http://www.asyura2.com/10/social8/msg/318.html
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サザエさんや、NHK朝ドラで無限ループしているように
昔は地縁・血縁で人々がつながっているのが当然だったが
既に、そうではないことが明白になりつつある
いずれにせよ、短期間で解決できる問題ではなく、
行政と個人、両者の意識と行動を変えていく必要があるのは、
北欧など福祉先進国で実証済みだ
個人の自由権と、弱者の生存権保障の問題を、明確にして
政治がどこまで介入するのが、公正なのかを明確にする必要がありそうだ
http://synodos.livedoor.biz/archives/1657898.html
「結婚・仕事を持つこと」の敷居を下げよ〜「孤族の国」を考える(1) 筒井淳也
http://synodos.livedoor.biz/archives/1662792.html
「孤族」は自由社会のツケか?〜「孤族の国」を考える(2) 橋本努
http://synodos.livedoor.biz/archives/1668847.html
田舎で育ち、都会で老いる: 地域政策と孤族〜「孤族の国」を考える(3) 斉藤淳
「結婚・仕事を持つこと」の敷居を下げよ〜「孤族の国」を考える(1) 筒井淳也
「社 会保障」とは何よりも、人生の様々なリスクに物質的に対処するための社会的仕組みである。しかしそれは、同時に人々の心を困窮から救い出す仕組みでもあ る。というのは、家族(配偶者や子ども)がいること、安定した仕事があることと、自尊心・精神的な安定を保つことができていることとは、強く結びついてい るからだ。家族や仕事がなければ、人は家族・人 間関係を作りづらい。地元に残ったきょうだいに会おうにも、自分の仕事が無い状態だと顔を出しづらい。そして人間関係がなければ、家族や仕事を得るきっか けを失う。もちろんメンタルな病理が媒介することもあるだろうが、それだけで説明できるわけでもない。家族や仕事はそれ自体深刻なストレ スをもたらすこともあるが、多くの人は、それでも家族や仕事が全くない状態の怖さを知っているから、その強いストレスに耐えているのだろう。かんじんなの は、そうした「しがらみ」を失って「自由」になり、しかし結果として孤独な死を迎えることになった人々が抱えていた問題と、ストレスに耐えながらも家族や 仕事にしがみついている人々の問題は、基本的に同じであるということを認識することにあるのではないだろうか。というのは、家族を持つことの困難やプレッシャーが少なければ、家族(あるいはそれに類する親密な関係)を形成・維持しやすいだろうし、やりがいがない仕事でも労働時間や所得の面でもう少し余裕があれば、仕事を続けられたかもしれないからだ。(安定した)仕事があること/ないこと、家族を持っていること/持っていないことのあいだにある高い壁を、もう少し下げられないものだろうか。就 労に関しては、EUが目指す「アクティベーション型」の社会政策、つまり失業者を福祉依存から脱却させ、労働に「包摂」させるという指針を日本においても 取り入れるべきだ、という主張が一部の識者の間でなされている。その際にしばしば職業訓練が手段として強調されるが、より重要なのはそれを背景で支えてい る制度、つまり「均等待遇」である。男女の均等待遇、そして正規雇用と非正規雇用の均等待遇(いわゆる「パートタイム指令」)が二つの柱になっている。こ ういったEUの方針は、男女、そして正規雇用と非正規雇用のあいだに(収入と参入の)高い壁がある日本における雇用の現状とは対局にあるといえる。同 じようなことは家族についてもいえる。日本では、家族を持っていること/持っていないことのあいだに高い壁が存在する。極端にまで進んでしまった日本での 晩婚化は、日本人にとって、結婚することがいかに人生の難しい課題になってしまったのかを物語っている。主な原因は、「安定した収入が見込める男性が少な くなった」といったミスマッチである。日本人にとっての雇用が、低成長期においてうまく機能しないものであるとすれば、日本人にとっての結婚や家族も、高度成長や高学歴化をあてにしてはじめて機能するものであった、ということだ。