http://www.asyura2.com/10/social8/msg/259.html
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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu230.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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グローバル化した社会では、アメリカ型の雇用制度に優位性がある。
同じ会社に一生涯拘束されることなど、彼らには想像だにできないのだ。
2010年12月24日 金曜日
◆就職氷河期 働く意義を伝えているのか 12月22日 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101222-00000555-san-bus_all
「就活」を取り上げた「風」は今回でひとまず最終回。これまでには、就活中の学生はもちろん、就活生のいる親、企業の人事担当経験者、再就職を目指して活動中という方や学校関係者からもメールやお手紙をいただいた。
世代や職業などにかかわりなく幅広くご意見が寄せられたのは、就活が、いつの時代も切実であるとともに、問題の根幹が社会の在り方を考え直すことにつながるからではないか。就活を通じて、現代日本を見つめ直そうというご意見も多かった。
例えば、今年起業したという女性(24)。《不景気で企業は目先の利益重視になって、担うべき人材育成の役目を忘れている》とした上で、《心の底ではやりがいをもって働きたいと思っているが、不景気や社会への幻滅もあり、安定志向になっている》と若者の心情を代弁している。
企業側に厳しいように思えるが、この女性は教育面など雇用全般にわたるご意見を寄せてくれている。そして、今回メールを送ってくれた理由について《雇用問題は人の成長の問題であり、すなわち社会の問題。社会全体として解決して、「強い日本」として、これからを乗り切りたいのです》と記している。
今回の風では、「草食系」とされる現代学生気質や「新卒一括採用」の弊害、企業側の情報開示不足を指摘する声などを紹介した。景気が回復すれば雇用情勢が改善し、「超氷河期の就活」なんて昔話にしかならないのかもしれない。でも、こうしたテーマが消え去るわけではないだろう。まして、「どうして働くのか」という問題は、就職してから後も、常について回る事柄だ。
最後に、奈良県でパン店を営む男性(34)のメールを紹介する。
《学校や親、国や社会は、学生に働くことのつらさや、その中にある達成感や満足感を伝えられずにいるのではないでしょうか。もうそろそろ、社会全体で、本当の労働を教えることが必要なのではないでしょうか》
年内の「風」は今回で終了します。本年もたくさんのご意見をいただき、ありがとうございました。少々早いですが、皆さま、よいお年をお迎えください。(真)
◆サラリーマンはどのように絶滅していくのか? 2月24日 橘玲 公式サイト
http://www.tachibana-akira.com/2010/12/1751
日本の大企業の多くは、いまでも終身雇用と年功序列を採用している。これは日本の会社が従業員を長期で働かせたほうがいいと思っていて、同時に日本の労働者が、同じ会社で定年まで働いたほうが得だと考えているからだ。お互いの思惑が一致しているから、日本の労働慣行は相互依存的でなかなか変わらない。
高度成長の時代、日本の会社は実務上の決定権を現場に任せることで従業員のやる気を促し、高品質の製品を安定して生産できる優れたシステムを構築した。メーカーは子会社や取引先を系列化し、“独自仕様”の製品開発を競った。テレビや冷蔵庫のような家電製品でも、メーカーごとに細かな仕様が違っているから、部品を共有することはできなかった。
こうした排他的なシステムで大事なのは、製造現場が培ってきた独自のノウハウや、会社内の人間関係や権力構造についてのマニュアル化できない知識だ。サラリーマンだったらわかると思うけど、現場を実質的に仕切っているのは誰かとか、役員会に稟議を出す前の部門間調整の手順とかの「企業特殊技能(ほかの会社とは共有できない独自の知識や技能)」が、日本の会社ではとても重視されている。
ひとはみんな自分にいちばん有利なように行動するから、日本では経営者も従業員も“独自仕様”に最適な制度をつくろうとしてきた。
