「大学や専門学校の担当部署から依頼がない」と素っ気ない。

 東京都専修学校各種学校協会の2008年度の調査によると、都内の専門学校の中退者は約6500人に上った。「資格を目指す目的意識の高い学生が多いだけに、経済的理由が与えた影響は大きいのでは」と危機感を募らせる。


自己責任か福祉の問題か 国立社会保障・人口問題研部長 阿部彩さんに聞く

2011年1月28日

 あべ・あや 国連、海外経済協力基金を経て、国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長。研究テーマは貧困、社会的排除、社会保障、公的扶助。著書に「子どもの貧困」(岩波新書)「生活保護の経済分析」(共著、東京大学出版会)など。
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 −統計では、日本の子どもの7人に1人が貧困状態にあるといいます。

 まず、強調したいのが子どもの貧困は、リーマンショックなど昨今の不況で突然、起きた現象ではないという点です。1980年代以降、徐々に上昇しています。これは問題が一過性ではなく構造的であることを意味します。厚生労働省が2009年に公表した貧困率15・7%という数字も、国内の景気がまだ良かった07年のデータを基に算出しています。

 −なぜ、これまで目立たなかったのでしょう。

 連載にもあったように現代の貧困は見えにくいのです。かつて「貧困」と言うと、食べ物が無くて飢え死にしたり、家が無くて凍え死んだりといったイメージでした。しかし、現代の貧困はそうした様相とは異なります。

 ある小学校の先生から聞いた話ですが、社会見学や理科の実習になると必ず休む児童がいました。たまたま休んでいるだけと思っていたが、よくよく聞くと家が貧しく、実習費用を母親に欲しいと言えない事情がありました。給食費未納に端を発したモンスターペアレンツの問題もそう。経済的に困難な家庭も含め、親の怠慢だと個人責任に帰してしまっているのです。

 −どうすれば貧困は見えてくるのでしょう。

 実は大抵の人は既に貧困の概念を持っています。例えば、7歳の子がランドセルを買えないとすれば、多くの人はかわいそうだと感じるでしょう。運動靴でも文房具でも子どもたちが当たり前に持っているものを、持てない状態。これこそが現代における貧困です。かつてのイメージに縛られることなく現実を見据えれば、貧困はおのずと見えてくるはずです。

 −貧困は子どもたちの成長にどんな影響を与えるのでしょう。

 社会において当たり前とされる生活が送れず、普通の子どもが得られるチャンスや選択肢が与えられません。度重なる挫折は、子どもたちの自尊心を傷つけ、将来の夢や希望をも奪っていきます。子どもたちの心を蝕(むしば)むことこそ、最も恐れるべきことです。

 −貧困とどう向き合うべきでしょう。

 医療費を払えない子どもをどう救うかなどといった早急に対処すべき課題は多い。けれど、それらはあくまで対症療法にすぎないのです。根本的には自己責任論を基本とした米国型の小さな政府を目指すのか、北欧型の福祉国家を目指すのかという私たちの選択に委ねられています。

 例えば北欧や大陸ヨーロッパは幼稚園から大学まで学費は無料です。これは、教育は金持ちだろうがそうでなかろうが、機会を社会が保証すべきだという同意に基づいています。

 貧困は自己責任の問題だとして追認してしまうのか、否か。貧困に気づき始めた今、私たちはまさに岐路に立っているのです。


読者から200以上の意見 「受験1校だけ」に温かい激励

2011年1月28日

 経済的に余裕がなくて進学できなかったり、進学先が制限されたりしている子どもたちの現状に、「何とか力になりたい」とのお便りが次々届いた。

 5回目で取り上げた大学受験真っただ中の美香さん(仮名)は受験費用が捻出できず、1校しか受けられなかったが、読者からの支援で他の大学も受験できる可能性が高まった。美香さんは「温かい激励にすごく驚き、ホッとしている。プレッシャーも感じるが、合格できるように頑張る」と話している。
◆周囲の助けに救われる

 愛知県豊田市、パート女性(42) 母子家庭で小学5年と小学3年の息子がいる。介護士や保険外交員の仕事をしてきたが、急性の腎盂(じんう)腎炎や突発性難聴になるなどの体調不良からうつ病にもなった。

 現在は、自動車の組立工場で働く。月給は7万5000円で、民間アパートの家賃が4万円。自分が食べられなくても子どもにはおなかいっぱい食べさせたいと、献立を工夫している。

 貯金はなく、頼れる親戚もいない。「子どもたちだけは幸せにしなければ…」との思いと、「全てを終わりにして楽になりたい」との思いの間で、毎日揺れている。

 唯一の救いとなっているのが周囲の助け。今年の正月は年末からお金がなく、豚汁とご飯しか用意できなかったが、カニを届けてくれたり、餅をもらったり、知人に助けられた。人とのつながりの大切さを実感している。
◆病で知った制度のもろさ

 三重県、会社員女性(33) 共働きで1歳の娘がいる。昨秋、私にがんが見つかった。以来、入退院や通院の毎日を送っている。仕事は現在、病欠扱いだが、今春に手術を控え、復帰の見通しは立たない。

 当初は絶望的な気持ちだった。今は治るという可能性を信じて病気と闘っているが、検査が非常に多く、目の前のことをこなすのに精いっぱいだ。

 病気になって感じたのが、今の社会の制度がいかに「普通」の人のためのものかということだ。マイホームを持つ夢があったが、収入が減った上に治療代もかさむため、今はお預けだ。

 それでも私には頼れる夫もいるし、近くに両親も住んでいる。連載に登場したひとり親たちの苦労は想像以上だろう。多くの人に支えられている私はまだ恵まれていると感じている。

    ◇
◆孫を引き取ることできず

 岐阜県可児市、無職女性(64) 母親の再婚相手に虐待された中学生の孫の後見人になっている。実の父親は蒸発して行方知れず。

 孫は児童養護施設にいる。「おばあちゃんと一緒に暮らしたい」というが、お金がない。親ではないので、児童手当なども受けることができず、かわいい孫を引き取ることができない。

 年金は月3万円。昨年8月に脳の血管が切れて入院し、働けなくなってしまった。風呂の水は10日に1回替えて、トイレの水も1日2回流すだけの生活をしながら、貯金を食いつぶしている。

 どうしたら孫を幸せにできるのか。せめて、高校を卒業するまでのあと4年は生きなければと思う。孫のような境遇の子どもたちに、援助の手を差し伸べてほしい。
◆高校生にも子ども手当を

 名古屋市南区、アルバイト女性(45) DVで離婚し、双子を含めた3人の子どもがいる。長女が今年の春から高校生になる。なんとかやりくりして学資保険をかけてきたので、制服などの準備はできそうだが、子ども手当もなくなり、この先、どうなるのか不安でいっぱい。

 娘は大学に行きたいと言っている。行かせてあげたいが、今の家計の状況ではまず無理だ。中学生の双子の1人に生まれつきの持病があり、定期的に通院しているため、正規雇用の職も見つけられない。

