http://www.asyura2.com/10/social8/msg/234.html
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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu229.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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東京は大規模なコンパクトシティーであり、歩いて生活が出来る都市
づくりが出来ているのに、地方都市は車社会化して自ら衰退化させた。
2010年12月9日 木曜日
◆若者のクルマ離れ…都会で売れない 2007年3月9日 レスポンス
http://response.jp/article/2007/03/09/92363.html
首都圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)在住の若者=M1・F1層の「クルマ離れ」の主な要因は、「経済的理由」、「都市部固有の要因」、「趣味の多様化」であるとの調査・分析結果が得られた。
若者層のマーケティング調査機関であるM1・F1総研(Media Shakers運営)は、第2回分析レポート『若者のクルマ離れに関する検証』を発行した。M1層・F1層とはテレビ視聴率集計区分で、男性20?34歳をM1層、女性20? 34歳をF1層と呼ぶ。
「車を欲しいと思わない」M1・F1層の理由
1位…今の生活では特に必要性を感じないから(74.1%)
2位…車の維持費・税金が高いから(52.0%)
3位…他の交通機関で事が足りているから(51.9%)
4位…車以外のものにお金をかけたいから(43.9%)
5位…車本体を買う金銭的余裕がないから(36.9%)
◆省エネルギーと都市サービス維持の視点からのコンパクトシティの構築 2008年8月8日 石丸希
http://www.keieiken.co.jp/monthly/2008/0808-2/index.html
大都市圏は高効率なコンパクトシティ
それではわが国においてコンパクトシティは実現できるのであろうか。
実は、大都市圏、特に鉄道網が発達し、鉄道への依存度が高い東京などの首都圏や大阪などの近畿圏では、かなり効率の高いコンパクトシティを既に実現している。鉄道駅を中心とした徒歩圏に住・職・学・遊などの都市機能が集積したコンパクトシティを形成し、それが一つのセル(細胞)となってネットワーク化した鉄道沿線に数珠つなぎに連続することにより、セル同士の境界も曖昧でどこまでも続く面的なひろがりを見せ、より高次の都市機能は鉄道を利用して享受できる都市構造を構築している。つまり、これら大都市圏では、まったく徒歩と鉄道だけで何不自由なく生活も仕事もできる条件が整っているのである。
また、鉄道駅を核としたコンパクトシティは、エネルギー効率が高く、地球環境への負荷が小さいという特長を有している。鉄道で一人の人間を1km運ぶのに必要なエネルギー消費量は、バスの約2分の1、自家用車の約6分の1である。同様に、CO2排出量はバスの約4分の1、自家用車の約9分の1である。このように、わが国の大都市圏は、部分的とは言え地球環境問題に対応した非常に高効率なコンパクトシティを既に形成しているのである。
加えて、この鉄道駅を核とした高効率コンパクトシティは、将来的にさらに拡張可能である。鉄道の乗客一人当たりの空間占有量は、バスの25分の1、自家用車の120分の1である。自動車は鉄道に比べて著しく空間効率の悪い輸送機関であるため、自動車交通中心の都市は、鉄道交通中心の都市よりも小規模な都市圏しか形成し得ないのである。建築物が超高層になり、高くなればなるほど、柱は太くなり、エレベーターの数を増やす必要があるため、平面における有効面積が減少し、空間的な制約からどこかで高さの限界に達するのと同じ理屈であり、その限界が自動車交通中心都市は鉄道交通中心都市よりも著しく低い。欧米諸国、特に車社会が確立している米国において、数百万人規模の比較的小規模な都市圏に人口が分散しているのは、自動車交通中心の都市構造の限界の一端を示しているものと考えられる。
地方都市圏におけるコンパクトシティの姿
問題は、鉄道を始めとする公共交通機関が買い物や通勤に実質上使えないほどに衰退し、すでに自家用車に依存せざるを得なくなっている地方都市圏である。
大都市圏と同様に、鉄道を生かした高効率のコンパクトシティを目指し、後背人口が少なく疎らに点在する地方都市圏に鉄道網の充実を図るのは間違いである。エネルギー効率が高く環境負荷の小さい鉄道であるが、その効力を発揮するのは「定常的に一定以上の利用がある場合」という注釈付きである。過疎地でわずかな乗客の鉄道を運行すれば、鉄道であっても自家用車よりエネルギー効率が悪くなるのは自明の理である。一般的に、鉄道が高い効率を発揮するためには、5両以上の客車を連結した列車を数分間隔で高頻度運行する必要があり、通常の鉄道で車両1両に10名以下、路面電車で5〜6名以下の乗客しか乗っていない場合には、乗用車以上にエネルギーロスが大きいと言われている。
地方都市圏におけるコンパクトシティの形成は、大都市圏のような人々の移動に伴う消費エネルギーの効率化の視点ではなく、集住(人々が集まって住まうこと)に伴う都市サービスの維持の視点で進めるべきであると考える。そして、コンパクトシティ化を図る核としては、大都市圏と同様に、既存の都市基盤や都市機能が相対的に集積している鉄道駅やバス停がふさわしい。このようなコンパクトシティの例としては、徒歩圏(団子)を公共交通(串)でつなぐ「団子と串の都市構造」を目指している富山市が参考となろう(図表2)。ただし、あくまでも集住による都市サービスの維持を目的としていることから、少なくとも当面の間は、公共交通機関の利用向上は望めず、駅前やバス停前に住みながらも、買い物や通勤には自家用車を利用するという事態が当然のように発生することに留意する必要がある。