し ばしば、「個人化された社会保障は家族の機能を損なう」という主張がなされることがある。しかし私の考えでは、それは逆である。家族の機能を社会(政府) が肩代わりすることは、家族を持つことの負担、家族を持つことの敷居(難易度)を下げることを通じて、むしろ「本来」の家族の機能を活性化させるはずであ る。実際、社会保障制度を極端に個人化させているスウェーデンと日本を比べると、若年層における同棲を含めた「カップル率」はスウェーデ ンが日本を上回っている。出生率もスウェーデンの方がずいぶん高いことは、周知の事実である。北欧諸国を「問題のない理想的な国」だと考えるのは馬鹿げて いるが、少なくとも客観的な数値をみるかぎり、個人化された社会保障が(それがない社会に比べて)家族を破壊しているとまで言える証拠はない。菅直人政権は2011年1月に、こういった現状に対処すべく特命チームを立ち上げた(「孤族」支援特命チームを政府設置へ 首相が指示)。記事によれば、「孤立した人たちの全容を明らかにし、人を社会的孤立に追いやっている原因を調べ、孤立状態にある人を社会につなげるための対策に本格的に取り組む」そうである。中 長期的にこういった対策が功を奏するかどうかは、「孤族」の問題が、現在日本が抱える数多くの問題とほとんど同じ問題なのだということをどこまで理解でき ているか、にかかっている。「人を社会的孤立に追いやっている原因を調べ」ようとしている時点で、いまさら感もある。そういう意味では問題は認識のレベル にではなく、すでに政治のレベルにある。そして、少子化対策や雇用対策が「つぎはぎ」の、その場しのぎの対処になってきたのを見ると、どうしても期待薄に 思えてしまうのだ。筒井淳也(つつい・じゅんや)/記事一覧1970 年生まれ。一橋大学社会学部卒業、同大大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会 学)。現在、立命館大学産業社会学部准教授。専門は家族社会学・計量社会学。著書に『制度と再帰性の社会学』(ハーベスト社、2006)、『親密性の社会 学』(世界思想社、2008)など。
2011/2/27:0
「孤族」は自由社会のツケか?〜「孤族の国」を考える(2) 橋本努
『朝日新聞』連載のルポルタージュ「孤族の国」(12月26日〜1月6日)が話題を呼んでいる。ネット記事へのアクセス数のみならず、売店での同紙の売れ行きも好調のようで、早くに完売するところも出たという。たとえば引きこもり青年の末路、血縁関係の途絶えた人の孤独死、壮絶を極める介護など、いずれも他人事(ひとごと)とは思えない現実への切り込みに、時代の警鐘を読みとった読者も多いのではないだろうか。1 月23日からは「孤族の国」第二部の連載もはじまった。自由で孤独な生の果てに、孤独な死を迎える。そんな悲惨な出来事が、この国の日常となっていくのか もしれない。すでに菅直人政権は、1月13日に「孤族」支援のための特命チームを設置して、2012年度予算に向けて対策を立てはじめたという。また近い 将来、2020年には「多死」の時代が到来する。いま何が必要なのか。「孤族」を分析してみよう。「孤 族」とは何か。連載最終回のふたつの事例を読むかぎりでは、切迫感がみられない。第一の事例は、離婚した男性が病気を煩って老人ホームに暮らしているとい う話だが、この場合は、老人ホームがセーフティーネットとなっている。もうひとつの事例は、妻に先立たれた男性が、ネット上にコミュニティをみつけるとい う話で、こちらも問題ないように思われる。この他にも連載では、大学生が孤独で不安なアトミズム(原子論的な個人主義)の状況に追いやられている話や、宗教団体を離れた個人の問題が取り上げられているが、いずれも以前から問題となっている事柄であろう。一 般論としていえば、人は誰しも自由に生きることの代償として、孤独な生、あるいは孤独な死を免れないのではないかとの不安を抱えている。そんな不安を解消 するために、人々は他方で、さまざまなネットワークを築いてきたことも事実であろう。ところが近年になって、もはや自生的なネットワークでは解決できない 問題も生じている。たとえば、うつ病の増大に、どのように対処すべきなのか。引きこもりやニート、あるいは親元にパラサイトしてきた人た ちが、親の死によってどんな生活を迎えることになるのか。