 子ども手当を乳幼児に加算するという話が出ているが、それなら高校生にも支給してほしい。
◆修学旅行のあり方に疑問

 名古屋市熱田区、会社員女性(55) 中学2年の娘を持つ親。修学旅行のあり方に疑問を感じている。

 学校によると、2泊3日でディズニーランドなど東京方面に行くそうだ。旅費は5万円。ある日突然、学校から旅行会社の口座に1括か、分割で振り込むよう、お知らせが届いた。旅行会社にお任せで、学校は関知しないのか。憤りすら感じたが、子どものことだけに慌てて振り込んだ。

 このご時世、5万円といえば大金だ。子どもの希望でコースを変更すると、さらに別料金が上乗せされるという。申し訳ないが、娘にはコース変更をしないよう頼んだ。

 そもそも、修学旅行でディズニーランドに行く必要があるのだろうか。疑問は膨らむばかりだ。


「私、頑張れる」 同世代の姿に励まされ

2011年1月28日
◆進学危ぶまれた愛知の高3女子

取材班にメールをくれた女子高生。受験を目前に控えるが、常に経済的な不安がつきまとう=愛知県内で
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 1月1〜10日に社会面で連載した「子ども貧国 第1部・未来が泣いている」には、200件を超える感想や意見が寄せられた。手紙やメールには子どもたちが直面する現実への驚きや、紙面と同様に困難を抱える当事者の苦悩が綴(つづ)られている。

 私たちの足元を浸食しつつある子どもの貧困。自己責任に帰すのか、支え合いの社会を目指すのか。貧困研究に取り組む国立社会保障・人口問題研究所部長の阿部彩さんは「私たちは岐路に立っている」と指摘する。

 愛知県内の高校3年生ユカさん(仮名)は、経済的な事情から大学進学の機会が危ぶまれた体験を書き送ってくれた。

 トラック運転手の父がリストラに遭ったのは、受験を目前に控えた昨年12月。家族に進学費用を負わせる罪悪感から勉強が手に付かなくなった。

 両親と姉、弟の5人暮らし。ギャンブル好きの父は金遣いが荒い。食品工場で働く母と昨春、就職したばかりの姉の収入でほそぼそと暮らす。

 県内屈指の進学校に通うユカさんは、母から「お金が掛かるから一人暮らしはやめて」と言われ、志望校は地元の国立大に絞った。

 父の失職以来、両親はいさかいが絶えない。ストレスで当たり散らす父を必死になだめる母。「ユカが大学落ちたらあんたのせいだから」。部屋にこもり勉強に集中しようとしても、母の泣き声が壁伝いに聞こえてきた。「消えてしまいたかった」

 学校では明るく振る舞った。一度、友人に事情をうち明けたが、真に受けてもらえず笑われてしまったからだ。「貧困てダサいと思った」。孤独だったという。

 悩んだ末に頼ったのが以前から気の合う体育教師だった。「父親、今失職しててさ」。傷つくのが怖くて、わざと冗談ぽく話した。

 だが、教師は真正面から受け止めてくれた。「話を聞くことしかできないけど」。そのひと言は、想像以上にユカさんの気持ちを軽くした。「今を懸命に生きよう」

 心が揺れ動く日々の中、新聞記事を目にした。紙面に描かれた同世代の若者たちの姿に「私はまだまだがんばれる」と思えたという。2次試験まであと、わずかだ。


走って、光見えた 先生たちの危機感(1)

2011年2月20日

「手を振って走れ!」。小6の少年と全速力で駆け抜ける小野政美先生=名古屋市近郊で
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 学校対抗のリレー競走。真夏の日差しを浴びた黄金色の運動靴が、ヒロシ君(仮名)の足元で輝いていた。この日のために父親が「奮発」した1000円ほどのセール品だ。

 緊張気味のヒロシ君を、コーチの小野政美先生(62)は冗談交じりにトラックへ送り出した。「大丈夫。昔から逃げ足は速かったろ」

 その表情に陰りが見え始めたのは小学5年の夏を過ぎたころだった。「お父さん、仕事無くなっちゃって」。校庭の片隅で先生にうち明けた。

 父親が勤めていた名古屋市近郊の製陶工場は、リーマン・ショックのあおりで大手の取引先が倒産したのを機に受注が激減。従業員の大半が解雇を告げられていた。

 再就職先に恵まれずにいた父親を病魔が襲った。持病の糖尿病が悪化し、失明の危機に陥った。手術を受けたが、右目の視力は戻らない。母親が父親の治療に付き添う毎日が始まった。

 6年になると、笑顔が消えた。「がんばらなきゃいけないのは分かってる。でも、勉強苦手だし」。独りでもがいていたヒロシ君に小野先生は声を掛けた。「走るの好きだろ。リレーやる気はないか」

 大会まで1カ月。放課後の特訓が始まった。「バッカヤロー、集中しろ」。コースを踏み外すと、先生は容赦なくしかり飛ばした。底のはげかけたヒロシ君の運動靴がペコペコと音を立てた。

 小野先生はこれまで、困難を抱える多くの子どもたちと向き合ってきた。

 三十数年前、初めて担任をしたクラスで出会ったカナコちゃん(仮名)は、母親から虐待を受け、幼い弟の世話をするために下校時間になると駆け足で学校を飛び出していった。給食で余った牛乳をランドセルにしのばせるのが、新米教師には精いっぱいだった。

 数年前、風の便りで結婚したと聞いていたカナコさんが3人の娘を連れ、定年間際の小野先生を訪ねてきた。「私、がんばって生きているよ」。先生の勲章だ。

 「命綱」としての学校。だが、再任用までしてしがみついた教育の現場は、子どもたちに背を向けてしまっているかのようだ。年ごとに増すばかりの書類の処理や、毎週のように開かれる研修。「『指導力向上』の名のもと、教師を子どもから遠ざけている」

 小野先生はささやかな抵抗を続けてきた。休み時間、職員室にこもる同僚を尻目に子どもたちと校庭を駆け回る。「ここでは貧困も虐待も関係ない。みんないい顔してる」

 陸上大会から半年余り。小野先生は久しぶりにヒロシ君の家を訪ねた。

 勉強机の上にリレーでもらった賞状が、額に入れて飾られていた。「100円ショップのじゃ、安っぽいから」。そう照れる父親がリサイクルショップで買ってきた210円の木目調の額は、なかなか立派に見える。

 「教師が子どもを貧困から救えるわけではない」と小野先生は言う。「でも、困難に立ち向かう勇気や自信は与えられるのかもしれない」

 卒業を控えたヒロシ君はこう話すようになった。「おれ、中学でも走るの続けるよ」

   ◇

 貧困は、子どもたちを追い詰め、夢や未来を奪ってしまう。教育こそは、子どもを貧困から救い出す処方箋。憲法は「教育を受ける権利」の保障を謳(うた)う。だが、貧困が教育現場に落とす影は今、大きくなっている。危機感を募らせる先生たちの声に耳を傾けたい。

    ◇
◆減る課外活動

 教育現場における学力偏重の傾向は、教科外活動に位置付けられるクラブ活動の扱いからもうかがえる。小学校ではかつて週1回のクラブ活動が一般的だったが、2002年度の学校週5日制の導入で、授業時間の確保を理由に月1回程度に減らす学校が相次いだ。