従業員はその会社でしか通用しない知識や技能を苦労して習得したのだから、景気が悪いからといって簡単にクビになったり給料をカットされるのは最悪だ。会社としても、悪い評判が立つと優秀な人材が集まらないから、年齢に応じた昇給と終身雇用を約束して社員を安心させようとする。
その見返りとして、会社は従業員に担保を要求する。これが“人質”で、若いときの低賃金労働と多額の退職金のことだ。日本の会社では、従業員は定年まできっちり働かないと正当な報酬を全額受け取れないようになっている。サラリーマンが真面目なのは日本人の気質ではなくて、仕事をさぼって解雇されたときに失うものがあまりにも大きいからだ。
このように考えると、日本の会社が大学院卒や転職者を嫌がったり、サラリーマンが学歴や入社年次にこだわったりする理由がよくわかる。年齢に応じてほぼ一律に昇進させるのが年功序列制度だから、中途採用や年齢の異なる新卒を受け入れるとシステムが壊れてしまう。競争は同期の社員の間で行なわれ、年次を超えて階級が異動することはない(だから日本の会社には降格がない)。
(中略)
もうひとつの変化が、外資系企業の進出だ。彼らがグローバルスタンダードの雇用慣行を持ち込んだことで、サラリーマンにこれまでなかった転職のチャンスが生まれた。
日本企業はそもそも中途採用を受け入れないし、仮に入社できたとしても年功序列のキャリアラインから外れたところでゼロから再出発しなければならない。そうなると、なんらかの理由で会社を離れることになった有能な人材は、自分の知識や技能を市場価格で評価してくれる外資系を選ぶほかない。このようにして、MBAを取得して外資系企業に転職した後、コンサルタントやファンドマネージャーとして独立するのが90年代以降のビジネスキャリアのサクセスストーリーになった。一部のエリートサラリーマンは、外資系に転職すればもっと高い給料をもえらえるはずだ」と考えるようになったのだ(期待賃金が上がった)。
この状態を図示すると、下のようになる。
日本的雇用の側のボールが徐々に上昇し、山の頂点を越えたところで一気に反対側(アメリカ側雇用)に転がり落ちる。それを日本国は、法律による解雇規制や雇用助成金によって必死に押さえつけているのだ。
だがグローバル化した社会では、アメリカ型の雇用制度に明らかに優位性がある。日本社会で「雇用改革」が叫ばれるのに対し、アメリカの労働者は、どれほど失業率が高くなっても、かつてのサラリーマン(オーガニゼーションマン)に戻りたいなどとは考えない。終身雇用によって、同じ会社に一生涯拘束されることなど、彼らには想像だにできないのだ(これは、銃のない社会=日本と銃社会=アメリカの関係とちょうど逆だ。日本人は、どれほど犯罪率が高くなっても、個々人が銃によって武装する社会を選んだりしないだろう)。
日本的雇用からアメリカ型雇用への変化は不可逆的なもので、それを押しとどめる術はない。現在の制度を維持しようとすれば、失業率は際限なく上昇しつづけるだろう。好むと好まざるとにかかわらず、サラリーマンは絶滅する運命にあるのだ。
これはけっして絵空事の未来ではない。
「パパは何でも知っている」は50年代のアメリカ中流家庭を描いたホームドラマで、「パパ」は大きな保険会社のサラリーマン(アメリカでは組織人=オーガニゼーションマン)だった。60年代までは、アメリカでもひとつの会社で生涯を過ごす終身雇用が当たり前だった(親子孫3代が同じ会社で働くことも珍しくなかった)。それが70年代以降、日本メーカーをはじめとする外国企業との競争で業績が悪化すると、家族経営を信条としていたIBMやコダック、AT&Tなどの大企業が次々と大規模なリストラに追い込まれ、終身雇用や年功序列はまたたくまに消滅した。いまではすべての会社がいつでもどこでも交換可能な“汎用仕様”のマニュアルで運用され、労働者の価値観も変わり、自分たちが“サラリーマン”だった時代があったことすら覚えていない――わずか40年ほど前のことなのに。
慣れ親しんでいた日常が、ある日突然、まったく別の世界へと変わってしまう。それと同じことがいま、ぼくたちの世界で起きているのだ。
(私のコメント)
テレビでは新卒者の就職が厳しい事を伝えていますが、日本の会社の雇用制度が近いうちに大転換する前兆現象ではないのだろうか? 会社の方は既に非正規労働者を大量に受け入れて年功序列社会は崩れ始めている。そのようになれば正規社員で固めていた会社も非正規社員の増加で、入社年次で出世していたピラミッドが崩れていく。
