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茂木健一郎氏が自らのブログ「クオリア日記」に素晴らしい卓見を載せている。
改めて、その見識と人間愛に敬意を表するとともに、この乱れた日本に茂木さんのような識者が健在であったことに救われた思いがする。
一人の若者の未来も人格も踏みにじる無節操なメディアは大いに反省すべきである。
茂木さんの論旨は概略以下のようである。
今回のカンニング事件には色々な意味で心が痛む。京都大学が被害届を出し、偽計業務妨害罪で学生が逮捕されるに至ったことに強い違和感を覚える。
その理由の第一は、「大学の自治」「学問の自由」にある。
入学者をどのように選考するかは「大学の自治」の根幹にかかわるものと考える。かっては大学の自治はもっと大切にされた。今回の事件において、京都大学の関係者が「被害届」を出してしまったことは「大学の自治」の点から疑問である。日本の大学が大きく変質してしまったことを感じる。
第二に、教育者の立場からの配慮に欠けているという点である。
京都大学に憧れ、志願してきた学生が「心の弱さ」からカンニングをしてしまった。
その時に大学側がとるべき対応は、入試で不合格にすると同時に前途ある若者が未来に向き合えるような配慮をするべきではないか。「偽計業務妨害罪」という罪名のもとに「警察に突き出す」ことが大学人のやるべきことだとは私は思わない。
カンニングは他にもなくはないと推定される。その場合に被害届を出しただろうか。
今回の受験生が、その手法の目新しさゆえに「警察沙汰」になってしまったとすれば他の事例と比較しての公平性の点からもはなはだ疑問といわざるをえない。
今回のカンニング事件を通して、日本の大学入試のあり方、そこで問われる学力の質、さらには事件を一斉に報道したメディアの体質などについても様々な問題が提起されていると考える。
http://kennmogi.cocolog-nifty.com/
かって京都大学は7人の法学部教授が敢然と学問の自由を守って立ち上がった誇るべき歴史と伝統をもつ。学問と教育についての強い信念と矜持を取り戻すことを熱望する。
また、全国の国立大学が権力におもねり、学問で金儲けをせよというがごとき改革に唯々諾々と従い、汲々としている現状を嘆くものである。
大学関係者は学問の自由と大学の自治、教育の何たるかを自問自答し、猛省あるべきではないか。それなくして、真の「自立」した学生、若者は育たないし、日本の将来もないと言わざるを得ない。
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