 その後、経済協力開発機構(OECD)の国際学習到達度調査などで、日本の子どもの学力低下が報告されると、ゆとり教育の見直しが進んだ。一部自治体で土曜日の授業が「復活」したほか、全国的にも11年度から小学校5、6年の英語が必修化する。授業時間が増加の一途をたどる中、クラブ活動はますます隅に追いやられている。

 ご意見や体験談をお寄せください。連絡先を明記し、〒460 8511(住所不要) 中日新聞社会部「子ども貧国」取材班へ。ファクスは052(201)4331。メールアドレスはshakai@chunichi.co.jp


サンタは来なかった 先生たちの危機感(2)

2011年2月21日

中学3年生の12月、自ら命を絶った少年。通知表の所見には、素直な性格や読書好きな面が記されていた=名古屋市内で
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 中学3年のタカシ君(15)は、名古屋市内の自室で首をつって死んだ。リーマン・ショックの余波で世界経済が揺れ続けた2008年12月28日のことだ。

 死ぬ3日前のクリスマスの朝、親友に電話をかけて聞いた。

 「サンタクロース来た?」

 「うん、来たよ」と親友。

 「僕のところにサンタクロースは来なかったよ」。そう言って、電話を切った。遺書はなかった。

 「先生、サンタっているの?」。タカシ君は、そんな質問をする子どもだったと小学6年の時に担任だった幸子先生(52)は言う。「何度も聞いてきた。当時は変なことを聞くなぁとしか、思えなかった」

 勉強が苦手だけど、「もっと漢字を書きたい」というタカシ君のために、先生は放課後も時間をとって教えた。タカシ君は、卒業してからも先生に会いにきた。別段用事もなく「近くに来たから…」と言っては、にこにこ笑っていた。

 幸子先生は長年、名古屋市南西部で教えてきた。修学旅行の積立金や教材費などを、行政が肩代わりする就学援助を受ける児童が市内でも最も多い。半分に達するクラスもある。

 タカシ君も就学援助を受けていた一人だ。母親(42)は糖尿病や脳梗塞など複数の持病を持つ。耳に障害のあるトラック運転手の継父(48)にとり、治療費は重荷だ。

 タカシ君は4人きょうだいの上から2番目。長男のタカシ君は、小学生のころから体の悪い母親に代わり、炊事や掃除など家事をこなした。

 小学校の時の夢は、母親の病気を治したいと、「医者」。それが、中学卒業後の進路希望は「家事手伝い」に変わった。

 親に歯向かったのはたった1回。「なんで、僕ばっかりなんだ」と泣いた。死ぬ直前、母親の介護で1カ月近く中学校を休んでいる時のことだった。

 「タカシがいないと家が回っていかなかった。頼りすぎていた」と母親は言う。

 タカシ君がサンタクロースからのプレゼントをもらえたのは、小学校の低学年まで。それ以来、クリスマスイブの楽しみは家族で食べる1人1つずつのショートケーキだった。

 でも、その年は、ケーキさえ買えなかった。本当にお金がなかったという。

 経済的に苦しい上に地域とのつながりもなく、孤立する親と子どもたち。そんな家庭が確実に増えていると、幸子先生は感じている。

 昨年末、母子家庭の小学生が幸子先生のクラスに転入してきた。家庭訪問すると、離婚したばかりの30代の母親は目に涙をためてこう言った。

 「子どもを連れて死にたい…」

 タカシ君は、一人追い詰められ死んでいった。「サンタは来なかった」と言い残して。「あの子にとっては、サンタが夢や希望の象徴だったんだ」と幸子先生は、気がついた。

 先月初めて、先生はタカシ君の遺影に線香を上げに行った。

 「先生、サインに気づけなかったよ」。遺影は無邪気にほほ笑んでいた。(文中仮名)

    ◇
◆就学援助7人に1人

 貧しい子どもたちの学習の権利を保障することは、国や市町村の義務だ。教育基本法第4条は、国と地方公共団体が「経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない」と規定する。

 困難な児童生徒を支援するためにあるのが就学援助。対象者は生活保護法に規定する要保護者など。通学費や文房具代、修学旅行費などの支援が受けられる。

 文部科学省の調べによると、就学援助を受ける児童生徒数は年々増加。2009年度は148万8113人で、全体に占める割合は14・5%と、7人に1人が行政の支援を受けていることになる。

付き合う、とことん 先生たちの危機感(3)

2011年2月22日

雪が降る中、差し入れを持って卒業生が働く工事現場を訪れる定時制高の先生=名古屋市内で
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 雪降る名古屋市中川区の工事現場。トラックに乗り込もうとしたサトシ(23)に、声がかかった。

 「これ、差し入れ」

 あったかい缶コーヒー。傘をひょいと持ち上げて、名古屋市内の定時制高校の健一先生が顔を出した。

 「もう行くよ」とサトシ。

 「じゃあな」

 顔を合わせることたった数分。そっけない会話は、長い付き合いがあってこそ。教え子の職場回りは、先生の日課だ。

 二人の出会いは2004年。サトシが入学し、健一先生が担任だった。その直後、サトシは警察に捕まった。

 仲間ら4人で10件以上のひったくりを繰り返していた。ミニバイクに二人乗りし、後ろから近づいて盗んだ。

 「遊び感覚だった」と言葉少なに語る。

 母子家庭の母親は看護師。夜勤があると、兄と二人っきりで寝た。健一先生は「寂しがり屋。仲間を求めて、つながりを欲しがっていた」と振り返る。

 逮捕後、健一先生は母親よりも早く、留置場へ面会に行った。着替えや下着をいっぱいに詰めたカバンを持って。

 少年院に行き、1年ちょっとで出てきた。「出る時が一番怖かった。またやっちゃうんじゃないかって」

 不安だったサトシに健一先生はすかさず連絡した。

 「また、学校に来いよ」

 ひったくり仲間と決別した時は、あごの骨を折る大けがを負って入院した。この時も、健一先生は病院に来た。定時制高校に戻り、卒業証書を手にしたサトシに、就職先を世話したのも先生だ。

 「おせっかい。だけど、いやではないですよ」。べたべたするほどの距離感で付き合ってくれた大人は、周囲にいなかった。

 団塊世代の健一先生は親戚のもとで育った。父親が蒸発し、生活に行き詰まった母親は、健一先生の手を握り、線路に飛び込もうとした。

 戦後の物質的に貧しい時代だったが、周囲の大人はみな、真剣に叱り、褒め、包み込んでくれた。「時間の余裕もあったのかなあ」としみじみ思う。

 今や定時制高校に通う生徒も、昼間に働く苦学生が多かった昔と様変わりした。不登校や精神的な問題を抱える子どもが多い。隣の席の子と、一度も話さずに卒業してしまう生徒もいる。

 心を病んでリストカットを繰り返す子、薬物に溺れる子。近ごろは家庭訪問と同じくらい、生徒が通う精神科病院にも行かざるをえない。

 「今の子どもは気の毒だ」。辛酸をなめた自分の少年時代と比べても、そう思う。「ものはあるけど心はさみしい。周囲の大人に包容力がなくなってしまったから」

 午前2時。枕元の携帯が鳴った。4年生の生徒からだ。

 「先生、お金がないから家に帰れん。ファミレスにいるから迎えにきて」

 「待っとれ」

 子どもからのSOSは、どんなわがままもまず受け止める。そこから先生のおせっかいが始まる。(文中仮名)

