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http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20110106-japon-une-ancienne-ministre-donne-naissance-50-ans
日本
記事発表:2011年1月6日木曜日
最終更新:2011年1月7日金曜日
日本の元閣僚が出産をめぐるタブーを破る
RFI
日本では、保守政権下で閣僚経験のある女性代議士が50歳で出産したことが、話題になっている。野田聖子氏は、女性擁護についてほぼ非伝統的な立場をとることで知られている。同氏の妊娠・出産にまつわるさまざまな出来事は、社会的な論争のテーマとなった。同氏は妊娠するために、戦闘的ともいえる行動をとった。
野田聖子氏は、日本社会に残るあらゆるステロタイプ的思考を揺るがしてきた女性だ。2004年にはすでに、『私は、産みたい』という著書で、野田代議士は子供に恵まれない一女性としての戦いの道のりを記している。
さまざまな理由から、日本の出生率は女性1人あたり平均1.37人で、世界最低の部類となっている。男女平等のための数年間以降、野田聖子氏は、出産が働く女性の妨げにならないことや、働く女性が出産を妨げられないことのために活動してきた。
自分自身が母親となり、家族政策についての自分の提案が新たな反響を起こすことを、同氏は期待している。50歳にして新生児の母親となり、特に、出産が可能となるような条件の整備に注目が集まることを望んでいる。
妊娠中の事情から流産を繰り返し、野田聖子氏は、日本でほとんど実施されていない技術に頼ることにした。卵子の提供を受けたのだ。体外受精を行うための法律は未整備で、反対意見は強い。日本の医学界はこれに強く反対している。そのため、野田聖子氏は卵子を求めて米国に行くという、非常に政治的な決断をした。同氏は、いつか、新法成立のために、国会で議論を起こしたいと考えている。
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(投稿者より)
野田聖子代議士の出産について、フランスRFIのサイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。
「男女平等のための数年間」(des années en faveur de l'égalité entre les sexes)と表現した箇所ですが、何のことかよく分かりませんでした。国際婦人年は1975〜84年ですが、野田氏の大学卒業が1983年、岐阜県議当選が1987年、国政に初挑戦して落選したのが1990年、衆院初当選が1993年ですから、野田氏の経歴と整合しません。男女共同参画社会基本法の施行は1999年です。
新たな生命の誕生を素直に喜ぶ一方で、生命の尊厳・医療技術・法整備の問題、など、一石を投じる出来事でもあります。
昨年の10月から11月にかけて、妊娠中の野田氏が読売新聞のインタビューを受けています。5回に分けて掲載された、その記事のリンクを下に付しておきます。興味がありましたら、ご覧ください。
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(野田聖子さんインタビュー全文 (1)〜(5): YOMIURI ONLINE)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32645
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32687
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32714
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32724
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32732
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