あるいは、職場共同体の崩壊とともに、ひたすら実力主義で成り立つビジネスの世界で、人はいかに してストレスを発散する場所をみつけることができるのか。「孤族の国」が提起するこれらの問題は、いずれも既成の中間集団がもっていた「愛着機能(アフェクティブ・ファンクション)」がうまく働かないところで生じている。個 人差もあるが、コミュニケーション能力の欠如が社会問題を引き起こしているとすれば、政府や自治体は、どんな政策を講じることができるのだろう。この問題 を考えるために、たとえば、90年代後半にイギリスが示した「第三の道」政策は示唆的である。第三の道は、地域コミュニティを再生するプログラムを提起 し、コミュニティ活動に多くを期待した。その手法から大いに学ぶことがあるように思われる。その一方で、「孤族の国」においては、人間の 「プライド」が問題になっている。たとえば、派遣先を転々とした人が、人生を悲観して殺傷事件を起こしてしまう。あるいは賃金を下げられた社員が、辞職す るものの、再就職できずに、自殺する事態が取り上げられている。いずれも経済的に「自尊心(プライド)」を傷つけられた者の悲惨な末路であろう。人 間はたんに金銭の損得勘定によって動くのではない。どんな人でも体面を気にして生きている。その意味で、就業や賃金の問題は、たんなる経済の問題ではな く、社会的に承認されるための「基本財」として考慮される必要があるのではないか。とりわけ、繁栄を謳歌した経済の衰退局面、あるいは階層間移動の下降局 面でとりわけ配慮すべきは、人間の生を支えている「体面の利益」ではないか。しかしどうも現代人は、プライドがありすぎて、うまく生きる ことができない。プライドが邪魔をして、他人に頼ることができず、生活苦から餓死してしまう。そんな悲劇が「孤族の国」でも報告されている。豊かな社会 は、自分に誇りをもつことのできる人間を、多く生み出した。ところがその同じプライドが、互いに支えあって生きていくためのコミュニケーションを阻害して いる。連載「孤族の国」はいう。「ここで、立ち止まって考えたい。いま起きていることは、私たちが望み、選び取った生き方の帰結とはいえないだろうか。目指したのは、血縁や地縁にしばられず、伸びやかに個が発揮される社会」だったのだ、と。しかし問題を正確にとらえれば、血縁や地縁があっても、プライドが邪魔をして利用できないという事態が生じている。わたしたちは、もう一度、善き社会、善き生き方を選び直すことが求められているのではないか。わたしたちは従来どおり、他人の自由を尊重して承認するという「リベラル市民社会」を「善し」とするだろうか。それとも血縁や地縁を尊重する「伝統的社会」を「善し」とするだろうか。「第 三の道」的発想は、その中間をいく。各人のプライドを傷つけずに、互いにケアする人間関係を模索する。いわば「自由も承認も、両方とも実現しよう」という わけだ。そのために必要な政策は、たとえば、就業の成果には囚われない就業支援といった、「人間関係資本」を形成していく試みであるかもしれない。経済の 論理に支配された関係を、人間の「承認関係」へと組み替えていく。そのための綜合的な政策ビジョンが求められているように思われる。◇本日の一冊◇無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))著者:網野 善彦平凡社(1996-06)販売元:Amazon.co.jpクチコミを見る日 本の中世においても自由な社会空間はあった。「無縁」と呼ばれる世界である。寺での苦行を媒介にして、夫と離婚して縁を切ることができれば、そこに自由な 空間が広がっている。本書はそんな境界的な事例を素材に、日本における自由な空間を、歴史的に明らかにした名著である。この他にも本書では、市場、遍歴す る職人たちの生活、芸能民たちの生活に、自由な空間が体現されていたと論じる。いずれも、「所有」や「支配」から逃れたところで自由が可能になっていた。し かし時代の流れとともに、そのような「無縁」空間は衰退し、代わって、私的所有制度の下で、自由に結婚したり離婚できるような近代社会が訪れた。こうして わたしたち現代人は、自由な空間を保障された上で、「縁」を築くようになった。けれども、実質的な意味での自由とは、この国では依然として、「無縁」の理 念と結びついているのかもしれない。橋本努(はしもと・つとむ)/記事一覧1967 年、東京中野生まれ。東京大学総合文化研究科、課程博士号取得。現在、北海道大学大学院教員。 著作に、『自由の論法』(創文社)、『社会科学の人間学』(勁草書房)、『帝国の条件』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)、 『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、など。新刊に『自由の社会学』(NTT出版)