    ◇
◆貴重な学び場 倍率が上昇

 働く若者にとって、定時制高校は高校卒業資格を得るための貴重な学び場だ。

 最近は、経済的な問題のほかに、不登校など精神的な問題を抱える生徒や、外国籍の生徒など多様化し、進学希望者が増えている。

 東京や大阪など大都市圏でも昨年、大量の不合格者を出した。愛知県の例では、2010年度の公立高校定時制前期選抜で倍率は前年度を0・05ポイント上回る1・49倍で、最も高い高校は2・67倍。欠席者を含む不合格者数は122人に上った。

栄養源、給食だけ 先生たちの危機感(4)

2011年2月23日

小学生の男児は給食で出されたふりかけご飯を「ごちそう」と言った
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 給食の時間は戦場だ。名古屋市内の小学校に勤める好子先生(52)は毎日、ひどく頭を悩ませる。

 「先生、コウジ君の方がおかずが多い」「先生、ヒトミちゃんがスパゲティばっかり食べてる」。まるでヒナが親鳥に分け前をアピールするようだ。

 そんな騒ぎを治めつつ、好子先生がこっそりとごはんを大盛りにする子たちがいる。朝食を食べて来ない児童だ。

 おなかがすいていると、授業に集中できない。騒いで暴れると、他の子にも影響する。

 暴れる子は一人や二人は昔からいたが、数人となると、先生一人では対処できない。

 「落ち着かないなあと思っていたら、朝食を食べてきていない子ばかりだった」と最近、気づいた。

 忘れられない子がいる。8年前に教えたタカオ君だ。

 クラスのみんなが給食を食べる前に、自分の皿にツバをつけていた。

 「汚いからやめてよ」と注意すると「だって、タカオ君にとられちゃうもん」。

 タカオ君は授業中もじっとしていることができず、乱暴な振る舞いが目立っていた。

 母子家庭で、母親はアルコール依存症だった。冷蔵庫には、食材どころか調味料すら入っていなかった。

 養護教諭にも相談し、登校後、こっそりとバナナなどをあげていた。でも、その時は乱暴な振る舞いが、空腹のせいだとは思わなかった。

 小学校を卒業して「どうしてるかなあ」と思っていたら、悪い知らせが来た。

 タカオ君が中学校の給食室に盗みに入って捕まったのだ。

 「まだ、家でごはんを食べさせてもらってないんだ」と愕然(がくぜん)とした。

 かつては例外的だったタカオ君のような存在は、今は特別ではない。だから、こっそりと保健室で…ということも、人数が多すぎてできない。

 せめて「給食のごはんぐらいは腹いっぱい食べて」と思うのだが、近ごろは、唯一の栄養源と思われる給食すら、ちゃんと食べられない子が出てきた。

 「きんぴらゴボウ」や「ホウレンソウのおひたし」など、和食の献立に目を丸くする。「こんなの、初めて食べる」

 ひどくやせた男の子がいた。「ちゃんとごはんを食べていないのでは」と周囲の親からも指摘されるほどだった。両親が行方不明で、親戚に育てられていた。

 好子先生が「いっぱい食べなさい」と、給食をたっぷりよそってあげても、胃が小さくなってしまったせいか、ほんの少ししか食べられなかった。

 それでも、ふりかけの「ゆかり」をごはんにかけると、「わあ、ごちそう」と喜んだ。

 その子の夕食は「水をかけたごはん」だけ。家庭訪問しても、親戚には一度も会えなかった。結局、何もしてやれなかったことを、今でも悔やむ。

 「先生、これどうする?」

 今日もまた、給食の時間がやってきた。この日のおかずは、大人気のフライドポテト。さて、どうやって分けようか。(文中仮名)

    ◇
◆55%の学校に給食費未納者

 給食費を滞納する家庭が増えている。文部科学省の推計では、学校給食がある全国の公立小中学校で、2009年度の給食費未納総額は約26億円。未納者のいる学校の割合は55・4%と過半数に達した。05年度の調査より11・8ポイント増えた。

 未納の原因について、学校が一番多く指摘しているのが「保護者の責任感や規範意識の問題」で53・4%、続いて「経済的問題」が43・7%だった。

 09年度の平均月額給食費は、小学校は約4100円、中学校は約4700円。


寄り添い親を救う 先生たちの危機感(5)

2011年2月25日

 「何だよ、ブス」

 神奈川県境に近い東京・多摩地区の市立中学校の1年生の教室。アキラ君が突然、隣の席の女の子を怒鳴りつけた。

 泣き始めた生徒をなだめる同級生たちにも「お前関係ないだろ、消えろよ」。教室は騒然となった。2006年4月13日、入学式の翌日のことだ。

 アキラ君は席にじっとしていられない。授業中に奇声を上げ、校舎内をうろつく。同級生や教員を怒鳴ったり、暴力を振るうこともあった。勉強は苦手だ。

 小学生のころ、発達障害と診断されていた。小学校の先生からは「どうしようもない子」と申し送りがあった。

 担任の直子先生(56)は、「障害」では説明しきれない、とげとげしい言動が気になった。注意すると、「親には言わないで」と泣き叫んで懇願する姿も引っかかった。

 すさみ、おびえた心のかぎは、家庭にあるはずだと、直子先生は直感した。

 アキラ君の家庭は貧しく、疲弊していた。母子家庭で、3人の兄弟と5人で都営住宅で暮らす。母親は水商売で家計を支えてきたが、働く意欲を失っていた。生活保護費だけが頼りの生活。かんしゃくを起こして子どもにつらく当たることもある。

 「アキラは手に負えない。一緒にいると疲れる」。家庭訪問を続ける先生に、母親はこぼした。「あの子が、憎い」

 アキラ君が通う学校は、有名な「荒れた学校」。この学区はベッドタウンの一角にはあるが、主要駅から遠く、バスの便も悪い。公営団地が並び、経済的に不安定な保護者が多い。

 「飛行機に乗って米国へ行ってみたい」。アキラ君がふとこぼしたひと言が、直子先生をはっとさせたことがある。飛行機どころか、新幹線にも乗ったことがないのに。この子も、閉塞(へいそく)感と必死で闘っているのだ、と先生は胸が痛んだ。

 アキラ君の荒れは、なかなか収まらなかった。先生は多いときには2週間に1度、家庭を訪れた。できることは、母親の愚痴を聞くことだった。2時間、3時間と、耳を傾け続けた。

 「アキラのことをもっと話したい」。母親がアキラ君と向き合う強い意志を示し始めたのは2年の秋。家庭訪問を始めてから1年半が過ぎていた。

 卒業式の日。式の後のクラス会で、アキラ君の母親が涙を流しているのに、直子先生は気づいた。かつては「あの子が憎い」と言っていた母親の温かい涙だった。その視線の先で、アキラ君は笑っていた。

