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http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101106/trd1011061305007-n1.htm
第二次世界大戦後に旧ソ連のシベリアなどの強制収容所に連行された元抑留者2人が60年以上の沈黙を破り、7日、兵庫県洲本市で開かれる講演会で自らの抑留体験を語る。氷点下50度になる極寒下での重労働や栄養失調、衰弱死…。これまで悲惨な記憶を口にすることはなかったが、「日本人の悲劇を後世の人たちに忘れてもらっては困る」と語り部となることを決意した。いまなお全容が明らかになっていない抑留生活を知る貴重な生き証人が歴史の真実を浮き彫りにする。
旧陸軍に所属していた渋谷京介さん(86)と岡本清さん(87)=ともに洲本市在住。
渋谷さんは、旧満州(中国東北部)で荒野を開拓しているときに陸軍に徴兵され、直後に終戦。ソ連軍(当時)に武装解除されてシベリアの森林地帯に送られた。真冬は氷点下50度にもなる過酷な環境下、木材の切り出し作業を強制された。食事は小さなパンが3個配給されるだけ。4人部屋で朝目覚めると自分以外の3人が衰弱死していたこともあった。「1日に30人以上死ぬことも珍しくなかった。冬は土が凍って戦友の墓を掘ってやることもできなかった」と振り返る。
一方、岡本さんは満州に駐屯する陸軍の部隊に配属されていたときに終戦を迎えた。昭和20年8月に「帰国させてやるから列車に乗れ」というソ連兵の言葉を信じたが、炭鉱に送られた。炭鉱では過酷な重労働を強いられ、見聞きしただけで11人が急性肺炎などで命を落とした。23年に極東のナホトカに移動し、農耕機械などの製造工場で働かされた。待遇の悪さを抗議すると、若いソ連兵が「すべてスターリンが悪いんだ」と弁明したことが忘れられない。
講演会は、2人が抑留生活を体験したことを知る洲本市の元小学校教諭、高倍昭治さん(66)が「ぜひ若い人たちに歴史の真実を教えてもらいたい」と依頼したのがきっかけ。2人は「年齢的にも体力的にも今年が最後の機会になる。1人でも多くの人たちに、これまで語られることの少なかった日本人の悲劇に目を向けてほしい」などと講師を引き受けた。
渋谷さんは「脱走を試みてソ連兵に射殺された日本人もいたが、ほとんどの死因は栄養失調だった。これからは命ある限り、シベリアの悲劇を語り続けたい」と話している。
講演会「シベリア抑留体験を語る」は、7日午後1時半、洲本市立鮎原公民館で開かれる。入場無料。
■シベリア抑留 終戦直後、旧ソ連が日ソ中立条約を破って旧満州や千島列島などに侵入し、投降した日本軍の将兵や民間人約60万人を連行。将兵らは各地の強制収容所で過酷な生活条件で強制労働に従事させられた。日ソ共同声明が発表された昭和31年に抑留者の帰国がほぼ完了したが、シベリアで多くの日本人らが死亡。厚生労働省は死亡者数を5万5000人と推計している。
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