http://synodos.livedoor.biz/archives/1668847.html
2011/2/47:0
田舎で育ち、都会で老いる: 地域政策と孤族〜「孤族の国」を考える(3) 斉藤淳
◇急速に進む都市型高齢化◇『朝 日新聞』連載の「孤族の国」が大きな反響を呼んでいるとのことだ。この大きな反響にはいくつか理由があるだろう。誰でもいずれは死を迎える。しかし、今を 生きる自分自身が現在営んでいる生活様式が、どのようなかたちの末期につながりうるか、必ずしも自明ではない。しかし連載記事を読んだ読者には、現在の生 活が孤独な老後と末期に直結しうることを確認し、少なからず狼狽しているのではないか。十 分な医療や介護も受けられず、人知れず一人ひっそりこの世から姿を消す孤族の姿は、核家族化や都市化、あるいは社会安全網が脆弱なまま貧困化してしまった 日本社会の抱えるさまざまな問題を反映している。原因も解決方法も多岐にわたるが、ここでは主として地域を軸に孤族問題を考えていきたい。地域政策からみる理由は、田舎で育ち、都会で老いることが孤族のひとつの特徴だからだ。孤族問題は、その問題のすべてとはいわないものの、戦後日本社会を支えてきた地域的再分配、再循環のメカニズムが抱える構造的な問題が表出した側面がある。つ まり、東京をはじめとする都会に人もモノも金もいったん集中させて、地方に分配するモデルのしわ寄せが、孤族の出現というかたちで現れたのである。ある意 味で、高度経済成長の裏側に横たわっていた地方経済の停滞、地域政策の失敗が、孤族問題の背景にあることは間違いない。大量の孤族が発生 し、その行く末を悲観する事態が発生した理由のひとつは、人口の急速な都市化である。総務省統計局や国立社会保障・人口問題研究所の資料によれば、 2005年から2015年のあいだに、高齢者人口がもっとも急速に増加するのは埼玉県であり、つづいて千葉県、神奈川県である。増加率首位の埼玉県では、 およそ55%の高齢者人口増加が見込まれ、全国平均でも30%を上回る。一方で高齢者人口増加率を下位から並べると、すでに高齢化の進行していた鹿児島 県、山形県、秋田県が並ぶ。つまり、「金の卵」と持て囃され、集団就職で上京した団塊世代(1940年代後半生まれ)と、これに引きつづ くかたちで都市部に流入した人口が、退職し老後を送ることで都市部が急速に高齢化するのである。しかも都市部での高齢化にあっては、深刻ながらも緩慢なか たちで進行してきた地方での高齢化とは、まったく異次元の問題が発生するであろう。たとえば、多くの高齢者が認知症を抱え、地域的な相互扶助の基盤が脆弱 ななかで、孤独な末期のときを迎えることになる。◇経済の「55年体制」と急速な都市化◇このように30年から40年前に起こった現役世代人口の急速な都市化が、これから急速に進む都市高齢化の直接の原因である。それでは、日本列島の都市化はどのような仕組みで起こったといえるだろうか。日 本だけでなく一般的に、経済が未成熟な段階での経済成長は、農村部から都市部への急速な人口移動を伴う。生産性の低い農村部門から、高生産性部門を抱える 都市部への労働力移動をうながすことは、とくに労働集約型製品を輸出しながら経済成長をする局面において、必ずといってよいほど発生する。たとえば、国勢調査で就業者総数に占める第一次産業の比率をみると、戦後初期でおよそ半数を占めていたが、この数字は70年代初頭にかけて2割を切るまでに急速に下落し、80年に11%、2005年の数値で4.8%である。同時期、都市部人口は一貫して増加してきた。開 発経済学の教科書に必ず登場するモデルのひとつに、アーサー・ルイスの二重経済モデルがある。