 子どもの抱える問題は、学校だけでは解決できない。だから「教師は、親に寄り添い、ともに生きようとすることが大切だ」と直子先生は考え、家庭訪問にこだわる。

 だが、学校への世間の視線が厳しさを増す中、家庭のデリケートな問題に触れることを躊躇(ちゅうちょ)する先生が増えている。家庭訪問そのものをやめた学校も少なくない。

 家庭の問題に立ち入るのはタブー、そんな雰囲気が今の学校現場に生まれているという。(文中仮名)
◆職業や年齢を教えない親も

 東京都教職員組合「子どもを貧困と格差から守る連絡会議」の担当者によると、2002年、学校週5日制が始まり授業時間の確保が難しくなったことをきっかけに、家庭訪問を廃止する学校が出てきた。行う場合でも、家の中まで上がらずに玄関先で済ませるケースが増えた。

 背景には、保護者側のプライバシー意識の高まりがあるようだ。個人情報保護法などを理由に、自らの職業や年齢すら教えることを拒む親が増えており、学校と家庭との接点が見つけにくくなっているという。

抱き締める、心ごと 先生たちの危機感(6)

2011年2月26日

家族のように接しながら、子どもたちに夜の給食を食べさせる平松知子園長(中)=名古屋市内の保育園で
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 ちゃぶ台を囲む14の瞳が見つめる中、園長の平松知子先生(49)は土鍋のふたをそっと持ち上げた。のぞき込む子どもたちの顔を、湯気がふんわり包む。

 古くからの民家が軒を並べるJR名古屋駅近くにある保育園。夜間保育に預けられた子どもたちの夕食はにぎやかだ。「園長センセ、ふぅふぅして」。小鉢を手に、子どもたちが平松先生に甘える。

 園は週1回、夜の給食に鍋を出す。「あったかい家庭の雰囲気を感じてほしい」。共働きやひとり親、1日の大半を家族と離れて過ごす子どもたちへの、職員のささやかな願いを込める。

 トモちゃん(仮名)は誰より早く園に来て、遅くに帰る男の子だった。やんちゃをはみ出た「困った子」。友達のおもちゃを取り上げるのは日常茶飯事。「変なのっ」が口癖で、ちょっかいを出してはすぐけんかを起こしてしまった。

 そんな時、平松先生はすぐにしからない。代わりにぎゅうっと抱き締めた。「一緒に遊びたかったんだね」

 子どもは自己主張を爆発させた時、丸ごと受け止めてもらうことで安心感や他人への信頼をはぐくむ。現場で、そう学んだ。

 「でも今は、何度抱き締めても、すぐに心がとがってしまう」

 トモちゃんは父子家庭だ。幼稚園の年中の時、母親が家を出て行った。仕事と子育て、80歳を過ぎた祖母の介護を抱えこんだ父親は、トモちゃんを延長保育が充実したこの保育園に転園させた。

 暮らしぶりは豊かではない。八百屋で働いていた父親は、帰宅後も内職をして生計の足しにしていた。「息子を構ってやる余裕がなかった」。トモちゃんは独りぼっちだった。

 朝の7時すぎに始まる早朝保育で、トモちゃんは優しい「お兄ちゃん」だ。泣きやまない乳児をあやそうと四苦八苦する職員の元に駆け寄り、すっとおもちゃを差し出した。「この子はこれがお気に入りなんだ」。赤ちゃんがぴたりと泣きやむと、「ほらね」と、人懐こい笑顔を見せた。

 けれども、8時を回り、同い年の子どもたちが次々と園にやってくると、トモちゃんの表情はみるみる変わる。笑顔が消えうせる。

 「どうせ、ぼくなんか」。つり上がったトモちゃんの目が、平松先生にそう訴えているようだった。

 だから何度でも抱き締めた。「あなたは『困った子』なんかじゃない。いつかきっと花開く」

 トモちゃんが卒園して、3カ月。小学校の休み時間、担任の先生に近づいて来たトモちゃんは、級友の名前を口にした。癇癪(かんしゃく)を起こして担任を困らせてばかりいる子だ。

 トモちゃんは言った。「あの子はね、先生が嫌いじゃないんだ。きっと困っていることがあるんだよ。だから話を聞いてあげて」

 平松先生が小学校との会議で伝え聞いたトモちゃんの近況。「ほんの少し遠回りだったけれど…」。思いは届いていた。

 今も時折、園に顔を出すトモちゃんはサッカーに夢中な、優しい「お兄ちゃん」だ。春が来れば、トモちゃんは3年生になる。
◆認定こども園質に危機感

 働く親と子どもを支える保育の現場。だが、その様相は大きく変わろうとしている。国が2013年度から導入を目指す「子ども・子育て新システム」は、幼稚園と保育所の一体化施設「認定こども園」への移行や、企業参入の推進を盛り込む。「保育の質を保てない」と、危機感を抱く関係者は少なくない。

 全国保育団体連絡会事務局長の実方伸子氏は共著「子どもの貧困」で、こども園を(1)施設基準が現行の幼稚園や保育所より低い(2)認定基準が各都道府県に委ねられ、格差が広がる(3)子育て支援などのメニューを増やす一方で人も予算もつかない−と指摘。「子どもの保育保障の土台を崩しかねない」と訴える。


教え子ずっと見守る 先生たちの危機感(7)

2011年2月27日

卒業後も教え子の相談に乗る鈴木敏則先生=東京都内で
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 それは、9年前に卒業した教え子の声だった。埼玉県の県立定時制高校の職員室で電話を取った鈴木敏則先生(60)はすぐに分かった。

 「僕、自殺未遂したんです」

 先生は努めて、いつもの訥々(とつとつ)とした口調で応えた。「大丈夫。生きてれば良いことあるさ」

 受話器の向こうで、ヤスシ(30)=仮名=の声が、少しずつ和らいでいった。「先生、会ってもらえませんか」

 ヤスシは埼玉県郊外で病気の母と妹の3人暮らし。働きながら定時制高校と大学の夜間部を卒業した。だが、就職先がない。

 ようやくたどり着いたのが、愛知県内の自動車工場の期間工だった。給料は良かったが、4年で3回も契約更新を拒否された。車の売れ行き次第で、簡単にクビを切られる厳しさが身に染みた。

 「今のままではダメだ」。転職を決意して国の職業訓練を受けた。それでも、ありつけたのは派遣の工場従業員だった。その研修中に手を切った。大した傷ではなかったが、血が止まらなかったので、医務室に行くと「これは、労災だね」と言われた。「またクビになるかもしれない」。動転してしまった。

 翌日、死に場所を探して車でさまよい、長野県の山中で練炭自殺を試みた。通り掛かりの人に助け出された時は悔しくて涙が出た。

 故郷から遠く離れた病院で、頭に浮かんだのが鈴木先生の顔だった。ただ、話を聞いてほしかった。

 鈴木先生は47歳の時、初めて定時制高校に着任した。「圧倒的に貧しい生徒の現実に驚いた」。給食のない夏休み、食べるものがないという生徒を何人も車に乗せ、毎日、ファミレスに通った。