また、もう一つの選択肢として、地方都市圏から、よりエネルギー効率が高く環境負荷が小さい大都市圏への移住を阻害すべきではない。鉄道駅を核としたコンパクトシティが面的に連担(連なって相互に融合)している大都市圏は、自動車よりも著しく空間効率の高い鉄道を有効に活用していることから、さらなる拡張が可能であり、地方都市圏からの移住の受け皿としての容量を充分に有している。将来的な地球環境問題の展開によっては、車依存度の高い地域社会では日常生活における移動コストが上昇を続け、移住せざるを得ない層が大量に発生することも考えられる。人口減少・超高齢社会が到来し、車よりも狸や狐の通行量の方が多い道路を整備・維持し続ける財政負担能力が限界に達し、ガソリン価格がさらに高騰した場合には、「過疎地に住んで自動車で移動する生活を送ってもらっても構いませんが、道路や下水道も整備されていないし、除雪車も来ないし、環境負荷に応じたコストを支払ってもらいますよ」という世界が到来するかもしれないということである。
(私のコメント)
日本の地方の衰退は長期的な都市計画が車社会中心に作られた結果ではないだろうか? 確かに道路整備が進んで、隅々にまで舗装道路が作られている。一家に数台の車を持つ家庭も少なくなく、通勤は車による通勤が当たり前になっている。このようにモータリゼーションが進んで、地方では車なしでは生活が出来なくなっている。
このような車の利用を前提とした都市づくりでは、住まい、職場、学校、病院などの機能が分散されて車なしでは行けなくなるからですが、車を持っていない人や老人や子供たちは著しく不便な地方都市が出来上がる。買い物も国道沿いに巨大ショッピングセンターが出来て、駅前の商店街はシャッター通りと化してしまった。
生活が豊かになればモータリゼーションが進んで、日常生活も車中心の生活になることが理想と思われてきた。しかし車中心の生活は間違いであり、車は誰にでも運転できるものではなく、交通事故は年間80万件も起きている。運転免許は8000万人持っているから100人に一人が一年間の間に事故を起こしている。全部が運転している訳ではないから実質的には数倍の確率で事故が起きている。
私自身もバブルの頃はベンツを乗っていたが、これでは事故をいつかは起こすと思うようになった。つまり自動車中心の都市づくりは間違いであり、自動車がなくても生活が出来るような都市づくりをしなければならない。確かにアメリカンスタイルの生活は広々とした住宅と庭と車で買い物に行く生活は憧れだった。しかしそれは間違った理想であり長続きするものではない。
もちろん車自身を否定するものではなく、物流などは自動車がなければ成り立たない。しかし日常生活においては車がなくてもインフラの整備が進んでいれば生活が出来る。東京などの大都市は鉄道などのインフラ整備が進んでいるから車がなくても生活が出来る。車がなくても生活が出来るから車を持てない人たちが大都市に集まってくる。
地方都市は高速道路や幹線道路などを整備した結果、地方の中心都市は廃れて国道沿いにロードサイドの商業施設が作られて分散化が進んだ。私自身も千葉郊外にアパートを経営しているから、国道沿いのカインズホームなどに車で買い物に行っている。カインズホームは買い物をした客に只でレンタカーを貸してくれるから非常に便利だ。
このように地方都市は車を持っている人にとっては非常に便利な生活空間ですが、健常者にとっても車の運転は危険なものであり、なおかつカネのかかる乗り物だ。若い人の車離れも車がカネのかかる乗り物であるからであり、車が持てないから大都市に集まって来るようになる。さらには老人や18歳以下の子供も車が持てないから大都市に生活せざるを得ない。
なぜ地方は車がなくても生活が出来るような都市づくりをしないのだろうか? 住宅にしても果てしなく分散して点在するようになって電気ガス水道といったインフラの整備も地方の負担になっており、下水道を整備しただけでも地方財政はパンクする。コンパクトシティー構想が語られるようになったのも最近のことですが、赤字だからといって公共交通の廃止が相次いでいる。
東京などの大都市がインフラを整備して車がなくても生活が出来る都市づくりをしているのに、何でも東京の真似をしてきた地方都市は車中心のインフラ整備を進めてしまったのだろうか? 地方都市は路面電車も廃止して道路を広げる事を選択した。むしろ地方都市の中を車が入れないようにして歩いてショッピングが出来るような都市づくりを進めるべきだろう。その為には都市中心に住民を集める事が必要だ。
少なくとも市役所や警察署や消防署や学校や病院などの公共施設を都市中心に集めて、大規模商業施設と高層住宅を作って歩いて生活が出来る生活圏を作るべきだ。そうしなければ地方都市の再生は出来ないだろう。
車自身は非常に便利な乗り物であり、人の生活行動半径を大きく広げる。その為には広い道路と駐車場が必要になり、アメリカの地方都市は道路と駐車場だらけになって都市の空洞化が進んでしまった。路面電車や地下鉄も次々と廃線になり車中心の都市づくりが行なわれた。ニューヨークのような大都市は例外であり車社会になってもアメリカの中心世界に中心でいられるのは地下鉄などは発達していて車なしの生活が出来るからだ。
だから日本の地方都市も公共交通機関を整備して車なしでも生活が出来る空間を作ることだ。そうしなければ老人や子供や車を持てない人が生活が出来ない。政治家達は高速道路や橋を作ることには熱心でも都市の再開発にはあまり熱心ではない。票にならないからですが、箱物ばかりを点々バラバラに作ってしまっている。
日本には自動車会社が10社以上もあり、車社会の実現に貢献した。それは日本が豊かになった証拠でも有るからですが、日本がいつまでも豊かであると言う事は保証がない。ガソリン価格もこれからは年々上がっていくだろう。ガソリンが手に入らなくなれば車はただの鉄の塊だ。電気自動車も普及するのでしょうが近距離用に限られる。
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