ルイスは西インド諸島出身の経済学者で、1979年にノーベ ル賞を受賞しているが、彼の議論は途上国経済が生産性の高い近代部門=都市と、生産性の低い生存維持的部門もしくは伝統的部門=農村に分かれるとの前提に 立つ。このモデルで経済発展のカギになるのは、農村部から都市部に、安価な労働力がほぼ無制限に流入することである。これを促進するためには都市部で経済 インフラへの投資を行い、賃金インセンティブを通じて農村部から、労働力人口を都市部に吸い出すことが重要になる。もちろん、こうした政 策を取ることには一定の経済合理性がある。グローバリゼーションの進む世界で、競争力を保持するためには大都市という集積の利益が働く地域をもつことが重 要だ。しかし、経済学の教科書で「投入労働量」と、抽象的な概念として導入される労働力とは異なり、現実世界の労働者はやがて老い、終末のときを迎える。 つまり、大多数の労働者が出身地に帰り職業を探す行動を取らないかぎり、高度経済成長と急速な都市化の代償として、都市部の高齢化は急速かつ劇的に訪れる のである。戦後日本経済が成長軌道に乗ったのは1950年代前半の朝鮮特需以降のことだ。経済が軌道に乗りはじめた55年には、保守政党 が合併することで自民党が結党され、政治の安定性も確保された。ここでいわゆる55年体制が確立される。当時、自民党の前身となった保守政党の得票率を合 計すると6割近く、たとえ急速な都市化を経験したとしても、自民党が容易に政権を維持するであろうことは自明であった。政治の55年体制 は、経済の55年体制と表裏一体であった。データの存在する1958年以降の都道府県別行政投資実績をみると、当時は大都市圏での経済インフラへの支出が 目立つ。本格的に経済成長を促進するための政策が取られたのである。当時、太平洋ベルト地帯を中心に新幹線や高速道路が開通し、その建設資金として世銀か らの融資が用いられた。1960年代、日本の人口一人当たり所得の成長率は年率で9%に達し、人口も急速に都市化を遂げたのであった。◇経済の「73年体制」と地方の停滞◇し かし経済の55年体制は、政治の55年体制を弱体化させるものであった。急速な都市化は、農村に基盤をもつ自民党支持基盤の縮小をもたらした。60年代を 通じ、自民党の得票率はフリーフォールが続き、70年代前半に差しかかる頃には国政選挙での保革伯仲が現実のものになり、衆参両院の定数格差によって、自 民党が過半数議席を維持するような状況がつづくことになった。じつは、この自民党長期低落傾向に一定の歯止めをかけたのが、73年のオイル・ショックと変動為替相場制への移行による長期的な円高傾向であった。この時期を境に、経済成長促進型の政策は大きく転換し、地方での雇用確保を目指した支出に予算が使われるようになる。筆 者は、この経済構造の転換以降を便宜的に「73年体制」と呼ぶことにしている。全国的に、都市部への人口移動は鈍化し、冬期間は出稼ぎに出ていた兼業農家 が、地元のスキー場や工事現場で働きながら冬をすごすようになった。しかし、都市部への人口移動が鈍化したということは、残念ながら、地方に持続可能で競 争力のある産業基盤が形成されたことを意味するものではなかった。公共事業は地方で雇用の受け皿を創出したが、事業支出の対象は高速道路 や新幹線など経済インフラというよりはむしろ、ダムや農業土木など支出を自己目的化するような分野に対して、非効率なかたちでなされた。農業政策もコメ減 反に象徴されるように、小規模の兼業農家戸数を維持することに汲々とし、決して農業全体の競争力を高めるものにはならなかった。地方の産 業構造は必ずしも重層的なものにはならず、大学を卒業して地元でふさわしい就職先をみつけようとすると、公務員と教員以外に選択肢がないという状況がつづ いた。結果として、田舎で育った若者が、都市部に出て就職する状況は変わらなかった。そしてバブルの終焉と、長期的な円高傾向によって、地方の製造業が空 洞化し、海外に流出する傾向に拍車がかかった。地方に仕事がない状況に変わりはなく、結局は田舎で育って都会で老いることを余儀なくされる場合が多かった のである。しかし田舎から都会に出てきた第一世代にとって、近親者のいない都会は、子育てのための社会基盤が脆弱なだけでなく、長時間の 勤務や通勤が強いられる状況があり、結果的に出生率の低下が進むことになった。それだけでなく、同時並行で進行していた晩婚化や非婚化も都市部で早期に進 行しており、長期的には少子高齢化を加速させることになった。