 入学式前日、授業料が払えないから辞退すると言う生徒を捜して、顔写真1枚を頼りに深夜の繁華街を走り回った。

 先生も高校3年の時、経済的事情で進学を断念しかけた。でも先生たちがカンパして助けてくれた。学びたいと思うのに壁に阻まれる生徒たちの姿は、過去の自分だ。

 卒業証書を手にしても、生徒が貧困から抜け出せるわけではない。だから、教え子がいつでも頼ってこられるようにと、年賀状を欠かさず送り、近況を知らせ合う。

 傷害事件を起こして中退した教え子が3年ほど前、「印刷工場で働いています」とひょっこり顔を出した。「こういう時が教員をやっていて良かったと思う」と、先生は笑う。

 実家に戻ったヤスシは、うつ病の治療のため通院しながら時折、学校に顔を見せる。「先生みたいな教師になりたい」と告げたのは去年の夏だ。

 「うれしかったね」と鈴木先生は照れ笑いする。この3月に定年を迎える。しかし、ヤスシはいつまでも、教え子だ。
◆10代の4割非正規

 働く10代、20代の雇用環境は厳しい。内閣府の「子ども・若者白書」によると、仕事をしている15〜19歳のうち非正規雇用の割合は2007年で40・2%、20〜24歳は32・5%に達した。09年の失業率は15〜19歳で9・6%、20〜24歳で9・0%となっており、ようやく仕事を見つけても非正規が大半という実態がある。

 働きながら通う定時制高校の生徒はとりわけ深刻だ。日本高等学校教職員組合の07年の調査によると、生徒の仕事は、非正規が9割に達している。賃金や就業時間が不安定なため、学校よりも仕事を優先せざるを得ない生徒が増えているという。

  =第2部終わり

 (取材班・星浩、小笠原寛明、長田弘己、森本智之、太田朗子)

 ご意見や体験談をお寄せください。連絡先を明記し、〒460 8511(住所不要) 中日新聞社会部「子ども貧国」取材班へ。ファクスは052(201)4331。メールアドレスはshakai@chunichi.co.jp

再び夢描けた 先生たちの危機感・読者反響

2011年3月19日

読者から取材班に届いた手紙やファクス
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 2月20〜27日に社会面で連載した「子ども貧国 第2部・先生たちの危機感」。教師や親から寄せられた手紙やメールからは、教育をめぐる閉塞(へいそく)感が伝わってくる。

 名古屋大大学院教授の中嶋哲彦さんは「平等」を追い求めた戦後教育が、皮肉にも貧困に苦しむ子どもの存在を見えにくくしたとみる。そして、子どもの学ぶ権利は、「親の所得の多い少ないに制限される問題でない」と強調する。

 佳美さん(21)=仮名=が体調に違和感を覚えるようになったのは、中学3年の終わりごろだ。名古屋市内の中高一貫校に在籍し、成績もトップクラス。けれども、「勉強する意味」を見いだせなくなったという。

 病院でストレスが原因と診断された。学校を休みがちになり、高校2年で進級が危ぶまれた。母親の勧めもあって学校をやめ、定時制高校に編入した。

 定時制高校に通い始めて、驚いた。そこには、さまざまな困難を抱えた生徒がいた。経済的に余裕が無く、参考書や問題集を買えない子。授業中、寝てばかりでやる気のないように見えた生徒は、深夜のアルバイトで学費や生活費を稼いでいた。

 「がんばれば、道はひらく」。そう漠然と考えていたが、教室で出会った仲間の厳しい現実に戸惑わざるをえなかったという。

 自分にできることは何だろうと考え、気心の知れた仲間と始めたのが放課後の勉強会だった。参考書を使い回し、疑問点を教え合った。いつの間にか、学校に行くのが楽しくなっていた。

 勉強会の仲間には、長年の不登校から一念発起し、難関私大に合格した男子生徒や、卒業後、しばらく働いてから看護師になるための勉強を始めた女子生徒がいる。佳美さんも国立大に合格した。

 とはいえ、そんな成功談はほんの一握りだ。仲間の大半は困難の中で夢や希望を描けず、卒業後もフリーターとして成り行き任せの日々を送る。

 「歯を食いしばり、がんばっている人は確かにいる。けれども、そうできない人たちを本人の努力不足で片付けてしまうのは間違っている」。佳美さんは大学のゼミで、貧困問題に取り組みたいと考えている。
◆「しつけ」のつもりが…虐待やめられず

 名古屋市熱田区、30代主婦 母子家庭で二人の娘を育てている。以前、しつけのつもりで娘をたたいたことがあった。繰り返すうちに歯止めが効かなくなった。虐待と頭で分かっていてもやめられず、娘と一緒に死のうと何度も思った。

 警察への通報もあり、児童相談所が介入した。職員との面談を繰り返し、落ち着きを取り戻せた。今も月1回の割合で悩みを聞いてもらっている。

 私たち家族は児相に救われたが、地域や社会とつながりを持つ大切さを記事を読んであらためて感じた。子どもたちが希望を持って生きられる社会になることを願っている。
◆仕事と育児両立の環境を

 三重県、契約社員女性(33) 7人に一人という子どもの貧困。女性が子どもを育てながら働く環境が整っていない現状もその一因と考える。

 私は銀行で正社員として働いていた。長男の出産後、職場復帰したが、子育てと仕事の両立がかなわず退職した。残業で帰宅が遅く、寝入っている子どもを起こし、風呂に入れる毎日だった。現在は近くに住む祖母の助けを得ながら、契約社員として働いている。

 子ども手当か、保育所整備か、といった議論もあるが、どちらも必要なのだ。将来の日本を支えるのは子どもたちだ。社会で育てる意識が高まってほしい。
◆広がる善意も届かない場所

 名古屋市熱田区、主婦(53) 「サンタは来なかった」の言葉を残して自殺したタカシ君の記事(2月21日付)を何度も読み返した。彼を救うことはできなかったのか。

 これまで海外の恵まれない子どもたちに募金をしたことがあった。だが、私たちの身近に貧困に苦しんでいる子どもたちがいるとは考えもしなかった。「タイガーマスク運動」で広がった善意も届かない場所に彼らはいる。

 学校も疲弊し、先生たちにも余裕がないという。SOSを受け止められなかった先生だけを責められない。
◆朝食用意の大変さも痛感

 愛知県日進市、主婦(25) 連載で朝食を食べない子どもが増えているとの記述があった。乳幼児の娘二人を育てているが、朝食の大切さと同時に、用意をする大変さも感じている。

 私は中学生の時、部活の朝練で早朝に通学していたため、朝食を食べる習慣が無くなってしまった。だから、子どもが生まれた時、どうやって朝食をあげたらよいのか分からなかった。

 本を参考に離乳食を作ったが、子どもはなかなか食べてくれなかった。菓子パンに牛乳など、忙しくてつい簡単なメニューになってしまうこともある。私も娘もようやく朝食を食べることに慣れてきたが、同様の悩みを抱える親は少なくないのではないか。
◆相談員を「部外者」扱いの学校残念

 愛知県、60代女性 10年ほど前から小・中学校の相談員をやっている。自治体の施策で派遣され、カウンセリングにあたっているが、学校の先生にとって私は部外者に映るようだ。子どもの心のケアを扱う校内会議には出席できず、資料ももらえない。

 子どもたちも担任に連絡してからでないと、相談室に入れないきまりがある。先生の許可がなければ、愚痴一つ言えないのだ。情報を共有し、連携すれば子どもたちのためにできることもあると思うのだが。廊下で声を掛けるくらいしかできない自分がもどかしい。
◆モンスターペアレント学校不信も