しかしまだ前兆現象であり一気に変わるにはまだ時間があるのだろう。橘氏のサイトにもあるようにアメリカでもかつては終身雇用であり、IBMなども終身雇用会社だった。しかし日本やドイツなどの追い上げによってアメリカの会社はリストラ旋風が吹き荒れて終身雇用は崩れてしまった。必要な時に必要な人だけ採用するようになった。
ところが日本の大企業などはいまだに一括採用をしていますが、一括採用は少なめにして非正規雇用の労働者で調整するようになった。かつてはお茶汲みやコピー取りくらいしか出来ないOLが大企業にいた。職場の花と呼ばれていましたが、OA機器の発達で書類作成もタイピストは要らなくなり、自動給茶機でお茶汲みも無くなった。
日本の会社が独自仕様に拘り、汎用性の無い仕事のやり方が好まれた。仕事は先輩から後輩に引き継がれるものであり、マニュアルどうりにやれば済むようなモジュール化が進んでいない。だから中途採用も難しく外部からの人材をスカウトする事も難しい。しかしこのようなやり方ではグローバル化した社会では立ち遅れてしまうのであり変化の早さに対応が出来ない。
必然的に年功序列から能力主義に切り替えないと最適の人材をそろえることが出来ない。社内で育成していたのでは間に合わず外部からエキスパートを入れなければならなくなっている。情報家電メーカーにしても独自仕様のものを作っていましたが、ワープロからパソコンになり、大型汎用計算機からネットワーク型の分散処理に変わって、インターネットだのウィンドウズだのアンドロイドなどと技術変革は加速度的に進んでいますが、中高年のアナログ社員は使えなくなってもクビにできない。
職人の世界では中高年になっても技術の蓄積が生かせるが、サラリーマンの社会になると単なる管理職としてしか使えない。だから大企業にしても中高年になると一部を除いて関連企業に天下る事になる。年功社会では降格させて一兵卒としては使えないからだ。サラリーマン社会では40歳前後がサラリーマンの花であり、それ以降になると一部を除いて使いものにならなくなる。
高度成長期なら管理職のポストも増やして対応が出来ましたが、低成長になるとポストは増やせない。技術職ならそれなりの使い道はあるが総合職では一部を除いて使い道がない。公務員の天下りもそれを象徴していますが、年功社会では降格させて給与カットも不可能だ。
日本企業が中途採用をしないのは年功序列の人事体系が崩れるからであり、能力給にしなければ中途採用の社員は雇えない。中途社員を受け入れるにはマニュアル化した業務体制にしてモジュール化して入れ替えをしても業務が出来る体制にする必要がある。そのような社員を統率するには管理能力が必要であり、サラリーマン社長では無理だろう。
年功賃金も能力賃金も一長一短であり、どちらが良いとは言えないのですが、その時の社会的な状況にあった制度が一番良い。国会なども典型的な年功社会であり当選回数を重ねないと党や政府の要職に就けない。そして当選を重ねれば無能でも総理大臣になれるのであり、国会こそ能力給にすべきなのだ。
能力給社会は実績を残さなければ降格されたりクビになったりする厳しい社会であり、チームワークで働くことが難しい。社長も四半期ごとに業績を上げていかなければ株主からクビにされる。このような制度が日本人に馴染めるかどうかは分かりませんが、グローバル競争社会では年功序列社会は付いていく事ができない。
もしどうしても終身雇用と年功序列を維持したければ日本を鎖国する必要がある。能力給社会では中高年になればリストラされたりして失業者が増大して社会不安になる事もあるだろう。グローバル経済競争に遅れても年功序列を維持するか、能力主義に切り替えるかは国民の判断に任されるべきだろう。
工業化社会では年功序列が良かったのかもしれないが、情報化社会では能力主義で行かないと機能しないのかもしれない。社会が変われば制度も変えなければ組織は機能しなくなってくるだろう。学校教育も年功序列から能力主義教育に変えて行かなければ社会に出たときに戸惑うだろう。
最近では学力を伴わない大学生が大量生産されていますが、年功社会では大学さえ出ればサラリーマンになれて年功序列で出世が出来た。しかし会社の方はそれに対してNOと言っているのだろう。情報化社会では能力がシビアに判定されるから学歴だけの大学生は必要が無い。
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