この時期に多様な生活様式を自ら選択したことで、意図せざるかたちで孤独な老後を送ることに なった事例も多いのかもしれない。出生率の低下は都市部でより急速に進展したが、このことは、結果的に自分の老後を支えてくれる子どもの 人数が、都市部において相対的に少なくなったことを意味する。つまり「都市部で育ち、都市部で老いる」ことは、少なからぬ場合、孤独な老後を生きる選択で あった。しかも引きつづき「田舎で育って都会で老いる」パターンを歩む現役世代が、人数としては増大していったのである。◇孤族問題へ、地域政策からの視点◇孤 族問題は、少なくとも部分的には、不況の長期化にともなう貧困により発生している。これについては、基本的にマクロ経済政策によって対応すべきものであ る。たとえば、デフレ脱却が最重要課題なのはもちろんで、日本全国の景気回復を図るべきなのはいうまでもない。この点を無視して、個別の対症療法で救済す ることを優先する発想には疑問をもつ。しかしその一方で、孤族出現の直接のきっかけになっているのは、都市部の急速な高齢化であり、これを後押ししたのが、都市部に人もモノも金も集め、それを地方に分配する自民党型公共政策モデルであったことも忘れてはならない。田舎で育ち都市で老いることがライフ・コースとして一般化しただけでなく、都市部は子育てのしにくい地域でありつづけた。結局は、自分の縁者と離散したまま老いることを、半ば自ら選択しつつ、半ば状況から迫られたかたちで、孤族が大量発生したのである。日本の高度経済成長は、人類がそれまでに経験したなかで、もっとも急速かつ長期間にわたる都市化をともなったといえる。そして、引きつづいて少子化が起こった。この裏返しとして、日本の都市、とくに首都圏は、これまで人類が経験したことのなかった速度で高齢化する。考 えてみれば、高校を卒業したときに、井沢八郎「あゝ上野駅」(1964年)が流行していた世代は、今年もう60歳代前半である。太田裕美の「木綿のハンカ チーフ」は1976年に流行したが、この時期に高校を卒業して「東へと向かう列車で」都会に出て行った若者も、今年で53歳。もう十数年で高齢者人口の仲 間入りである。つまり、孤族は未曾有のスピードで進む高齢化の入り口に差しかかったなかで、とくに都市部で表出した問題なのである。この ように、高度成長期を支えた農村部から都市への人口移動も、時差をともなって社会的な費用を顕在化させることになった。もちろん、積極的に都市部での自由 として孤独なライフ・コースを選択したのであれば、これは責められるものではないかもしれない。しかし問題は、積極的選択ではなく、貧困や結婚の機会に恵 まれなかったなどの理由で、望まないかたちで孤族になることを強いられた事例が多々あることであろう。田舎で育って田舎で老いる、都会で 育って都会で老いる、しかも家族に囲まれながら老いるパターンを取り戻す。これを容易にする政策がいかなるものか、構想しなければならないのではないか。 国勢調査統計をみれば明らかなように、核家族化は、都会でも田舎でも進行していた。一方で正確な統計はないものの、何かあったときにすぐ駆けつけられる、 いわゆる「スープの冷めない距離」で暮らす人口は、「田舎で育って都会で老いる」パターンの増加にともなって、急速に減少したと思われる。孤 族問題の解決には、家族や共同体をどう再構成していくのか、共同体の集合としての地域とこれを支える産業構造をどうデザインするのかという基本構想を忘れ てはならないだろう。家族の絆だけでなく、「遠くの親戚よりも近くの他人」という地域共同体の絆や、経済的取引すなわちサービス産業を通した絆など、多様 な選択肢を模索していかなければならないのであろう。日本での孤族出現の経験は、これから同様の状況に直面するだろう途上国にも、多くの教訓をもたらすと予想される。この意味で、孤族の国の問題は、全世界が見守っている課題でもある。斉藤淳(さいとう・じゅん)/記事一覧1969年、山形県生まれ。イエール大学政治学科助教授。元衆議院議員(山形4区、2002-2003年)。著書に『ODA大綱の政治経済学―理念と運用』(有斐閣、共著)など がある。
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