 愛知県、元教師女性(47) 私が数年前まで勤務した小学校も貧しい家庭が多くあった。朝食を食べずに不機嫌な子にはこっそり食事を与え、風呂に入れてもらえない子にはシャワーで体を洗ってあげた。

 こうした学校にはいわゆるモンスターペアレントも多い。子ども時代に「いじめを受けた」「先生にしかられてばかりいた」など、学校に不信感を抱いていることが少なくない。親へのカウンセリングが欠かせないが、対応できるベテラン教師や管理職は少ない。一人で抱え込んだ担任が精神疾患に苦しむこともある。
◆自ら考え行動する一歩に

 静岡県湖西市、塾経営男性(46) 私の補習塾でも、ここ10年でひとり親家庭の子どもが増えた。経済的に厳しい家庭も少なくなく、ささやかだが割引をさせてもらうことがある。

 子どもたちに、身の回りにある現実を知ってもらいたいと、塾で連載を読む機会を持った。「かわいそう」「小遣いを分けてあげたい」など素朴な感想が多かったが、子どもたちが自ら考え、行動する一歩につながればと願っている。

届いた“春”、医学部に合格 読者の応援、お守りに

2011年4月3日

大学のそばで初めての一人暮らし。引っ越し荷物を整理する美香さん
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 本紙連載「子ども貧国」第1部で、取り上げた美香さん(18)=仮名=が、第1志望だった国立大医学部に合格した。経済的な理由で1校しか受験できない、と紹介したところ、読者から多くの支援や応援のメッセージが寄せられていた。

 美香さんの苦境を伝えたのは1月6日付の「子ども貧国 メド立たぬ受験費用」。進学を目指しながら、契約社員の母親の給料だけでは受験費用の工面すら困難な現状を描いた。

 読者からの支援に「期待に応えなければ、というプレッシャーに押しつぶされそうになった」一方で、美香さんは当初、予定していた国立大学の前期試験だけでなく、後期試験と私立大1校の受験が可能になった。センター試験は実力を発揮できず、担任から志望校の変更を促されたが、「皆さんからの応援があらためて挑戦する勇気を与えてくれた」という。試験当日には、お守り代わりに読者から寄せられた応援メッセージをバッグに忍ばせた。

 美香さんは「応援してくれた皆さんにすぐ『お返し』はできない。将来、人に役立つことで『お返し』になるよう、国家試験の合格に向けて頑張りたい」と話している。

不就学見過ごされ 公立の授業ついていけず

2011年5月12日

月謝が払えず3年生でブラジル人小学校を退学した少女。公立中学校に通い始めたが、授業について行くのは難しい=浜松市内で
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 活発だったころの面影はなかった。話し掛けても、話し掛けても、カリナ(13)=仮名=は天井をみつめ、上の空だった。

 浜松市で外国人不就学児の学習支援教室を開く秋元ルシナさん(47)は、少女の変わりように驚いた。

 肩までの黒髪にくりっとした目。カリナはきれいな顔立ちをした、明るい子だった。友だちも多く、ダンスが得意だった。

 カリナの母が、来日したのは1992年。国内製造業が工場の稼働に応じて、雇用を調整できる非正規労働者として、こぞってブラジル人を受け入れた時代だ。母は長女とカリナを産んだ後、父親のブラジル人と別れ、自動車部品工場で派遣の仕事についた。

 カリナと姉は、ポルトガル語で授業をするブラジル人学校に通っていた。

 だが2006年秋、姉妹は突然、学校に行けなくなった。派遣先の経営不振で、母の月給が25万円から8万円に激減し、1人3万円のブラジル人学校の月謝が払えなくなった。カリナが小学3年生の時だ。

 周囲は無償の公立学校に編入するように勧めたが、母は決心がつかなかった。

 ずっとブラジル人が多い職場や地域で暮らしてきたため、役所で手続きをするのも、娘を日本人ばかりの学校に送るのも不安だった。生活も一時は支援団体から食べ物を寄付してもらうほど困窮し、教育にまで頭がいかなくなっていた。

 姉妹が日本語を学ぶため、秋元さんの教室に通い出した時、不就学はすでに3年に及んでいた。それでもカリナは友だちと楽しそうに音楽や「プリクラ」の話をしていた。

 様子が変わったのは昨年4月に公立中学校に編入してからだ。

 掛け算、割り算ができず、テストでは0点。平仮名、片仮名も満足でなく、黒板の字はローマ字にしてノートに書いた。「ブラジル人学校に戻りたい」が口ぐせになった。

 2学期になると、不登校になり、秋元さんの教室からも足が遠ざかった。朝、姉が「学校行かないの」と聞くと、カリナは音楽プレーヤーをつないだイヤホンで耳をふさぎ、部屋にこもった。

 経済的困窮でブラジル人学校に通えず、公立学校にも適応できない。不就学や不登校に悩む子どもの問題は、ブラジル人の流入が始まった1990年代から起きていた。

 だが外国人は義務教育の対象でないため、国から見過ごされた。しわ寄せは学校に回る。49人のブラジル人生徒が学ぶ浜松市の江南中学校では7割が授業についていけないという。

 不登校になったカリナは再び秋元さんの教室で、小学校のドリルからやり直した。3学期には高校進学を目指し、午前中だけ学校に行くようになった。

 学習道具や洋服が乱雑に置かれた家賃3万5000円の自宅で、カリナはポルトガル語で話す。「学校の先生が言う言葉はわかるけど、内容がわからない」

 夢を聞くと一転、うつむいていた顔が和らぎ、日本語で返ってきた。「小児科医。子どもが好きだから」

 だが、母は昨年末、ついに勤め先を解雇された。「どこまで学校に行かせられるか」。母はか細い声で話す。
◆不況直後に人数大幅増

 ブラジル人が多く住む岐阜県可児市が2003〜04年に就学年齢にある外国人370人を調べたところ、25人(7%)が不就学だった。リーマン・ショック直後の09年2月に文部科学省が全国約90のブラジル人学校を調査すると、3カ月間で1718人が学校に来なくなり、そのうち722人(42・0%)が帰国、160人(9・3%)が公立学校に編入、598人(34・8%)は不就学になっていた。

寂しさ非行で埋め 学校、職場で疎外感

2011年5月12日

外国籍の少年を対象にした日本語の授業。漢字を読めない少年も多く、教室名は平仮名で書かれている=神奈川県横須賀市の久里浜少年院で
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 白く、高い壁に囲まれた少年院で毎日、後悔に襲われる。

 「今でも夢に出てくるんですよ」

 ユウジ(20)=仮名=のふっくらした顔がゆがみ、眼鏡の奥の目が潤んだ。

 夜、路上で日本人の会社員をブラジル人5人で取り囲むと、ユウジが殴りつけ、金品を奪う。そんな夢だ。

 群馬県にいた2年前。路上で強盗を繰り返した。お金に困っていたわけではない。誘いも何回か断った。「悪いことだとわかっていた。でもやらないと、弱いと思われる。友だちがいなくなるのがいやだった」

 日系3世のユウジはブラジルの学校で「ニホンジン」と、差別を受けた。父はユウジが生まれてすぐ日本に渡り、稼ぎを家に送っていた。

 「自分も早く自立したい」。ユウジはブラジルの中学を中退し、17歳で来日した。父とは一緒に住まず、群馬県の溶接工場で派遣の仕事についた。

 最初の半年間は友だちができなかった。職場では日本語がわからず、同僚の日本人から「ブラジルへ帰れ」とののしられた。

 「ブラジルではもうおまえたちの国じゃないと言われ、日本ではブラジルに帰れと言われる。どっちの国の人も僕に来てくれない」

 1人で通ったディスコでブラジル人の非行グループに出会った。一緒に遊ぶうちにケンカ、車上荒らし、強盗、麻薬と非行がエスカレートしていった。「ブラジル人の非行グループは200人いた」。最後は暴力団の仕事も手伝った。

 日本一ブラジル人の多い浜松市の繁華街で長年、ブラジル人子女の夜回りをしている浜松学院大の津村公博教授は日本で生まれた子どもが盗みや麻薬売買に手を染めるケースも見てきた。「みんな学校でも職場でも疎外され、社会で見捨てられていると感じている。同じ寂しさを持つブラジル人同士で強いきずなを結ぶしかない」

 審判の日。ユウジは強盗致傷など4つの非行で、日本語が話せない外国人が集まる久里浜少年院(神奈川県横須賀市)に送致が決まった。「家族が涙を流して、僕は悪くない、と訴えていた。初めて悔やみました」

 少年院には全国で唯一、国際科があり、中国やフィリピンの国籍の少年らと一緒に日本語を学んだ。みんな最初はできないから劣等感はない。衣食住が与えられ、心身ともに勉強に集中できた。

 最初は母国語で書いていた日記は、平仮名、片仮名と文字が増えていき、1年後には漢字を使って書くようになった。作文の課題は日本人の少年と変わらないできばえという。

 少年院の職員は首をひねる。「ここに来る少年はほとんど1年で漢字の読み書きができるようになる。こうなる前に何とかなるんじゃないか」

 ユウジが少年院に入った時の写真を見ると、目がつり上がって見える。穏やかに笑う今は別人のようだ。「どんな仕事でもいい。日本で生きていきたい」。ユウジは今、自信に満ちた表情で話す。

 だが、少年院を出れば、また1人になる。支援のない社会で、家も仕事も見つけなくてはいけない。
◆少年犯罪最多に

 警察庁の2010年の統計(暫定値)によると、刑法犯で検挙されたブラジル人は2531件で、外国籍で中国に次ぐ2位。そのうち車上狙いや部品狙いなど「窃盗犯」が2274件(89・8%)で、殺人、強盗など「凶悪犯」は19件(0・7%)だった。少年(14〜19歳)の検挙は323件で国籍別で最多。同庁は少年犯罪の比率が高いとし「両親の不安定な勤務環境」「不登校、不就学」「非行グループへの加入」などを背景に挙げている。


学ぶより稼ぎたい 「中学中退」し非正規労働

2011年5月12日

中学を中退した日系ブラジル人の少年。工場でアルバイトを続けるが、生活は不安定なままだ=浜松市内で
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 「中学中退」。それがカイキの最終学歴だ。

 カイキ(17)は浜松市内の自動車関連工場で朝8時から部品を段ボールに詰める。時給1000円のアルバイトだ。

 夕方5時すぎに帰宅すると、作業着を脱ぎ、遅くまで働きに出る母に代わり、2人の弟にチャーハンを作る。

 目がきりりとした端正な顔立ちのカイキは日本語でたどたどしく話す。「今の仕事は楽しいですよ。契約は6月までだから、また探さないといけないけど」

 10歳の時、ブラジルで仕事がなかった両親に連れられ、4人兄弟と来日した。

 浜松市の公立小学校に入るが、日本語がわからない。中学に上がると、国語や社会のテストは「最高で5点、6点」。 

 3年の秋、先生に「学校やめるよ」と告げた。先生は引き留め、家では母が泣いて「卒業して」と訴えた。

 でも学校は時間の浪費にしか思えなかった。「早く働いて、バイクとか好きな物が買いたかった」。父は中学2年の時に離婚して、家を出た。兄2人と母が自動車工場などで働いたが、裕福ではなかった。

 数日後、母が退学届を出した。

 教育の義務を定める憲法第26条は「国民は」で始まる。外国籍のカイキは対象外。届け出は受理された。

 カイキは仕事をみつけられなかった。15歳未満の雇用が法で禁じられていることも知らなかったのだ。

 「中学を卒業しとけばよかった。あの時はバカだった」。義務教育のことをカイキに伝えると、意外そうな顔で笑った。「日本人ならやめたくてもやめられないんですか。それはいいな」

 母国で暮らす祖父は電話で「こっちは仕事がない」と言う。経済成長を続けるブラジルだが、日本より失業率は高い。日本以上の学歴社会で、大学を出ないと、非正規の仕事すらままならない。

 「ブラジルは子どものころとは変わっていると思う。帰るのは少し怖い。日本でずっと暮らしてたい」

 日本は学歴がなくても、アルバイトや派遣で日銭は稼げる。カイキは15歳になると、建設現場やミカン農園でアルバイトにつけた。カイキの兄2人やブラジル人の友だちも高校年代から働きだした。

 浜松市内のある派遣会社の社長は「今は自動車工場も食べ物屋も従業員は外国人ばかり。若者の就職難と言われているけど、3Kの仕事を日本人がやらなくなっただけ」と語る。

 高い学費を払って大学まで進んでも、企業に正社員で雇用されるブラジル人は少ない。

 「勉強しても意味がないと、みんな思っている」

 そんなカイキも弟2人には大学まで通ってほしいという。

 だがカイキよりもずっと流ちょうな日本語を使う中学2年の四男は、得意げに話す。「僕も中学出たら働くんだ。ファストフードとかコンビニとか」
◆義務教育の対象外、対応悩む公立校も

 法的根拠がなくても、独自の判断で外国人の中学中退を禁止する公立学校もある。浜松市で最多49人のブラジル人生徒が通学する江南中学校では、退学を申し出る保護者に帰国の航空券やブラジル人学校に入る証明書などの提出を求めている。同校は「退学後の不就学が疑われる場合には届け出にハンコを押さない」との対応をとっている。だが航空券をチェックしたのに、退学した生徒が数カ月後に市内で目撃された例もあるといい、学校も頭を悩まされている。


 

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コメント
 
01. 2011年6月22日 10:26:28: rxMan9aQZA
日本の荒廃には、間違いなくアルコール(飲酒)が隠された原因の大きな一因です。ドラッグの10〜20倍くらいのゆっくりさで人を狂わすのです。酒の好いとこは宣伝しますが、弊害は知らせようとしません。「20歳になってから」なんてなぜ?の具体例をきかされましたか?かろうじて廃人からはい上がった人達の話を聞いてびっくり仰天の連続でした。家族、特に子供への被害は言葉がありません。「飲も、飲も、」と飲んでる皆さん、一度話を聞いてみては? それともハンメルンの笛吹きの、ネズミや子供のようになりますか?

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